10年のキセキ総括編~BABYMETALの意味(1) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日9月28日は、2019年、米ユタ州ソルトレイクシティ公演@The Union Event Centerが行われた日DEATH。

2020年1月に発生した武漢ウイルス禍は、3月12日前後から欧米各国で爆発的に「感染者」「死者」が拡大し、3月20日に予定されていたKnotfest Japan以降のライブはすべて中止となり、BABYMETALは活動休止を余儀なくされた。2020年10月10日に予定されていたMetal Resistance Episode Xもアナウンスのないまま、時間だけが過ぎていく。
ぼくは、汎ヨーロッパツアーから帰国するBABYMETALに向けて、「視聴率を稼ぎたいメディアや、あらゆることをアベヤメロに結びつけたいだけの人々が作り出したマボロシである。」と断じ、「ぼくらは、厚労省や専門家会議の指針通り、うがい・手洗い・消毒・人ごみに出る時のマスク着用、大小に関わらず密閉された場所に集まらないことを心掛け、仮に発熱したとしても風邪かインフルエンザの疑いの方が強いので、37.5℃以上の熱が4日間続かない限り、自宅療養をして、神あるいは進化が人類に与えた力、すなわち体内に抗体ができ、自然治癒するのを待てばよい。不安を煽るマスコミや、ネットにあふれる都市伝説に踊らされ、パニックに陥らないことが何より大切である。」(3月3日付「1、2週間の瀬戸際とは」)と書いた。
この見解は、現在も変わっていない。
不幸にして、安倍政権は「不安を煽るマスコミ」に踊らされ、4月7日に非常事態宣言を発出してしまい、その結果、GDP年率換算27.8%もの経済損失を出してしまった。
この年率は、4月~6月期のGDP前年比を4倍しただけのものであり、7月以降の復興によって年率ではもっと少ない損失にとどまる可能性が高い。だが、いまだに「感染者数」を報道し続け、恐怖を煽り、経済活動を止めようとする勢力がいる。
ハッキリ言っておく。武漢ウイルスは、世間の大方の思い込みとは裏腹に、いつの間にか「ただの風邪」「インフルエンザ」と同じ扱いになり、日常生活が戻ってくるだろう。
「コロナ後の世界」が、これまでと全く違う世界になると力説する識者は多いが、背景を探っていくと、それによって利益を得る関係者ばかりである。
例えばIT関係者。
これからの仕事のスタイルの主流はリモートワークになるとか言っている。馬鹿かと思う。
少額で、評判の定まった商品なら、ネット通販の方がいい。便利であり、リスクは許容範囲だからだ。
だが、高額商品をネットで買う阿呆はいない。数十万円のギターを試奏もしないで買うギタリストはいない。家だって車だってそうだろう。「信用」や「決断」が必要な取引きは、ネットでは完結しない。現物を見て品質を確かめ、売り手の表情を探り、価格交渉を経て売買が成立する。
命がけで海の幸・山の幸を追いかけ、大地を耕して農作物を収穫し、地中深くから資源を掘り出し、その商品を汗水かいて運び、消費者に届ける。労働とはそういうものだ。
古来、人間はそうして生きてきた。「人はパンのみにて生きるにあらず」は真実だが、人間は言葉だけで生きていくことはできない。
ITとは、せんじ詰めれば事務作業の効率化に過ぎない。紙ベースだった事務作業がデジタル化されることで飛躍的に作業効率が上がり、かつ、ネットワークにつながることで、瞬時に世界中の人々と情報を交換することができるようになった。それによって、紙ベースではあり得なかったコミュニケーションができるようになった。
BABYMETALもその恩恵を受けている。
だが、情報は現物そのものではない。Information Technologyは人と人のつながり、モノとモノの交換をサポートするツールに過ぎない。それで人々を分断したまま支配できると考えるIT関係者がいるとしたら、それは大いなる驕りであって、事務方の長を表す「書記長」=官僚のトップが、指導者=独裁者として人々を支配する共産主義体制の萌芽であるといっていい。
ちょっと考えればわかるが、停電すれば終わりのパソコンやネットワークに命を預けるわけにはいかない。生身の人間は、これまで通り、生身の人間と共に生きていくのだ。身体性を伴わない議論はすべて「机上の空論」「書生の夢想」に過ぎない。
遅かれ早かれ、今後は各国とも、医療マフィアやメディアの金儲けや、政治的に利用されてきた武漢ウイルス禍の本質に気づき、感染症としての社会的リスクを見極めつつ、普通の国民生活、経済活動に戻ろうとするベクトルが必ず大勢を占めるようになるだろう。武漢ウイルス禍を考える際、必要なのは算数と哲学であって、政治思想とビジネス感覚は百害あって一利なしである。
BABYMETALだけでなく、すべてのアーティストが、これまでどおりのライブ活動を再開する日がくる。
それまでのしばしの間、ぼくらができることは、この10年間の歩みを振り返り、BABYMETALがこの世に降臨した「意味」を再確認することだろう。

