メディアリテラシー(2) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日7月25日は、2014年、ロサンゼルス公演@The Fonda Theaterが行われた日DEATH。

では、設問ごとの解答と、出題の意図について解説していこう。
設問1と設問5は、この教材の核となるもので、『羽鳥慎一モーニングショー』での玉川徹氏のコメントの元となった「がっかりしている」と、のちに産経新聞に全文が掲載された桜田大臣の「本当にがっかりしております」とのニュアンスが全く違うというところに気づくかどうかを問うものである。
玉川徹氏は、この「がっかりしている」を、口を極めて批判しているから、設問1の選択肢の中では、温かいニュアンスのある
「ア.大切な時期に病気になった池江選手がかわいそうで、残念だ」を除いて、「イ.金メダルが一個減ったので、税金からまかなわれる育成資金を損した」「ウ.国のために金メダルを取るのが選手の使命なのに、病気になるなんてダメな奴だ」「エ.大臣として金メダルを期待していたのに、池江選手には失望した」
のどれでも正解でよい。玉川徹氏の発言は、桜田大臣のイメージを、傲慢で、高圧的なものととらえていることが明らかだからだ。
逆に設問5は、産経新聞に掲載された桜田大臣の元発言であり、これを読むと、池江選手に対する温情のようなものが感じられ、どこか朴訥なおじいちゃんのような人柄が伝わってくる。「やはり、早く治療(ちりょう)に専念(せんねん)していただいて、頑張(がんば)っていただきたい。また元気な姿を見たいですよ。そうですね。」という口調には、高圧的なものは感じられない。
だから設問5の正解は、「ア.大切な時期に病気になった池江選手がかわいそうで、残念だ」である。
まあ、そもそも桜田大臣が、「本当にがっかりしております」ではなく、「本当に残念です」と言えば、「失言」として切り取られることもなかったかもしれない。
設問2は、玉川徹氏の発言そのものの可否を問う問題ではないことに留意されたい。
政治的意見はあくまでも自由であり、それを「善悪」として教えるのが、メディアリテラシーの目的ではない。そうではなく、彼のコメントの「元」になった情報が何かを推測させるのがこの設問のポイントである。意見には必ず「元」になる情報があるはずだからである。
「ア.NHK2月12日放送分」は、とりわけ桜田大臣の人格を疑うようなニュアンスはないので、これではない。
「イ.NHK2月13日午前放送分」は、「がっかりしている」を大臣の人格を疑うものとして批判した国民民主党の玉木代表の立場を報道しているもので、これも玉川徹氏の意見の根拠に近い。だが、「ウ.NHK2月13日午後放送分」では桜田大臣の「何が批判されているのか理解できない」という部分が入っており、陳謝と辞任についても触れているので、おそらく玉川氏の意見の元はこれだろうと見当がつく。「エ.産経新聞2月14日記事」はむしろ桜田大臣の人格について修正を迫るものだからこれではない。したがって正解は「ウ」である。
設問3は、インターネット記事についてのリテラシーを問うもの。
ヤフーニュースのタイトル(見出し)の「テレ朝玉川徹氏、不適切発言連続の桜田五輪相に大臣ヤメロのレベルでない。政治家を続けていいのか」は、テレビ朝日の『羽鳥慎一モーニングショー』で玉川徹氏がこう言ったという「出来事」を要約しているに過ぎない。玉川氏の意見に賛成であるとも反対であるとも言っていない。つまり、このタイトルは「ア.事実」なのである。
設問4は、国民民主党の玉木代表の批判が事実にもとづいているかどうかを問う問題。
設問2と同じく、意見の可否ではない。ただし、この場合、玉木代表がどのニュースソースにもとづいているかは明らかではない。少なくとも翌日の産経新聞の発言全文は見ていないはずだし、あらかじめ悪意を持って切り取られた情報しか見ていなかった可能性だってある。したがって、この設問の主眼は、生徒がある程度の論理性を持って情報源を推定できるかどうか見ることにある。
正解例は、「発言をその場で聞いていなかったのだから、事実ではなく伝聞か思い込みで桜田大臣をやめさせたいと思ったのではないか」。
設問5は前述のとおり「ア」が正解。

この問題を解くには、解答者に次のような能力が育っていることが求められる。
(1)    長文をめんどうくさがらずに、ちゃんと読む根気。
(2)    文章に込められたニュアンスを読み取る力。
(3)    感情的にならずに、その人がどういう根拠にもとづいてその意見を言っているかを類推する論理的思考力。
この問題を、公立中高一貫校を目指す小学校5年生と、公立中学校2年生にやらせてみたところ、ルビや語句解説をしてあるにも関わらず(1)のところでつまずく子が多かった。さらに設問4はどう書いていいかわからないという感じで、ちゃんと書けた子はいなかった。ただし、設問1と設問5は、「設問の意味」を補足してやると正解率は100%であった。設問2も半数の子が正解にたどりついた。
文章に込められたニュアンスを読み取る力は、国語力そのものであるが、教師が、文章には「てにをは」の違いや修飾語の用い方で「文意」が変わるのだという「気づき」を与えることができていれば、子どもはちゃんと理解するようになる。
また、論理的思考力は、「なぞなぞ」やパズルを日常的にやる習慣で身につく。
逆に言えば、国語の教師が「文章表現の面白さ」や「行間を読む」方法を教えず、自分の頭で考える「なぞなぞ」や「パズル」を与えられない環境に育ってしまうと、すべてが「めんどうくさい」ものに思え、結果、甘い言葉や大きな声にダマされてしまうようになる。
教師の中には、かなり大きな割合で、「子どもは素直なのが一番」と思っている方が多く、また一方で少数派になりつつあるとはいえ、サヨク的価値観を子どもに教え込むことを「天命」だと思っている方々もいる。
「素直になるな」と教え込むのは論理矛盾だという意見がある。
そうではないのだ。
「何事も事実にもとづいて、根拠を確認しながら自分の頭で考える。」という人間としての基本姿勢を教えたいのだ。今は教師と生徒という年齢差や立場の違いがあっても、子どもは数年すれば立派な大人になる。そのときには、ぼくらは社会を共有する仲間となる。
さて、論理的に物事を考える際、絶対に外れてはならないルールがある。
それは「証拠のヒエラルキー」と呼ばれる原則である。
物理的法則>学術的検証を経た物証>研究者による文書記録>当事者の証言
である。
(つづく)