ギターとアジア(1) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日1月17日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

『Guitar Magazine』2014年5月号は、初めてBABYMETALの楽曲「ヘドバンギャー!!」のギタースコアが掲載された記念すべき号である。
この号には、元レッチリのギタリスト、ジョン・フルシアンテ氏のインタビュー&新譜レヴュー、ESPアメリカ本社やMIハリウッド校を紹介するESPロサンゼルスのレポートなど、その後のBABYMETALと縁の深い記事が並び、MIの広告ページには、神バンドのギタリスト、小林信一氏、藤岡幹大氏、大村孝佳氏が、アドバイザーや講師として紹介されている。
ベビメタファンにとってはコレクターズアイテムなのだ。(^^♪
同じ号に、エピフォン(Epiphone)の最新プロダクツ紹介で、中国山東省青島にあるギブソン青島(GQ)およびエピフォン青島(EQ)工場のレポートがあった。


1970~80年代に、ギターの生産拠点は、OEMという形でアメリカから日本へ移ったが、その後、韓国が台頭し、1990年代には中国、インドネシア、インドなどアジア各国へと移っていった。
現在では、同じブランドでも価格帯によってアメリカ製→日本製→アジア製の順になっていたり、Gibson→Epiphone、Fender→Squier、PRS→RRS・SE、ESP→EⅡ→Edwards→Grassrootsのように生産地や市場によってブランドが分かれていたりする。
さらに、ネット楽器店サウンドハウスのプライベートブランドPlaytechや、アメリカのネット通販会社MonopriceのIndio、ドイツのネット楽器店ThomanのHarley Bentonのように、数千円~1万円台(100ドル台)という低価格のギターも販売されている。


これらのギターはアジア各国で作られたもので、YouTubeには国内外/プロアマを問わず、お試し動画が数多くアップされているが、その多くが「悪くない」と証言している。
なぜ、これほど安いのに「悪くない」ギターが作れるのか。
エフェクターも同じで、例えばBOSSのオーバードライブSD-1は、1980年代まで日本製だったが、現在では台湾で作られているし、Line6やDigitechといったアメリカのメーカーが先頭を走るアンプシミュレーターの分野でも、中国のエフェクターメーカーMooerが低価格・高性能・コンパクトなMicro PreampシリーズやGEシリーズが大人気となっている。
先週のテーマ「ギターとベビメタ」では、ギターの進化をたどり、BABYMETALがその最先端にいることを考察してきた。日本以外のアジアのギターづくりは最新テクノロジーではなく、キャッチアップなのであえて外したのだが、今回は1980~90年代、メタルの勃興と同時に起こったアジアの工業化について、ギターを切り口として考えてみたい。

まず言えることは、ギターの生産拠点がアジアに移ったのは、自動車や電化製品などと同時期に起こった世界史的現象だということである。
1960年代、トランジスターやICを使った電化製品、小型の自動車、オートバイといった分野で、安くて性能のいい日本の工業製品が欧米市場を席巻した。
電化製品や自動車を発明したのは欧米人だが、人件費が安く、きめ細かいモノづくりのできる日本に生産拠点が移ったわけだ。
これにより日本は高度経済成長を成し遂げたが、その結果、安かった人件費が上昇し、1980年代には、高付加価値・高価格帯の製品は国内で生産するが、量産品は海外工場で生産する企業が多くなった。
同じことがギターの世界でも起こった。
前回書いたように、フェンダージャパンは、富士弦楽器、マツモク工業、東海楽器、寺田楽器、ダイナ楽器など、日本のメーカーのOEMで生産されていた。
これらのOEMギターメーカーで最も古いのは、メイトさん御用達の銘酒「最愛」の山田酒造と同じく、愛知県海部郡蟹江町にある寺田楽器である。
バイオリン職人だった寺田彦蔵が1916年に創業し、1930年代から安価や仕入れ先を探していたイタリアの卸業者から依頼を受けてクラシックギターを製造していたという。
こうした沿革から、寺田楽器は、グレコのほか、モーリス、エピフォン、ディアンジェリコ、ダキスト、グレッチなど箱物ギターのOEMを行っている。
1947年に設立された静岡県浜松市の東海楽器製造は、ピアニカの製造で屋台骨を固めたが、1965年からギターの製造をスタートし、1971年にC.F.マーティンの国内向けモデルのOEMを担当。その他、フェルナンデス、モズライト、フェンダージャパンなどのOEM生産を請け負った。
1960年に創業された長野県松本市の富士弦楽器製造(現フジゲン)は、テスコ、グレコ、Ibanez、スクワイア、フェンダージャパン、エピフォン・インペリアルシリーズ、オービルbyギブソンなどをOEM生産した。
フェンダー、ギブソン、C.F.マーティン、グレッチといったアメリカのハイエンドブランドが日本のメーカーに生産委託したのは、製作技術を高く評価したからでもあるが、何と言ってもコストが安かったからだ。

