10年のキセキ(122) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日9月15日は、2019年、米ニューヨーク州ニューヨーク公演@Terminal 5が行われた日DEATH。

『METAL GALAXY』は、世界中の様々な音楽やダンスをメタルに「融合」し、欧米人のメタル観を覆すBABYMETALの最新作である。
汎ヨーロッパツアー前半で、メタル大国である北欧、ドイツの観客からは、「BABYMETALはポップに堕落した」などという批判は聞かなかった。むしろ、2014年の欧米デビュー以来、メタル界におけるユニークな存在としての成長を喜ぶファンが圧倒的に多かった。
なぜなら、よく聴いてみれば、すべての楽曲に、ディストーションのかかったギターリフや、テクニカルなギターソロが必ず含まれ、ドラムスはBPMの速いブラストビートだし、うねるようなベースラインが入り、ライブは合いの手やモッシュ、シンガロングなど、観客参加が前提となっているのはメタルの特徴だからだ。
BABYMETALは2014年の欧米デビュー時、「BABYMETAL DEATH」をオープニング曲とし、「日出づる国からやってきたメタル魔法少女」というギミックを使っていた。


だが、そのギミックにリアリティは全然なかった。
メタルの守護神キツネ様は、欧米人のキリスト教的価値観から見れば、恐ろしい邪神であるが、その「御使い」だと称するBABYMETALの三人は、幼く、礼儀正しく、Kawaii少女たちだったからだ。
ところが、ステージに上がると、SU-METALの歌唱力やYUIMETAL、MOAMETALの激しいダンスパフォーマンス、白塗りの神バンドの演奏力は驚異的だった。リアリティのないギミックと「本物」であることのコントラストがBABYMETALの魅力の源泉だった。
「FUTURE METAL」で、SU-は「…Are you still playing the Guitar? This ain’t Heavy Metal. Welcome to the world of BABYMETAL」(あなたはまだギターを弾いているの?これはヘヴィメタルではありません。BABYMETALの世界へようこそ)とアナウンスする。BABYMETALの音楽は、ヘヴィメタルではないと宣言しているのだ。
確かに「DADADANCE」は、ユーロビートのリズムと「♪フォー!」という奇声、三人のダンス、MOAのラップは、オールドスクールなメタルとは対極に見える。だが、『METAL GALAXY』にはユーロビートだけでなく、ゲーム音楽、インド音楽、タイの少数民族ラップ、サンバ、シティポップまで、様々な音楽を取り入れ、先述したとおり、メタルの要素と「融合」させた楽曲がこれでもかと詰め込まれている。つまりそれは「新しいメタル」なのだ。
この方法論は、「アイドルを捨ててロック/メタルに挑戦する」という他のアイドルユニットとは正反対のアプローチだった。
アイドルが生バンドを導入し、「ロックだ」「メタルだ」「ハードコアだ」と強調すればするほど、その未熟さが顕わになってしまう。
だがその反対に、あどけない顔をして「ライブ中は神が降臨してるんです」「これはヘヴィメタルではありません」と「ニセモノ」性を強調しながら、卓越したライブ・パフォーマンスを見せつけることで、その「本物」性が浮き彫りになっていく―。その逆説的プロモーションがBABYMETALだった。


少し飛躍して言えば、BABYMETALの存在は、インターネット社会の「リアリティ」のあり方を示す実例でもあった。
1990年代、インターネットが普及すると、誰もが膨大な情報にアクセスし、発信できるようになった。
すると、日本では、今までマスメディアや学校教育で「常識」として教えられてきたこと、あるいは公表されていなかったことも逐一検証され、それらは一定の政治勢力のプロパガンダを代弁していたのではないかという疑いがもたれるようになった。
・「従軍」慰安婦の強制連行?→1997年、朝日新聞は済州島で「慰安婦狩り」をしたという吉田清治証言が虚偽だったと認め、謝罪した。
・北朝鮮は理想の社会?→日本社会党は直前まで認めなかったが、2002年の小泉訪朝で、金正日はアッサリ日本人拉致を認め、5人を帰国させた。
・戦前の日本はアジアを侵略した悪の帝国?→2011年に発行された回顧録『裏切られた自由』で、フーバー元大統領は、ルーズベルトを「狂人」と呼び、スターリンと共謀して日本を開戦に導いたと証言していた。
・戦後民主主義やジャーナリズムは良識人の証し?→ソ連崩壊後にソ連の暗号の解読が進み、『ヴェノナ文書』(アメリカNSA)では、ルーズベルト政権やGHQにソ連のスパイが潜入していた事実が明らかになった。
2005年に出版された『ミトロヒン文書』(イギリスMI6)のひとつ『Mitrokhin Archives II』では、1970年代に日本社会党、日本共産党および大手新聞各社に数十名のソ連のエージェントが潜入していた事実が判明した。(Wikipedia「ベノナ」および「ミトロヒン文書」の項)


