解題メタル銀河(10) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日10月30日は、2018年、World Tour 2018 in Japan@神戸ワールド記念ホール初日が行われた日DEATH。

「Shanti Shanti Shanti」は、4拍子のメタル・リフの上に、シタール、タブラといった楽器を用いてインド音楽の旋律をのせ、三人がしなやかでセクシーなダンスを展開しつつ、観客もヘドバンしやすく、ノリやすい魅力的な楽曲である。
なぜ、BABYMETALは『METAL GALAXY』でインド音楽を取り入れたのだろう。
少し遠回りだが、かつてThe Beatlesがインド音楽に触れた経緯と比較してみよう。
1965年4月、ジョージ・ハリスンは映画『HELP!』の撮影待機中、インド人が演奏していたシタールを手にして興味を抱く。すると不思議なことが起こった。短時日のうちに、会う人、ミュージシャン仲間などから、何度もシタールの名手、ラヴィ・シャンカールの名前を聞いたのだ。たまらなくなった彼は、ラヴィのレコードを買いに行く。
そして、ラヴィの演奏を聴いたジョージは、こう言っている。
「自分でもうまく説明できないけど、自分の中のある部分を貫かれた。でも、あの音楽はとても馴染みのあるものに感じられたんだ。強いて言えばこういう感じ。自分の中の知性はあれが何なのかわからなかったけど、知性ではない部分があれに親近感を抱いたわけ。向こうから呼びかけられたというか……。」(出典:udiscovermusic.jp)
https://www.udiscovermusic.jp/stories/within-you-without-you
その後、ジョージは、ラヴィ・シャンカールからシタールの奏法を習い、「Norwegian Wood (ノルウェーの森)」(1965年『Rubber Soul』収録)、「Love You To」(1966年『Revolver』収録)、「Within You, Without You」(1967年『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』収録)などのインド風の曲を作り、自らシタールを演奏している。
「ノルウェーの森」は有名だけど、「Within you, Without You」は、ラヴィ・シャンカールの40分にも及ぶ演奏原曲をジョージが編曲し、様々なインド楽器とヴァイオリン、チェロ、アコースティックギターを加えて歌にしたもので、ジョン・レノンは「ジョージの最高傑作」と言っている。
ジョン作の「Tomorrow Never Knows」(『Revolver』収録)にもシタールやドローンが入っているが、ドラムスのビートが入り、テープの逆回しSEが多用され、サイケデリックな曲調となっている。
ビートルズの4人がそろってインドのリケリシュで、マハリシュ・マヘーシュ・ヨーギに教えを受けたのは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』がリリース後、『The Beatles』(ホワイトアルバム)がリリースされる前の1968年2月だから、その3年も前からインド音楽に取り組み、音楽性を広げようとしていたジョージの勧めに、他のメンバーが感化されたということになる。


