Another 10 Yearsベビメタ名場面(8) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日4月12日は、2016年、米Billboard 200で「Metal Resistance」が39位となり、日本人として坂本九以来53年ぶりにTOP40に入り、2017年には、『Live at Tokyo Dome』DVD/BD(通常盤)が発売され、国内ではフィルムフェスツアーが大阪に舞台を移す中、Red Hot Chili PeppersのUSAツアーSpecial Guestとして、ワシントン D.C. / Verizon Centerに出演した日DEATH。

このところ、なんやかんや忙しく、脊椎間狭窄症の激痛もぶり返したため、ブログ更新がとぎれとぎれになり、結局10 BABYMETAL BUDOKAN の終了までに、Another 10 Yearsの記述は10年の半分の2015年までしか終わらなかった。申し訳ない。
明日はいよいよⅨで、METAL RESISTANCE最終章の全貌が明らかになるので、ライブレポートと考察を行うが、その後は引き続きベビメタ名場面集の2016年以降を記述していく予定DEATH。

<2015年>
●2015年1月10日:SU-METAL「かかってこいやあ!」
新春キツネ祭り@さいたまスーパーアリーナ(収容20,000人)
<セトリ15曲)
1. メギツネ
2. いいね!
3. あわだまフィーバー
4. 紅月-アカツキ-
5. おねだり大作戦
6. Catch Me If You Can
7. ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト
8. 4の歌
9. 悪夢の輪舞曲
10. ヘドバンギャー‼
11. ギミチョコ!
12. イジメ、ダメ、ゼッタイ
13. BABYMETAL DEATH
14. Road of Resistance

2014年11月に行われたBack to US/UK Tourから帰国したBABYMETALは、12月20日にApocrypha-S-@豊洲PITを行っているから、2015年1月10日に行われた新春キツネ祭りは、正確に言えば「凱旋公演」ではない。
もっといえば、日本武道館の後、6月23日-24日にApocrypha-Ⅰ&Ⅱ@TSUTAYA O-EASTが行われていたし、ロンドン公演の後の7月21日にはApocrypha-Y & M@TSUTAYA O-EASTも行われ、夏にはサマソニ、Back to US/UK Tourの前の9月13日-14日には、幕張メッセイベントホールでの凱旋ライブも行われていた。
つまり、BABYMETALは4月に日本を去ったあと、翌年1月まで日本のファンの前に現れなかったわけではない。
しかし、この日SSAに集結した2万人のメイトは、あの日本武道館~黒い夜~召喚の儀で、棺桶に入って旅立ったまだ中学3年&高校2年の三人が、本当に欧米のメタルファンを熱狂させてしまった奇跡のようなサクセスストーリーへの驚きと称賛と感動の入り混じった感情に胸を締めつけられ、まるで、日本武道館から日本を去ったBABYMETALが、たった今、ここSSAに戻ってきたかのような「神話」の世界に没入していた。
「紙芝居」は、そんなメイトの心そのままに、感動的なシンフォニーをバックに、「幼いメタルの魂」が国を越え、言葉の壁を超え、性別や世代をも超えて、BABYMETALが欧米のファンに受け入れられた各ライブ会場でのスチール写真を映し出した。
そして、三つの棺桶が日本列島を見渡す上空に飛来し、関東地方からさいたま新都心のSSAへと降下する映像に変わると、それと連動してステージ上に設置された棺桶の中から、日本武道館と同じく「Scream & Dance、MOAMETAL」「Scream & Dance、YUIMETAL」「Vocal & Dance、SU-METAL」というナレーションとともに、三人が姿を現した。
その都度、2万人の観客は、拍手と歓声で三人を称賛した。
荒唐無稽なギミック=BABYMETAL神話が、鳥肌が立つようなリアリティを持った瞬間である。
セレモニーが終わると、暗転の中、観客席の中にある島舞台へ巨大な赤い橋がかけられていく。
「♪キーツーネー、キーツーネー、わーたーしーはーメーギツネー、キーツーネー、キーツーネー…」というアカペラが流れ、真っ赤に染まった照明の中、黒いキモノ風ガウンをまとった生身の三人が登場した。
そこから先は、欧米ツアーで自信をつけ、よりパワーアップした三人と神バンドの繰り広げる「BABYMETALの世界」に、2万人の観客は酔いしれた。
初欧米ツアーの成功を、BABYMETALを導く主神キツネ様に感謝する新春キツネ祭りだけに、「メギツネ」をオープニングにしたため、当時BABYMETALのOvertureだった「BABYMETAL DEATH」が「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の後、ライブ最終盤に演奏された。この曲が最後に演奏されるときは、SU-が十字架にかけられて火あぶりにされるとか、ロクなことがないのだが、この日は違った。
Back to US/UK Tourのロンドン追加公演で初演され、NHK『BABYMETAL現象』でも、最後の最後に数十秒間しか披露されなかった「Road of Resistance」がフィニッシュ曲となったのだ。
ただし、この曲の日本初披露は2014年12月20日のApocrypha-S-@豊洲ピットであり、初演のロンドンO2アリーナから数えて3度目の披露である。
だが、この日、BABYMETAL神話の世界に没入した2万人の観客とともに、この曲がBABYMETALの新たなアンセムになった。
神バンドによるプレリュードが響き渡ると、三人がBABYMETAL旗を担いで登場。
MOAがSU-の旗を受け取って後ろに置く間、SU-はまっすぐなまなざしで観客席を分けるような仕草をする。この「無言のWOD指示」は、NHKでは放送されていなかったが、ロンドンの観客同様、SSAのアリーナにいた観客も、自然に巨大なWODを形成した。
「1234!」の掛け声で曲が始まると、パイロが火を噴き、三人は、危急存亡の戦場に駆けつけるメタル少女戦士のコレオグラフィーで歌い踊った。
そして、「♪ウォーウォー、ウォウォー、ウォーウォー、ウォウォー…」のシンガロングパートになると、三人は観客席の島舞台へと花道を進軍していった。YUIとMOAはいつのまにかBABYMETAL旗を担いでいる。SU-が「Sing it!」と叫ぶと、バンドの演奏が止まり、2万人がアカペラでシンガロングした。
リズムがずれたのをSU-が補正して、Bメロパートへと入る。
「♪命が続く限り、決して背を向けたりはしない。今日が明日を作るんだ。そう、ぼくらの未来、On the way」のあと、SU-は天に向かって「かかってこいやあ!!!」と叫んだ。
現在、ここは会場名や都市名を叫び、観客が大歓声を上げるところだが、この日のSU-の雄たけびは、「世界進出」という誰もが予想しなかった運命の招きに、若き魂をたぎらせ、全身で立ち向かう気概を現しているように見えた。
そのあとの「♪君が信じるなら進め!答えはここにある!」の時、三人はステージを指さした。
BABYMETALはライブバンドであり、ライブを通じて観客に感動を与えるアーティストである。それには国境は関係ない。どんな国でも、どんな環境でも、どんな過酷なスケジュールでも、必ず観客の心を動かして見せる。この日、BABYMETALは初めての欧米ツアーを経て、その確信に満ちた姿を見せてくれた。その意味では、やはりこの新春キツネ祭りは凱旋公演だったのだ。

