ギターとベビメタ(4) | 私、BABYMETALの味方です。

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★今日のベビメタ
本日1月10日は、2015年、「Legend “2015” 新春キツネ祭り」@さいたまスーパーアリーナが行われた日DEATH。

ロックはギター音楽であり、BABYMETALはその最新型だ。
本稿はギターの歴史を振り返り、それを検証していくのが目的である。
舞台はルネッサンス期のヨーロッパから近代アメリカへ移る。
ギターは持ち運びが容易で、手軽に演奏できるので、ヨーロッパからアメリカにやってきた移民にとっては、故郷の曲を爪弾いて、束の間の楽しみを得る道具になった。
しかし、ギターには致命的な欠陥があった。それは管楽器やヴァイオリン、ピアノに比べて、音量が小さいという点である。
それを、スチール弦を張ることで大きな音量を得られるようにしたのが、アメリカで起こったギターの第一の進化だった。
弦楽器に用いる弦を、鉄か真鍮で作るアイデアは、1600年代初めにはあったというが、当時の金属加工技術では、均一な太さの細い弦を作ることは不可能だった。
17世紀に開発された打鍵楽器のチェンバロやピアノの弦は金属製だが、演奏者が直接触れることはなく、演奏前にすべての弦の音程を調律しておく構造なので、多少不均一な弦でも問題にはならなかった。ただし、当時の打鍵楽器の弦は演奏中に音程がずれたり、切れたりすることも多かったという。
産業革命によって、製鉄技術や金属加工技術が進歩し、19世紀の半ばには、強靭な炭素鋼を用いて均一かつ極細の弦=ピアノ線や金属巻き弦が作れるようになり、音程の安定性や耐久性が増し、ピアノは現代と同じモダン・ピアノとなった。
ピアノ線=スチール弦を用いるギターの起源はいくつかある。
ひとつはマンドリンである。
ギターと同じく、小型のリュート=マンドリンも、ヨーロッパからの移民によってアメリカに持ち込まれた。マンドリンは複弦4コースの楽器だが、19世紀半ば、イタリアのナポリで、パスクワーン・ビッチャというマンドリン奏者が、ガット弦をスチール弦に変え、よく響く音色で演奏して人気を博した。
それ以降、マンドリンにはスチール弦を張るのが一般化し、強い張力に耐えるように一枚板のヘッドストックに縦型のペグがついたナポリ型が生まれた。

ナポリからはカルロ・ムニエル、ラファエレ・カラーチェら名演奏家が輩出した。ちなみにラファエレ・カラーチェは、1924年に来日し、当時摂政だった昭和天皇の御前で演奏した。
1880年代にスウェーデンからアメリカに移民したカール・ラーソンが創業したラーソンブラザーズLARSON BROS社は、史上初めてマンドリンと同じくスチール弦を使ったギターの開発に取り組んだ会社である。
スチール弦は張力が強いので、それに対応するため、太いネックを用い、ネックとボディを貫通する鉄棒(トラスロッドの先駆け)や、ボディ裏の補強材(ブレーシング)など様々な新技術で特許を取得したラーソン社は、MAURER、PRAIRIE STATE、EUPHONON、DYER、STAHLといったギターブランドの委託生産(OEM)を担った。


ちなみにトラスロッドとは、ネックの内部に仕込む鉄棒のことで、ネックの反りを防止・調整するもの。マーティン社のトラスロッドは1985年まで反りが調整できないノン・アジャスタブルで、ギブソン社は1921年に順反りを補正できるアジャスタブル・トラスロッドを開発して特許を出願し、フェンダー社は1983年に、順反りも逆反りも調整できるダブルアクション・トラスロッドの特許を取得している。
現在新たに制作されるほとんどのギターには、アコースティック/エレキを問わず、トラスロッドが仕込まれている。
スチール弦を用いたギターには、もう一つの起源がある。
南北戦争前、中西部から南部にかけて奴隷労働をしていた黒人たちは、故郷アフリカのセネガル地方にあったエコンティングAkontingという楽器を模して、金属の鍋の底を抜き、子牛の皮を張って木製のブリッジを立て、側面に木の棹をつけて、弦の代わりに、仕事に使うピアノ線を4本~5本張った楽器を作った。これがゴード・バンジョーGourd Banjoと呼ばれるものである。
動物の皮を表皮にしているので、いわば三味線の親戚である。
やがて、バンジョーのネックはギターのネックと同様にフレットがつき、ペグでチューニングできるようになり、ボディはスネアドラムのように表皮の張力を調整できるようになり、ボディバックに切り込みを入れた金属の円形リゾネイター(共鳴盤)がつくものも現れた。


バンジョーはスチール弦を用い、金属の胴体に皮を張り、リゾネイターがついていたので、大きな音がした。1920年代にカントリーミュージックが盛んになり、バンジョーとギターが一緒に演奏されるようになると、ガット弦のスパニッシュギターでは、音量が不足していることが明らかになった。
ドイツ移民のギター職人クリスチャン・フレデリック・マーティンが1833年に創業したマーティン社は、当初小型のスパニッシュギターを制作していたが、この頃からバンジョーと同じスチール弦を張れるギターを制作し始めた。
マーティン社では、ネックに、調整はできないが反りを防止するトラスロッドを仕込み、テイルピースとボディのトップ板が弦の張力によって歪んだり剥がれたりしないように、ボディの内側にX字型の補強板を設置した。これをXブレーシングという。
また、強い張力に対応するために、ナポリ型マンドリン同様ヘッドストックを板状にして、縦巻きの歯車式ペグを装備した。さらに大きな音量を出すために、当時最大の戦艦の名をつけたドレッドノートという角ばった大型ボディのモデルを開発した。
マンドリン職人のオーヴィル・ギブソンが1902年に創業したギブソン社も、当初はヴァイオリンと同じようにボディの表面が盛り上がり、fホールのついたアーチドトップギターを製造していたが、1920年代にはスチール弦を張るフラットトップギターを製造するようになる。
前述したように、ギブソン社ではあらかじめ湾曲させたトラスロッドを仕込み、それを回すことでネックの反りを調整できるようにした。初期のL-1、L-4といったモデルは小ぶりだが、J-200、J-45といったモデルは丸みを帯びた大型ボディで、DoveやHumming Birdは、角ばったドレッドノートタイプである。
こうして、アメリカではアコースティックギターといえば、スチール弦を張るものになり、カントリー&ウエスタン、ブルーグラスといったアメリカ音楽(Americana)では、スチール弦を張ったアコースティックギター、マンドリン、バンジョーが用いられ、そこにヴァイオリン(フィードル)やコントラバス(ウッドベース)が入っても、音量的に遜色ないバランスになった。

MOAMETALがPMなごやの「Shine」で弾いたあの黒いアコギは、おそらくESP製(Grassrootsブランド)と思われるが、スチール弦が張られ、澄み切ったコード音を響かせていた。

あの感動も、ギター職人たちのたえざる改良の歴史の賜物なのである。
(つづく)