武漢ウイルス禍総括(2) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
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★今日のベビメタ
本日6月13日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

3.    専門用語に気をつけろ

メディアリテラシーとは、ある情報を受けた者が、その情報を発した者の社会的地位や権威、あるいはメディアによって付与された文字の色や映像、BGMによってかき立てられる感情に流されず、冷静にその情報のファクトチェックを行なう意志と技術のことである。
ファクトチェックには段階がある。

レベル0…情報をそのまま素直に受け取る
レベル1…誰が言っているかではなく、何を言っているかに注目する
レベル2…情報や発言の論拠となる出典を調べ、それが事実かどうかを見極める
レベル3…その意見の反対者や支持者を参照し、発言に利害や政治的バイアスがかかっていないか見極める
レベル4…その発言の論拠にさかのぼり、使われている用語や概念自体にバイアスがかかっていないか見極める
レベル5…その意見を分析している自分自身に防衛機制や認知バイアスがかかっていないか見極める

子どもや、よほどの情報弱者でない限り、大半の人は、レベル2くらいまでは自然に行うだろう。
少し自分の頭で考えようとする人なら、レベル3まで行うだろう。
その意味で、すぐにスマホで調べられる現代は、スマホ以前に比べて、普通の人のメディアリテラシーは格段に上がっていると思う。
『テラスハウス』の木村花さんを自殺に追い込んだ書き込みは、一見、メディアが流した彼女のイメージをそのまま信じたレベル0の人々によって行われたように見えるが、実際にはそれが虚構であることもわかっていて、彼女を「合法的」にイジメるチャンスだと思い込んだ「確信犯」だったと思う。
アメリカで起こっている暴動についても、すべてトランプ大統領が悪いと言っている人の中には、メディアが報じるニュースをそのまま信じているレベル0の人と、レベル3までわかっていてANTIFA側に立つ人とが入り交じっている。


ぼくは、ANTIFAの旗を掲げる人たちが、「反ファシズム」なのになぜ社会主義やコミューンを理想とするのかが理解できない。個人の自由を抑圧する集団主義が嫌いなら、基本的にはつるまないはずである。自由民主主義と法治主義は、性別・地位・財産・宗教・信条を問わず―オタクでもビンボーでも―法の下の平等と自由と人権を保障する政治制度だと思う。
それはさておいて(Copyright © by アントニオ猪木)、問題は、ファクトチェックの重要性を理解している人でも、レベル4以降に進む人がほとんどいないということだ。
武漢ウイルスに話を戻せば、今回、一見科学的に聞こえる「PCR検査」や、様々な感染予測の論拠に使われた「基本再生産数R₀」や「致死率」という一見「科学的」な専門用語に、世界中のほとんどの人が振り回され、ダマされた。
武漢ウイルスに関する限り、これらの言葉はちっとも「科学的」ではなかった。むしろ、これらの言葉を使う「専門家」は、それぞれ武漢ウイルスに関する先入観や見通しをあらかじめ持っており、それを証明するためにこれらの言葉を使ったというのが実態ではないか。
メディアはその一部を都合よく切り取って、恐怖を煽る演出に使い、一般視聴者はチンプンカンプンなこれらの言葉に「専門家らしい権威」を感じて、疑問を発することを封じられた。
だが、ぼくは知らない専門用語を鵜呑みにするのがイヤなヒネクレ者なので、これらの言葉の定義を調べてみると、少なくとも武漢ウイルスに関する限り、これらの専門用語が恣意的に使われていることがわかった。
PCR検査の陽性判定を「感染者」とみなす危険性は、前項で説明したので繰り返さない。
疫学における基本再生産数R₀とは、あるウイルスの感染者が「平均」何人に感染させるかというウイルス固有の「感染力」を示す数字とされる。ある時点の感染状況、対策などによって変動するものを実効再生産数Rtという。
これらの数字をもとに、現在対象地域にどのくらいの感染者がいるかを「推計」し、何日後にどのくらいの感染者になるか、生態学から援用した数理モデルを使って予測するわけだ。
だが、基本再生産数は、定義からしてウサン臭い。この数字はあくまでも過去の感染状況のデータを「平均」して求めるものだ。データが少なかったり、偏ったりしていれば「平均」は変な数字になるし、統計学の常で、「過去の平均値」では個別の事例を言い当てることはできない。過去3回の模試平均偏差値50の生徒が、合格可能性80%偏差値平均50の学校に必ず合格できるとは限らない。
空気感染するインフルエンザウイルスの場合、これまで数十年のデータ蓄積があり、国レベルの防疫政策を決定する際に、状況を加味した実効再生産数Rtを計算する基礎数値としての基本再生産数R₀が確定していたのに対して、飛沫感染しかしない武漢ウイルスの場合、当初流布された基本再生産数2.0-2.5という数字は、あくまでも閉鎖された武漢市のデータに基づくものでしかなく、よくいって1月の武漢市という限定された状況下における実効再生産数に過ぎなかった。それが日本の状況に当てはまるかどうかはわからなかった。


