BABYMETALの哲学(5) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日10月25日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

『別冊カドカワNo.830』から読み取った「BABYMETAL哲学」の続き。
2015年12月のThe Final Chapter of TRILOGY@横浜アリーナ2日目、終演後の「紙芝居」で、2nd アルバム『METAL RESISTANCE』(当時はタイトル未定の“新たな経典”)と、World Tour 2016のファイナルとして、東京ドーム公演が発表された。
「あの日、東京ドーム公演が発表されましたけど、東京ドームへと繋がる“TRILOGY”の会場名の頭文字がそれぞれ、さいたまスーパーアリーナが“S”、幕張メッセが”M”、横浜アリーナが“Y”なんですよね。しかも、地図上で会場がある場所を線で繫いだ三角形の中心に東京ドームがあるというところで、「何て奇跡なんだ!」って思いましたね。本当に鳥肌が立った記憶があります。」(MOAMETAL、同書P.55)
横アリ二日目のフィニッシュ曲は、3人がピラミッド状のゴンドラに乗って、観客の上空で歌う「THE ONE」だった。


あの光景自体、奇跡のようだったが、直後のこの発表に、会場を埋め尽くした観客は、歓喜とともに奇跡に立ち会った瞬間の言葉にならない感動で震えた。
2014年3月2日の日本武道館「黒い夜」で欧米進出が発表されてからわずか1年で、BABYMETALは『KERRANG!』Awardと『METAL HAMMER』Golden Gods Awardを受賞する世界的アーティストとなり、日本でも『VOGUE JAPON』と『GQ JAPAN』のアワードを受賞した。
日本武道館と東京ドームでの公演は、日本におけるアイドル/アーティストの頂点を意味しているが、それだけでなく、東京ドームは1997年12月にX JAPANが『THE LAST LIVE〜最後の夜〜』を行った会場であり、キツネ様の意志によって、その意志を引き継ぐSU-METALが「世を忍ぶ仮の姿」として広島に生まれたとするBABYMETAL神話では大きな意味を持っていた。
その会場が、2015年1月に新春キツネ祭りが行われたさいたまスーパーアリーナ、6月に巨大天下一メタル武道会が行われた幕張メッセ、12月の横浜アリーナの中心に位置し、なおかつ頭文字がSU-METAL、MOAMETAL、YUIMETALの頭文字になっているという偶然は、計画されたものとは思えず、文字通りの奇跡=キツネ様のお導きによるものとしか思えなかった。
前回書いたように、BABYMETALはKOBAMETALとスタッフ、SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALのメンバー、神バンドメンバーの全身全霊を込めたプロフェッショナリズムで作り上げられたものだ。神の恩寵はこうした努力の上に降りてくるものであって、何もしなければ奇跡は生まれない。
そして、努力は奇跡によって強い絆に変わる。
「やっぱり、3人ともリアルとファンタジーの間を行ったり来たりしてるわけですよね。学業やほかのグループの活動もあるし、日常の生活もあるなかで、BABYMETALという存在がどんどんグローバルなものになっていく。リアルにBABYMETALを応援してくれてる人たちをワールドツアーで目の当たりにしていくことによって、だんだん自覚が芽生えたというか、より実感がリアルなものになってきたタイミングだったんじゃないかと思います。」(KOBAMETAL、同書P.61)
「2015年はクリスマスもメンバーと一緒だったし、この時期は1年を通してずっと一緒にいたんですよね。だから、どんどん団結力が強くなっていったなと思いますし、SU-METALともよく話すようになった時期でしたね。本当に“お姉ちゃん”というべき存在だったので。以前は一緒にいることが多くても、そこまで深い話をすることもなかったんですけど、いろいろ話を聞いていくうちに、ここは考え方が一緒だなって思ったり、BABYMETALに対する想いとかもお互いがちゃんと話せるようになったんですよね。この頃からSU-METALのことをわかりたいと思えるようになったし、支えたいって心の底から思っていました。それまではただの友達だったのが、この時期にどんどん強い絆が生まれていってる感覚がありましたね。」(MOAMETAL、同書P.56)
「不安を感じる暇がなかったかもしれない。なんかもう、常に課題が目の前にあるので。やるしかない、という(笑)。私独りだったら、もしかしたら不安に思ってたかもしれないけど、そこはみんながいたから、そういった不安は感じてなかったと思います。」(SU-METAL、同書P.50)
2016年4月1日、『METAL RESISTANCE』がリリースされ、翌日、UKロンドンのWEMBLEY ARENAで、日本人アーティストとして初めてのライブが行われた。


