BABYMETALの哲学(7) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日10月29日は、2013年、DVD『Live Legend 1999&1997 APOCALYPSE』が発売された日DEATH。

KOBAMETALが聖飢魔Ⅱに衝撃を受けてメタルフリークになったのが何年何月だったのかは、これまで不明だったが、『別冊カドカワNo.830』(以下、同書と称する)のデーモン閣下との対談でそれがはっきりした。
「おそらく少年サンデーの表紙(魔暦前13=1986年7月2日号)で見たんですけど。と言うのも、プロレスラーにはマスクを被ったりフェイスペイントをしたりする人たちが結構いたので、きっとプロレスラーなんだろうなって。なんだこの人!って衝撃を受けて。そしたら『夕やけニャンニャン』とかで「蝋人形の館」を歌われているのを観て、その時に初めてバンドというものを知ったんですよね。」(KOBAMETAL、同書P.110)


ここにBABYMETAL誕生の起源がある。
様式美を持ったヘヴィメタルという音楽。フェイスペイントや悪魔の「黒ミサ」というギミック。そして当時は一構成作家だった秋元康が初めて手掛けたアイドルグループ=おニャン子クラブが一世を風靡した『夕やけニャンニャン』。
考えてみれば、小学校高学年だったKOBAMETALが観たものすべてがミックスされたのが、メタルアイドル=BABYMETALではないか。
しかも、デーモン閣下は、公式プロフィールでは「地獄の都Bitter Valley地区出身」とされているが、世を忍ぶ仮の父親の仕事の関係で、小学校3年~5年まで広島市西区に在住しており、かつて出演したNHKの番組で、広島への思いを強く語っている。
その広島から、仕事のたびごとに東京へ通っていたSU-METALが小学校6年生になろうとしていた2009年3月14日、可憐Girl’sの「任務完了コンサート」が行われ、前座を務めたミニパティの担当だったKOBAMETALは、SU-の歌声を聴いて驚嘆し、「メタル少女歌劇団」を構想する。
デーモン閣下、KOBAMETAL、SU-METALが、小学校高学年&広島という時空を超えた縁でつながっている。これは果たして偶然なのか。
2017年12月、BABYMETALはLegend-S-Baptism XX@広島県立総合体育館グリーンアリーナを行う。
それが発表された2017年巨大キツネ祭り@SSA二日目の9月27日は、1971年、初来日したレッドツェッペリンが、同じ広島県立総合体育館でチャリティコンサートを行った日であった。
以降、同会場は広島市民にとって、ロックの聖地となった。だからこそSU-METALも「いつかはここでライブをやりたい」と憧れていたのだ。
JR広島駅から原爆ドーム方面行きの広電3つ目の停車駅「稲荷町」には、原爆にも耐えたコンクリート製の「被爆お守り狐」が2体鎮座する稲生神社がある。主祭神は豊受大神=宇迦之御霊。
すべては、この神様の時空を超えた意志とお導きによるものではないか。


そうでなければ、なぜBABYMETALがメタルとは全然関係ないキツネ様を守護神としたのか、そして、2017年、北朝鮮が核実験とミサイル発射を繰り返すというタイミングで、世界中からSU-METALの成人を祝うファンが広島に集まり原爆ドームや資料館を見学したのか、説明がつかないのだ。

話は少し遡る。
2016年9月20日、東京ドームBlack Night終演後の紙芝居は、珍しく「次の目標」が発表されなかった。このことについてKOBAMETALはこう語っている。
「とりあえず休みたいと思っていました(笑)。メンバーにも駆け抜けてきたので「少し休憩したいね」と言って。(中略)普通のアーティストが5年かけてやるようなことをたった半年でやるという、相当に密度の濃いスケジュールだったんですね。だから東京ドームが終わったら休もうと決めていたんですけれど、レッチリさんからUKのアリーナツアーのツアーサポートのお誘いを頂いた。これも一生に1回あるかないかの話なんで「これは行くしかないでしょう」ってことで、休んでる場合じゃなくなったという感じです」(KOBAMETAL、同書P.98)
その後、2016年12月~2017年前半は、レッチリUKツアー、METALLICAのソウル公演、Guns N‘ Rosesのジャパンツアー4公演、再びレッチリのUS東海岸~フロリダツアー、KOЯNのSerenity of Summerツアーと、レジェンド級の大物バンドとの「前座修業ツアー」になるわけだが、それは意図的なものではなく、「休もう」と思っていたところにオファーが殺到して、そうならざるを得なくなったということらしい。