実際、2月初旬の日本の症例では、感染者の8割からは1人の感染者も出なかったが、ごく限られた感染者がその場にいた7~12人に感染させていた。いわゆるクラスターである。
したがって、武漢市でのデータに基づく基本再生産数をもとにした予測は、世界でも日本でも非常に幅が広く、ハッキリ言って全然当たらなかった。
1月に武漢市のデータから中国全土の感染者数を予測した欧米の学者による予測は完全に外れたし、3月11日に専門家会議の西浦北大教授のグループが3パターン公表した数理モデルのうち「何もしなければ日本でも42万人が死亡」という予測は、メディアが大喜びで報じたが、ごらんのとおり完全に外れた。
さすがにこの数字は当時でも誰も本気にしなかったが、「何もしなければ」という部分に力点が置かれ、それまでの経済活動にできるだけ影響を与えない範囲で「日本モデル」を貫き通すという専門家会議の方針が転換され、コロナ特措法に規定された緊急事態宣言発出の論拠のひとつになってしまった。
このブログでも論じたが、アメリカの医療関係者と思われる「VOX」名義でアップされたYouTube動画『Coronavirus is not the flu. It's worse.』でも、武漢ウイルスの基本再生産数がインフルエンザより大きいということが、危険性もより高いとする論拠になっていた。この動画では、「致死率」がインフルエンザより高いということも武漢ウイルスの危険性を強調する根拠だった。
しかし、本来の「致死率」は、患者数を母数とした場合の死亡者の比率であり、その国にとっての危険性を示すのは母数を人口とした「死亡率」または「10万人当たり死亡者数」である。
10人しか患者がいない病気で、5人が死んで致死率50%でも、大多数の人はそもそもこの病気に罹らないのだから、この国にとっての危険性は少ないのだ。考えればすぐわかることだ。
武漢ウイルスについて見れば、「致死率」で比較すると、中国は5.6%、アメリカも5.6%、日本は5.3%で大差がないが、これではその国にとっての武漢ウイルスの脅威の度合いがまったくわからない。
「10万人当たり死亡数」では、中国が0.33人、日本が0.73人、アメリカは34.49人で、2桁も違う。そしてこちらの方が、各国の武漢ウイルスの脅威度を端的に表しているように思える。
なぜこんなことが起こるのか。
武漢ウイルスでは、「感染者」の確定症例診断基準、「死者」の死亡診断基準が各国まちまちだからだ。
中国のように「感染者」や「死者」を人為的にコントロールすることもできるし、アメリカのように他の死因による「死者数」を含めれば「感染者数」がいくら多くても「致死率」は上がる。
なぜアメリカだけがこれほどの「死者数」になったかは、前述したようにCDCが「今年肺炎で亡くなった人はすべて武漢ウイルスによるもの」と定義してしまったからだ。
VOXの動画では直接死のみをインフルエンザの「致死率」とし、インフルエンザから併発した肺炎を含む呼吸器疾患による死者を除いて、インフルエンザの危険性を過少に見せていた。
実際にはインフルエンザ肺炎を含むアメリカの呼吸器疾患の10万人当たりの死者は169.0人で、「武漢ウイルスによる死者」の5倍である。
社会にとってどちらがより危険かと言えば、明らかに圧倒的に患者が多く、高齢者にとっては肺炎を併発し、死につながるインフルエンザなのだ。
一番重要なことは、10万人当たり169.0人の死者が出ていても、去年までアメリカでマスコミが大騒ぎすることはなかったということだ。
つまり、これほどの死者が出ているインフルエンザでさえ、社会的にはリスクとして許容されていたのだ。その5分の1の死者数である武漢ウイルスで、社会・経済活動を止めるべき理由は全くない。
要するにVOXの動画は、武漢ウイルスがインフルエンザウイルスより危険だとして、アメリカ社会をロックダウンさせる意図のもとに作られたプロパガンダだったのだ。
そして、その際、いかにも「科学的」な論証の材料として使われたのが、「基本再生産数R₀」や「致死率」だった。
繰り返すが、これは武漢市のデータにもとづいて作られたもので、「科学的」な予測や防疫政策の意思決定には使えないシロモノだった。
PCR検査の精度、偽陽性、偽陰性の問題については、テレビでも何人かが指摘していたが、「基本再生産数」や「致死率」のウサン臭さについては、少なくともテレビの中では誰ひとり指摘しなかった。
「武漢ウイルスは死病ではない」「インフォデミックに過ぎない」という主張をしていた頃、「あなたが見ているのは、他の人が見ている世界と違うみたいだ」とか「ノーベル賞が取れますよ」などという皮肉なコメントをいただいたことがあったが、あの時はブログを書きながら、世界の中で一人孤立しているような思いにとらわれた。
メディアリテラシーの最終段階レベル5は、自分自身の心理的防衛機制や認知バイアスがかかっていないかどうかをチェックすることである。
ぼくはハッキリ言うが、マスコミ嫌い、医者嫌いである。去年、脊椎管狭窄症になるまで、健康診断以外、医者には10年近くかかっていなかった。
だからこそ、過度にメディアや医療「専門家」の意見に反発して、結論ありきで計算していないか、論理構成がねじ曲がっていないかどうか、常に自問自答しつつ、ブログを書いていた。
今も、その不安は消えないが、偽陽性が一定数含まれるPCR検査の陽性判定者を「感染者」とし、各国まちまちの基準でカウントされた「感染確認者数」に基づいて、机の上でひねくりだした「基本再生産数R₀」で感染予測をし、「致死率」をウイルスの危険性の指標とするのは、どう考えても「科学的」ではないという考えは変わらない。

