ギターとアジア(3) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
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★今日のベビメタ
本日1月20日は、2012年、雑誌『SWITCH』に、BABYMETALと元MEGADETHのギタリスト、マーティ・フリードマンとの対談が掲載され、ネット配信番組「Kawaii girl Japan」に初登場した日DEATH。

BABYMETALは、METAL GALAXY TOURの汎ヨーロッパツアー第一ラウンドで、極寒の北欧、ロシア公演を終えた後、タイ、マレーシア、インドネシア、台湾、フィリピンといったアジア各国を巡る灼熱のアジア・ラウンドに入る。
かつてAFAインドネシア2013@Jakarta Convention Centerに出演し、今年、3月29日にジャカルタ公演@Basket Hall Senayanを行うインドネシアは、人口約2億6500万人で、中国、インド、アメリカに次いで世界第4位の大国である。


2018年の一人当たりの名目GDPは3,927ドルと日本の約1/10だが、2010年代の経済成長率は年5%~6%なので、15年も経てば現在の日本と同等の経済規模になる。
ただし、GDPに占める割合は、農林水産業12.8%、鉱業8.1%で、製造業19.9%と拮抗している。日本では農林水産業1.1%、鉱業0.1%なので、経済の成り立ちがまるで違うことがわかる。
インドネシアの主な輸出品は、石油、石炭、天然ガス、金属鉱物、パーム油、蝋、ゴム、コーヒー豆、車両・部品であり、日本は中国、アメリカに次ぐ輸出先の第3位となっている。
インドネシアに進出した日本企業は2000社を超えると言われており、トヨタ自動車、ダイハツ工業、ホンダ技研、いすゞ、三菱自動車など日本の自動車メーカーが現地で生産した自動車や部品がベトナムやタイに輸出され、インドネシアの主要輸出品目になっている。
ギター製造は、こうした経済統計からみるとわずかな比率に過ぎないが、世界のギター生産量の三割はインドネシア製であるといわれる。
前回書いたように、韓国のサミックは1992年にインドネシア・ボゴール州にギター工場を設立し、自社ブランドのGreg BennettやSilvertoneをインドネシアで製造している。
コルテック(Cort)も1995年にスラバヤ州に楽器製造工場を設立し、事業拠点まで移した。
CortブランドのほかにG&LのTributeシリーズやWashburnで製造している。
Leda神が愛用するStrandbergも、一部機種はインドネシア製である。
日本のメーカーはどうか。
JETROの資料および会社案内HPによると、YAMAHAは1972年にインドネシアに楽器販売事業と音楽教育の拠点を設立していたが、1997年にはギター・ドラムの製造を行うヤマハ・ミュージック・マニュファクチュアリング・インドネシア(PT. Yamaha Music Manufacturing Asia)を東ジャカルタに設立し、現在は4つの現地法人工場で、ピアノ、ギター、ドラム、電子楽器を製造している。
また、「エレキギター好きオヤジの独り言」さんのサイトによると、IbanezのJ.Custom、Prestigeシリーズは日本のフジゲンで製造されているが、Premium、IRON LAVELシリーズは、コルテックのインドネシア工場で製造され、その他エントリーモデルは同じくCortの中国もしくはインドネシアで製造されているという。
株式会社キョーリツコーポレーションが供給するアコースティックギターのS.Yairiも、上位機種は寺田楽器製だが、その他はインドネシア製である。
ちなみに、藤岡幹大氏がPeavey5150と組み合わせてモデリングしたポーランド製のHESUキャビネットもキョーリツコーポレーションが輸入代理店となっている。
インドネシアの隣国であり、BABYMETALが今年5月16日にマニラのMall of Asiaで行われるPULP SUMMER SLAMに出演するフィリピンでも、日本の楽器メーカーの現地工場が稼働している。
フィリピンは2015年に人口1億人を突破し、あと数年で日本と並ぶ。一人当たりのGDPは3,104ドルだが、ここ10年間の経済成長率は6%を超えて急成長中である。
フィリピンにギター工場を設置した日本の楽器メーカーは、Bacchus、Headway、Momose、Seventy Sevenなどのブランドを擁するディバイザー(長野県松本市)である。
同社のホームページにはBacchusのHandmade Series、Craft Seriesは国内の飛鳥工場やクラフトショップで造られているが、Global Seriesはフィリピンの工場、Universal Seriesは中国で生産していると公表されている。
フィリピン工場について、ウィキペディアで調べてみると、それはマニラにほど近いカビテにある子会社「AI MUSIC.CO.LTD」とのこと。
誤解のないように書いておくが、ぼくは、有名ブランドでも実は韓国、中国、インドネシア、フィリピン製なんですよという暴露をしたいわけでも、それを非難しているわけでもない。
自動車と同じように、世界のモノ作りは、欧米から日本、中国、韓国、アジアへと移転してきたのであり、ギターという分野でも同じことが起こったというだけである。
あえて書かないが、ぼく自身、Made in Indonesiaのギターを何本か所有したことがあり、決して悪い印象は抱いていない。
人件費が安い地域に製造業が移転していくことは資本主義の必然であり、一見、安い労働力を搾取しているように思えるが、それによって、日本を含めアジア各国は経済的に成長したのであり、逆に先進国はイノベーションが起こらなければ、産業の空洞化や雇用の減少によって経済的に停滞するので、長期的には地域間格差が少なくなる方向へ進む。
問題は、技術やブランドの先取権を持つ一部の富裕層が利権を手放さず、「富める者がますます富む」構造があることだが、これはまた別の話。
要するに、どこで造られていようと、その楽器を手にしたプレイヤーにとって、いいギターであればいいのだ。
インドネシアやフィリピンがギター製造の拠点になったのは、いくつかの理由がある。
ひとつは人件費が安く、手仕事が好きで、温和な国民性であるが、もうひとつは木材の宝庫だということだ。
マホガニーは、ギターのネックやバック材として使われる木だが、もともとフロリダ、キューバに自生していた「スモールリーフマホガニー、スパニッシュマホガニー、キューバンマホガニー」が本物。しかし、キューバ危機以来、アメリカでは入手困難になったため、中南米から南米に広く分布していたオオバマホガニー、メキシコマホガニーが使われるようになった。だがこのうちホンジュラス産のものは、ホンジュラスマホガニーといい、ワシントン条約の保護対象となった。
中南米産のマホガニーの種をハワイや東南アジアで育てることは、ワシントン条約で制限されているため、マホガニーに似た代替材が使われるようになった。
ハワイに自生しているアカシア属のコアを「ハワイアン・マホガニー」、アフリカに自生している栴檀科のカヤを「アフリカンマホガニー」、サペリを「サペリ・マホガニー」、日本の栴檀を「ジャパニーズマホガニー」、東南アジア産フタバガキ科のレッド・ラワンを「フィリピン・マホガニー」、ムクロジ科のマトアを「ソロモン・マホガニー」等と称するのがそれである。
ギターの指板やアコースティックギターの側板、バック材に使われるローズウッドの和名は「紫檀」で、インド、パキスタン、ネパールなどヒマラヤ山脈周辺原産なので、英語では「インディアン・ローズウッド」と呼ばれる。
ローズウッドもワシントン条約の規制対象であり、ブラジル原産のハカランダが「ブラジリアン・ローズウッド」と呼ばれて使われていたが、これも1992年にワシントン条約で取引が制限された。
そのため、オレンジがかったミャンマー産の「ビルマ・ローズウッド」、タイやベトナム、カンボジアなどが原産の柔らかい「サイアミーズローズウッド」や「カムピー・ローズウッド」が家具などに使われるが、ギターでは、インドネシア産のマルバシタン(ソノケリン)を「インディアン・ローズウッド」として用いることがある。
Ibanezは、ソノケリンをボディトップとヘッドに使用した、インドネシア製限定モデルをリリースしたこともある。