だから、KOЯNのスケジュールが発表されたあとに、BABYMETAL Special Headliner Show@ハリウッドが発表され、その後、夏の五大キツネ祭り@東京・名古屋・大阪、秋の巨大キツネ祭り@SSA&大阪城ホールが雪崩式に発表されていくことになった。
2016年には四大夏フェスすべてを制覇したが、2017年の夏フェスがサマソニだけになったことについても、KOBAMETALはこう語る。
「7年連続で出演して「いよいよやることないね」っていうところで、クリエイティブマンさんから「メインステージのトリ前というところでどうでしょう?」という話を頂いたんです。個人的にはフードコートでアイスクリームを売ってたところから始まってるので、10年越しくらいでやっとメインステージに辿り着いた感じではありました。」(KOBAMETAL、同書P.99)
「10年のキセキ」でも書いたが、東京ドーム以降、「世界征服」に向けたストーリーが見えにくかったのは、当初2017年に計画されていたのが12月のSU-METALの成人式ライブだけだったからではないかというぼくの考えは、当たらずとも遠からずだったのだ。
もちろん、「次の段階」は見えにくくても、2017年のBABYMETALはちゃんとぼくらファンに感動的シーンを見せてくれた。
2017年6月16日のBABYMETAL Special Headliner Show@ハリウッドPalladiumでは、「From Dusk Till Dawn」が初披露され、個人的にはRichardさんやライブ会場で必ず会うメイトさんとの縁が生まれたし、5大キツネ祭りは2015年に続く国内小箱ツアーで、性別・世代別に組まれたセトリのバリエーションとともに、同じ属性を持つメイトさんが交流する場となった。
8月20日のサマソニ2017@幕張メッセでは、「フードコードの片隅で…」から始まって、ついにマリンスタジアムを埋め尽くした観客に対して、SU-METALが「ついに…ついにここまで来ました!」と叫ぶシーンを目撃することができた。
だが、ここまで考えてきて、ふと頭をよぎったことがある。
それは、KOЯNのツアー2日目、2017年6月20日のチュラビスタで、SU-が「Today is special day. Happy birthday, YUIMETAL!」とYUIの誕生日を祝い、観客からも温かいコールがあった直後、後ろを向いたMOAMETALが泣き出してしまい、その背中をSU-が撫でているシーンだ。
なぜ、あのときMOAは泣いたのだろう。


KOЯNツアーのあと、BABYMETALは、5大キツネ祭り→サマソニ2017→巨大キツネ祭りと進んでいくが、結果として2017年10月15日の巨大キツネ祭り二日目@大阪城ホールが、YUIMETAL最後のステージとなってしまった。
次回、詳細を書くつもりだが、Legend-S-Baptism XX@広島グリーナリーナ公演について、SU-METALは次のように語っている。
「MOAMETALと2人でステージに立つことが決まったのが本当にギリギリだったんです。2人のバージョンと3人のバージョンを用意したまま、当日の昼頃までリハーサルを行っていて、結局2人でどう見せるかというところまで行き着かないまま、とにかくライヴを形にしなきゃ、という気持ちでステージに立ちましたね。」(SU-METAL、同書P.115)
2人のバージョンと3人のバージョンが用意されていたということは、YUIが欠場するかもしれないということは、少なくともリハーサルまでにはわかっていたということだ。
『別冊カドカワNo.830』で語られた言葉からぼくが勝手に想像したに過ぎないが、KOЯNツアーの最中に、「これがYUIMETALとして迎える最後の誕生日」になるかもしれないことに、相方のMOAは気づいていたのではないか。
(つづく)