BABYMETALの哲学(2) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日10月21日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

BABYMETALが出演する「NHK WORLD-JAPAN presents SONGS OF TOKYO FESTIVAL 2020」の放送日程が10月19日に発表された。


BABYMETALはPart1=初日10月24日(土)のトリ。公式サイトでは、
Part1
10/24(土)午前8:10~8:58、午後2:10~、午後7:10~、翌午前4:10~
出演(50音順)
SixTONES  <世界進出を目指す6人が、ミリオンヒットを引っさげて登場>
HYDE <日本ロック界のカリスマボーカリストが世界に放つ、圧巻のパフォーマンス>
日向坂46 <世界が「キュン」とした、カワイイMAXのスペシャルステージ>
BABYMETAL <遂に登場!世界を夢中にさせたメタルダンスユニット>
となっていて、これが上記時間とリンクして40分ステージなのか、それとも40分を10分ごとに4アーティストで区切って4回同じ内容が放送されるのか、よくわからない。
とりあえず25日(日)の日本時間午前4時10分(ニューヨーク時間24日午後3時10分、ロサンゼルス時間24日午後1時10分、ロンドン時間24日午後8時10分)にNHK-Worldを見ればわかるだろう。
Wembleyの逆であって、ぼくらメイトは海外時間には慣れっこだ。まして日曜日の午前4時なら楽勝だ。
だがしかし、この放送日程を見て、ぼくはがっかりした。
ゴールデンタイムは結局日向坂46かという出番についてではない。BABYMETALの主戦場は海外だからロンドン時間土曜日午後8時10分~はプライムタイムである。
そうではなくて、これを伝える各サイトの記事が問題なのだ。
某音楽サイトでは、「収録は10、11日の両日、NHKホールで開催され、無観客の客席を埋めつくす2つの巨大LEDスクリーンにオンライン接続された世界中のJPOPファンが映し出され、登場したアーティスト全17組は、地球規模で同時に世界のJPOPファンと語り合い、日本のカルチャーへの想いを受け取り、世界へ向けて自分たちのメッセージを発信しました。」「コロナに負けず、無観客の収録とはいえ、世界の裏側ともデジタルでつながることで、音楽で絆を伝えあう、画期的な“デジタル音楽祭”が実現しました」と書いている。
ものすごい違和感をおぼえる。
「オンライン接続された世界中のJPOPファン」って誰だ?
いつ募集され、どういう基準で選ばれたの?少なくとも番組サイトでは募集されなかったよね?
もし、NHKの各国支局が事前に、かつ公募もせず、恣意的に選んだのなら「世界中のJPOPファン」とは呼べない。彼らは「NHKの各国支局がコネで選んだ人」である。その意見が公正である保証は何もない。こういうウソを平気でつくのがNHKである。
さらに、「セカイの裏側とデジタルでつながることで“画期的なデジタル音楽祭”が実現」とあるが、事前にこういう記事が書かれること自体、それがただの「収録」であることは明らかではないか。
10月10日、11日のNHKホールで、ステージと同時進行で行われたのかもしれないが、それならBABYMETALは2016年のLive at Wembleyでやっている。あのときは夜明け前のZepp Tokyoほかの会場でライブ・ビューイングしていたTen Thousand of Metal Spirit=1万人の日本人メイトの姿が、Wembley Arenaに生中継され、それが日本にもフィードバックされた。本当に日英メイトが同時にBABYMETALのライブを共有したのだ。それが本当の世界同時オンラインライブというものだ。
だが、今回、NHKが放送するのはそういう場面を収録して編集した“動画”に過ぎない。
ライブの同時生配信というならファンカムがまさにそれだが、ネット会議で同時トークしている複数人の収録動画を編集して配信するなら、イマドキのYouTuberはみんなやっている。“画期的”でも何でもない。
もしNHKが本当に「画期的なデジタル音楽祭」だと主張するなら、収録それ自体を世界同時刻で生放送/生配信すべきなのだ。
ただの収録映像配信を「オンラインライブ」と言い切るウソを平気でつくから、マスメディアは信用できない。こういうNHKの報道発表丸写しの与太記事を書く記者/ライターは、本当に自分の書いていることの意味がわかっているのだろうか。
とはいえ、BABYMETALが出演するなら、「ライブ中に世界中のファンとネットで語り合っている編集済み映像」であっても、とりあえず良しとしよう。だが、これがオンラインライブだという言説は、絶対に認めない。
なお、ライブ収録中の写真が公開されており、メンバーSU-METAL、MOAMETALのほか、アベンジャーは岡崎百々子、コスチュームは「METAL GALAXY TOUR 2020」の衣装であることがわかる。
神バンドはドラムスの一部が映っているだけで、ミュージシャンは特定できない。収録はNHKホールということなので、おそらく“東の神バンド”だと思われる。

