10年のキセキ 番外編~文化的盗用について | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-


★今日のベビメタ
本日8月11日は、2013年、サマソニ2013大阪@舞州特設会場に出演した日DEATH。

昨日、香港の“民主の女神”こと周庭(アグネス・チョウ)氏が、「香港国家安全維持法」違反により、自宅で逮捕された。https://www.youtube.com/watch?v=eR5y9_fwjOE


この日逮捕されたのは、周氏のほか、民主派の新聞社Apple Dailyの創業者智英(ジミー・ライ)氏ら10名。
これについて、アメリカのポンペオ国務長官は、自身のTwitterで「I’m deeply troubled by reports of the arrest of @JimmyLaiApple under Hong Kong’s draconian National Security Law. Further proof that the CCP has eviscerated Hong Kong’s freedoms and eroded the rights of its people.」(Jaytc訳:私はジミー・ライの香港国家安全法による逮捕の報を深く憂慮している。中国共産党が香港の自由を奪い、人々の権利を踏みにじっていることのさらなる証拠だ)とコメントした。
周氏とともに活動してきた香港衆志(デモシスト、7月1日解散)元党首で、イギリス滞在中の羅冠聰(ネイサン・ロー)氏は、日本語のツイッターで、「アグネスは一緒に闘ってきた友人の一人です。独裁政権である中国共産党(CCP)は国安法違反「国家分裂」の容疑で23歳の女性を逮捕。彼女は無罪だが、無期刑を受ける可能性がある。日本の皆様のサポートが必要です。」と書き込んだ。
Twitterでは、#FreeAgnesがトレンド入りしている。中国共産党独裁政権は、今や世界の「敵」となった。

2019年10月11日、BABYMETALの3rdアルバム『METAL GALAXY』が世界同時リリースされた。
日本盤は2枚組16曲、EU/US盤は「BxMxC」と「↑↓←→BBAB」を除く1枚組14曲という構成だった。
このアルバムの特徴を一言でいうなら、「なんじゃこりゃ!?の逆襲」であり、BABYMETALの音楽性をより進化させたものだといえる。
BABYMETALの音楽性とは、
1)Kawaii日本のアイドルが、
2)重低音のパワーコード・リフやツインギターの速弾き、疾走感のあるドラムス、グロウルといったヘヴィメタルの要素を、
3)高度なアレンジ手法で、アイドルソング、童謡、ダンス音楽、ラップといった音楽と「融合」させ、
4)歌・ダンス・演奏をすべて「生」で行う
ことにより、観る者、聴く者を「なんじゃこりゃ!?」と驚かせ、魅了するものである。
この4つのどれが欠けても、BABYMETALにはならない。
『METAL GALAXY』は、BABYMETALが「メタルの銀河」を旅していくコンセプト・アルバムであり、ぼくの勝手な分類では、
・近未来/SF的…「FUTURE METAL」、「Elevator Girl」、「BxMxC」
・エスニック…「In The Name Of」、「Shanti Shanti Shanti」、「PA PA YA!!」、「Oh! MAJINAI」、「Kagerou」
・日本のバブル期/ゲーム音楽…「DA DA DANCE」、「Brand New Day」、「Night Night Burn!」、「↑↓←→BBAB」
・Djent/プログレッシヴ/パワーメタル…「Distortion」、「Starlight」、「Shine」、「Arkadia」
といったバリエーション豊かな「新しいメタル像」、「メタルの可能性の拡張」を訴求している。
オールドスクールなメタルヘッズの中にはこの手法を「大衆化」「ポップ化」だと考える人もいて、ドイツのロック系メディアである『HARDLINE』のAlexander Stock はアルバム評で「0点」をつけた。もちろんそれは好みの問題で、こういう人がいても一向に構わない。
ただ、より深刻な問題は、エスニックな音楽を「BABYMETAL化」することを「文化的盗用」だと批判的にとらえる評者が現れる可能性があることである。
「文化的盗用」はポリティカル・コレクトの一つで、Wikipediaによる定義は以下のとおり。
