DYSTOPIAの歴史(3) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日1月27日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

<2021年1月26日現在>
PCR検査数    累計6,481,519    2020年12月26日4,676,504    直近1か月1,805,015
陽性判定数    累計368,143    2020年12月26日213,547    直近1か月154,596
死者数        累計5,158    2020年12月26日3,155        直近1か月2,003
致死率        累計1.40%    2020年12月26日1.48%        直近1か月1.30%
(データ元:厚労省「新型コロナウイルス感染症に関する報道発表資料」)

 

ここ数日、直近1か月の死者数/陽性判定者数は微増している。これは年末年始のため民間検査機関が休業し、PCR検査数・陽性判定者数の増加が鈍化したが、冬季の高齢者の死亡は年末年始に関係なく発生したからである。
もちろんこの死者は陽性判定者ではあったが、武漢ウイルスが体内で増殖したことが直接の死因だったとは限らない。45~50という高いCT値のPCR検査では、体内で増殖しえない「ウイルスの死骸」でも検出してしまう。一方、肺炎、敗血症、DIC、多臓器不全といった死を招く症状は、武漢ウイルス「だけ」で起こるものではなく、他の病原体や、老衰、基礎疾患によっても起こるからである。
PCR検査の陽性判定と高齢者の死因とは直接結びつかないのに、あたかも因果関係があるかのように米CDCや厚労省が「定義」しているところに、武漢ウイルス禍最大のマヤカシがある。


 

H・G・ウェルズの『タイム・マシン』(1895年)は、SFの代名詞といえる名作である。
ぼくが小学生の頃は、図書館にコミックはなく、小説版『巨人の星』が一番人気だったが、それと並ぶほどの人気だったのがこの作品だった。SFジャンルはぼくのお気に入りで、岩崎書店の「少年空想科学シリーズ」や講談社の「少年少女世界科学冒険全集」、偕成社の「世界推理・科学名作全集」「SF名作シリーズ」、集英社「ジュニア版世界のSF」などの全集ものを図書館で読み漁り、中学生になると、小遣いをはたいて、当時唯一のSF専門誌だった早川書房の『SFマガジン』やSF・NF文庫を書店で買い漁った。
リアルタイムでアポロ11号の月着陸を見、「人類の進歩と調和」をキャッチコピーにした大阪万博で、「壁掛けテレビ」や「携帯電話」や「全自動住宅」の展示を見た1960年代~70年代の小中学生にとって、「科学」はあらゆる問題を解決する万能の処方箋に見えた。
だが人類には、「科学」では解決できない「不平等」や「階級」という問題が横たわっていることを教えてくれたのが、『タイム・マシン』だった。

『タイム・マシン』のあらすじは以下のとおり。

主人公の名前は最後まで明かされず、作中「時間旅行者」(Time Traveler)と呼ばれている。
彼は、タイムマシンを発明し、紀元802701年の世界に辿り着く。
そこには、イーロイ(Eloi)と呼ばれる、身長約4フィート(約120センチ)の華奢な体をした種族が住んでいた。主人公は、川で溺れかけていた可憐なイーロイの女の子ウィーナを助けて仲良くなる。
イーロイは子どものようにピュアで、老人や病人もいなかったが、知能的には退化しているようだった。
イーロイの食料は神殿のような場所に毎日、自動的に供給される。
一見、楽園のような世界だったが、夜になるとイーロイたちは怯え始め、様相は一変した。
地下に住む別の種族、巨大な体躯をしたモーロック(Morlock)が地上に出てきて、成人に達したイーロイを狩りに来るのだ。
つまり、この世界の本当の支配者はモーロックであり、イーロイはいわば「家畜」として育てられていたのだ。
やがて、主人公は、19世紀イギリスの階級制度が持続したまま、80万年もの時間を経て、人類が2つの種族に分岐したことに気づく。
裕福な上流階級は、ある時、労働者階級を地下に追いやり、機械による生産労働に従事させた。
やがて、上流階級は無能で、知性のないイーロイに進化した。
一方、地下の暗黒世界に適応した労働者階級は、体力と知性を保持したまま、夜になるとイーロイを襲って食用にする獰猛な食人種族モーロックへと進化したのだ。
主人公は、イーロイを救うためモーロックと戦うが、ウィーナは死んでしまう。
再びタイムマシンを駆って19世紀イギリスに戻った主人公は、友人たちに階級制度の廃止を訴える。



2002年に公開されたハリウッド映画ではドラマチックな脚色がなされているが、原作はもっと思索的である。
この作品を書いた当時、H.G.ウェルズは社会主義に傾倒していたという。
イギリスは王室を戴きつつ、議会制民主主義=政党政治の政体をとっているが、それは、外来の征服王朝である王家の権力に対抗する国民の権利であると認識されており、土着貴族(領主)階級、近代化の過程で生まれた商工業者階級、労働者階級の利益代表がそれぞれ政党を組み、議論によって階級間の利害を調整し、国全体の方向性について合意を形成するという色彩が強い。
日本でも、明治以来、天皇を戴きつつ、イギリス型の議会制民主主義政体を保持しているが、天皇家は2,000年間父系継承されている「国民統合の象徴」であり、政治的権力はない。
とりわけ、戦後は相続税の高さや累進課税によって「階級分化」が起こりにくく、高度経済成長によって「1億総中流化」を成し遂げた日本では、政党は「階級」を代表するものでも、まして天皇家に対抗するものでもない。
日本の政党は、出身「階級」ではなく、政治的な「思想信条」によって結成されている。だから日本では、同じ政党の中に、名家の御曹司もいれば、叩き上げの土建屋あがりもいる。
国会での議論も、階級間の利害を調整するというより「与党を中傷するための議論」「報道されることを前提にした政党の宣伝のための質問」がまかり通っていて、見るに堪えない。
それはともかく、イギリスでは「階級」が社会の枠組みになっているのに対して、日本では「階級」意識は薄い。
だから、正直、『タイム・マシン』を読んでも、「階級」がそれほどの大問題だとは思えなかった。


ところが、H.G.ウェルズより30年前に、「科学的」に「階級」問題を解決するという思想家が現れた。
ジュール・ヴェルヌの『20世紀のパリ』が出版された翌年の1866年に、ハンブルクで『資本論』第1巻を出版したカール・マルクスである。
『資本論』や、カール・マルクスの思想を要約することは容易ではないが、ただ一点述べるとすれば、資本家が労働者を搾取する資本主義体制に代わって、労働者が革命を起こしてブルジョワや知識人を抑圧する独裁体制に移行するのが人類の歴史的必然だということだ。
この結論は、イギリスに亡命していたマルクスが、親友エンゲルスの援助を受けつつ、大英図書館に通いつめ、市場経済の分析や、ドイツ唯物論哲学から導き出したもので、一般に「マルクス主義」ないし「共産主義」と呼ばれる。政治思想としては「科学的社会主義」、哲学としては「史的唯物論」と呼ばれることもある。
そしてそれは、トマス・モアの『ユートピア』以来の、「理性と科学」による社会体制を夢想したものであり、個人の自由よりも社会全体の効率を優先する全体主義思想=DYSTOPIAだった。
(つづく)