4.    メディアの罪

この数か月間、日本の主要マスメディアは、正しい情報を視聴者に提供し、武漢ウイルスによる社会的被害を最小限にとどめ、国民の不安を和らげるのではなく、かえってその脅威を誇張し、不安を煽り、かつ安倍政権の防疫政策を批判するという明確な意図をもってニュースを取捨選択し、番組を演出していた。
毎朝、日本と世界各国の「感染者数」「死者数」を一覧表にして表示し、おどろおどろしいBGMに乗せて「ますます猛威を振るう新型コロナウイルス…」というアナウンサーのナレーションで始まるフォーマットを見ただけで、視聴者の恐怖を煽る意図がミエミエだった。
テレビは、厚労省が発表するPCR検査の陽性判定者を「感染者」とするだけでなく、厚労省のダブルチェックが入る前の各自治体が公表する「疑い例」を含めた数字を独自に合算して「感染者数」をできるだけ多く見せようとした。
ネットサイトも含めて、多くのメディアが、厚労省でもWHOでも日本での感染者と区別されたクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号の患者も「日本の感染者数」に含めて表示していた。
PCR検査の精度にはほとんど触れることなく、情報バラエティ番組には「韓国を見習ってPCR検査を増やせ」「中国製の検査キットを使って国民全員に検査をやらせろ」と主張する「専門家」を起用し、政権批判をデフォルトとする社員コメンテーターと一緒になって、安倍政権の防疫政策をクサし続けた。
日本政府の専門家会議は、当初、できるだけ国民の経済活動や社会生活に影響を与えないようにPCR検査を限定的に用い、「積極的疫学調査」で、感染経路を絶つ「日本モデル」の防疫方針を立てた。
これは圧倒的に正しく、3月下旬まで日本の「感染者数」は抑えられ、それを母体とした「死者数」も増えなかった。
このころ、中国の2月末と同じように感染拡大指数が下がってきていたので、ぼくは3月17日にこのブログで「収束への一考察」をアップして、収束が近いと考えた。
ところが、メディアは政府・厚労省・専門家会議の方針を貶めるコメンテーターを利用するだけでなく、ウソ情報さえ流して「希望する国民がPCR検査を受けられないのは人権侵害だ」と主張し続け、何が何でもPCR検査数を増やそうとした。
ある情報番組で、国立感染症研究所のOBが、「疫学調査」の目的ではなく、縄張り争いでPCR検査を民間の医療機関に広げないように押さえつけているという発言をしたコメンテーターがいた。これは全くのデマであり、国立感染症研究所はこのテレビ局に対してすぐに警告を発した。
また、ある番組では高熱と咳が止まらない子どもにPCR検査を受けさせようとしていくつもの病院を回ったが断られたとSNSに書き込んだ母親のインタビューが流れたこともあった。だが、実はこの子は風邪をこじらせたマイコプラズマ肺炎で、インタビューが放映される前に局のディレクターに連絡したが無視されたという。
つい最近も、WHOから派遣されてヨーロッパの現場にいた医師が、スクリーニング的なPCR検査は無意味だという趣旨でインタビューに応じたのに、「ヨーロッパではコミュニティ全員にPCR検査をやった」という部分だけ切り取られて放映されたため、すぐに自分のSNSで抗議と訂正を行うという事件もあった。
SNSのおかげで、テレビ局が垂れ流すウソはすぐに見破られる。
だが、視聴者の不安を煽り、安倍政権への不満と結びつける演出方針は奏功し、インターネットの普及によるテレビ離れに喘いでいたテレビ局は、息を吹き返した。
ビデオリサーチ社によると、4月の関東地区の視聴率は、前年同月を上回り、特に正午から夕方6時までの間で10ポイントも上昇したという。明らかに緊急事態宣言による在宅時間の長時間化によるもので、「よく見る番組」としては『ニュース・報道番組』や『情報バラエティ番組』がトップだったという。(AERAドットコム)
それだけでなく、「希望者がPCR検査を受けられないのは人権侵害だ」という無茶苦茶な主張は、安倍政権の方針まで転換させ、民間医療機関でのPCR検査を許容し、「希望者は誰でもPCR検査を受けられる体制」が作られた。
もちろん、PCR検査が増えれば偽陽性を含めて「感染者」は増える。
こうして3月25日過ぎから日本の「感染者」は急激に増えると、「外出自粛」を徹底せよというメディアの主張は自治体首長と利害が一致した。「ロックダウン」によって、在宅者がテレビを見る時間が増えるし、自治体首長はコロナ特措法によるより強い権限移譲を求めたからだ。かくして、4月7日、安倍首相は全国を対象にした緊急事態宣言を発出された。
今となればハッキリわかるが、武漢ウイルス禍で一番トクをしたのは、マスメディアだった。
次いで、国の医療政策の主流派から外され、安倍政権へのルサンチマンに満ちた「専門家」コメンテーターで、「中国製の検体キット」を希望者に提供する某クリニックからは、数名の関係者がテレビ出演し、「国民全員に検査をしなければ安心できない」と主張していた。明らかな営業活動である。
一番ワリを食ったのは、3月に子どもが学校へ行けない負担を強いられ、4月には経済活動を封じられた一般庶民だった。
「緊急事態宣言」の発出期間、日本各地には「自粛警察」なる人々が出現した。
外出自粛要請や「三密を避ける」という行動指針に従わず、営業している店やマスクをせずに出歩いている人を注意する商店街や町内会の自警団のようなものから、暴力的に威嚇し、罵倒するだけでなく、店に脅迫的な貼り紙をしたり、スプレーで落書きしたりするグループもいたらしい。
ある区役所の職員が、区域内で営業している店に対して「店を潰してやる」と威嚇して威力業務妨害で捕まったニュースもあった。


