10年のキセキ 番外編~スターウォーズとBABYMETAL | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日8月19日は、2012年、サマソニ幕張@Side-Show Messeに初出演し、2015年、TBS『NEWS23』に出演した日DEATH。

BABYMETALのライブのオープニングに流れる「紙芝居」は、「A long time ago, in the Metal Galaxy far, far away…」から始まる。
これはもちろんハリウッド映画『Star wars』のパロディ、否、“オマージュ”である。
しかし、日本の「アイドルとメタルの融合」であるBABYMETALが、なぜわざわざハリウッドのSF映画をオープニングに使うのだろうか。単なるKOBAMETALの遊び心なのか。
『Star Wars』フリークにはいわずもがなのことだが、ちょっと整理しておこう。
第一作1977年Episode4
第二作1980年Episode5『帝国の逆襲』
第三作1983年Episode6『ジェダイの帰還』
ここまでが旧三部作(Original Trilogy)と呼ばれ、主人公ルーク・スカイウォーカーがハン=ソロ、チューバッカ、C3PO、R2Dとともに悪の帝国に挑み、双子の妹レイア姫を救出し、ダースベイダー卿と銀河帝国皇帝を倒すまでの物語である。
第四作1999年Episode1『ファントム・メナス』
第五作2002年Episode2『クローンの攻撃』
第六作2005年Episode3『シスの復讐』
1999年に始まった新三部作(Prequel Trilogy)の主人公は、ルークの父親アナキン・スカイウォーカーが成長し、暗黒面に落ちてダースベイダー卿になるまでの物語である。
つまり、新三部作と旧三部作は、物語の時間軸が逆転しているのである。
2015年に始まった続三部作(Sequel Trilogy)は、旧三部作最終話Episode 6の30年後という設定になっている。
第七作2015年Episode7『フォースの覚醒』
第八作2017年Episode8『最後のジェダイ』
第九作2019年Episode9『スカイウォーカーの夜明け』
銀河帝国は新共和国となっているが、帝国軍残党による反乱組織ファースト・オーダーが暗躍し、レイア姫はそれと戦う共和国軍の将軍になっている。一方、ルークは行方をくらまし、隠遁生活をしていた。
主人公は滅ぼされた皇帝パルパティーンの孫娘レイで、敵役はハン・ソロとレイアの息子で、ダースベイダーの孫でもあるカイル・レン。二人は敵対と共闘を繰り返し、ファースト・オーダーの最高指導者スノークを倒すが、カイロ・レンは命を落とし、ヒロインのレイがルークとレイアのライトセーバーを封印して、レイ・スカイウォーカーと名乗るところで終わる。


なお、本編のメインストーリーとは別に、サイドストーリーとして
2016年『ローグ・ワン/スターウォーズストーリー』
2018年『ハン・ソロ/スターウォーズストーリー』
といった映画やテレビシリーズ、アニメシリーズも公開されている。
Episode〇〇という言い方は、Metal Resistance Episode〇〇の元ネタだし、三部作=Trilogyでシリーズ展開するのは、2015年の新春キツネ祭り@SSA、巨大天下一メタル武道会@幕張、Final Chapter of Trilogy@横アリで使われた。
要するに、BABYMETALのギミックには、『Star Wars』の要素が満載なのだ。
なぜ、『Star Wars』がそれほどまでに用いられるのだろうか。
KOBAMETALがそこまで意図していたかは別として、『Star Wars』は、欧米人が考える理想の日本文化が「正義」のカタチとして重要なモチーフになっているからだというのが、ぼくの考えである。
『Star Wars』のストーリーは、高貴な血筋を持ちつつ貧しい境遇に生まれた個人が、愛と勇気と友情をもって巨大な悪の帝国と戦うという、いかにも大衆受けするスペースオペラそのものであるが、そこでプロットのカギになっているのが「ジェダイの戦士」である。
シリーズ第一作で主人公ルーク・スカイウォーカーが弟子入りする師匠は、ジェダイの戦士と呼ばれる特殊な能力を持った集団でマスターを務めるオビ=ワン・ケノービだった。
アレック・ギネス演じるその風貌は、ちっともSF的ではなく、むしろ黒澤明監督の『七人の侍』(1954年)や『隠し砦の三悪人』(1958年)の三船敏郎そっくりである。


彼が着ているローブは渋い色の絹布でできており、ボタンのない合わせ襟で、帯で止めるキモノ風のデザインは、どこか剣聖宮本武蔵を思わせる。ヨーダやクワイ=ガン・ジンなど、ほかのジェダイの戦士も同じようなコスチュームである。これは、強いだけでなく、高い精神性や人生哲学、すなわち「武士道」の象徴だからであり、そのため、彼らの衣装には継ぎはぎや穴があり、着古された風合いを表現している。


一方、敵役のダースベイダーのコスチュームである全身黒ずくめの鎧と黒いヘルメットは、人工呼吸器の音から宇宙服風に見えるが、実は第一作制作中の1975年に、衣装担当者がわざわざ仙台市立博物館から、伊達政宗所用の「黒漆塗五枚胴具足」の写真を取り寄せてデザインされた。伊達政宗の兜の上の三日月の鍬形前立てをとれば、ダースベイダーそのものになる。


