リアリティの条件(2) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日11月22日は、2015年、OZZ FEST IN JAPAN 2015@幕張メッセに出演した日DEATH。

ぼく自身にとって、若い女性グループの熱烈なファンになり、ライブがあれば、海外を含めて可能な限り足を運び、ほぼ毎日、平均3000字におよぶ長文を書き綴る日常を送ることになったのは、かなり思いがけないことだった。
小学5年生でギターを弾き始め、中高生の頃にはバンド活動をしていたので、いろんな音楽やバンドを聴いてきたし、自分で演奏するので、ハードロックやフュージョンギタリストのテクニックや美しいコード進行やメロディラインを創造できる作曲家には、驚いたり、尊敬したりしていた。
逆に言えば、カワイイ「アイドル」の「歌謡曲」は、「音楽」の範疇には入らず、疑似恋愛的な何かだと思っていた。小学生の頃、天地真理や南沙織のレコードを買ったことはあるし、部屋にポスターを貼ったこともあるが、コンサートに行こうとか、サイン会に行こうという発想自体がなかった。


高校生から大学生の頃、なけなしのバイト代をはたいて見に行ったのは、Rainbow、四人囃子、DEVO、イアンギランバンド、ジャズフェスのフュージョンデイに出ていた渡辺貞夫や渡辺香津美やジェフベックであり、当時大人気だった松田聖子や河合奈保子のレコードは買ったが、コンサートに行こうとは思わなかった。キャンディーズだったかピンクレディだったかの解散コンサートに行くという同級生もいたが、記憶もあいまいなほど、重要視していなかった。絶対に手の届かないアイドルに疑似恋愛するより、身近な女の子にちょっかいを出していた方が楽しかったし、好奇心に駆られて手当たり次第に本を読んだり、東北地方を一人旅してみたり、音楽よりプロレスやアングラ演劇を見る方にお金を使っていた時代もあった。
社会人になると、やっぱり仕事と休息以外に使える時間は無くなるわけで、音楽からも演劇からも離れ、一生懸命働いた。
やがて、いくつかの恋愛を経て最初の結婚をして家族ができた。業界で認められ、教育関連企業専門のコンサルタントとして独立起業して少し余裕ができたとき、ある程度お金をかけてオーディオ機器をそろえ、聴くようになったのはヘヴィメタルではなく、ジャズだった。ジャズやワインやゴルフの知識があることが「オトナ」だと思っていたのだ。
天狗になっていたぼくは、取引先の部長に連れられて行ったフィリピンパブで「シンガー」として来日していた女性にハマり、元妻に散々迷惑をかけた挙句、三下り半を突きつけられて離婚し、数年後、この女性と再婚した。早期退職してフィリピンに住むという目標のために、国内での仕事は荒っぽくなり、従業員を減らして、仕事を個人で請けるようになった。大きな成功を勝ち得て、やんごとない組織から表彰されることもあったが、広く薄くサービスを提供するというシステム的な会社の発展は望めなくなった。
海外での請負仕事を意識的に増やしたため、フィリピン人の妻が国内にいるのに、ぼく自身は東南アジアで出張仕事をしているという逆転現象が起こり、大きな仕事ばかり追いかけるぼくの乱暴な態度に喧嘩が絶えず、家を飛び出して戻ってこないこともあった。メインの仕事になっていたある学校法人の内紛も重なって、結局3人の娘をもうけた二番目の妻とも結婚10年で離婚することになった。
その1か月後、中年女性が家を訪ねてきて、離婚した二番目の妻が、彼女の夫と不倫関係にあることがわかったので、共闘して法廷闘争をしようと持ち掛けてきた。