『別冊カドカワNo.830総力特集BABYMETAL STAY METAL』(以下、「同書」と称する)の感想の続き。
同書P.46~61は、METAL RESISTANCE第2章~第3章(2014-2015)に関するSU-METAL、MOAMETAL、KOBAMETALのインタビュー記事が掲載されている。
ここには、ぼくがこれまで理解し、このブログで書いてきたことと異なることは全くない。
むしろ、SU-、MOAの肉声でそれらの過酷な道のりが証言されているのが嬉しかった。
Sonisphere 2014では、ステージの袖から違う角度で客席を覗いたとき、原っぱしか見えず「全然人いないね」と思い、でも「日本から10人くらいは来ているはずだから、その人たちのために頑張ろうみたいなことを言ってステージに立った」「そうしたらめちゃめちゃ人がいて、そこにすごく驚いた」(同書P.46)とあって、それは「ホネトーーク!」で、UME-METAL氏とDAICHANG-METAL氏が、「SU-METALがあの大観衆の中でニヤリとしたステージ度胸に驚いた」と言っていたことと一致する。SU-が「ニヤリ」としたのは、単純にあの6万人に驚き、喜んでいたのだ。
また、「実際にステージに立ってみて、私たちのことが嫌いなのか、興味のない人もたくさんいるんだろうなって最初にわかったんですよ。そういう雰囲気でみんな見てるので。」「反応が素直なので、いいね!と思ったらノリ始めるんですね。その波がどんどん広がっていく様子が本当に目に見えてわかったんですよ。」「どれだけアウェーな場所に行っても(ソニスフィアで)あれができたんだから、やれないはずはないだろうって。」(SU-METAL、同書P.47)
「あの頃はまだ『BABYMETALって何ぞや?』って、ちょっと見定めてみようという気持ちで来る人が多い雰囲気だったし、フェスだと冷たい視線もかなりあって、中学生ながらにそこは感じていて「こわっ」って思っちゃいました。(笑)」「あの時は冒頭からイヤモニが聞こえなくなってしまって、スタッフさんが助けてくれて途中から復活したんですけど、SU-METALもこちらを気遣う様子を見せてくれて、いいチームワークに恵まれて本当に良かったなって。フェスでのトラブルに対処する方法も学んだし、そんな状況になっても『やっちゃおうぜ!』みたいな楽しさがあったので、どんどん気持ちが上がっていきましたね。」(MOAMETAL、同書P.52-53)
「大丈夫かなって最初は思いました。(中略)ジャパンエキスポみたいにいわゆる日本のカルチャーに理解のある方が集まるフェストは全然違うので。」「そういう意味では日本の高校球児がいきなりメジャーリーグに参戦して試合に出たみたいな感じでした。そこでメンバーも最大限のパフォーマンスを見せたし、スタッフもバンドもチーム全員で一丸となって戦った。そうしたらオーディエンスも含めて一つになった感じがありました。曲をやるごとにパワーが伝わっていったのをステージの袖から目の当たりにした。初めて見た景色でしたね。」(KOBAMETAL、同書P.59)


