10年のキセキ(67) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

本日6月26日は、2014年、TBS「NEWS23」のBABYMETAL特集で稲田朋美大臣と対談し、2015年、YouTubeのHikakin TVにゲスト出演した日DEATH。

翌日の2017年9月27日には巨大キツネ祭り@SSA二日目が行われた。
セットリストは以下のとおり。
1.    BABYMETAL DEATH
2.    ギミチョコ!!
3.    メギツネ
4.    ヤバッ!
5.    紅月-アカツキ-
6.    GJ!
7.    シンコペーション
8.    META!メタ太郎
9.    イジメ、ダメ、ゼッタイ
10.    KARATE
11.    ヘドバンギャー!!
12.    Road of Resistance
13.    THE ONE English Ver.
神バンド:藤岡幹大(G)、BOH(B)、青山秀樹(D)、大村孝佳(G)
前日との違いは、2曲目が「ド・キ・ド・キ☆モーニング」から「ギミチョコ!!」に変わり、5曲目のSU-ソロが「Amore-蒼星-」から「紅月-アカツキ-」へ、6曲目のBBM曲が「4の歌」から「GJ!」に変わったことである。
10月14-15日の大阪城ホールでは、2曲目が「ギミチョコ!!」に固定され、SU-ソロとBBMが、「Amore-蒼星-」―「GJ!」、「紅月-アカツキ-」―「4の歌」の順列組み合わせになるというだけで、全体的には大きなセトリの変更はなかった。
当日、ぼくは初めて二女をBABYMETALのライブに帯同した。当時彼女は小学校6年生で、諸事情から田舎の養護施設に居たため、小学校の終業時間にそこまで迎えに行き、車でさいたま新都心まで連れて行ったのである。
子ども連れなので、今日は2階上手側のモッシュッシュシート。そこからステージのデザインがよく見えた。
十字架型の照明がメタリカの「Master of Puppets」のジャケットを思わせる。五面スクリーンの導入はメタリカのソウル公演にインスパイアされたものだからつじつまが合っている。
前日には見えなかったが、舞台中央のスッポン部分には赤いルーン文字風のデザインがなされていた。
定刻。前日同様、黒キツネ=「Metal Heads」、赤キツネ=「メギツネ」、金キツネ=「黄金の子狐」、銀キツネ=「世代を超えたメタルの魂」、白キツネ=「真の姿を取り戻した白狐」という五大キツネを紹介する「紙芝居」が始まり、神バンドの4人が定位置につく。
SEが高まると、青山神のシンバル4つ打ちから「BABYMETAL DEATH」が始まった。
「♪キュイーン」というピッキングハーモニクス音とともにSU-、YUI、MOAの三人が舞台中央のスッポンから降臨。その瞬間、場内は大歓声に包まれる。
前日同様、SSAは巨大な「小箱」と化していた。2階席から見ると2万人の観客全員が「B!A!B!Y!M!E!T!AL!」と声を合わせ、完全に一体化してベビメタ体操をしている。ギターソロになると、早くもアリーナの各ブロックでサークルピット発生した。
そっととなりの次女をうかがうと、固まっている。初音ミクのライブには何度か行ったのだが、普段は離れている父親に巨大秘密結社の集会に連れてこられたような感じだったのかもしれない。
大歓声の中、「Give me…Give me…Give me…」というSEが流れる。前日には珍しくセトリから外れていた「ギミチョコ‼」である。
ここでも五面のスクリーンの映像が演出に使われ、SU-、YUI、MOAが瞬時に入れ替わる。三人はいつものようにステージ中央で踊り、客席も「ズッキュン」「ドッキュン」と合いの手を入れているのだが、バックの映像がめまぐるしく入れ替わり、Kawaii+エクストリームという楽曲の世界観が拡張された感じを受けた。
ギターソロパートでは、SU-が、「Clap your hands! Saitama Super Arena!」と煽り、YUI、MOAがニコニコ顔で手拍子を促すが、間奏部の煽りはなかった。3番の「♪あたたたたーた」のところで、MOAが指をSU-のほっぺに完全に突き刺してニコニコ顔、SU-も目をクルクルさせてそれを受け、YUIは少し離れたところから二人をいつくしむように微笑んでいた。
前述したように、「ギミチョコ!!」は大阪城ホール2公演でもセトリに入り、これ以降の曲も共通だったので、巨大キツネ祭り@大阪城ホールに参戦した方はこの限りではないが、ぼくのようにSSAしか行かなかったメイトにとっては、結局この日がYUIMETALの見納めとなった。
3曲目「メギツネ」。YUIはMOAと息の合った阿吽の狛キツネポーズをとり、キツネサインを観客に突き刺し、三人が空中浮遊するように「ソレソレソレソレ」と踊った。それに合わせてアリーナの観客がジャンプし、シート席の観客「♪ソレソレソレソレ!」と大合唱した。