―引用(下線部Jaytc)―
「文化の盗用」(Cultural appropriation)とは、ある文化圏の要素を他の文化圏の者が流用する行為である。少数民族など社会的少数者の文化に対して行った場合、論争の的になりやすい。流用の対象となる文化的要素としては宗教および文化の伝統、ファッション、シンボル、言語、音楽が含まれる。
社会的少数派の文化から流用された要素は多数派に所属する者たちによって元の文脈から外れて使用され、時には少数派が明示的に示した希望に反する形で使われることもあることから、文化の盗用はアカルチュレーション(Jaytc註:異文化の融合)や対等な文化交流とは異なり植民地主義の一形態であるとされる。
また、文化的な要素が元の文脈から切り離され本来の意味が失われたり歪められたりすることは、流用元の文化に対する冒涜であるという指摘もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AE%E7%9B%97%E7%94%A8
―引用終わり―
この定義のポイントは、文化を流用する者が多数派=「強者」であり、流用元が少数派=「弱者」である場合に限って、「植民地主義の一形態」「冒涜」「文化的盗用」に当たるとしていることだ。
逆に言えば、「弱者」が「強者」の文化を学ぶことは「文化的盗用」には当たらない。
例えば、日本人が欧米の文化であるロックやメタルを学び、日本の伝統的な音楽とミックスしてオリジナルな音楽を創り出すことは、二つの文化がまじりあう「アカルチュレーション」(異文化の融合)であって、「文化的盗用」ではないわけだ。
では、この定義の最も重要なポイントである「強者」と「弱者」をどう見分けるのか。
2013年、AMA(アメリカン・ミュージック・アワード)で、胸元の大きく開いたキモノ風コスチュームを着て、唐傘を持ったケイティ・ペリーが、鳥居や提灯をバックに、着物姿のダンサーや和太鼓をたたくパフォーマーとともに「Unconditionally」を歌い踊ったことが、終演後「文化的盗用」だとされて「炎上」した。


確かにそのステージは、タイのロイクラトン(盆送り気球)や、中国風のド派手な巨大扇が登場するなど、伝統的日本文化とはかけ離れており、日本人から見れば「噴飯もの」ではある。だが、ケイティ・ペリーは大の親日家であり、AMAのライブも、ショーアップのために誇張されたアメリカ人向けの日本趣味として観れば、素晴らしいものだった。それでもケイティ・ペリーは「文化的盗用」を行ったとして叩かれた。なぜか。
日本はGDP世界第三位の先進国だが、実はエスタブリッシュメントが多い「文化的盗用」論者からすれば、GDP世界第一位のアメリカ人にとって、日本人および日本文化は守られるべき「弱者」なのである。
だから、欧米メタルの様々な要素をJ-POPに融合している限り、「弱者」であるBABYMETALの音楽は、「文化的盗用」とはみなされない。
もちろん、日本人であるBABYMETALが、自身の文化であるキモノ風のガウンで登場し、「♪ソレソレソレソレ!」と踊る「メギツネ」や空手をモチーフにした「KARATE」が非難されることもない。
だが、この定義に従えば、同じBABYMETALが、人口は多くても経済的に先進国とはみなされないインド音楽の要素を取り入れた「Shanti Shanti Shanti」や、タイ少数民族の伝統的ラップ「モーラム」をフィーチャーした「PAPAYA!!」、南米先住民の音楽を取り入れたセパルトゥラの『ルーツ』を思わせる「In the Name of」、東欧のポルカを取り入れた「Oh!MAJINAI」は、間違いなくアウト=「文化的盗用」だということになる。
しかし、「文化的盗用」に敏感な人々は、本当にこの定義によって、事象の可否を決めているのだろうか。
今年7月17日に、PlayStation4ゲーム「GHOST OF TSUSHIMA」(ソニー・インタラクティブ・エンターテインメント、SIE)が発売された。


舞台は13世紀後半の対馬。
史実に基づき、蒙古襲来(文永の役)の緒戦で、対馬藩の武士が全滅した後、一人生き残った主人公の侍が、対馬を守るため孤軍奮闘するというストーリーである。
開発者は、SIE傘下のアメリカ人ゲームスタジオであるサッカーパンチプロダクションズ。対馬の自然の美しさや柳生流の殺陣をキャプチャーした戦闘シーンのリアリティ、ロード時間の驚異的短さなどが高く評価され、発売から3日間で全世界累計実売本数240万本を突破した。
