何じゃこりゃ!?の逆襲(6) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日11月12日は、2019年、中止になったThe Forum公演のディレイ・ビューイングが各地の映画館で行われる日DEATH。

Legend “1997“は、7曲目「君とアニメが見たい」、8曲目「メギツネ」、9曲目「イジメ、ダメ、ゼッタイ」と進み、ここでいったん終了する。
藤岡幹大、BOH、青山秀樹、大村孝佳からなる神バンドが登場したのは、アンコール後の10曲目となる「おねだり大作戦」からだった。
藤岡幹大は9月22日のイナズマロックフェスから神バンドに加わったが、大会場での単独ライブは初登場だった。
さすがに、生演奏は音の厚みが全く違い、カラオケ+骨バンド&骨シスターズのBABYMETALと、神バンドを帯同したメタルバンドとしてのBABYMETALとの差が、ハッキリと観客に示された。
11曲目の「Catch me if you can」はまだ神バンドソロがつかず、三人がステージの下手から上手まで駆け回り、「ハイ!ハイ!ハイ!」と煽るだけだが、それでも神バンドの演奏は大迫力だった。
12曲目の「ヘドバンギャー!!」も、オープニングの「Night of 15 mix」とは全く違い、BABYMETALならではの大熱狂を生み出した。
YUI & MOAのCO2噴射付きヘドバン地獄のあとの藤岡神による短いソロは、音源とは全く違うアウトな速弾きインプロビゼーションで、ライブバンドとしてのBABYMETALの魅力を放っていた。
「ヘドバンギャー!!」の終わりは、Key=DmからB♭→C→Dmと上がっていくバージョンで、ヨロヨロになったSU-が階段を上り、銅鑼を叩くところで暗転。
パイプオルガンで始まるオーケストラをバックにした「紙芝居」に続き、ピアノのアルペジオとストリングスだけのSU-ソロ「紅月-アカツキ-Unfinished ver.」が13曲目だった。
ここでSU-の歌唱は、たぐいまれな表現力を見せる。歌詞がもたらす感情の起伏に合わせた自在な息継ぎのリズム。泣いているような激しい情念のほとばしり。16歳になったばかりとは思えない「大歌手」のオーラを発していた。
だが、なぜSU-は泣いているのか。「メタルレジスタンス物語」上の演出とはいえ、何がそこまで彼女を追い込んだというのか。
それはフィニッシュ曲「BABYMETAL DEATH」で判明する。
「SU-METAL DEATH」「YUIMETAL DEATH」「MOAMETAL DEATH」「BABYMETAL DEATH」のシークエンスが終わり、「ラ#ラ#ファファドドド#ド#ソ#ソ#ド#ド#レ#レ#ドド」(Key=B♭m)のメロディが流れる中、SU-は聖誕祭だというのにまたもや磔にされ、首にコルセットをつけられて十字架に縛り付けられる。
「DEATH!DEATH!」の声が響き、ステージ上のYUI、MOA、骨シスターズが土下座ヘドバンでSU-を拝む。SU-が「ギャー!」と叫ぶと、ステージ上ではパイロの炎が立ち上がる。この時の藤岡神のソロは音源とは全く違い、荒々しい。


