DYSTOPIAの歴史(6) | 私、BABYMETALの味方です。

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★今日のベビメタ
本日1月31日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

<2021年1月30日現在>
PCR検査数    累計6,789,931    2020年12月30日4,829,069    直近1か月1,960,862
陽性判定数    累計383,083    2020年12月30日226,596    直近1か月156,487
死者数        累計5,546    2020年12月30日3,349        直近1か月2,197
致死率        累計1.45%    2020年12月30日1.48%        直近1か月1.40%
(データ元:厚労省「新型コロナウイルス感染症に関する報道発表資料」)



ジョージ・オーウェルが、第二次世界大戦終結から4年後の1949年に書いた『1984年』は、ディストピア小説の代表格である。
この作品は、第二次世界大戦後の1950年代に核戦争に発生し、共産主義陣営が勝利して、1984年の時点では、共産主義陣営同志が、イギリス・西ヨーロッパ・アメリカを含む「オセアニア」と、東ヨーロッパとロシアを中心とした「ユーラシア」、中国を中心とした「イースタシア」の超大国に分かれて三つ巴の争いをしている世界を舞台としている。
イギリスはイングソック(Eng-Soc、イギリス社会主義労働者党?)と呼ばれる政党が独裁し、国民は、街のいたるところに設置されている「テレスクリーン」という双方向テレビによって、私生活まで監視されていた。
あらすじは以下のとおり。

ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミスは、「真理省」の下級役人として、政治情勢に応じて、「ビッグ・ブラザー」から命じられる過去の歴史や公的記録の改ざん作業に日々従事していた。
イングソックは、過去の記憶を、政府から発せられた新しい情報で上書きする習慣=「新思考」が推奨していたが、ウィンストンは骨とう品店で見つけたノートに、その日見聞きしたことを忘れないように書いておくという、禁じられた行為に手を染めていた。
ある日、ウィンストンは、抹殺されたはずの3人の人物が英雄とされていた過去の新聞記事を偶然に見つけ、体制への疑問を持ってしまう。
敵国や「人民の敵」を大声で罵倒する「憎悪週間」の集会で、ウィンストンは、同じように体制に疑問を抱く同僚の若い女性、ジューリアからメモをもらい、骨とう品店の一室で密会を重ねるようになる。
味方だと思った高級官僚の1人オブライエンから、「ビッグ・ブラザー」=エマニュエル・ゴールドスタインが過去に書いたという「禁書」を渡されたウィンストンは、現体制が生々しい政争と粛清で成り立っていることを知る。
しかし、こうした行動を密告されたウィンストンとジューリアは思想警察に捕ってしまう。
「愛情省」で過酷な拷問を受け、自意識を徹底的に打ち砕かれたウィンストンは、処刑によって、党の思想=真理を悟った者として死ねるようにしてくれた党の「愛情」を感じながら、その日が来るのをひたすら待ち続ける。

作中で「ビッグ・ブラザー」と呼ばれている指導者ゴールドスタインは、当時のソ連の独裁者スターリンを彷彿させる。
レーニンの死後、党書記長として実権を握ったスターリンは、1934年の第17回党大会において党中央委員139人のうち98人、党大会出席党員1,956人のうち1,108人を「人民の敵」として逮捕・銃殺した。ソ連の公文書によれば1937年には35万3074人、1938年には32万8612人もの「普通の国民」(労働者・農民・教師・司祭・音楽家・軍人・年金受給者・バレリーナ・乞食)が処刑された(大粛清)。ソ連最後の書記長ゴルバチョフの再調査では、1930年代には約200万人が粛清されたという。
その一方、1935年にモスクワで開催された第7回コミンテルン世界大会では、「反ファシズム、反戦、反資本主義」の国際統一戦線の結成を図り、資本主義国における政治・報道・スポーツ・宗教などへの浸透工作を行い、後進資本主義国である日本とポーランドで革命を起こすことが決定された。これにより、満州国・朝鮮・中国に居住していた日本人への襲撃、暗殺事件が頻発する。
度重なる日本人居留民への襲撃に、日本の世論は「対支膺懲」に傾き、上海事変~日支事変へと発展する。
スターリンはコミンテルン傘下の中国共産党だけでなく、国民党蒋介石政権を支援したが、1939年にナチス・ドイツと独ソ不可侵条約を結び、1941年4月には日本とも日ソ中立条約を結ぶ。
だが、1941年6月にドイツ軍がバルバロッサ作戦でソ連に侵攻すると、一転して連合国側につき、1945年2月にはアメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相とヤルタ会談で戦後処理の枠組みを決める。ナチス・ドイツが敗れ、日本の敗戦が濃厚となった1945年8月には、日ソ中立条約を破って対日参戦を決定し、満州・朝鮮・千島列島へ侵攻した。
日本のポツダム宣言受諾により、武器を捨てて投降した日本兵や満州・朝鮮在住の日本人はソ連軍によってシベリアの収容所に送られ、過酷な強制労働により、約34万人が亡くなった。
戦後、スターリンは占領した東欧諸国や、中国・モンゴル・北朝鮮・北ベトナムにコミンテルン傘下の社会主義政党による政権を樹立させた。
ジョージ・オーウェルが『1984年』を書いた1949年の段階では、ソ連国内では抗いようのない権力者であり、第二次大戦を勝ち抜き、世界を二分する社会主義の世界帝国を一代で作り上げたスターリンは、「ビッグ・ブラザー」と呼ばれるに相応しい、DYSTOPIAの冷徹な独裁者そのものだったろう。