このライブについて、SU-METALと、MOA、YUIの反応は正反対だったという。
「最初の曲(Jaytc註:「BABYMETAL DEATH」)が終わったタイミングで、ステージの問題なのか音響の問題なのか理由はわからないんですけど、まるでエクササイズマシンの上に乗っているような状態で、舞台の下から凄い振動が響いてきて、立っていられなくなるくらい足が震えたんですよ。その震え方が自分の心の震えと重なる感覚があったんです。あの時、すごい所に来たんだなって改めて感じていたんですよね。(中略)だから、そういう心境からくる震えが合わさっていたのか、物理的な振動だけだったのか…あの時のことはよく覚えていますね。」「ライヴが終わった後に、MOAMETALとYUIMETALが、2人で抱き合ってずっと泣いていたんですよ。きっとすごい達成感だったんだなぁとか、最初は怖かったけど頑張ったね、みたいな意味なのかなと思ったら、悔しくて泣いていた…正確なところはわからないんですけど、私が思っていたことと真逆の理由だったみたいなんですよね。泣き終わった後に話し出したら、2人とも全く同じことを感じていたらしくて、「双子なのか、この子たちは」っていうぐらいびっくりしたのを覚えてますね。」(SU-METAL、同書P.84-85)
「ウェンブリー公演は17曲も披露していて最長のセットリストだと思うので、ここにすべてを詰め込んでいた感がありますね。海外で初めて新曲を披露する少しの不安と、純粋に新曲を披露できるドキドキ感がいろいろ相まって、すごい高揚感を覚えてました。実はこのウェンブリー公演は、終わってからYUIMETALと抱き付き合ったっていうぐらい納得がいかなかったんですよね。嬉しくて抱き付いたんじゃなくて、お互い悔しい想いがあって、終わった瞬間に抱き付いて泣いてしまったという。それまで練習してきて、きっちりと消化できたはずだったんですけど、何かが届き切れなかったというか。何でそうなったのか理由はわからないけど、あの時の私もYUIMETALも同じ気持ちで、2人とも悔しくて…それで泣いた記憶があります。」(MOAMETAL、同書P.91)
これは、次の言葉にもつながる。
「この頃になってくると、「ああ、BABYMETALって面白い音楽をやってる子たちだよね」って少しハードルが上がった状態でステージに立つことが増えてきて。それはありがたいことだし、今までの成果が出てるんだなって思うんです。同時に、それまではゼロかマイナスからのスタートだったから何も考えずにステージに立てていたものが、「今までのライヴを超えるものをやらなきゃいけないんだ」っていう意識に変わってきたころでしたね。」(SU-METAL、同書P.85-86)
2ndアルバムも出て、WEMBLEY ARENAからCBS『Late Show with Stephen Colbert」アメリカ東海岸、ヨーロッパ、西海岸ツアー、APMA’sでのロブ・ハルフォードとの共演、日本では四大夏フェス出演から9月の東京ドーム公演へ向けて、ますます大きな存在になっていくこの時期、3人には「今まで以上に頑張らなければ」というプレッシャーや怖さがでてきたということらしい。
今回のインタビューを読んで初めて気づいたくらいで、ぼくは、これまでそんなことは一切気づかなかった。WEMBLEY公演は同会場の年間No.2ライブに選ばれたほど感動的で、MOAとYUIにとってそれほど不本意だったとは、『Live at Wembley』BDを何度見ても気づかなかった。
その後のアメリカツアーでは「ギミチョコ!!」での「進駐軍煽り」や「KARATE」でのSU-のアドリブ・ハミングなど、観客とのコミュニケーションが進化したし、ロブ・ハルフォードとの共演はグラミー賞のサイトでも話題になり、「ここにメタルの未来がある」「STAY METAL」との言葉をもらった。


フジロックでは入場規制がかかる中、ステージ袖にレッチリが観に来たし、Rising Sun Rockフェスでは北海道の大地に砂煙が舞い、Rock In Japanフェスではメインステージ前が大観衆で埋まった。
ライブを行うごとに期待の“斜め上”のパフォーマンスを提供してくれるのがBABYMETAL であり、「最新が最良」という定説はファンの誇りになっていた。
それがプレッシャーとしてのしかかる中、彼女たちは毎回それを必死で乗り越えてぼくらの前に立っていたのだということに、改めて気づかされた。
BABYMETALは、握手会やお渡し会など、いわゆる「ファンサービス」をしない。

だが、彼女たちのファンに向けた愛と感謝のすべては、ファンの前に立つ唯一の機会=ライブに込められていた。
それがBABYMETALの哲学なのだ。
『別冊カドカワNo.830』で、ようやくぼくはそのことに思い至った。BABYMETALの味方を自称しながら恥ずかしい。メンバーには改めて心から敬意を捧げたい。
(つづく)