換骨奪胎 | 私、BABYMETALの味方です。

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★今日のベビメタ
本日2月28日は、2020年、ロシア・サンクトペテルブルク公演@M1 Arenaが行われた日DEATH。

<2021年2月27日現在>                
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(データ元:厚労省「新型コロナウイルス感染症に関する報道発表資料」)

1970年代後半から1980年代前半に流行したポストモダン哲学の良いところは、「近代の合理的思考」に対する懐疑のため、当然ながら、「科学的社会主義」と自称したマルクス主義の偽善性や危険性を告発したことである。
ソ連崩壊の10年前だったぼくの学生時代、旧左翼も新左翼も、共産主義革命を目指す人々は、ポストモダン哲学者たち―例えば浅田彰―を「資本主義の走狗」として、蛇蝎の如く忌み嫌っていたものである。
1984年、新左翼の思想的支柱だった詩人吉本隆明が、コム・デ・ギャルソンを着て、シャンデリア風の電灯がぶらさがった家でくつろぐ雑誌『an an』に掲載された写真を見て、ゴリゴリサヨクの小説家埴谷雄高が、ポストモダン=資本主義にたぶらかされた思想的脆弱性の証拠であると嚙みついた「コム・デ・ギャルソン論争」は、当時の言論界の一大面白イベントであった。
ところが、かつてポストモダンの旗手だった哲学者たちを含め、アカデミックな言論界では、西欧中心の資本主義こそ「合理的思考」の権化であり、「資本主義の終焉」を宣言し、西欧的思考の軛を脱して、「共生」=アジア的な価値観へ転換せよといった言説を展開するのが流行しているようである。
いつからこうなったのかは、職業哲学者ではないぼくにはよくわからないが、「共生」という美辞麗句を使いつつ、欧米的資本主義を否定し、「アジア的価値観」をことさら称揚するのは、中国共産党のプロパガンダに思えてならない。
今や中国は、民主主義・基本的人権の尊重・法の支配・国際法の遵守といった西欧的な価値観をことごとく無視し、独裁政体でありながら14億の人口を抱えるGNP世界第2位の経済大国として、アメリカに代わる世界覇権を目論んでいる。
共産主義の元祖であるカール・マルクスは『経済学批判』(1859年)序文で、近代資本主義に至る「前」の生産様式=社会体制のひとつとして「アジア的生産様式」という概念を提唱した。
1939年にソ連で発表されたマルクスの遺稿『資本制生産に先行する諸形態』によれば、「アジア的専制」と呼ばれることもあるこの体制は、ギリシア・ローマの「奴隷制」や中世ヨーロッパの「封建制」とも異なるアジアの国家特有のものである。
この体制では、武力によって他国から強奪したものも含め、国土は、原則として国=専制君主が所有するものであり、その管理は、君主によって公認された地方貴族が行う。その土地で働く民は、地方貴族が管理する共同体の成員として、生まれながらにしてさまざまな職分を担わされているので、共同体を離れて自立する自由はない。そして、民は地方貴族に、地方貴族は主君に貢納する義務があるため、頂点に立つ専制君主は莫大な富と権力を一手に握ることになる。
マルクスの頭の中にあったのは、古代中国・インド・メソポタミア・エジプトなど、「ヨーロッパ以外」の古代帝国だったらしい。
確かにヨーロッパの「封建制」では、主君と家来は、個人的な、あるいは「家」同士の盟約を取り結んでおり、信頼関係が損なわれれば、その破棄も行えた。
これは、ヨーロッパにおいては、キリスト教という、世俗的な利害関係とは別の価値判断の源泉があったためである。例えば、カトリックの教皇は、国王を破門にすることができ、貴族は破門された国王には従わなくなった。カノッサの屈辱(1077年)が有名である。
とはいえ、中世までは、カトリック教会のヒエラルキーが世俗の封建制を補完していたのだが、宗教改革以降は、「神の下では人間はみな平等である」というキリスト教の本質的価値観がヨーロッパ中に広まり、そこから、個人の自由・平等、基本的人権、世俗政治における民主主義といった近代的な理念が生まれた。
世界史の常識で言えば、宗教改革と市民革命はひと続きの物語なのである。
ちなみに、現在、カトリックを含め、ほとんどのキリスト教宗派は、信教の自由、政教分離を支持しており、武力や犯罪を用いるのでなければ、たとえキリスト教の神を非難する宗教・宗派であっても、個人の信仰を尊重する。キリスト教と西欧近代の理念は、ここまで親和的なのだ。