 


実際の歴史では、1953年3月、スターリンは脳卒中で死去し、後任のニキータ・フルシチョフが、スターリン批判を行い、資本主義諸国との協調路線に転換する。(雪解け)
1950年代のソ連は、ナチス・ドイツの科学技術を継承し、世界初の人工衛星や有人宇宙飛行を実現し、衛星国に広大な市場を拡げ、資本主義国の市場経済に対して、「計画経済」の有効性を誇った。
1959年にはキューバ革命でアメリカの喉元に社会主義国が誕生し、1960年にはアフリカでも西欧列強から独立するに際して社会主義を採用した国が数多く誕生した。
フルシチョフはアメリカの民主党ジョン・F・ケネディ大統領と鋭く対立し、1961年には東西ドイツを隔てる「ベルリンの壁」が構築され、1962年にはソ連のミサイル基地をキューバに設置しようとしたため、米ソが戦う第三次世界大戦の寸前まで陥った。(キューバ危機)
フルシチョフが、キューバへのミサイル配備を断念したためキューバ危機は回避されたが、以降、世界はアメリカを中心とした資本主義諸国(西側)と、ソ連を中心にした社会主義諸国(東側)が対立する冷戦時代に入った。
敗戦国としてアメリカ側につき、自由・民主主義体制をとった日本や西ドイツを含め、西側の国々が経済発展を遂げた一方、自由競争によって起こる技術革新に乏しかった東側諸国は、徐々に経済的に立ち遅れていった。
1989年に東欧革命が起こって「ベルリンの壁」は崩壊し、ゴルバチョフによるペレストロイカを進めたソ連も、1992年には解体された。
ただ、1989年6月に天安門事件で民主化を求める市民に銃口を向けて弾圧した中国は、共産党独裁政権でありながら生き残った。
1972年、共和党ニクソン大統領は、ソ連をけん制するために、中国と国交を回復し、日本など西側諸国もそれに従って、それまで承認していた台湾を切り捨てた。
以降、中国は、安い人件費で西側企業の下請けとして「世界の工場」となった。天安門事件から3年後、天皇陛下の中国初訪問によって、西側諸国の中国に対する経済制裁はなし崩しになり、2000年代になると中国のGNPは日本を抜き、ソ連に代わって、経済的・軍事的にアメリカと覇権を争うまでに発展してしまった。
2020年に中国で発生した武漢ウイルス禍で、西側諸国は経済的に大打撃を受けている。
ぼくに言わせれば、それ自体、中国に乗っ取られたWHOや医療マフィアによる「作られたパンデミック」なのだが、アメリカでは対中強硬路線だった共和党トランプ前大統領が敗れ、中国との「友好関係」が取りざたされる民主党バイデン新政権が誕生した。
アメリカはこれから、13億の国民を情報統制する独裁国家とどう向き合っていくのか。
一つ間違えば、世界は、今度こそ、ジョージ・オーウェルの描いたDYSTOPIAに飲み込まれてしまうかもしれない。
(つづく)