BABYMETALが結成された2010年は、“アイドル戦国時代”の真っただ中だった。
当時のアイドル界の状況は、現在とは全く違っていた。
モーニング娘。は結成13年目で、高橋愛、新垣里沙、亀井絵里、道重さゆみをメインとした「プラチナ期」だった。この年、缶コーヒーのCMで、初期メンバーの中澤裕子、飯田圭織、安倍なつみ、保田圭、矢口真里、小川麻琴、藤本美貴の7人が限定ユニット「アフタヌーン娘。」を結成し、「モーニングコーヒー」をアレンジしたCMソング「アフタヌーンコーヒー」を披露していた。これはモーニング娘。といえば初期メンバーという存在感があったためと思われる。だがこの年、「JC&JK女子中高生女優オーディション」が開催され、小学校6年生で、アクターズスクール広島出身の鞘師里保が合格していた。鞘師里保は翌年2011年には9期生として加入、卓越したダンスと存在感で、第二次黄金期の“エース”として2015年まで在籍することになる。
AKB48は結成5年目で、前年2009年にスタートした「シングル選抜総選挙」が国民的な話題となり、14thシングル「RIVER」が初めてオリコン1位を獲得した。2010年の16th「ポニーテールとシュシュ」、17th「ヘビーローテーション」は初動50万枚を超え、18th「Beginner」は100万枚を記録した。以降、現在に至るまですべてのシングル曲がオリコン1位、大阪にNMB48、名古屋にSKE48、福岡にHKT48、新潟にNGT48といったように各地に劇場を設け、総勢数百人のメンバーを擁する一大帝国を築き上げていった。
アイドリング!!!は結成4年目で、フジテレビCS放送の深夜の帯番組『アイドリング!!!』に出演し続け、2010年に始まった東京アイドルフェスティバル(TIF)では、ホストグループを務めた。


ももいろクローバーは結成2年目で、代々木公園での路上ライブ、全国の家電量販店を巡る車中泊ツアーなどを経て、2010年5月リリースのメジャー1stシングル「行くぜっ!怪盗少女」がオリコン3位となり、12月に行われた定員1200人の日本青年館ライブがSOLDOUTした。翌2011年、早見あかりが脱退し、5人組のももいろクローバー「Z」となり、AKB48と人気を二分するアイドルグループに成長していく。
2010年には、こうしたグループの活躍に刺激されて、様々な芸能事務所がアイドルグループを手掛け、テレビに出るグループからローカルアイドル、地下アイドルに至るまで、一時は1万人ともいわれる少女たちがアイドルグループとして活動していた。でんぱ組.incがメジャーデビューしたのも、ファーストサマーウイカが在籍した第一期BiSの結成も2010年だった。
だが、現在トップアイドルグループとなっている乃木坂46(2011年)、櫻坂に改名する欅坂46(2015年)、そのアンダーグループとして結成された日向坂46(2019年独立)は、2010年には存在しなかった。
いわゆるラウド系アイドルでくくると、ゆるめるモ!(2012年)、PassCode(2013年)、BiSH(2015年)も存在しなかったし、ガールズバンドとしては、SCANDAL(2006年)とGacharic Spin(2009年)はすでに活動を始めていたが、BAND-MAID(2013年)やLOVEBITES(2017年)はまだ存在していなかった。
では、BABYMETALはこの10年で、どのような影響をアイドル界、さらには日本の音楽市場に与えたのか。
ぼくの考えでは、それは大きく3つある。
1)アイドルのコア・コンピタンスの分化
2010年当時のアイドルに求められたのは、地上波テレビでバラエティもこなすタレント性であり、楽曲はその魅力を訴求するツールだったのに対して、高度な歌唱力やダンス力を持つBABYMETALの成功を機に、現在のアイドルは、冠番組で人間的魅力を訴求しつつ、CM・モデルなど商品販促機能を持つ「テレビアイドル」と、あくまでも音楽グループとして、ライブ活動を中心に音楽性や個性そのものを商品とする「アーティスト的アイドル」とに分化した。
もちろん、「テレビアイドル」であっても、楽曲やパフォーマンスにはかなり高度な音楽性が求められるし、「アーティスト的アイドル」の人気は、カワイさだったり、ライブ・パフォーマンスの中で演じられるコケティッシュな部分だったりするから、その境目はあいまいではある。
2)主たる商品の変化
2010年当時、アイドルの主たる商品はCDだった。世界的にCDの売り上げが減少し、ネット配信に移行していく中で、日本はAKBグループの「握手券」「総選挙の投票券」封入によって、ガラパゴス的にフィジカルCDが売れる国であり続けた。だが、それによってシングルランキングの意味が、必ずしも「流行歌」ではなくなり、ももクロやBABYMETALがライブを主たる活動にしたため、「アイドル商品」に占めるDVD・BDのライブ映像作品の比重が大きくなった。乃木坂46を始め、坂道グループも大規模ライブ動員を活動の中心に据えるようになったことで、その傾向はより強くなっている。
3)ニッチ市場から世界市場への進化
構成作家だった秋元康がプロデュースしたAKB48は、T層(男女13歳~19歳)、M1層(20歳~34歳男性)といったテレビ・マーケティング的なアプローチを排し、「秋葉原のオタク」という極めて狭い層を顧客対象とするニッチ市場戦略で成功した。それによって、アニメ・プロレス・農業・野球・鉄道・超常現象・腐女子・ミリタリーマニアなど、極限までニッチを狙ったアイドルグループが多数誕生した。
BABYMETALも80年代ヘヴィメタルファンという極めて狭い層を顧客対象としたはずだが、ヘヴィメタルは世界的には一定の顧客のいるジャンルであり、BABYMETALは欧米のメタル市場に進出することができた。


つまり、日本で狭いと思われていたニッチなジャンルも、世界的に足し上げてみれば、ある程度の市場となることに日本の音楽界が気づいたのだ。そもそも日本のアイドルという存在自体、世界的には一定数の顧客がいるジャンルだった。だが、日本にとどまり、あまりにローカルなジャンルをモチーフとしたアイドルは、対象顧客の高齢化や陳腐化によって、ほとんど消滅してしまった。
本稿では、この3つについて考察をしていく。
(つづく)