高速インターネットが普及した2000年代、ネット動画を表現の場とした情報発信者は、様々な生データをあげながら、マスメディアやアカデミズムの暗部を暴いていった。
マスメディアやアカデミズムには、ネットのような即時/相互の検証機能が欠けており、あくまでも「権威」に依拠するだけだったため、2010年代には「これまでの常識」はリアリティを失っていった。
以降のマスメディア、とりわけテレビ局の偏向報道は顕著になり、発言の一部を切り取ったり、都合の悪いことは報道しなかったりすることが常態化した。ニュース番組では「ネットの危険性」を強調する一方、政権批判ありきで、素人同然のコメンテーターを起用したワイドショー的演出が増えた。素人による「リアリティショー」と称しながら、実は演出であり、悲惨な結果を生んだこともあった。
マスメディアのうさん臭さと危険性は、武漢ウイルス禍でピークに達しているが、一方でぼくらは、その情報操作力の強大さを思い知らされることにもなった。
これに対して、最近の動画発信者の中には「これが真実です」というのをやめる人が出てきた。
その代わりに「この動画は発信者の主観的意見です。データソースは以下に示しますが、内容が正しいかどうかは保証しません。検証は視聴者各自でやってください」と冒頭や説明欄で述べるようになったのだ。
情報の内容を、情報の出処にまつわるメタ情報が否定するという構造だ。
一見不親切なように見えるが、こうすることで、視聴者は、垂れ流しのテレビ報道とは真逆の思考回路で、情報のリアリティを検証するようになった。こういう動画はまだ少数派だし、統計データよりも、印象深い個別事例の方が感情を揺さぶられるという人間心理の本性から、それが多数派になることはないと思うが、それでも日本人がリアリティを感じる評価基準に大きな変化が生じているのだと思う。
例えば、6月以降、PCR検査数の増加で、「感染者」も増え続け、メディアは4月ごろと同じく恐怖を煽っているが、日本国民の多くが、もはやそれにリアリティを感じなくなっている。
武漢ウイルスから回復した庄司智春の動画は真実しか語っていないと思われるが、視聴者の反応は意外なほど薄い。本当は、44歳とはいえ身体を鍛えていたはずの彼が、どういう経路で感染し、どうして重症化したのかという情報を共有しなければならないはずなのだが、彼がやせた体で辛そうに「真実を知ってほしい」と言っても、視聴者はそこにリアリティを感じることができず、「結局生きてんじゃん」「若ければ重症化しても回復するんだ」という感想にとどまる。ぼくの考えでは、それこそ、マスメディアの恐怖煽りの反動だと思う。庄司氏のせいではない。マスメディア不信はそこまで来ているのだ。


それはともかく、BABYMETALのプロモーションはこれに似ている。
「私たちはアイドルとメタルの融合DEATH」→「ホンマかいな」→ライブを見る→「ホンマや!」
「ライブにはキツネ様が降臨してるんDEATH」→「嘘つけ!」→ライブを見る→「ホンマや!」
「これはメタルではありません」→「ホントかな」→ライブを見る→「メタルやん!」
なぜか関西弁になってしまってすまんが、情報をメタ情報が否定するという構造で、ファン自らリアリティを発見させることに成功しているわけだ。
日向坂46の「アザトカワイイ」にも、「カワイイ」のリアリティを巡る価値観の転換があることは、以前指摘した。
1970年代の「カワイイ」が1980年代の松田聖子によってカワイコ「ぶりっ子」に変わり、2000年代のモーニング娘。、AKB48、ももクロの「根性=成長」と、2010年代の乃木坂46秋元真夏の「あざとい」を経て、2020年、一周回って日向坂46の「アザトカワイイ」に釣られるという「カワイイ」のリアリティの変遷である。
日向坂46が強いのは、当時人気絶頂だった欅坂46の握手会で、ひらがなけやきのメンバーが、自分たちのレーンに全然来ないファンを「釣る」ために必死で「ぶりっ子」をやっていたという事実を逆手に取っていることだ。
「ウソっぽさ」や「あざとさ」が「リアル」に変わる―。
これこそ、2020年のリアリティの在り方ではないか。
日本のアイドル界は、社会学や大衆心理学から見れば、メディアや時代状況の変遷とともに、かなり高度な情報戦を繰り広げているのだ。もちろん、ファンはそんなことを考えなくても純粋にアーティストのパフォーマンスを楽しめばいいのだが、こういうことに無頓着なまま、音楽評論家がサブジャンルの分類ばかりしているのは戴けない。
さて、2014年以来、BABYMETALの「メタルらしさ」を受容してくれた「本場」イギリスのメタルヘッズたちは、「…This ain't Heavy Metal」で始まる『METAL GALAXY』を受け入れてくれるのか?
いよいよ、2020年2月19日のグラスゴーを皮切りに、カーディフ、マンチェスター、ロンドンへと南下するUKツアーが始まる。
(つづく)