ところが、この「GHOST OF TSUSHIMA」を「文化的盗用」であると非難する人々が現れた。
開発者がアメリカ人であり、日本の「武士道」や「侍の美学」を「文化盗用」しているというのである。
「武士道」は、日本人の価値観を説明する概念として、明治時代に国際連盟事務次長であった新渡戸稲造が『Bushido: The Soul of Japan』(1899年)を英文で出版して以来、欧米人の憧れだった。
2003年に公開されたハリウッド映画『The Last SAMURAI』(主演:トム・クルーズ、渡辺謙)も、そうした日本文化に対する憧れから制作された。正直言って、この映画は史実とはかけ離れており、侍や忍者になりたいアメリカ人男子中高生のファンタジーに過ぎないが、これを「文化的盗用」だとして非難する声は全くなかった。
しかし、「GOHST OF TSUSHIMA」については、SNS上で次のような意見が書き込まれ、支持するゲーマーと大論争が巻き起こった。
―引用―
I'd like to add that those in Japan have a stake in this. This is a story they want told. Non Japanese Asian and Asian Americans who suffered at the hands of Japanese Imperialism will feel VERY differently.(日本に住む者達も利害関係にあると付け加えておきたい。日本帝国主義の手によって苦しめられた日本人ではないアジア人とアジア系アメリカ人は日本とはかなり違う形で感じるであろう。)
i'm so exhausted because japanese nerddom media has had a problem with glorifying japanese nationalism for like, basically forever and it's not like it's a SECRET that japanese fascists exist(永遠くらいに昔から日本のオタクメディアは日本の愛国心を賛美する問題を抱えているから本当に疲れる。ファシストな日本人が存在するのは秘密でも何でもない。)
―引用終わり―
この人たちは、日本人、とりわけ若年のゲーマーが「GOHST OF TSUSHIMA」によって「愛国心」を燃え上がらせることが気に入らないのだ。最初の書き手は日本風の苗字を名乗っているが、「日本帝国主義の手によって苦しめられた日本人ではないアジア人とアジア系アメリカ人」という自己言及が、その正体を明らかにしている。語るに落ちるとはこのことである。
史実に即していえば、元寇とは、13世紀にユーラシア大陸の大半を占領していたモンゴル帝国(元朝)が、1259年までに高麗を征服し、侵攻のための船を建造させ、樺太にいた狩猟民のアイヌ人(骨嵬)を攻撃したのち、高麗軍を主体として、二度にわたって日本に武力侵攻した出来事であり、1274年の第一回侵攻を文永の役、1281年の第二回侵攻を弘安の役という。
文永の役の緒戦である対馬侵攻は次のような経緯をたどる。
1274年10月3日、モンゴル人の忽敦を総司令官とし、漢人の劉復亨と高麗人の洪茶丘を副将とした主力軍と、高麗人の金方慶が率いる高麗軍および女真軍の連合軍約3万人が約800隻の船に分乗して朝鮮半島の馬山を出航。
10月5日に対馬の小茂田浜に1,000人ほどの元軍が上陸し略奪を始めた。
対馬守護代・宗資国率いる80騎の家臣団が応戦したが、全滅させられた。捕虜とされた対馬の女性は手のひらに穴をあけられて鎖を通され、のちに帰還した将兵たちに奴婢として山分けされ、男女の子ども200人が、忽敦によって高麗国王に献上された。(『八幡愚童訓』および『高麗史』金方慶伝による)
10月14日、壱岐でも同じような悲劇が繰り返されたが、10月20日に博多に上陸した元軍は、待ち構えた九州の御家人たちの奮戦によって侵攻を阻まれ、兵站が維持できなくなったため、結局、撤退した。
7年後の1281年、南宋を征服したフビライは、元・高麗軍を主力とした東路軍約5万人、旧南宋軍を主力とした江南軍約10万人を動員し、軍船4400艘の軍で再度日本侵攻を企てた。