鎧兜は「武士」の戦闘服であり、オビ=ワンの衣装のシンプルさと対比して、かつてジェダイの戦士だったがその対立概念であるシスの暗黒面に落ちたダークベイダーの恐ろしさ・強さ・孤独を表している。


ジェダイの戦士の武器であるライトセーバーは、もちろん日本刀の進化形態であり、フォースとは「気」みたいなものだろう。
原作者であり監督であるジョージ・ルーカスは、戦後アメリカ人の男の子として、新渡戸稲造以来、欧米で「日出づる国の神秘」とされた日本の侍文化に憧れており、映画監督としては黒澤明を尊敬していた。
ちょっと深読みすれば、「ルーク」とは、ルーカス自身のことであり、ジェダイの戦士とは、少年の頃憧れていた「武士」のことなのだ。
『Star Wars』のストーリー自体、男の子のごっこ遊びみたいなものであり、独裁者が支配する悪の帝国対自由意志を持つ個人というわかりやすい勧善懲悪の物語であるが、1970年代という時代を考えると、悪の帝国とは紛れもなく仮想敵国=ソ連であり、ジェダイの戦士が「武士」だとすると、主人公ルーク=アメリカ人が、わずか30年前に戦った日本の「武士道」に学ぶという構造になっていることに気づく。
『Star Wars』は、戦後30年を経て、悪の帝国=共産主義と戦うために、日米が共闘する映画だったのだ。
BABYMETALがライブのオープニングに「A long time ago…」と始まる「紙芝居」を持ってくるのは、『Star Wars』で日米が共有した「文化的な友情」を表しているからではないか。
さて、ここまでは導入部である。
1999年から2005年に公開された新三部作の主人公、ダースベイダーについて考えてみると、この映画がアメリカ人の深層心理に与えた影響の大きさと、単なる偶然とは思えないBABYMETALのギミックとの共通点が浮かび上がってくる。
ダースベイダーは、かつてオビ=ワン・ケノービの弟子であり、パドメ・アミダラとの間にルークとレイアを生んだ実の父親、アナキン・スカイウォーカーだった。
アナキンは奴隷の身分に生まれたが、歴代ジェダイ戦士最強のフォースを持つとされ、ポッドレースで優勝し、9歳でC3-POを作ってしまうほどの天才でもあった。アナキンの才能を見出した最初の師匠クワイ=ガン・ジンは、彼を“選ばれし者”=「The Chosen One」と呼んだ。
これはいうまでもなく、THE ONEが用いるChosen One(2016年)、Chosen Five(2017年)、Chosen Seven(2018年)の元ネタである。
クワイ=ガン・ジンがシスの暗黒卿ダース・モールに殺害された後、師匠オビ=ワンのもとで育てられたアナキンは、成長すると正式にジェダイの戦士に昇進し、オビ=ワンとともに活躍する。
だが、ジェダイの掟でパドメ・アミダラとの恋愛を禁じられ、ジェダイ評議会の政治的態度にも不満を募らせたアナキンは、元老院議長パルパティーン=暗黒皇帝ダースシディアスの勧誘によってフォースの暗黒面に落ちる。
そして、師匠オビ=ワンとの決闘に敗れ、手足を失い全身やけどを負って瀕死の状態になり、暗黒皇帝ダースシディアスによって機械の身体を与えられ、ダースベイダー卿となるまでがEpisode1-3のストーリーである。
『Star Wars』は大衆娯楽作品だから、背景や主人公の境遇は、観客に直感的に理解され、感情移入できるものでなければならない。
物語の舞台である銀河帝国は、アメリカ合衆国ないし現代世界のアナロジーである。
アナキンが奴隷の身分に生まれたということは、ジョージ・ルーカスが、アメリカにも奴隷=人種差別があることを意識していたということに他ならない。アメリカ人観客にとっても、優れた能力を持ちながら差別され、上昇志向に身を焼かれるアナキンは非常に人間臭く、悪役ながら感情移入できるのは、そういう人物像が身近に感じられるからだろう。
そして、元老院議長でありながら、ダークフォースを使って帝政を敷くパルパティーン=ダースシディアスは、さながら善良な政治家を装いつつ、裏で世界を動かしているディープ・ステートのドンではないか。
しかもEpisode1-3では、ジェダイ評議会は、共和制だった銀河連邦で一定の地位を占め、是々非々の判断をする政治勢力として描かれており、アナキンがそうした態度に不信感をいだくのがフォースの暗黒面に落ちる重要な伏線になっている。そうなるとジェダイの戦士が「高潔な武士」のことだとは単純にいえなくなる。
むしろ、少数でありながらアメリカ社会の上層部に食い込み、政治状況を左右するユダヤ人グループの方が『Star Wars』でのジェダイ評議会のイメージに近い。
アナキン・スカイウォーカー=ダースベイダーは、現実のアメリカ社会でいえば、貧しい生まれだが、高い能力を持つためユダヤ人グループの奨学金で育てられ、高度な科学技術や政治力を得た人間でありながら、野望に駆られてディープ・ステート/親中派の幹部になった男といった感じだ。