それが2014年のことである。
さらに、3人のうち、ぼくが引き取ることになった次女が不登校になり、「学校に行かなくても、自宅でゆっくり学べばいい」とぼくが言ったことに対して、児童相談所が「この父親のもとでは義務教育が果たせない」と判断し、裁判所の決定書を示して彼女を強制的に連れ去り、養護施設に入れてしまった。
さすがに「人生は冒険である」が信条だったいい加減な性格のぼくも打ちのめされ、仕事が手につかない状況に追い込まれた。
預金を取り崩して生活する、いわゆる中年引きこもりとなって、カーテンを閉め切った部屋で、日がな一日YouTubeでアニメや「アイドル」や都市伝説を見る生活が半年以上も続いた。
そんな中で、BABYMETALを見つけたのである。
まだ中学3年生と高校2年生の日本の「アイドル」が、白塗りの「神バンド」と呼ばれる馬鹿テクのバンドをバックに、本場UKのメタルフェスで5万人の荒くれメタルヘッズたちを圧倒していた。
別のファンカムでは、ブレブレのスマホカメラの中で、ドイツ人やフランス人のファンが熱狂していた。
「何じゃこりゃ!?」
というキャッチフレーズそのままの感情が湧きあがって来た。
長々と書いたぼくのダメダメの個人史の果てに出逢ったBABYMETALとキツネ様の神話は、小学生の頃からの音楽観とアイドル観を根底から揺さぶるリアリティを持っていたのである。
ぼくは、ぼく自身のBABYMETAL熱を、「代償行為」ではないかと疑ったことがある。
思うようにならなかったぼくの人生に対して、才能と努力で世界的な存在になった彼女たちや、KOBAMETALのプロデュース能力に、果たせなかったぼくの「夢」を投影しているのではないか。
あるいは、父が亡くなったあと、一度目の離婚を経験し、それを「父である神」に赦してもらうためにカトリックの教義を1年間学び、洗礼を受けたように、二度目の妻との3人の娘たちをバラバラにしてしまったことを、「3人組」のBABYMETALの活躍を見ることで代償しているのではないか。
さらにいえば、「戦後レジーム」の中で、「アジアを侵略した悪」とされてきた日本に、再び自信を取り戻させようとした第二次安倍政権の姿にBABYMETALを重ね、その二重の幻影に、「俺はダメ人間じゃない、ホントはもっといい人間なんだ!」というぼく自身の深層心理の訴えを代償させているというような。
ここまで赤裸々に言ってしまえば、ぼくに関してはさもありなんという気もするが、BABYMETALファンの大多数が、ぼくほどのダメ人間であるはずがないので、「ダメな自分の投影」でBABYMETALのリアリティが支えられているわけではないのは自明である。
また、バラバラになってしまった3人の娘の投影であるというのも、ぼく以外には当てはまらない。
まして、「戦後レジームからの脱却」は、WGIP~マスコミ・教育界によって捏造された歴史を正しく修正するということなのであって、「ぼくのダメ人生」とはそもそも何の関係もない。
したがって、さっき述べた「ぼくら自身=日本人が果たせなかった夢」の代償行為がBABYMETALのリアリティを支えているわけではない。
ぼくのダメ人生の代償行為とは全く関係なく、より普遍性を持った何かが、BABYMETALのリアリティを支えているのだ。

―引用―
鬼束ちひろ「月光」
I’m a God’s Child この腐敗した 世界に堕とされた。
How do I live on such a field? こんなものの ために生まれたんじゃない
―引用終わり―