人件費の高いアメリカで生産して輸出するより、購買力がある日本で生産すれば一石二鳥だし、そこからアメリカに逆輸入してもコストが安いので十分にペイする。
そのことは、アメリカンブランドの日本国内でのOEM生産が、1980年代後半~90年代におおむね終了したことでもわかる。
東海楽器によるC.F.マーティンのOEMは1980年代中盤に終了した。富士弦楽器がフェンダージャパンを生産していたのは1982年から1993年まで、スクワイアは1997年まで、エピフォンとオービルbyギブソンは1988年から1993年までで、エピフォンのElitistシリーズのみ、2002年から2008年まで製造されていた。
フェンダージャパン(現在MIJ)は1997年~2008年まで寺田楽器でも作られていたが、現在は神田商会傘下のダイナ楽器だけである。
OEMを「卒業」した日本の楽器メーカーは、自社ブランドないし国内他社ブランドのOEMに注力していく。

Aria ProⅡ、オービルbyギブソン、フェンダージャパンのOEMを担当していたマツモク工業は、自社ブランド開発へ進まず、1987年に工場を閉鎖した。
日本に代わってアメリカの有名ブランドのOEM生産を担うようになったのは、韓国の楽器メーカーだった。
1958年に韓国・ソウルで創業されたサミック(Samick、三益楽器)は、ピアノメーカーとして知られるが、ギターメーカーとしては、1980年代後半から、スクワイア、エピフォン、ウォッシュバーンWashburn、ホーナーHohnerなどをOEM生産し、自社ブランドとしては、アメリカ人ルシアーがデザインしたGreg Bennett、シルバートーンSilvertoneを展開している。

Silvertoneはアメリカの通販デパート、シアーズ ・ローバック(Sears, Roebuck)のプライベートブランドで、1940年代からギターを製造販売しており、著名ギタリストの最初のギターとして愛用された。ダンエレクトロ(Dan-Electoro)、ナショナル(National)、ハーモニー(Harmony)、ケイ(Kay)、日本のテスコなどに継承された由緒あるエントリーブランドである。
韓国には、1956年にYAMAHAのピアノ輸入代理店として設立されたHDC英昌(ヨンチャン)という楽器メーカーもあり、1980年代半ばから1990年代初頭までスクワイアをOEM生産していた。同時にFenixという自社ブランドのギターも製造したが、フェンダーに似すぎていたため、ライセンス問題で販売できなくなり、その後はピアノや電子ピアノの製造にシフトしていった。
1980年代から1990年代のバンドブームの頃、日本でエントリークラスのブランドとして売られ、現在リサイクルショップなどでジャンク扱いになっているギターには、当時、日本の販売店が発注し、韓国でOEM生産されていたものが多い。
例えばBarclayというブランドは、カルロ・ジョルダーノというバイオリンを販売している名古屋市のマックコーポレーションがかつて販売していたもので、ブリッジとテールピースは日本のゴトーGOTOH製だが、チューニングペグにはハングルの刻印があり、ピックアップにはサムソン電子の刻印があったという。
フェンダージャパンなど、調べ尽くされているならともかく、基本的に商品として売る側=ブランド側は製造元=OEM先を明らかにしないので、どこの誰が作ったのかわからないことが多いが、丁寧に加工され、堂々と自社の刻印を押した部品には職人気質が感じられる。
1973年にピアノ輸入商として韓国で設立されたCortは、1982年ごろからギター製造を始めた。フェンダー、Ibanezなど著名ブランドのOEM生産の傍ら、1984年にスタインバーガーSteinbergerのライセンスを取得して、ヘッドレスギターを生産したり、1994年にはハイエンドユースのアコースティックギターシリーズをスタートしたりと、自社ブランドの価値を高め、サミックと共に世界のギターの三分の一を製造するまでになった。
しかし、2007年、従業員が待遇や労働環境の改善を訴えて組合を組織すると、経営者は財政難を理由に全員を解雇し、国内工場を閉鎖、工場のあるインドネシアと中国に事業拠点を移したため、韓国史上最長といわれる労働争議が発生した。
これでは職人気質どころではない。
日本では職人が尊敬されるが、儒教文化では、汗水たらして働く者を「下」に見る傾向があるという。経営者が両班気取りで、現場のルシアーとの間に乖離が生じたのか、あるいは過激な労組団体にかき回されたのか、あるいはその両方だったのか、それはよくわからない。
争議がスタートしてから3年が経過した2010年、フジロックに来日したOne Day as a Lionのザック・デラロチャらが支援を表明したビラを配り、東京で日本のバンドによる連帯ライブが行われた。アメリカでも、Rage Against the Machineのトム・モレロとSystem of a Downのサージ・タンキアンが連帯ライブを行なって話題になった。


それから9年が経過した昨年2019年4月、Cortの経営陣が労働者に謝罪し、賠償金を支払うことで13年にわたるCortの争議は決着した。
(つづく)