●2015年5月9日:「ヘドバンギャー‼」
メキシコシティ公演@Circo Volador(収容4,000人)
<セトリ13曲>
1. BABYMETAL DEATH
2. いいね!
3. メギツネ
4. 悪夢の輪舞曲
5. おねだり大作戦
6. 紅月-アカツキ-
7. 4の歌
8. ド・キ・ド・キ☆モーニング
9. ギミチョコ!
10. ヘドバンギャー‼
11. イジメ、ダメ、ゼッタイ
(アンコール)
12. Road of Resistance

Circo Voladorは、サッカースタジアムを除くと、メキシコシティ最大級のイベント会場であり、特にロックコンサートが多く開催されてきた。
再結成後のX Japanが2011年9月に行った中南米ツアーの最終日もこの会場であり、その意味ではBABYMETALがメキシコでライブをやるならここをおいて他はない。
とはいえ、メキシコシティ自体、標高2250メートルの高地であり、酸素量は平地の75%しかない。
メタルなのに激しく歌い踊るBABYMETALにとっては、非常に危険な場所であった。
そのため、ステージ裏には酸素ボンベが用意され、神バンドソロとSU-ソロ、BBM曲を交互に組み合わせたセトリにして曲の合間に酸素吸入ができるようにし、かつ、ダンスをセーブする指示が出た。
それでも、ファンカム動画を見ると、「メギツネ」でのSU-のピッチは珍しく不安定だし、セーブしなければならないのに、ついつい全力で踊ってしまうため、セトリ後半ではダンスのシンクロ率が落ちているように見える。
だが、そういった緊張感をはらみつつ、メキシコシティの観客はネットで見て知っているだけのBABYMETALに対して、熱狂的に声援した。
開場前、Circo Voladorの周りには、イギリスのファン層とは明らかに違う若者がひしめき合っていた。いかついメタルヘッズはほとんど見当たらず、その多くはジャパンカルチャーファン、ジャパニメーションファン、アイドルファンなどであり、アニメコスプレをした女性ファンが多かった。
確かに、今見ると、当時のBABYMETALのコスチュームは圧倒的にKawaii。赤いチュチュに黒いニーソ(絶対領域付き)。上半身は鎧風だが、ツインテール&ポニーテールの髪飾りは赤い。
「ギミチョコ!」はともかく、YUI&MOAがまだ小学生だった頃に撮影されたMV「ド・キ・ド・キ☆モーニング」「いいね!」はKawaiさにあふれている。
それだけに、ライブが始まると、神バンドの圧倒的な演奏力や音圧、それに負けないSU-のボーカルとYUI & MOAの激しいダンスは、観客にとって衝撃的だったはずだ。
当時YouTubeに上がったファンカムのひとつに、ステージを見つめる幼い女の子を家族が撮影したものがあった。
Kawaiiのに激しい音楽を歌い踊るジャパニーズアイドル=BABYMETALをネットで見て、父親におねだりして連れてきてもらったのだろう。最初は圧倒されたようにおとなしかった彼女が、「ギミチョコ!」になると、頬っぺを紅潮させ、笑顔で声援を送っていた。
そして、「ヘドバンギャー‼」。
「♪伝説の黒髪を華麗に乱し 狂い咲くこの花ははかなく消える」
「♪もう二度と戻れないわずかな時を 思い出に刻むんだ 15の夜を」
日本語の歌詞を調べることができる年ごろになったとき、彼女は知るだろう。
彼女にとって、「黒髪を華麗に乱し 狂い咲く」伝説のロックシンガーとは、BABYMETALそのものである。そして、思い出に刻まれた15=一期一会のこのライブの“芽”が、彼女自身の成長とともに大きくなり、やがて、彼女自身がロックシンガーを目指すかもしれない。
どんなに過酷な環境でも、全身全霊を込めたパフォーマンスで観客の心を動かし、メタルの心を次の世代につないでいく。それこそBABYMETALがこの世に降臨し、キツネ様に与えられた使命だったのだと思う。