だが、旧シリーズ最終話のEpisode 6では、息子であるルークが皇帝に追い詰められて助けを求める声を聞いたベイダーは「ジェダイの心」を取り戻し、皇帝を裏切って息子を救ったのち、アナキン・スカイウォーカーとしての素顔を見せて死ぬ。これがDarksideからLight sideへの「ジェダイの帰還」というEpisode 6のサブタイトルの意味であり、BABYMETALの2018年Dark sideと2019年Light sideの元ネタでもある。
めでたしめでたしだが、よく考えてみるとアナキン=ダースベイダーは、いい人なのか、とことん裏切り者なのかわからない。アナキンは育ての親である師匠オビ=ワン・ケノービを裏切ったが、皇帝パルパティーン=ダースシディアスもまた、オビ=ワンに敗れて瀕死の重傷を負ったアナキンに機械の体を与え、ダースベイダー卿にしてくれた命の恩人だったのだから。
つまり、新三部作でジェダイとシスという対立概念に葛藤するアナキン・スカイウォーカーは、自由主義を守る世界の警察なのか名誉ある孤立を貫く善良な田舎者なのか、共和党なのか民主党なのか、古き良きアメリカなのか多文化主義なのかといった様々な対立軸で揺れ動く、アメリカ人の「迷い」そのものを象徴した人物として造形されているのではないか。
旧三部作は1977年~1983年の冷戦時代に公開されたが、新三部作は冷戦終結後の1999年~2005年に公開されている。時間軸が逆なのだが、皇帝ダースシディアス=パルパティーンが帝政を敷くまでの新三部作は、すなわちアメリカが唯一の超大国になるまでの物語であり、そこから旧三部作が始まり、ルークたちの活躍によって銀河帝国が23年で滅びるというのが、Episode1から6までを通した物語のあらすじである。
アメリカが唯一の超大国=銀河帝国になったのは、ソ連が崩壊した1991年。
それから23年後の2014年、BABYMETALは欧米デビューした。
そしてそのオープニング「紙芝居」は「A long time ago, in the Metal Galaxy far, far away…」だった。
つまり、BABYMETALは第一作のルーク・スカイウォーカーの役目を担い、皇帝ダースシディアスに支配された銀河帝国、すなわちアメリカ合衆国=現代の世界を解放する戦いを“オマージュ”して降臨したのである。
では、BABYMETALの欧米デビュー後の2015年~2019年に公開された続三部作はどうか。
続三部作は、旧三部作のEpisode 6から30年後が舞台で、パルパティーンの孫娘レイとダースベイダーの孫カイル・レンの物語である。
カイル・レンはジェダイマスターになっていたルークの甥としてその教えを受けたのだが、祖父と同じく、暗黒面に落ちて帝国の残党からなる「ファースト・オーダー」の頭目にのし上がる敵役である。
だが、最後にはレイを助けて命を落とす。ヒロインのレイは逆にシスの暗黒皇帝パルパティーンの血を引きながら、「正義」を全うしてジェダイの後継者=スカイウォーカーとなる。


これは、カイロ・レンに象徴されるアメリカ人の「迷い」は続いているが、世代が変わり、もともとの出自は違ってもジェダイ=「武士」の克己心をもって、暗黒面=全体主義に屈せず、自由意志を貫くヒロインこそアメリカの選ぶべき道だというメッセージのように思える。
だから、ジェダイマスターならぬメタルゴッドの継承者であるBABYMETALは、2019年の全米横断ツアーから、欧米ツアーでは、結局いい人だったダークベイダー=Chiris Kellyとカイル・レン=C.J. Masciantonio、その手下のRed Guard=Clinton Tustinをバックバンドに従えているのだ。
ちなみに、2019年12月20日に公開された続三部作最終話のEpisode9『スカイウォーカーの夜明け』の英語タイトルは、「THE RISE OF SKYWALKER」であるが、BABYMETALの2019年6月横アリ公演の「BABYMETAL AWAKENS - THE SUN ALSO RISES -」と7月のPMなごや公演の「BABYMETAL ARISES -BEYOND THE MOON」というタイトルは、それより半年も早い。どちらもRISEという言葉に、「夜明け」「復活」「再上昇」といった意味が込められている。
もちろん、BABYMETALのオープニング「紙芝居」は『Star Wars』のイメージを面白がって“オマージュ”しているだけなのだが、この映画がアメリカ人の深層心理に与えている影響の大きさを考えると、それは大正解だったといえるだろう。
2019年5月7日、ウォルト・ディズニー・スタジオは、『Star Wars』の新たな三部作を、2022年12月から毎年1作のペースでリスタートすると発表した。勝手に予想すれば、ストーリーのどこかに「銀河連邦に蔓延する疫病」が入るんだろうな。『Star Wars』はフィクションだが、大衆娯楽作品である限り、現実社会と地続きなのだから。
Episode 9で終わりではないのだ。
BABYMETALもそうだ。