DYSTOPIAの歴史(8) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日2月4日は、2015年、ファーストアルバム『BABYMETAL』が、「第7回CDショップ大賞2015」にノミネートされ(3月9日、見事大賞を獲得)、2020年には、ノルウェー・オスロ公演@Sentrum Sceneが行われた日DEATH。



<2021年2月3日現在>
PCR検査数    累計6,981,269    2020年1月3日4,930,035直近1か月2,051,234
陽性判定数    累計393,836    2020年1月3日240,954    直近1か月152,882
死者数        累計5,912    2020年1月3日3,548    直近1か月2,364
致死率        累計1.50%    2020年1月3日1.47%    直近1か月1.55%
(データ元:厚労省「新型コロナウイルス感染症に関する報道発表資料」)

ここ数日、直近1か月の致死率が上がっている。
これは、「ここ数日、市中の感染者が増え、高齢者がバタバタ亡くなっている」ということでは全然なく、お正月休みのため、民間PCR検査会社がお休みだったため、「陽性者」数が減り、一方、基礎疾患を持っていた高齢者が、厳冬期に武漢ウイルスとは限らない死因によって亡くなったのを、単純に除算しているためである。
実際、この一週間、陽性者数(=マスコミのいう「感染者」数)が減っているのも、「緊急事態宣言」の効果ではなく、PCR検査数が減っているためである。
1月14日~1月20日の一週間で、PCR検査数は52万2175件、陽性者数4万2206人。
1月21日~1月27日の一週間で、PCR検査数は49万5241件、陽性者数は3万1319人。
1月28日~2月3日の一週間では、PCR検査数43万2535件、陽性者数は、2万1769人。
要するに、「緊急事態宣言」による自粛の効果ではなく、単純にPCR検査数が減っているために、陽性者数=「感染者」数が減っているのである。
このデータは、誰でも厚労省のHPで確認できる。
昨年以来、マスコミは絶対にPCR検査数という「母数」を報道しない。

あたかも「緊急事態宣言」の効果が出ているかのような発言をする政府・与党の国会議員や「医療関係者」、ピント外れな「国民全員にPCR検査を」とか「コロナゼロ社会を目指せ」とかいう野党議員は、まさか国連WHOや米国CDCが「巨大な陰謀」で人類を支配しようとしていることなど、思いもよらないのだろう。
だが、CT値40~50のPCR検査が、ウイルスの死骸のRNAを増幅して検知し「陽性」と判定していることは事実だし、「陽性判定者が死亡した場合は厳密な死因を問わない」という不可解な米国CDCの死亡診断基準が国際標準になっているのも事実だ。
本日、わが国の国会では、民間検査会社を含む国内のPCR検査機関はどれだけあるのか、厚労省はそこでどのような検査が行われているのか、把握しているのかという質問に対して、厚労大臣が、1900ほどの機関のうち、厚労省が直接監督しているのは、保健所、検疫所、国立研究所など500ほどに過ぎないと答えていた。

ぼくがこのブログで、野放しの民間PCR検査を直ちにストップせよと言っているのは、こういういい加減な検査で「陽性者」=「感染者」が捏造されているのが、「緊急事態宣言」の実態だからだ。



 

「DYSTOPIAの歴史」の続き。
1963年にジェームズ・クラベルが書いた短編小説『23分間の奇跡』は、ちっともSF的でなく、ディストピア小説とは思えない。だが、そこに書かれたことは、ゾッとするリアリティを持っている。
あらすじは以下のとおり。

戦争に敗れ、敵国に占領されたある国の小学校。
時刻は9時ちょうど。新任の女性教師がやってくる。
彼女は、服も靴も瞳までもが同じ色(灰褐色)をしていた。敵国から来た新しい教師に不信感と反感を抱いていた子どもたちは、彼女の巧みなリードによる歌やゲームを通じて次第に打ち解けていく。
その国では、毎日学校で行われていた「国旗への忠誠の誓い」について、女教師は子どもたちが誰ひとりとして「忠誠」という言葉の意味を理解していないと言い出す。
彼女は「愛国心に国旗は不要だ」といい、その国の国旗をハサミで切り刻んで子どもたちに配り、最後には国旗が掲げられていた旗竿を、学校の窓から投げ捨てさせた。
自分の父親が占領軍に連れ去られたことで、敵国に反感を抱いていたジョニーが不満をぶちまけると、女教師は「ジョニーの父親は“間違った考え”を持っていたので、“大人のための学校”へ行っているのよ」とやさしく諭す。「“間違った考え”を直すのはいいことでしょ?」という女教師の意見に、ジョニーは反論できなかった。
次に女教師は「キャンディが欲しい」と思ったら、「神様」ではなく、「私たちの指導者」に祈った方が、効き目があるといい、子どもたちにそれを試させる。
みんなが目を閉じて祈っている間に女教師がみんなにキャンディを配ったことに気づいたジョニーがそう言うと、女教師は、「良く気づいたわね」とジョニーを誉め、キャンディをくれるのはしょせん人間であり、神様に祈っても無意味であることを子どもたちに教える。
この頃には、クラス中に女教師のいうことを受け入れる雰囲気が広まっていた。
最後まで疑っていたジョニーも、女教師の言葉はどれも真実であると考え、彼女の言うことを聞いてよく勉強し、“間違った考え”を抱かないようになろうと心に決めるのだった。
自分の教えを子どもたちが受け入れた事に満足した女教師が時計を見ると、時刻は9時23分であった。
たった23分間で、女教師はその国の国旗を大切にしたり、「神様」に祈ったりするのは“間違った考え”であり、「指導者」の言うとおりにするのが、「飴」をもらえる道なのだという考えに子どもたちを洗脳してしまったのである。

歯向かう大人たちを連行して強制収容所にぶち込み、子どもたちには、あくまでもやさしく教え諭しながら「指導者」に忠誠を尽くす「新世代の兵士」を作る。
自ら考える力を身につけさせるのではなく、無条件で「指導者」を信じさせること。
これこそ、かつてナチス・ドイツのヒトラー・ユーゲントや、ソ連のピオニール、毛沢東の紅衛兵、カンボジアのポルポト政権が行い、今なお、中国の新疆ウイグル自治区や南モンゴル自治区で行われていることである。
学校=公教育制度は、子どもたちに、これまで人類が得てきたさまざまな知識やものの考え方を伝え、将来の国民を形成する近代国家の基礎である。
だが、国が定めたカリキュラムで子どもたちを教える公教育制度は、思想・信条・信教の自由という、人類が勝ち取った「普遍的原理」に立たないならば、教育ではなく、洗脳になってしまう。諸刃の剣なのだ。
「指導者」の都合のいいように情報を遮断し、事実にもとづかず、捏造された歴史を教える教育は、DYSTOPIAを生む怪物である。
(つづく)