という証言は、この瞬間に、三人とバンド、スタッフを含めたチームベビメタが、BABYMETALの音楽こそ世界最強だという確信を抱いたことがよくわかる。
当時SU-METALは高校2年生、YUMETAL、MOAMETALは中学3年生だった。
ちなみに、ぼくが中学3年生のとき、ブルースバンドを組んで中学校で演奏していた。高校2年生の夏には地方都市で行われたアマチュアロックフェスに出演した。記憶の片隅にあるその時の演奏は「恥」以外の何物でもなく、観客の反応など気にする余裕すらなかった。
もちろん、比べようもないのだが、BABYMETALは同じ年齢で、6万人の本場メタルヘッズをノックアウトしたのだ。
このブログを始めたときに書いたBABYMETALの歴史で、ぼくは、BABYMETALは4回誕生したと考えた。
最初は2010年11月28日の横浜赤レンガ倉庫で「ド・キ・ド・キ☆モーニング」を初披露したとき。
2回目は、2012年「ヘドバンギャー!!」リリース後の目黒鹿鳴館でのコルセット祭り。
3回目は、2013年2月のLegend ”Z“で、時計の針が逆回転し、中元すず香のさくら学院卒業後も、BABYMETALが存続することがわかった白無垢衣装の「死」からの復活=「BABYMETAL DEATH」。
そして4回目がSonisphere 2014で6万人のメタルヘッズをノックアウトしたとき。
世界中の観客を熱狂させられる確信を得たSonisphere 2014で、BABYMETALは本当の意味で誕生したのだということがわかる。
そのあとのレディ・ガガの西海岸ツアー帯同は、ぼくが考えていた以上に過酷なものだったという。
「砂漠のエリアや標高が高いエリアとか、そういう今までまったくライブをしたことがない場所だったので、身体が初めての感覚に陥ってしまって。喉の乾燥具合が普通じゃなかったり、うまく息ができないと言ったことも初めての経験でした。」(SU-METAL、同書P.47)
「今でも覚えているのが、一緒に撮った写真を撮ったときにガガさんが私の肩に手を回してくれて、その手に触れてすごく興奮したこと(笑)、あと、ガガさんの髪が私のグローブに引っ掛かって、毛が一本だけ抜けてしまったんですよ。それに後で気が付いて、その髪をどうしようと思ったんですけど…今でも大切にとってあります」(MOAMETAL、同書P.53)
という証言は、日本人アーティストでも普通は経験できず、ましてや普通の中高生には絶対あり得ない「大冒険」を、BABYMETALがやってきたということを改めて感じさせられる。
だからすごいということより、それらの経験をSU-METALもMOAMETALも素直な感受性で血肉化してきたからこそ、2018年のDark Sideを乗り越えて現在のBABYMETALが前進し続けられる原動力になっているのだということがわかる。
2014年末のBack to US/UKツアーのロンドン公演@Academy Brixtonで初披露された「Road of Resistance」が、BABYMETALにとっていかに重要な曲だったかということもインタビューで語られている。


「本当にすごい曲ですよね。しかもあの曲は、積み重ねていってる曲という気がしていて。ライヴをやる上で曲を見直したりする機会があるんですけど、前回の形を踏まえて今回も同じように使用って曲ではないんですよ。毎回イチから作り上げていく曲っていうんですかね。さらにパフォーマンスのさなかでも、みんなでその場で創っていってる感覚があるんです。だから毎回感動するし、パワーをもらえるし、すごく大切な曲になってるんだと思います。」(SU-METAL、同書P.49)
「2014年から2015年にかけては、武者修行のつもりで活動していたので、戦国時代の武士のような気持ちを自分の中で重ね合わせてました。歌詞は当時の自分の想いとリンクするし、今でも勇気づけられますね。あの法螺貝の音色を聴くと、私もウォール・オブ・デスに参加してみたいなって気持ちになるんですよ(笑)」(MOAMETAL、同書P.54)
「あの曲はまさにBABYMETALのことをイメージして書かれた歌詞なんです。「道なき道」というのがキーワードで、そこを自分たちで切り開いて、自分たちを信じて走っていく。ダンスの振り付けでも「答えはここにある」と歌うところで自分の足元を指差すんですけど、それはステージのことなんです。」(KOBAMETAL、同書P.60)
前回書いたように、BABYMETALの始まりについては、さくら学院結成の前なのか、後なのか、実は未だによくわからない部分がある。また、中元すず香卒業後もBABYMETALが存続することがファンにわかったのは2013年2月1日のLegend “Z”だが、MOAMETALがさくら学院日誌に「最後まで」悩んでいたと書いた時期がいつだったのかも、同書のインタビューでは触れられておらず、未解明のままである。
ただ、少なくとも2014年の日本武道館公演、1stアルバム『BABYMETAL』のリリース、「ギミチョコ!!」のネット上でのバズり~初ヨーロッパ&アメリカツアーで、メンバーおよびスタッフが、その後BABYMETALの歩む道に確信を持ったことは間違いない。
これまで多くの日本人バンドやアイドルグループは、「インディーズ→日本武道館→メジャーデビュー→地上波テレビで有名になる」というのがロールモデルだった。
だが、BABYMETALは「インディーズ→日本武道館→メジャーデビュー→海外ロックフェスで世界進出」というもう一つのロールモデルを作った。
BABYMETALの成功に誘発されて、ネット動画を告知媒体として海外進出を図るラウド系アイドルグループも続々出てきているが、なかなか大きなムーヴメントにならないのは、Sonisphere 2014のような、パフォーマンスで観客をねじ伏せるチャンスと音楽的実力に恵まれないためだろう。
だがその実力は、一朝一夕に出来あがったものではない。
さらには、一度世界の舞台に立てば、もっと過酷なステージが待っている。
「答えはここにある」とステージを指差す「Road of Resistance」がその象徴である。
『別冊カドカワNo.830』は、その10年に及ぶ道なき道を、生身のメンバーとスタッフがどう考えていたのかをつづっているのである。
(つづく)