BABYMETALの哲学(1) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日10月18日は、2013年、タワレコ「15の夜」@赤坂Blitzに出演し、2015年には、WOWOWで「巨大天下一メタル武道会」が放映された日DEATH。

『別冊カドカワNo.830総力特集BABYMETAL STAY METAL』(以下、「同書」と称する)を読了した。
「ZOCの真情」で、メタアイドルという「補助線」を引いたのは、疑似恋愛的視点ではなく、そのグループの歴史やメンバーの来歴をまるごと愛するのが、アイドルの愛し方であるという視点を得るためであった。
これからの考察は、同書で取り上げられたBABYMETALの10年の歩みを限りなく愛しいものとして記録しておきたいという動機に基づいている。
ただし、同書では、これまでぼくが理解してきた歴史的事実と若干異なる「新事実」や「証言」も含まれているので、まずはそれを明らかにしておく。
BABYMETALの発祥について、同書ではKOBMABETALの言葉として、ぼくがこれまで理解し、このブログで述べてきたタイムラインとは異なる事実が書かれている。
同書P.35で、KOBAMETALは次のように述べている。
わかりやすくするため、発言者を( )で示す。
―引用―
(インタビュアー)BABYMETALは2010年にさくら学院の“重音部”という位置付けで活動がスタートしますが、それ以前にKOBAMETALさんのなかでは、BABYMETALのプランがあったということなんですね。
(KOBAMETAL)そうですね。もともとBABYMETALもミニパティも2010年より前にグループ自体はあったんです。いくつかの派生ユニットが先にあって、そこからそれらをまとめて学校コンセプトにして、それぞれのユニットを部活みたいにしようということでさくら学院がスタートしたんですね。
(インタビュアー)BABYMETALで最初に楽曲制作に取り掛かったのは?
(KOBAMETAL)最初は「ド・キ・ド・キ☆モーニング」でした。それこそ可憐Girl’sが終わったばかりの頃にSU-METALが次に何をやろうかというところで作ったのがこの曲です。(中略)その頃から「イジメ、ダメ、ゼッタイ」や「紅月-アカツキ-」も作っていました。
(同書、P.35)
―引用終わりー
インタビュアーは、「BABYMETALの“プラン”はあったということなんですね」と質問しながら、なぜか、「BABYMETALもミニパティも2010年より前に“グループ自体”はあったんです。」という重大発言をスルーしている。
確かに飯田來麗・堀内まり菜・杉崎寧々のアミューズ・キッズ所属小学生女子三人組ミニパティは、東京中目黒の野菜スイーツ専門店「パティスリー ポタジエ」のオーナーパティシエ、柿沢安耶のもとで修行する「見習いパティシエユニット」という「設定」で、2009年春から農林水産省の食育キャンペーンで実際に活動している。
しかし、2009年3月14日に渋谷BOXXで行われた可憐Girl’sの任務完了コンサートを見たKOBAMETALの頭の中に「メタル少年少女歌劇団」(2012年10月30日日経TRENDYオンライン版)として構想されていたとはいえ、実際に活動していたとは初耳である。


別のインタビューで、武藤彩未と家族ぐるみで交流していた小学3年生の水野由結は、可憐Girl’s任務完了コンサートに参加して、「振り真似」をして楽しんだと言っている。
さくら学院の誕生は、2010年4月である。この時点で水野由結、菊地最愛はさくら学院メンバーではなく、2010年8月の第1回東京アイドルフェスティバルで「転入」したことになっている。
もちろん、それはお約束というもので、実際には二人もさくら学院のメンバーとして、ある時期から確定していたはずである。YouTube上で流れている「Over The Future」を二人が踊っている「オーディション映像」は、メイトならだれでも知っている。
ただ、2019年3月の可憐Girl’sの任務完了コンサートから、2010年4月のさくら学院結成までの1年間に、すでに「ド・キ・ド・キ☆モーニング」「イジメ、ダメ、ゼッタイ」「紅月-アカツキ-」が作られ、「SU-METALの回りで踊る天使」として、水野由結と菊地最愛が確定していたということ、クッキング部ミニパティだけでなく、バトン部Twinklestars(武藤彩未+ミニパティ+佐藤ひなた+水野由結・菊地最愛)、新聞部Scoopers(三吉彩花・松井愛莉)などのユニット活動が先にあって、その集合体として、さくら学院が構想されたという発言が本当なら、ぼくの理解が間違っていたというしかない。
2020年8月30日、無観客有料オンライン配信ライブ「The Road to Graduation 2019 Final 〜さくら学院 2019年度 卒業〜」で、2019年度中等部3年として、すでに@Onefiveで活動している藤平華乃、吉田爽葉香、有友緒心、森森萌々穂がようやく卒業できた。
そして翌日の2020年9月1日、さくら学院が10年間の歴史に終止符を打ち、2021年8月31日をもって活動を停止することが公式サイトから発表された。
9月14日、ネット配信番組『さくら学院の顔笑れ!!FRESH!マンデー』で、2020年度中等部3年の野中ここなが10代目生徒会長、白鳥沙南が7代目トーク委員長、中等部2年の田中美空が2代目気合委員長、八木美樹が3代目生徒会副会長、佐藤愛桜が4代目教育委員長、戸高美湖が3代目パフォーマンス委員長、中等部1年の野崎結愛がPR委員長、小等部6年の木村咲愛が、がむしゃら!委員長に就任し、この8名が最後のさくら学院メンバーとなることが決まった。
さくら学院活動停止の理由として、アミューズ運営は「メンバーが夢を実現し、一人一人が様々な分野で活躍できるスーパーレディに成長していくという目標の為には、より個々にあった育成を強化し、個人それぞれに特化した活動に注力していくという変化が必要」と考えたためであるという。
しかし、さくら学院結成のいきさつが、KOBAMETALのいうように、「ユニットの集合体」なのだとしたら、小中学生の「成長期限定ユニット」というコンセプトや、学校形式にこだわったスーパーレディ育成プログラムを「父兄」=ファンに「見せる」というスタイルも、全部ウソということになってしまう。
そんなことはないはずだ。
水野由結は、「さくら学院は世界で一番素敵な学校だった」と語り、菊地最愛も「いつか菊地最愛としてさくら学院に戻ってきたい、アリバダしたい」と言っていた。
アミューズは、さくら学院を本当に様々な女性タレントを世に送り出す育成機関=先行プロモーション媒体として構想していたに違いないのだ。
その証拠に、さくら学院の「派生ユニット」としてCDをリリースしたのは、バトン部Twinklestarsと重音部BABYMETALと科学部科学究明機構ロヂカ?の3ユニットしかない。間違いなくさくら学院以前から活動していたクッキング部ミニパティは、CDをリリースしていない。BABYMETALが2013年に完全分離して以降は、さくら学院としての年度アルバム・映像作品、シングル曲配信しかしていない。
つまり、さくら学院は、ユニットを売り出すための集合体=ツールではなかった。
もし、さくら学院がBABYMETALを売り出すためのプロモーション媒体に過ぎなかったなら、BABYMETALが飛び立った2013年以降、さくら学院が存続する意味はなかった。
おそらく、KOBAMETALのさくら学院結成に関する発言は、ごくごく初期の、しかもKOBAMETALの主観的なとらえ方であり、実際とは違ったのだろう。会社組織では、あるセクションの設立意図を巡る部課長クラスの見解の相違はよくあることだ。
とはいえ、可憐Girl’sが終わったばかりの頃、つまり2009年上半期に「ド・キ・ド・キ☆モーニング」や「イジメ、ダメ、ゼッタイ」や「紅月-アカツキ-」が作られたという発言は聞き捨てならない。
これが事実だとしたら、中元すず香が2010年11月26日のさくら学院日誌に書いた「最初の仮歌を聴いたときにかわいい~って思った曲が、アレンジで全く別の曲になったと思ったら、ダンスがついてまた雰囲気が変わって…」「部員もぁっと驚くくらいかわゆぃですよ」という文章の元になった出来事は、そのはるか前のことだということになる。