だが、7年の間に、水城と呼ばれる防壁を博多一帯に構築していた日本軍の前に、上陸侵攻できなかった元軍は洋上で暴風雨に遭遇して壊滅した。こうして二度にわたる元寇は失敗に終わり、元朝は衰退していくことになる。
ちなみに、元軍は元寇後も樺太のアイヌ人(骨嵬)を数度にわたって攻撃したため、アイヌ人は南下し、鎌倉中期以降、北海道に移動した。アイヌ語の文法や数詞は日本語との共通点がなく、縄文遺跡から発掘される道具や習俗、宗教も異なるため、「アイヌ人は日本に先住していた原日本人である」というのはフィクションである。
失敗したとはいえ、『元史』や『高麗史』では、この日本侵攻を「征東」「東征」「征日本」「日本之役」などと表記している。つまり、元寇とは1274年と1281年に実際に起こった中国・朝鮮人連合による日本への計画的な武力による侵略戦争なのだ。
「GOHST OF TSUSHIMA」で、中国・朝鮮人が「敵」として描かれるのは、第二次大戦テーマの小説・映画・ゲームの「ドイツ軍」や「日本軍」と同様、当然である。
だが、対馬侵攻は、第二次大戦ほど世界に知られていなかった。だからこそ、彼らは負の歴史的事実をもとにした「GOHST OF TSUSHIMA」の世界的ヒットを「不快」に思い「文化的盗用」だと騒ぎ立て、ネガティブキャンペーンで、あわよくば発売中止に追い込もうとしているのだ。
要するに、この人たちは「文化的盗用」という概念を、「強者」による「弱者」の搾取という「定義」に当てはまるかどうかではなく、「現在の政治的立場」を補強するために利用しているに過ぎない。
そもそも、「文化的盗用」という議論は、アメリカで被差別的状況に置かれたネイティブ・アメリカンの文化を、1960年代後半~1970年代の白人ヒッピー・ムーヴメントが称揚し、ファッション化・商品化したことへの「弱者の抗議」「補償要求」として始まった。
その限りでは一理あるが、政治的・経済的強者が、すべての被支配者の文化を取り入れてはならないということにしてしまうと、人類の文化や生活様式の融合・発展はなくなってしまう。
カレーライスは、植民地時代にインド料理にインスパイアされたイギリス人が考案した「カレーシチュー」を日本人がさらにアレンジして作ったものだ。今年Coco壱番屋はインドにチェーン展開するが、あれは「文化的盗用」なのか。
日本文化に憧れたアメリカ人やアジア系移民が経営する空手・柔道の道場や、寿司・ラーメンのお店は「文化的盗用」なのか。
音楽で言えば、The Beatlesがインド音楽や哲学を学んだのは不当な「文化的盗用」なのか。
ミシシッピ・デルタ・ブルースやR&Bを学んだThe Rolling Stonesやエリック・クラプトンやブリティッシュ・ロックバンドは、すべて黒人文化を搾取した「文化的盗用」だったのか。
そんなことはない。
「強者」だって、「弱者」に学ぶのだ。
ハッキリ言おう。文化を政治的・経済的地位に従属させて考えるのは、「上部構造は下部構造に規定される」(『経済学批判・序』1859年)というマルクス主義の応用に他ならない。
「GOHST OF TSUSHIMA」を「文化的盗用」だと言っている人たちは、表現の自由を否定し、すべてを政治闘争の枠組みに変換する共産主義のロジックに呪縛された「民主の女神」を逮捕する人たちのお仲間なのだ。
「マルパクリ」や、オリジナルの保有者の意志に反して大儲けするなら、「著作権違反」「搾取」に違いなく、資本主義の範囲内でも補償を求めるのは当然である。だが、敬意をもって「弱者」の文化や生活様式、哲学=スピリットを学び、自らの生き方や表現に取り入れるのは、断じて不当な「文化的盗用」ではない。
したがって、BABYMETALが「Shanti Shanti Shanti」でボリウッドメタルを、「PA PA YA!!」でモーラム・ラップを、「In the Name of」で南米先住民のリズムを、「Oh!MAJINAI」で東欧のポルカを取り入れたところで、「文化的盗用」であると非難されるいわれはどこにもない。
むしろ、さまざまなジャンルの音楽を取り入れ、BABYMETALミュージックとして昇華させたクリエイティヴィティこそ称賛されねばならないはずだ。
何度も繰り返すが、それを「メタルではない」「ポップ寄りになった」と考えるのは自由である。
だが、「文化的盗用」だというのは、明らかに政治的な意図による「ためにする批判」だ。
そのことは表現の自由を守るために、しっかりと確認しておかねばならない。