それほど、当時のビートルズにとって「音楽性の拡大」は切実だったのだ。彼らがインド音楽に求めたものは何だったのか。
1699年~1967年の『Revolver』『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、ビートルズ史上、サイケデリックロック/アートロック期とされる。
1966年10月、渡英したジミ・ヘンドリックスのデビューシングル「Hey Joe / Stone Free」がリリースされ全英4位となる。同じ頃、「ギターの神」と呼ばれていたブルースギターの名手エリック・クラプトンはクリームを結成、SGにサイケ調のペイントを施して愛用し、即興演奏を繰り広げていた。
ハードロックの台頭以前、アメリカのR&Bのコピーからスタートしたブリティッシュロックの最先端は、大麻、LSDなどの向精神薬の服用で得られる「意識の拡大」をテーマにしたアメリカ西海岸発のフラワームーヴメントに触発されたサイケデリックロックであり、ビートルズも少なからずそうした楽曲を制作していた。
そこから、アドリブ演奏を基本として、大音量で歪んだギターサウンドを展開するハードロックや、メロトロンやシンセサイザーを用いて壮大で幻想的な構成を持つプログレッシヴ・ロックが誕生していくことになるが、ビートルズはその方向には進まなかった。
ビートルズの演奏力は高い。ワールドツアーをこなしていた1964年~1966年頃のブートレグを聴くと、やや重く粘るようなリンゴのドラムス、ポールのエア感のあるベースライン、ジョージとジョンのギターは、当時の楽器の水準を考えると信じられないほどチューニングが合っており、しかもアメリカンポップス的な4人のコーラスのピッチは、恐ろしいほど正確である。根っからのライブバンドだったのだ。
だが、R&Bのカバーからスタートしたとはいえ、ビートルズの楽曲はあまりにも完成度が高く、コーラスグループでもあったから、単純なコードワークをベースにしたアドリブ演奏には向かない。
かといって単純なオープンコードで、卓越したソロシンガーであるミック・ジャガーの「歌」を聴かせるローリングストーンズ的な行き方もできなかった。
ピンク・フロイドがファーストアルバム『『夜明けの口笛吹き』をレコーディングしていた時、隣のスタジオで『Sgt. Pepper’s…』を制作していたビートルズを見学したという。
当時のピンク・フロイドはシド・バレット(G)がリーダーだったが、LSDの過剰摂取で活動に支障をきたし始めており、翌年脱退してしまう。
結成当初からリチャード・ライト(K)がおり、デイブ・ギルモア(G)が加入したピンク・フロイドは、薬物の弊害と切り離せないサイケデリックロックを脱し、オーケストラ的構想の大曲を中心としたコンセプトアルバムの制作に徹していく。1968年の『神秘』は、プログレッシヴ・ロックの原点となった。
キーボードレスのバンドであるビートルズが、サイケデリックロックを脱して、欧米人が頑固に持っているキリスト教文化や近代合理主義、科学的思考の枠から脱し、新しい音楽性や世界観を提示するのに、インド音楽や哲学は一筋の光だった。
だが、ビートルズのファンが求めているのは、類まれな才能たちが作った美しいコード進行、ハーモニー、センスにあふれた歌詞を持った珠玉の名曲なのであって、オルタナティブな思想性そのものではなかった。
ジョージ作なら、メロディックな「ノルウェーの森」はわかるけど、「Love You to」と「Within You, Without You」は完全にインド音楽で、ジョンが何と言おうと、よくわからないというのが本音ではなかったか。
インド留学を経た後にリリースされた『The Beatles』(1968年11月、別称ホワイトアルバム)は2枚組で、サイケデリック色は後退し、「Back In The U.S.S.R.」「Revolution」(以上ジョン作)、「Ob-La-Di, Ob-La-Da」「Blackbird」「Birthday」「Helter Skelter」(以上ポール作)といった、バラエティ豊かな楽曲が並んだ。ジョージ作の「While my Guitar Gently Weeps」も、クラプトンをフィーチャーし、インド音楽の影響はほとんど感じられない。
つまり、欧米人であるビートルズにとってインド音楽は、内面的な影響を受けたかもしれないが、音楽的にはあくまでも「外部」でしかなかったのだ。
それでは、わがBABYMETALにとって、インド音楽とはどういうものなのか。
元々、日本人にとっては、欧米のキリスト教文化や近代合理主義や科学的思考の方が、明治時代以降に入ってきた「外来」のものである。
意識的に対峙したり、乗り越えなければならないと思い詰めたりするほど、ぼくらの思考や表現はそれらに縛られてはいない。
古来、日本人にとって世界とは「天竺(インド)・唐(中国)・本朝(日本)」であり、お釈迦様の生誕地であるインドは、“世界の果て”ではあっても、馴染み深い地であった。
仏教に代表される東洋の神秘哲学のひとつに、自他、主客を区別しないという考え方がある。
大宇宙の中に自分があり、自分の中に大宇宙がある。すべては「入れ子」状につながっており、こちらが動けばあちらも動く。あちらが動けばこちらも動く。
メタルに「アイドル」が融合できるのだから、BABYMETALに「インド音楽」を融合したって、ちっとも不思議じゃない。
メタル要素を入れたインド音楽なんて今までなかったが、アジアのアーティストとして、インド音楽に一石を投じたっていいわけだ。
The Beatlesが自分たちの音楽性拡張の参考にしようとして、インド音楽を「学んだ」のに対して、BABYMETALは自他を区別せず、自分たちの音楽と融合しつつ、メタルによってインド音楽の表現の可能性を拡張してしまった。
もちろん、「Shanti Shanti Shanti」の制作にあたって、シタールやタブラなどの楽器を用いた編曲はもちろん、メンバーたちは伝統的インド音楽の“コブシ”の歌唱法や、指先や首をしなやかに動かすインド舞踊の所作といった技法の習得に、ずいぶんと時間をかけ、力を入れたに違いない。


だが、それは「内面」を学ぶためではなく、メタルとインド音楽の融合という新しい地平を切り開くために必要だったからだ。
それは、インド発祥の仏教を、徹底的に「我がこと」として修行した平安末期~鎌倉時代の日本人の僧たちが大胆に拡張してしまったのと同じ感覚かもしれない。
自他は同一。「入れ子」状態。ライブのバックに万華鏡のような画像を用いているのもそのためだろう。

そういうアジアの知恵こそ、「Shanti Shanti Shanti」のテーマである。
Shantiとは、サンスクリット語のशान्तिः=平和という意味だ。
あらゆるものが一つに融け合う世界。
だから「♪果てしなくFree」なのだ。
(つづく)