Kawaiiの力(3) | 私、BABYMETALの味方です。

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★今日のベビメタ
本日12月9日は、2018年、Good Thingsフェス@豪州・ブリスベーンSHOWGROUNDSに出演した日DEATH。

ではなぜ日本でだけ「Kawaii」文化が発展したのか。
作家の四方田犬彦氏は、『「かわいい」論」』(ちくま新書、2006年)で、「かわいい」の源流は、平安朝の女流文学、清少納言の『枕草子』(1002年成立)にあるとした。


「うつくしきもの。瓜に描きたるちごの顔。雀の子の、鼠鳴きするに踊り来る。
二つ三つばかりなるちごの、急ぎて這ひ来る道に、いと小さき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人ごとに見せたる、いとうつくし。
頭は尼削ぎなるちごの、目に髪の覆ほえるをかきはやらで、うち傾ぶきて物など見たるも、うつくし。
大きにはあらぬ殿上童の、装束きたてられて歩くも、うつくし。
をかしげなるちごの、あからさまに抱きて遊ばしうつくしむほどに、かいつきて寝たる、いとらうたし。雛の調度。蓮の浮葉のいと小さきを、池より取り上げたる。葵のいと小さき。
何も何も、小さきものはみなうつくし。」(『枕草子』第百五十一段)
<現代語訳>
「かわいいもの。瓜に書いた幼い子どもの顔。雀の子が、人がちゅんちゅんと鼠の鳴きまねをすると跳ねてやってくること。2、3歳ぐらいの子どもが、急いで這い這いしながら来る途中で、とても小さなほこりがあったのを目ざとく見つけて、とてもかわいらしい指でつかまえて、ひとりずつ大人に見せて回る様子。
髪型をおかっぱにしている子どもが、目に髪がかぶさっているのにそれを払いもせず、首を少しかしげて物など見ているのも、かわいらしい。
まだ大きくない見習いの童が、衣装を着せられて歩いているのも、かわいい。
愛らしい子どもが、少しの間抱っこされて可愛がられて遊んでいるうちに、しがみついたまま寝てしまうのも、いじらしい。ひな人形。池から取り上げた小さな蓮の葉。小さな葵の花。
何もかも、小さいものはみなかわいい。」
『枕草子』は平安時代の1002年に書かれた随筆で、ここで「うつくし」という言葉で表されているのが「かわいい」である。古典では「うつくしは美しくない」のだ。
確かに清少納言が挙げている例は、みんな小さくて、幼くて、かわいい。
それが、1000年の時を経て現代のサブカルチャーにまでつながっているというのは、壮大な日本文化論である。
ただし、『「かわいい」論』が出版されたのは2006年なので、前述した「萌えオタク系」「赤文字系」「青文字系」の分化までは考察されていない。
「われわれの消費社会を形成しているのは、ノスタルジア、スーヴニール、ミニュアチュールという三位一体である。「かわいさ」とは、こうした三点を連結させ、その地政学に入りきれない美学的雑音を排除するために、社会が戦略的に用いることになる美学である」(p.120)というように、「かわいい」がもてはやされる日本の大衆消費社会の分析に論旨がある。そして、俳句、盆栽、トランジスタラジオからポケモンまで、「小さなもの=かわいい」という価値観が日本の文化や消費行動を特徴づけているとした。
それはそうかもしれないが、「かわいい」を『枕草子』に由来すると指摘した四方田氏のおかげで、ぼくは二つの重要な事実に気づかされた。
ひとつは、清少納言の「うつくし」=「かわいい」は、「未成熟な少女の魅力」を表しているのではなく、もっと一般的なもの/ことを愛でる価値観であるということだ。「うつくし」=「かわいい」は、ルイス・キャロルのように成人男性が未成熟な少女に対して感じる愛情ではなく、女性が幼い子どもや小さなものを可愛がる本能的な感性なのである。
もうひとつは、清少納言の感性には、恋愛対象としての男性への意識が希薄だということだ。
平安朝の女流作家である紫式部の「あはれ=趣深い・美しい→情緒的感動」と、清少納言の「をかし=趣深い・面白い→知的感動」は、日本文化の底流をなすものとしてよく対比される。
紫式部が書いた『源氏物語』は、光源氏と薫大将を中心とする長編恋愛小説である。そこに流れる「あはれ」の心情は、ウェットである。
これに対して清少納言の『枕草子』に流れる「をかし」の精神は、相当ドライである。
清少納言にも、色っぽい話がないわけではない。
「心ときめきするもの。雀の子飼ひ。稚児遊ばする所の前渡る。よき薫き物たきて、一人臥(ふ)したる。唐鏡の少し暗き見たる。
よき男の車とどめて、案内問はせたる。
頭洗ひ、化粧じて、香ばしう染みたる衣など着たる。ことに見る人なき所にても、心のうちはなほいとをかし。
待つ人などのある夜、雨の音、風の吹きゆるがすも、ふと驚かる。」(『枕草子』第二十六段)
<現代語訳>
「心がときめくもの。スズメの子を飼うこと。赤ん坊を遊ばせている所の前を通る時。
良い香をたいて、一人寝している時。少し曇った舶来の鏡を見る時。
身分の高そうな男が牛車を止めて、供の者に何か尋ねさせているのを見た時。
髪を洗い、お化粧をして、香りをよくたきこんで染み込ませた着物を着た時。別に見てくれる人がいなくても、心の中はとても楽しい。
男を待っている夜、雨の音、風が吹いて音がするのにも、はっとするものだ。」
ここでは「ときめく」という単語で、様々なシチュエーションを羅列しているが、最後の「男を待っている夜のときめき」は、スズメの子を飼ったり、他人の赤ん坊を見たり、香を焚いて一人寝したり、曇り=ぼかし効果でキレイに見える鏡(そういうアプリがありますね)を見たり、誰もいないところでおしゃれして悦に入ったりするのと並列的な事柄であり、そういう自分を客観的に眺める視点で描かれている。
こういう感性が、「小さきものはみなうつくし」=「かわいい」の発見につながったのだろう。
前出の小林敬幸氏によれば、「小さなもの=かわいい」という感性の本質は、「未成熟の肯定」にあり、それが「不完全の肯定」「非対称の肯定」「調和を拒否する感性」へと発展し、それが江戸時代の浮世絵から現代のアニメキャラにまで適用され、未成熟の少女や、ゆるキャラにも通じる二頭身のトトロの「かわいさ」の素になった。
中でも「調和を拒否する感性」こそ、ポップな原色の使い方とメイク、ファッションを訴求するきゃりーぱみゅぱみゅの魅力の源泉だという。
19世紀のルイス・キャロルが発見する800年も前から、日本では女性の目から見て「かわいい=未成熟」に惹かれるという感性が肯定され、それが現代において、アイドルやアニメの少女のイメージに適用されたとき、遠い日本と西欧の間にパチンと回路がつながったわけだ。
しかし、同じように見えるアイドル、アニメでも決定的に違いがある。
小林氏が分類した「カワイイ」の3系統で、「萌えオタク系」は青少年向けに作られ、「赤文字系」は女性誌だが男性の視線を意識し、「青文字系」は男を意識しないという相違があると述べた。
もう少し敷衍すれば、「萌えオタク系」には、「未成熟の肯定」が含まれているが、二次元の対象に対する擬似恋愛=エロスが内包されている。このため、AKB48グループでは、現実の恋愛を禁止しつつ、メンバーの水着グラビアが訴求される。
「赤文字系」は男性を意識しているから、「着回し」のように、現実の恋愛に役立つノウハウ記事が掲載され、セクシーな夏服やモテ水着の特集もある。「清楚でお洒落」という設定だけでいえば、同じく恋愛禁止だが、乃木坂46がこれに対応するかもしれない。
「青文字系」は個性を発揮するのが目的で、結果として同性の共感を得るので、現実の恋愛についてはほとんど無関心である。きゃりーぱみゅぱみゅの所属事務所であるアソビシステムでは、恋愛自由、水着禁止、ネット発信が奨励されているという。「未成熟の肯定」が「調和を拒否する感性」にまで発展したのが、「青文字系」なのだ。
小林氏は、エロスを内包した浮世絵の延長に「萌えオタク系」があり、女流作家であった紫式部が「赤文字系」に、清少納言が「青文字系」に発展したのではないかと述べている。
これに倣って『「かわいい」論』の続きを考えてみるとこうなる。
『「かわいい」論』では、『美少女戦士セーラームーン』(テレビ朝日1992年~1997年)がキャラクター商品のひとつとして考察されているが、2004年に同局で放映が始まった『プリキュア』シリーズには触れられていない。
『セーラームーン』と『プリキュア』は、悪の組織と戦う少女戦隊アニメという意味では同じだが、決定的に異なる点がある。
『セーラームーン』は、女性作家である武内直子氏が原作で、メインヒロインのセーラームーンが、めっちゃ強いヒロインなのに、タキシード仮面様(地場衛)に恋しているという少女漫画の伝統的な設定となっていた。