●2015年6月5日:藤岡幹夫「過去最高の温度」
イタリア・ボローニャ公演@Estragon Club(収容1,500人)
<セトリ12曲>
1. BABYMETAL DEATH
2. メギツネ
3. Catch Me If You Can
4. ド・キ・ド・キ☆モーニング
5. 悪夢の輪舞曲
6. 4の歌
7. 紅月-アカツキ-
8. おねだり大作戦
9. Road of Resistance
10. ギミチョコ!
11. ヘドバンギャー‼
12. イジメ、ダメ、ゼッタイ

だが、2年目のワールドツアーは、過酷そのものであった。
YUIとMOAがさくら学院を卒業したため、2015年は前年を大きく上回る10か国35公演のスケジュールが組まれた。
5月9日のメキシコシティ公演を皮切りに、同じ北米のカナダ・トロント公演、アメリカ・シカゴ公演、Rock on the Rangeを経ていったん帰国し、5月24日にMETROCK東京の新木場・若洲に出演。
その後すぐにドイツへ飛び、5月29日にミュンヘン・OlympiaparkのRockavaria、翌日にはゲルゼンキルヒェン・Veltins-ArenaのRock im Revierに出演。
6月1日からは、フランス・ストラスブール公演@La Laiterie、6月3日はスイス・チューリッヒ公演@X-Tra、6月5日にはイタリア・ボローニャ公演@Estragon Club。翌日の6月6日はオーストリア・ウイーンのRock in Vienna2015に出演するという過酷なものだった。
このころ、メキシコ公演でダンスをセーブすることを覚えたことや、身体が大きくなり、重心が変わったため、以前のように軽々と跳ぶことができなくなり、改めて基礎から訓練する必要も生じていた。
「身体の面で言うと、身体がすごく成長する時期にBABYMETALを通過しているわけなんです。背の高さも筋肉の付き方もどんどん変わってきて、女の子から女性に変わっていく時期ですよね。身体の使い方を一度リセットしないと痛めてしまうような動きも多かったので、途中からもう一度身体について学び直そうということで、改めてプロとしてやっていくための身体づくりに真摯に向き合った時期でもありました。(中略)まさにアスリート並みのトレーニングをしていました。」(MIKIKO、『別冊カドカワ』P.199-200)
そんな状態で迎えたのがイタリア・ボローニャ公演だった。
このライブは、現地在住の日本人が企画したNip Popフェスティバルの一環として組まれたものだった。
会場はボローニャ郊外のトタン屋根の「公民館」のような場所で、チームベビメタは当日午後に到着し、セッティングをしてライブを行ったのだが、そこへ1,500人もの観客が押し寄せたものだから、空調が全然効かず、観客と機材・照明が発する熱で、場内は異様な高温になってしまった。
終演後即撤収し、ウイーンに向かうツアーバスの中で、藤岡幹大は「過去最高の温度」とツイートした。
言葉を飾らずに言えば、2015年当時、BABYMETALはどんな有名バンドでも新人の頃は必ず通過する「ドサ回り」をやっていたのだ。それも言葉も食べ物もライブ環境も違うヨーロッパの片隅で。
BABYMETALの10年は、テレビやファッション誌やネット配信で笑顔を振りまく日本の「アイドル」とは、まったく違う10年だった。
その結果が、6月11日、イギリス・ロンドンのThe Troxyで行われた『Kerrang Award 2015』での日本人初となるTHE SPIRIT OF INDEPENDENCE賞の受賞であり、翌6月12日のダウンロードフェスでのDragon Forceのステージへの飛び入り参加を経て、6月15日には同じくロンドンIndigo at The O2で行われた『Metal Hammer Golden Gods Award 2015』でのBreakthrough賞の受賞だった。

(つづく)