このように、熱帯樹林を持つ東南アジアは、豊富な木材の供給地であり、木工品であるギター製作には有利だった。
もちろん、加工精度が要求されるギター材は、十分な乾燥が重要なので、その点湿潤な熱帯モンスーン気候は不利である。その意味で、エアコンディショナーや機械による木材の乾燥技術が確立した1990年代以降に、東南アジアでのギター製造が発展したのは偶然ではない。
さらに、日本が高度経済成長する過程で、「職人芸」に属するモノ作りのさまざまな「コツ」を「平準化」「システム化」して、クオリティの高い製品を大量生産する日本式の品質管理(QC)というソフト技術が確立していたことも、アジア各国でのOEMが成り立った大きな要因だろう。
ディバイザーのフィリピン工場を統括する高江洲昌幸氏は、20年以上のキャリアを持つマスタービルダーで、ギターの生産に当たっては、設計、デザインはもちろん、加工機械、治具、テンプレートなど、国内工場と同じ物を使っているという。


また、加工・研磨・塗装・組込の4工程とも、高江洲氏に技術指導を受け、熟練したスタッフからリーダーを選び、厳しい工程管理を行っている。
もともと、フィリピンはスペインの植民地だったので、ギター文化が根づいているし、戦後はアメリカの影響が強く、ハワイアン、ジャズ、ロック、ダンスミュージック、ヒップホップも盛んである。英語が公用語なので、日本人ともコミュニケーションしやすい。
もっとも、ぼくの経験からすると、いくら手仕事を苦にしない、温和だといっても、日本人のような緻密さや職人的な向上心をフィリピン人に期待することはできない。
ある仕事が短時間でできるようになれば、「同じ時間にいっぱい作ってもっと稼ごう」とは考えず、「浮いた時間でおしゃべりしよう」となるのがフィリピン人だ。それはおそらく、インドネシア人も同じだろう。仕事こそ人生の目的と考える日本人の方が特殊なのだ。
だから、絶えず顧客のためにいい製品を作る意義を語り、成果のフィードバックをして誇りを刺激するとかの「管理」をしないと、アジアでのモノづくりは停滞してしまうだろう。
だが、日本人もしくは日本人に学んだ現地監督者が、どうしても慣れない気候や慣習の中、それをやり続けているから、アジアのモノづくりと経済成長が達成できているのだろうと思う。
批判覚悟でいえば、軍事力を背景に、「日本式」でアジア各国の近代化を促進しようとした戦前の日本人も、同じように現地で苦労したのではないかと思う。それをありがたく思う国もあれば、「千年恨む」と言い続ける国もある。
エレキギター、ベースは、1960年代にアメリカで発明されたが、1970-80年代の日本で生産技術がブラッシュアップされ、アジア各国で大量生産されるようになった。
その結果、何が生まれたか。
中学生がお小遣いで、少なくともちゃんと演奏できるギブソン、フェンダー風のエレキギター、ベース、アンプ、ドラムセットを手に入れることができるようになった。頑張って練習し、仲間を募ればバンドが組める。
1970年代には、欧米や日本など西側先進国に生まれても、高校生になってバイトしないと、コピーとはいえ、ちゃんとしたエレキ楽器を入手することはできなかった。
今は、最貧国を除けば、誰もがギターを手にできるし、音楽表現ができる。ネットに動画を上げれば、世界中の人が見てくれる。才能を認められればプロにもなれる。
ギターの生産地がアジアに広がることによって、そういう世界が実現した。
中国製、東南アジア製のギターはニセモノとか安物とか言う前に、それはとても素晴らしいことではないか。ぼくはそう思う。
(つづく)