『プリキュア』では、作者にクレジットされた「東堂いづみ」は「東映動画大泉スタジオ」からとった版権管理のための共同ペンネームである。そして、『プリキュア』シリーズでは、好感を抱いている同年齢の少年が登場することはあるが、むしろ彼は守るべき対象であり、激しい恋の対象となる憧れの男性は登場しない。
『セーラームーン』はタキシード仮面=地場衛との恋愛成就がプロットのベースに流れていた。いうなれば、紫式部の伝統を継ぎ、同じ「カワイイ」でも、男を意識した「赤文字系」に対応しているわけだ。
一方、『プリキュア』は恋愛にはほとんど関心がなく、むしろ同性に好かれる(=友情)を重視しているという点で清少納言的であり、「カワイイ」で言えば「青文字系」に対応していると見ることができるのだ。


つまり、清少納言が発見した「うつくし」=「かわいい」は、現代サブカルチャーでは3系統に分化したが、その本流は、男性を意識しない「青文字系」にあるのだ。
逆説的だが、疑似恋愛対象である「萌えオタク系」のAKB48ではなく、男性を意識しない「青文字系」のきゃりーぱみゅぱみゅやBABYMETALが西欧で大人気となったのは、キリスト教的な意味でも、ギリシア哲学的な意味でも、成熟した「Sexy」な女性像の対極にあり、西欧から見れば新しい女性の魅力の発見だと映ったからではないか。
それを的確に表す単語がなかったから、日本語のままの「Kawaii」が用いられたのだ。
(つづく)