前日と同じく、ロカビリー風の8ビートに乗った神バンドソロの後、YUIは、SU-、MOAとともにニコニコ顔で観客に「うんパパうんパ」の手拍子を促した。スカのリズムから4曲目「ヤバッ!」に入ると、「♪チガウチガウってないよー、チガウチガウっていわれても」のところの行進っぽい振付けや「♪ヤバッ!」で口に手を当てる表情がスクリーンにアップになるYUIのKawaiさは今でも目に焼き付いている。
5曲目は、前日にはセトリになかった「紅月-アカツキ-」。
これが圧巻だった。
青い照明の中、インターリュードのヴァイオリンのメロディが流れる。
それがピアノに変わり、マントを着たSU-が「♪幾千の夜を越えて生き続ける愛があるから…」と歌い出した瞬間、鳥肌が立つ。踊り狂っていた観客は、静かにSU-の歌に聴き惚れる。
ギターのイントロ・リフで、照明が真っ赤に変わる。舞台上に配置されたスモークが大噴火。舞台と客席を結ぶようにレーザー光が放たれる。「アカツキだー」という叫びとともに、アリーナ全ブロックでサークルピットが発生。
前日も感じたが、SU-の歌唱力、表現力は、また一段グレードアップしていた。
「♪瞳の奥に光る泣き出しそうな月が…」の切ない表情。
「♪傷ついた刃差し向かい…」のところの斜め上をにらみつけるような目力。
マントをひらりと翻し、身を躱してギターソロを呼び込むと、大村神と藤岡神が超絶技巧のソロを交互にとり、最後にお立ち台に上って美しいツインのハーモニーを聴かせる。そこへSU-が割って入り、一節歌ってからがっくりと膝を着き、「♪孤独も不安も…」で斜め上を仰ぎ見、立ち上がった瞬間、ぼくの周囲から「ウワー…」という感嘆の叫び声が上がった。2012年のLegend “I”で初披露されて以来、Legend “1997”、日本武道館、ウェンブリー、東京ドームとこの曲の名演はいくつもあるが、この日の「紅月-アカツキ-」を生で見られたことは、間違いなく一生の財産である。次女も帰りの車の中で、一番スゴイと思ったのがこの曲だと言っていた。
先走りして言えば「紅月-アカツキ-」はYUIMETALが欠場した広島でも披露され、「もう一人のSU-」が偽闘を繰り広げた。さらに、2018年前半、引き続きYUI欠場が判明したDarkside仕様のアメリカツアーは、この曲によって救われた。文字通り助っ人としてBABYMETALに加わった二人のサポートダンサーによる気迫あふれる殺陣が、ツインギターに匹敵するメタル表現として、何があっても戦い抜くSU-、MOAの心の葛藤を示しており、それが高く評価されたからだ。こうして、同じ曲がさまざまなシチュエーションで演奏され、物語を紡いでいくのがバンドというものである。数カ月に1枚、数曲入りのCDをリリースして大量の楽曲を生産し続ける「アイドル」との決定的な違いといってもいい。
興奮冷めやらぬ場内に「♪ドンドンドン、ドンドンドン、ドンドンドンドンドンドンドン」と三々七拍子が響きわたる。観客はすかさず「オイ!オイ!」と合いの手を入れる。6曲目、前日はやらなかったBBMの「GJ!」である。
ヘヴィなギターのリフに、身をくねらせるように踊るYUIとMOA。「♪みみみみ緑の電車はサークルモッシュで…」という二人のラップや、「♪上出来イライラなんていらないDEATH!DEATH!」のメロディは、ピッチのズレもなく、文字通りカンペキだった。観客は二人のKawaiさと、パワフルなダンスの迫力に、心をわしづかみにされながらも、「DEATH!」「One More Time!」と正確に合いの手を入れた。
ここからは、前日のセットリストと同じ。
7曲目の「シンコペーション」では、巨大スクリーンに映る心電図と鼓動音から、曲に入ると赤、青のレーザー光が飛び交い、アリーナに高速サークルモッシュが発生。
8曲目の「META!メタ太郎」では、前日同様、SSAが巨大な「小箱」となり、観客が「♪ウォーウォーウォーウォウォ、ウォーウォーウォー」のシンガロングで一体化し、一糸乱れず敬礼振りをした。リズム、音階ともカンペキで、2階から見ていて思わず笑ってしまうくらいの「練度」だった。曲終わり、親指を立てて集まるとき、スクリーンにアップになったSU-の表情は、うれしくてたまらないというような、とろけるような笑顔だった。
9曲目の「イジメ、ダメ、ゼッタイ」では、「紙芝居」のWODの文字で、各ブロックにサークルができるが、やがてブロックごとに統合され、巨大サークルになったのが印象的だった。ちなみに大阪城ホールでは柵のサイズが小さく、サークルを作らせまいとする会場の意向があったようだ。


SU-の「♪あー」で、上手、下手のステージ袖からYUIとMOAがパイロの炎の中を全力疾走した。