https://ameblo.jp/sakuragakuin/entry-10719087116.html?frm=theme

 

 

おそらく、KOBAMETALが言っている「さくら学院の前にあったBABYMETAL」とは、実態としてはSU-METALのことを言っているのではないか。彼女をメタルアイドルとしてデビューさせるために「ド・キ・ド・キ☆モーニング」が作られたのは、「2010年以前」かもしれないが、水野由結と菊地最愛を「SU-の回りで踊る天使」として選び、メタルアレンジとダンスを加え、本格的に三人でレッスンを始めたのは、やはりさくら学院ができてからということになるのではないか。
2010年8月の第一回TIFのステージで、青田買いのドルオタの前に初登場し、「大きくなったら人魚か妖精になりたいです」と言っていた水野由結や「大きくなったらスーパーもあちゃんになります」と言っていた菊地最愛が、その時点ですでにキツネサインをしていたとは到底思えない。
さくら学院転入後、水野由結と菊地最愛はTwinklestarsや2代目ミニパティにも参加している。
要するに二人はBABYMETALとして活動するためだけにさくら学院に入ったわけではなかった。
もし、1年前からSU-、YUI、MOAの三人組が、メタルアイドルとして活動を始めていたのなら、第1回さくら学院祭で、BABYMETALと名乗らなかったのは不自然だ。


本当の意味でBABYMETALが誕生したといえるのは、並外れた歌唱力をもつ痩せっぽちの中元すず香に、最年少で赤ちゃんのような水野由結と菊地最愛を加えた三人組が、第1回さくら学院祭で父兄に大好評で、「行ける!」となってからだろう。
確かに、パティシエやミニパティの担当者として、可憐Girl’sの任務完了コンサートに関わったKOBAMETALは、中元すず香という逸材を発見した。
だが、そのコンサートにたまたま観に来ていた水野由結と、『ちゃお』ガールグランプリをとってアミューズ入りした菊地最愛が、「アイドル戦国時代」にアミューズが構想していた「成長期限定ユニット」「学校コンセプト」の新アイドルグループに入り、同学年で双子のようにふるまうことになったのは偶然である。
中元すず香をSU-METALと名乗らせたように、水野由結をYUIMETAL、菊地最愛をMOAMETALとして三人組を組ませたのはKOBAMETALの慧眼だが、よく考えてみると、広島、神奈川、愛知出身のこの三人が出会ったのは奇跡に近い。
2015年のTORILOGYでさいたまスーパーアリーナのS、幕張メッセのM、横アリのYが、それぞれの頭文字だったように、要するに、これこそキツネ様のお導きだったのだ。
なぜなら、三人で集まって本格始動しようとしたとき、KOBAMETALが教えたメロイックサインを、なぜか三人は「影絵のキツネさん」だと思ってしまったからである。
以降、キツネ様は、BABYMETALの守護神として、KOBAMETALが意図していた以上の奇跡をファンに見せてくれることになる。
BABYMETALのプロデューサーはKOBAMETALだが、すべてをコントロールしていたわけではない。
本当のプロデューサーはキツネ様であり、BABYMETALはやはり奇跡のユニットなのである。
(つづく)