2001年にリリースされたこの曲は、思春期の青年が自分の存在自体に違和感や嫌悪感を覚える内容の悲痛な叫びであり、一青窈の「ハナミズキ」と並んで、引きこもり、自閉症、うつ病の状況にある人に絶大な支持を受けている。
この曲のタイトルが「月光」であるのは、この歌詞がより普遍的な神話―『かぐや姫の物語』に依拠していることを暗示しているとぼくは見る。
『かぐや姫』は、日本最古の物語とされ、評者によっては世界最古のSFなどともいわれるが、実は「わたしは、この地上世界に堕とされた者である。本来のわたしは、こんな汚い世界に生まれるべきではなかった」という、思春期の青少年が、自立していく過程で陥る心理状態をもとにした物語である。
この心理状態をもう少しわかりやすく言うと、「中二病」期の青少年が、「ぼくは、本当は某国の正統を継ぐ王子様で、政敵の陰謀で日本の平凡な家庭に預けられている。いつか迎えが来るんだ」とか「わたしは魔法の国から、修行のために記憶を消されてやってきた正しい魔法使いなの。〇〇がそろえば、解放されて魔法の国に戻れるの」とか、荒唐無稽というか、アニメ的というか、そういう幻想によって、自らが生まれた平凡な、あるいはみじめな本当の父母や家庭を否定したいという自立衝動のことである。
ぼく自身が引きこもりやうつ病の心情を何度か経験しているのでわかるのだが、「この状況は悪夢なのだ」「本来の自分はここにはいないんだ」と思い込みたい状況というのは確かにある。
だが、それが高じて、「今の自分は作られた偽物なのだ」「いつか解放され、本物の自分に戻れるんだ」と思い込むことは、彼/彼女の「Peace of Mind」を保つために必要不可欠な時期もあるが、実は現実逃避以外の何物でもなく、本当の自立を阻害するものである。
このブログの「君とアニメが見たい」のアーカイブに収めたが、アニメ『中二病でも恋したい』のテーマがまさにそれであり、こういうアニメを作れるのが、ジャパニメーションの真の凄さだと思う。
本当に自立するためには、「中二病」を脱し、平凡な、あるいはみじめな父母や家庭環境を、肯定しなければならない。なぜなら、それが現実なのだから。
いかに平凡でも、みじめでも、自分はこの家庭に、この父母から生まれたのであり、与えられた人生の条件は、今、目の前にあるものでしかない。それを変えようと思うなら、まず、それを肯定し、その限られた与件の中で、一歩一歩、自分自身で進んでいかねばならない。
それは高校入試や大学入試かもしれないし、友達との関係、あるいは父母との関係かもしれない。
思い通りにならないことがあっても、幻想に逃げるのではなく、現実と向き合い、乗り越えていかねばならない。目の前にあるものを肯定するところから始めなければ、人生が始まらないのだ。
そして、それを実践してみせたのが、結成当時小学5年生と中学1年生だったBABYMETALだった。
「キツネ様」とは、ギミック=幻想であり、一見「中二病」的に見える。
だが、ヘンテコアイドルとしてFOXサインを掲げながら、BABYMETALはKOBAMETALの要求するヘヴィメタルの文法を生真面目に実践した。その一生懸命さが1980年代ヘヴィメタルの実相を知る中高年の魂を揺さぶった。


小学5年生と中学1年生に、ヘヴィメタルはワケのわからない理不尽なものであり、なりたかった「アイドル」とはかけ離れていた。
だが、BABYMETALはその理不尽さから逃げるのではなく、とことん肯定し、その良さを見つけようとし、あまつさえそれをファンに伝えようとした。2012年の『BABYMETALのオールナイトニッポン』で、SU-METALはドラゴンフォースを、YUIMETALはカンニバルコープスを、MOAMETALはベヒーモスを「おススメ」だと言った。
その肯定ぶりこそ、キツネ様の嘉するところであり、BABYMETALの行くところ、幸運が連鎖して起こった。2013年サマソニ大阪で、たまたま同じ組に入り、空き時間にライブがあるという状況が生まれ、METALLICAのメンバーがBABYMETALをステージ袖で見たことなどがまさにそうだ。


神は、自ら助くる者を助く。「キツネ様」とは、神そのものなのだ。
BABYMETALがやったのは、「アイドルとメタルの融合」だけでなく、「ダンスとメタルの融合」であり、「中二病と現実の融合」でもあったのだ。
理不尽に思えることでも、徹底的に肯定してやってみろ。そうすれば、世界は変わる。
その誰もがやらなかった「中二病」の処方箋の普遍性こそ、BABYMETALというプロジェクトの、生き生きとしたリアリティの源泉のひとつであるとぼくは思う。
(つづく)