日本の味方(8) | 私、BABYMETALの味方です。

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★今日のベビメタ
本日7月21日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

常に古い自分を更新し、より良いものを作り上げていかないと気が済まない性格、さらに、工夫した跡=「花」を大げさに言い立てるのではなく、さらりと「秘して」いくという日本文化の特質は、どこから来たのだろうか。
それが日本人らしさを考察する上の最後のテーマである。
ぼくの考えでは、それは日本人のDNA、1万6500年前から1万4000年もの長い間続いた縄文時代に形成されたものだ。
ぼくらの小学校時代には、縄文時代は狩猟採集が中心で、呪術的な縄文式土器はあったが、原始的な生活で、2000年前に朝鮮半島から進んだ稲作文化を持った弥生人がやってきて、そこから日本の歴史が始まったのだとされていた。日本を支配した天皇家がその一族だったという「遊牧騎馬民族征服説」(江上波夫)なんてのもあったなあ。
しかし、これはほとんどすべて間違いだった。
いつまでもそんな先入観に縛られていてはいけない。「初心忘れるべからず」である。
まず、縄文時代の人々は、大規模な定住をし、農業を行い、弓矢で動物を狩り、海辺で貝や魚釣りをし、特産品を遠くまで交易していたことがわかった。
少人数でウロウロする狩猟採集民というイメージは、さらに前の旧石器時代のイメージであり、縄文時代は明らかに「文明」といえる時代だったのだ。
1992年に大規模な発掘が行われた青森県の三内丸山遺跡では、巨大な六本柱の建物、住民が集まる大型竪穴式建物や高床式倉庫、多くの竪穴式住居跡が見つかり、近くにはクリ、クルミ、トチ、エゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどを栽培していた跡があった。


土壌に含まれるプラントオパールからは陸稲を栽培していたこともわかった。“ゴミ捨て場”の骨などから、食べていたのは、これらの作物のほか、イノシシ、鹿、野兎、ムササビなど。遠方と交易していたことを示す黒曜石、琥珀、漆器、翡翠製大珠なども出土した。
関東の縄文時代遺跡で発掘された黒曜石は、なんと伊豆諸島の神津島から運ばれたものだということもわかっている。縄文人は、船で太平洋を行き来していたのだ。
1998年、青森県の大平山元|遺跡から出土した土器片は、AMS炭素年代測定法で、1万6500年前のものだということがわかった。これは世界最古の土器だった。

すぐそのあとに中国の湖南省で1万8000年前の土器が発見されたということになったのだが、その土器は現在紛失してしまい、代わりに2003年に中国江西省の洞窟遺跡で発掘された土器が2万年前なので、これが現在世界最古とされている。
おかしなことに、大平山元|遺跡は、1でもⅠでもなく、Backspaceの隣の|と打たないと検索できないようになっている。
日本の土器が世界最古であっては困る勢力による何かしら陰謀のようなものを感じるのだが、ただ、胸を張って言えることは、中国では「最古」の土器が出土したかもしれないが、それが広まった形跡がないのに、日本では1万3000年前ごろにはほとんどすべての縄文遺跡で、普通に土器が使われていたことが明らかだということだ。

土器の用途の第一は、鍋である。
武田鉄矢によれば、獣や魚を調理するのに、普通の狩猟採集民族は、火にくべて焼く。すると油やビタミンは滴り落ちてしまう。
しかし、土器に水を張って鍋にすれば、スープの中にあらゆる栄養が溶け込み、しかも美味になる。だから今でもぼくら日本人は鍋が好きで、「〆」にはご飯や麺を入れてスープまで余すところなく摂取しようとする。鍋という調理方法は、1万年の縄文時代に形成されたぼくらのDNAに染みついているのだというのだ。
ちなみに、大平山元|遺跡で出土した石鏃(小さく加工された石の矢じり)も、世界最古とされている。
つまり、土器を作って、鋭い弓矢で獣を狩り、植物を栽培し、他地域と特産品で交易するという生活様式は、当時世界最先端だったわけだ。
この縄文時代の生活様式は、樺太南部から沖縄まで広がっており、1万6500年前から2400年前まで、約1万4000年間続いた。
この長い長い縄文時代こそ、日本人と日本文化が形成された時代である。
いくら天皇家がギネスブックで世界最古の王朝であると規定されていても、たかだか2000年なのに対して、縄文時代はその7倍もの長さを持っている。
また、朝鮮半島から進んだ稲作文化を持った人々がやってきたというのも、嘘くさいことがわかった。
朝鮮半島の旧石器時代は1万5000年前ごろまで続いたとみられ、そのころの遺跡も50か所ほど見つかっているが、その後5000年間空白になってしまう。そして1万年前(BC8000年ごろ)から、縄文(櫛目紋)土器を持った遺跡が朝鮮半島南部から見つかる。それらの遺跡からは、日本の九州や沖縄の縄文遺跡と同じ遺品が発見される。つまり、この頃、日本から縄文人が移住したと考えられるのだ。
それは日本人と朝鮮人のDNAにもちゃんと記録されている。
Y染色体は男性のみに継承されるので、突然変異した遺伝子セット=ハプログループを分析することで、民族の移動を追っていける。近隣の民族と比較すると、日本人には固有のハプログループがあることがわかった。以下はウィキペディアの「ハプログループ」の項を参考にしてまとめたものである。


東アジアの民族のハプログループには、大きく4つの要素がある。
1.北方アジア由来のCグループ(C1a1+C2)
これはオロチョン族の90.9%、モンゴル人の52.3%、満州人の26.9%、朝鮮人の9.3%、アイヌ人の25%、日本人の10.8%、沖縄人の4.4%が保有している。
2.中国華北由来のO2グループ。
これは中国華北人の65.9%、朝鮮人の40%、満州人の38.5%、華南人の32.5%、モンゴル人の22.8%、日本人の19.7%が保有している。
これがいわゆる漢民族のDNAセットで、このように広がっているわけだ
3.中国華南由来のO1(O1a+O1b)
これは台湾人の89.6%、タイ人の48%、華南人の45%、フィリピン人の42.5%、朝鮮人の42.6%、マレー人の40.7%、日本人の34.4%、沖縄人の22.2%が保有している。これもアジアでは強いDNAだ。
4.D1a
日本人の32.1%、沖縄人の55.6%、アイヌ人の75%が保有するこのハプログループは、他の民族では朝鮮人の4.0%が保有するだけである。つまり、このD1aというハプログループは、日本固有のものなのだ。
ハプログループとは、前述したように突然変異した遺伝子セットに他ならない。だから、日本固有のD1aというグループが作られたのは、1万4000年も続いた縄文時代であるとしか考えられない。
そして、このD1aが朝鮮人の4.0%に残っているのは、ある時代に日本から朝鮮半島へ渡った人々の子孫であるということだ。
D1aの比率は、アイヌ人や沖縄人の方が多く、日本人全体では、華南由来のO1や華北由来のO2も多いから、ハイブリッドであることは間違いない。
だが、その基底に他の民族にはないD1aという縄文由来のDNAがあることも科学的事実だ。だから、日本人らしさとは、縄文人のDNAに由来するといってもいい。
(つづく)