やがてYUI、MOAたちが十字架を持ってぴょんぴょん飛びながら「DEATH!」「DEATH!」の大合唱となり、最後の「BABY、METAL、DEATH」で、背後の巨大な聖母マリア像の首が崩れていく。
聖母マリア像とは何だったのか。
それは偶像=IDOLの象徴だった。
幼い頃から憧れ、目指してきた「アイドル」であることをやめて、メタル・アーティストに徹していく。
それが聖母マリア像破壊の意味である。
Legend “1997“のオープニングが「ヘドバンギャー!! -Night of 15 mix-」だったのは、それが「アイドル」の標準である表拍16ビートであり、違和感を強調するために演じられたのだ。「魂のルフラン」をメタルアレンジにしたのは、メタルの凄みを見せつけるためだ。「紅月-アカツキ- Unfinished Ver.」は、「アイドル」への訣別と「メタル」への出発の葛藤が表現されていたのだ…。
これまでは、それが通説だった。
確かに2014年3月1-2日の日本武道館公演以降、骨バンドの登場はなくなり、すべて神バンドの生演奏となった。
2013年まで、BABYMETALの単独ライブではアンコールがあったが、それ以降「MCもなければアンコールもない」がBABYMETALのライブの原則となった。
サイリウムの持ち込みが正式に禁止されたのは2015年の横アリからだと思うが、2014年の海外進出以降、ライブ会場でそれを見ることはぐっと減った。
要するにアイドルじゃなくてメタルバンドなんだ、というのが大方の認識になっていった。
だが、このブログでは、「アイドルとメタルの弁証法」というサブタイトル通り、アイドルとメタルを二律背反と考えるのではなく、その「融合」こそBABYMETALの本質であるという立場をとってきた。
『METAL GALAXY』の楽曲を聴き込み、それに関するSU-、MOA、KOBAMETAL、MIKKIKO師らのインタビューを読むにつけ、もう一度このあたりを再考しなければならないと思うようになった。
BABYMETALは、2014年以降も「アイドルとメタルの融合」の看板を捨てなかった。
むしろ、知名度が上がるにつれ、そのキャッチコピーが広まっていった。英語圏のインタビューで、メンバーは自らの音楽性を「Fusion of J-POP & Heavy Metal」と答えた。
2014年11月のロンドン公演を取材したNHKの特番『BABYMETAL現象-世界が熱狂する理由』の中で、SU-は「アイドルでもない。メタルでもない。BABYMETALというOnly Oneのジャンルになりたい」と言っていた。
今年のインタビューで答えた「既存のメタルに対するレジスタンス」という言葉と合わせると、その意味が改めてクリアに理解される。
2013年12月のLegend “1997”で壊した「アイドル」の偶像とは、「既存のメタル」と同じ意味で、「既存のアイドル」像ではなかったか。
親しみやすくノリ易い16ビートのダンサブルな楽曲に乗せて、明るく楽しく歌い踊り、テレビで天然キャラをいじられ、握手会で愛嬌を振りまく。聖母マリア像に託してぶち壊したのは、そんな「既存のアイドル」像だったのではないか。
その代わりにBABYMETALが目指したのは、「既存のメタル」でも「既存のアイドル」でもなく、「新しいメタル」をやる「新しいアイドル」像だったのではないか。


3rdアルバム『METAL GALAXY』で、BABYMETALはいつの間にか陥っていた「メタル縛り」を脱し、本来の「何じゃこりゃ!?」な楽曲を取り戻した。
それは頑固なメタルエリートの眉をひそめさせるかもしれないが、「解題メタル銀河」で考察したように、BABYMETALは「メタル」を捨てたわけではない。
すべての楽曲の中に、メタル要素がこれでもかと埋め込まれている。
それは、2014年以降のBABYMETALが「アイドル」を捨てたわけじゃないのと同じである。テレビには出ず、握手会もしないが、ライブでは、どんなに困難な状況でも、観客を楽しませようと全力でパフォーマンスし、インタビューにはあくまでも礼儀正しく、明るく接する。それはまさに「アイドルの鏡」ではなかったか。
さまざまなスタイルの音楽をメタルと融合し、「新しいメタル」の創造に挑戦するオトナKawaii「新しいアイドル」。
それがBABYMETALだとぼくは思う。
2012年のLegend “D”、2013年のLegend “1999”、Legend “1997”で、その萌芽はすでに現れていた。
だから、『METAL GALAXY』は全く新しいことをやっているのではなく、本来の「BABYMETALらしさ」をより進化・発展させたものなのだ。
来週から始まるジャパンツアー、来年1月の幕張Extra Showを経て、2月からの汎ヨーロッパツアー、3月からのアジアツアーで、この「新しいメタル」は世界中に広まっていくだろう。そして「新しいアイドル」であるBABYMETALは、2013年1月の書初め「世界征服」の目標へ、また一歩近づくことになるだろう。
(この項終わり)