海外では外出「自粛」ではなく「禁止」なので、警察が取り締まりに当たったらしいが、公園で久しぶりに会った友達がハイタッチしただけで通報され、大勢の警官に追われて森へ逃げ込むというパロディ動画もあった。
民主的選挙で選ばれた政権が、法律に則って国民に要請していることだから、従うのは当然だ。
しかし、法的な拘束力のない「要請事項」を、他人に対して強制する権限が誰にあるのかね。
ましてや威力業妨害や器物損壊は犯罪である。
むろん、彼らの行為の源には武漢ウイルスに対する恐怖心があったのだろう。
あるいは「わが街から自粛に従わない家・店を出してはいけない」とか「ご近所から感染者が出たら迷惑だ」という地元愛や恥の感覚や防衛本能みたいなものに突き動かされていたのかもしれない。
それもこれも、「武漢ウイルスは死病だ」というメディアに刷り込まれた思い込みが原因である。
誰かが、自粛警察は戦時中の「隣組」みたいなものだと書き、日本に残るファシズムの遺物みたいな結論を導いていたが、ぼくは全く違うと思う。
ダン・ガードナーが『リスクにあなたは騙される』にちゃんと書いている。「いわれのない恐怖」の感情にとらわれると、普段は他人の人権を尊重する人でも、豹変してしまうのだ。
もちろん器物損壊までやったのは、木村花さんを傷つけた人たちと同様、善悪の区別がつかず、「合法的」に誰かをイジメるチャンスと思い込んだレベル0のガキに決まっている。
だからこそ、武漢ウイルスの恐怖を煽りまくり、そういう状況を作ったメディアの責任は重い。
10万人当たり1人も亡くならない感染症がなぜ怖い?
1シーズン1000万人の患者が出て、直接死だけで3,000人、併発する肺炎での死者を含めると10万人近くが亡くなるインフルエンザと比べて、人格を豹変させてまで他人を罵倒するほどの感染症だったのか?
メディアの罪が明らかになったからこそ、メディアリテラシーの重要性がより大きくなった。
武漢ウイルス禍は過ぎ去ったが、次の「インフォデミック」には二度と振り回されないために、総括するべきはそこではないか。
(つづく)