しかしマルクスは、近代化においてキリスト教が果たした役割をすっ飛ばし、「科学的」に、経済体制=生産様式のみで歴史を捉えようとした。
生産の主体である労働者階級が権力を握って資本家階級を抑えこみ、需要に応じて「計画的」に生産すれば、資本家が労働者を必然的に搾取する構造を持つ資本主義の不平等が解消される、というのがマルクス主義(共産主義)の根本理念である。
だが、権力を独占する「労働者」とは、実際には大多数の一般国民のことではなくて、彼らを指導する前衛党=共産党のことだった。困窮にあえぎ、不平等の解消を夢見て、革命家たちの起こした武装闘争に参加した民衆は、手ひどく裏切られることになった。
権力の座に着いた共産党の失政や横暴を批判しただけで、あるいは血で血を洗う党内権力闘争に巻き込まれて、多くの民衆が「反革命」「反動」の烙印を押されて犠牲になった。
ロシア連邦国立文書館の公開資料によれば、ソ連時代のスターリンは、1930年から1953年の間に78万6098人を「反革命罪」で処刑した。
また、毛沢東時代の中国「文化大革命」では、正確な統計こそ出ていないが、研究者によれば40万人~1000万人が亡くなり、なんらかの被害を受けた人は1億人にのぼるという。
なぜこんな酷いことが組織的にできるのか。
それはキリスト教を否定した共産主義には、「個人の自由」「基本的人権」「民主主義」といったキリスト教由来の西欧近代の理念が、もともと欠如しているからに他ならない。


その結果、今日でも、共産主義国家は、資本主義の「先」どころか、「アジア的専制」に逆戻りしている。
先ほどの文章の「専制君主」を「共産党中央/国家主席」に、「地方貴族」を「地方共産党幹部」に入れ替えると、まったく同じ政治体制であることがわかる。
「武力によって他国から強奪したものも含め、国土は、原則として国=共産党中央が所有するものであり、その管理は、共産党中央によって公認された地方共産党幹部が行う。その土地で働く民は、地方共産党幹部が管理する共同体の成員として、生まれながらにしてさまざまな職分を担わされているので、共同体を離れて自立する自由はない。そして、民は地方共産党幹部に、地方共産党幹部は共産党中央に貢納する義務があるため、頂点に立つ国家主席は莫大な富と権力を一手に握ることになる。」
現在、中国共産党習近平政権が、国内の少数民族ウイグル人を大虐殺(ジェノサイド)していることに対して、アメリカ、カナダ、オランダなど欧米諸国の議会は、次々と非難決議を可決している。
しかし、基本的人権の尊重や、平和主義すなわち武力による他国の領土侵攻を認めないという基本理念に基づく憲法を持つわが国の国会は、何もしていない。それどころか、1月に行われた自民党の部会で質問したある議員に対し、外務省は「ジェノサイドと認識していない」と答えたという。
中国共産党政権は、国内で香港国家安全維持法の施行による民主活動家の逮捕・監禁、内モンゴル自治区での民族文化の抹殺、法輪功学習者への宗教弾圧を行い、わが国に対しても、海警法にもとづく武装船による尖閣諸島への領海侵犯、沖縄県や新潟県、北海道での反日工作、各地の大学での孔子学院設置といった「サイレント・インベージョン」を戦略的に行っている。
こういうニュースは、ネットはもちろん、一部マスコミでも断片的に流れるが、肝心の政府の対応は、こと中国に関することになると、きわめて鈍重である。
それは自民党内や外務省にいる旧田中派の流れを汲む親中政治家や官僚が、隠然たる勢力を保っているからだ。
ぼくは中国人や中国文化そのものを非難しているのではない。
漢字は間違いなく中国発祥のものであるし、日本文化の中には中国から学んだものが数多く含まれている。学生時代にはアルバイトで上野動物園のパンダ舎前の警備をやっていた。ホントだよ。
問題は、「自由」「民主主義」「基本的人権」「法治主義」「国際法の遵守」といった近代国家や国際社会を形成している西欧的な理念をことごとく無視し、時代遅れの「アジア的専制」で世界に覇権を唱えようとする共産党政権なのだ。
ところが、冒頭に述べたように、アカデミズムの世界では、ポストモダンの文脈を換骨奪胎し、西欧的理念まで否定し、「アジア的価値観」を称揚するのが主流であるようだ。
こういう言説を流布する人たちは、それが中国共産党のプロパガンダであることをわかってやっているのか、それとも「なんとなくオシャレな反体制」を気取っているのか。
前者なら工作員そのものだし、後者ならとうてい学者とはいえないアホ丸出しである。
深刻なのは、2020年大統領選挙のプロセスでわかったように、資本主義の総本山であるアメリカで、「マルクス主義者」を自称する政治家や若い活動家が出現しているということだ。
わが国でも、「知識人なら反体制・反資本主義でなければならない」と思い込んでいる若い人たちがいるが、実際に活動しているのは、ハッキリ言って高齢化が進む「プロ市民」の関係者である。
タレントのインフルエンサーに影響されて、若者たちが韓流ドラマ、韓流コスメにハマっているというのは理解し難いが、「イマドキ、さすがにマルクス主義はヤバいでしょ」という感覚は、正しい。
ただそれも、経済的になんとか暮らしていけるからであって、本当に困窮した人たちが、革命思想にすがってしまうのは、世の常である。
だからこそ、ウソで固められた武漢ウイルス禍を一日でも早く払拭し、経済復興することが何より必要なのだ。
逆に言えば、「自粛の延長」を煽り、東京オリンピックを中止せよと叫び、経済復興を何とかして阻止しようとする人々は、「あっちの世界」の住人だということだ。