「♪イジメ(ダメ!)」、「♪キツネ(飛べ!)」では、お立ち台に上るYUI、MOAに合わせて、ほぼ全観客がXジャンプをした。
YUI、MOAの二人がそろっているのが当たり前だったこの光景も、大阪城ホール参戦者以外にとってはこの日が見納めになった。
10曲目の「KARATE」も前日同様、ステージとスクリーンがCG合成され、三人の体から、“気”が炎となって立ち上った。倒れ込み、YUI、MOAの順に助け起こすSU-の表情、遠くで響く「♪Woo Woo Woo…」の切ないコーラスに、観客は心の中で「Everybody Jump!」と叫び、ジャンプした。
11曲目は「ヘドバンギャー!!!」。
「♪ヘドバン、ヘドバン…バンバンババン」と腰当てポーズでせり出してくるYUI、MOA。
煽りパートではMOAが「みんなの本気はそんなもんですかあ!」、YUIが「みんな見てるよー!」と煽り、上手、下手でスモーク噴射を行った。ヘドバ行脚や2013年のサマーソニックが思い出される。さくら学院で身長を競い合っていたKawaii二人がこれをやったからロックファン、メタルファンが虜になったのだ。
12曲目「Road of Resistance」。
五面の大スクリーンには、暗闇の戦場に光を放つ銃弾が飛び交う映像。赤いサーチライトが場内に放たれ、戦争のような情景になる。バンドのプレリュードとともに、三人が登場。
新春キツネ祭りやウェンブリーが思い出される。YUIがBABYMETAL旗を担ぐのを見るのも、ぼくにとってはこれが最後だった。
もちろん、当時はそんなことは予想もしていない。だから「1234!」の掛け声とともに、三人が早馬に乗って戦場へと駆けつける救国の美少女戦士のダンスを始め、アリーナで、またも超高速サークルがぐるぐる回るのを眺め、シンガロングパートでは、SU-が「Sing it!」「もっとー!!」と煽るのに合わせて「♪ウォーウォーウォウォー…」と大合唱していた。
フィニッシュは13曲目「THE ONE English Ver.」だった。
壮大なシンフォニーから、SU-が静かに「No reason why, I can’t understand it…」と歌い出す。
サビでYUIとMOAは「♪One for All、All for One」という音程のとりにくいコーラスを正確なピッチで歌い上げた。Final Chapter of Trilogy@横浜アリーナが思い出される。東京ドームを導いた「三部作」は、「三人」だったからこそ成立した。いやキツネ様=お稲荷さんそのものが「三狐」(みけつ)の神と呼ばれていた。BABYMETALは三人でなければならなかった。そのトライアングルがあとわずかで欠けようとしていた。
だが、その時は誰にもわからなかった。観客席では、BABYMETALロゴ、THE ONEロゴ、BIG FOXロゴのタオルが無数に振られ「♪ララララー…」と大合唱していた。
観客席が一体化し、文字通りTHE ONEとなり、大感動のうちに曲が終わると、特効が「バーン」と打ち鳴らされ、2日間にわたる巨大キツネ祭り@SSAが終了した。
終演後、再び例の謎のローマ数字が大スクリーンに映し出された。
「5色の狐火は一つになり巨大な炎となって漆黒の闇を照らし出す。メタルレジスタンス第5章の全ての扉が開くのだ。5枚すべての扉が開くとき、メタルレジスタンス第5章の終幕と共に、キツネ様の新たなお告げ(METAL RESISTANCE EPISODE Ⅵ)の全貌が明らかになる。
それは聖なる人が聖なる神へと生まれ変わるイニシエーション。
5色の狐火の中で、ひときわまばゆい閃光を放ち、来るべき運命へと導かれたメタルの魂はついにあの聖地へと降臨するのだ。
その昔三つ目の狐の顔を持つ預言者は言った。第三の目から放たれる光が世界を照らすとき、新たな時代が到来する、と。イニシエーション(洗礼の義)は選ばれし勇者たちTHE ONEとともに、ついにあの聖地で執り行われるのだ。」
ここで、地球儀がぐるりと回転し、日本がクローズアップされ、瀬戸内海に面した都市がキラリと光った。
これは明らかにSU-の故郷、広島を意味していた。謎のローマ数字は、
XX…20
Ⅱ…2
Ⅲ…3
Ⅻ…12
MMXⅦ…2017
であり、SU-の20歳の聖誕祭を、2017年12月2日、3日の両日、広島で開催するという意味になるわけだ。
しかし、当初ぼくは、中元すず香の誕生日は12月20日だから、ライブ日程は12月22日23日ではないかと予想してしまった。ただ、広島で大規模ライブを行える会場をリストアップしてみた中で、会場は広島県立総合体育館グリーンアリーナであると推測したのは的中した。その根拠は、かつてSU-がここでやりたいと言っていたことと、これが発表された9月27日が、奇しくも46年前、Led Zeppelinがそこでチャリティ・コンサートを行った日だったからだ。
(つづく)