日本の味方(6) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日7月20日は、2016年、Alternative Press Music Awardsで、「KARATE」演奏後、“メタルゴッド”ロブ・ハルフォードと「Painkiller」「Breaking the Law」を共演。YUI、MOAがMini Arrowを弾き、2017年には、5大キツネ祭り in JAPAN 金キツネ祭り@東京・赤坂BLITZが行われた日DEATH。

朝鮮日報の7月9日記事によると、日本政府の韓国「ホワイト国」除外措置を機に、韓国・京畿道の教育庁は、道内にある2300校以上の小・中・高校に対し、「学校生活の中の日帝残滓発掘調査」を実施し、「修学旅行」や「訓話」といった日本由来の言葉を「清算」対象として位置づけたという。
子どもたちに、日本は「敵」であり、日本語は「敵性語」だと刷り込もうとしているわけだ。
なぜか英語の「ファイティング」も、日本人に教わったからダメなのだそうだ。
韓国語の中から、日本由来の漢語要素を追放しようとする動きは、かなり昔からあった。
作家の豊田有恒氏の『韓国が漢字を復活できない理由』(祥伝社)によれば、1965年に日韓基本条約を締結した朴正煕大統領は、親日派と見られることを避けるために、1970年前後に教育カリキュラムから漢字を追放した。だが、当時韓国軍参謀長だった李在田が「韓国漢字教育推進総連合」を作り、韓国軍の中で漢字教育を復活させた。やがて学界、言論界からの要望によって、中等教育で漢字教育が復活したこともあったが、近代化が日本のおかげだという史実を隠したい人々が多く、韓国の国語審議会は700語にも及ぶ「日本語風生活用語純化集」を作って、日本語由来の単語を韓国語風に「純化」したという。
今回起こっているのは、その延長で、特に日本の影響が強い学校教育の分野というわけだ。
しかしねえ。
漢字圏で最も早く近代化したのは日本なので、西洋化=近代化に関わる漢字熟語のほとんどはオリジナルの中国語にはなく、明治時代の日本人が発明したものである。
文大統領がシンパシーを寄せる朝鮮民主主義人民共和国の「民主」も「主義」も「人民」も「共和国」も日本語だ。
だが、京畿道の教育庁がこうした方針を発表した背景には、彼ら自身が朝鮮半島の近代化を推進したのが憎き「日帝時代」だとしっかり認識している証拠でもある。
だからといって、政治・経済・学術・思想・社会のあらゆる分野から近代化=日本語の要素を取り去ったらどうなるか。日本の影響=近代化そのものを否定して、李氏朝鮮時代に戻りたいのだろうか。
ならば、引き続きイザベラ・バードの『朝鮮紀行』(講談社学術文庫)を見てみよう。
―引用―
<朝鮮という国の紹介>
日清戦争以降朝鮮人は清に援助を期待するのはやめたとはいえ、清に対しては好感をいだいており、崇高な理想や尊ぶべき伝統、道徳的な教えを清に求めている。朝鮮人の文字、迷信、教育制度、祖先崇拝、文化、考え方は中国式である。社会は儒教を規範とした構造をとっており、子供に対する親の権利や弟に対する兄の権利は清においてと同じく100パーセント認められている。
このように旧態依然とした状況、言語に絶する陳腐さ、救いがたくまた革新のないオリエンタリズムの横溢する国に、本家には国をまとめる民族の強靭さがあるのに、それを持たない清のパロディたる国に、西洋による感化という動揺がもたらされたのである。(P.34)
<釜山のようす~朝鮮人の体格について>
砦はとても古いものの、中の市街は3世紀前の構想(註:豊臣秀吉時代)に沿って日本人の手で近代化されている。(中略)
朝鮮人はわたしの目には新奇に映った。清国人にも日本人にも似てはおらず、そのどちらよりもずっとみばがよくて、体格は日本人よりはるかに立派である。(P.40)
<ソウルについて>
わたしは昼夜のソウルを知っている。その宮殿とスラム、ことばにならないみすぼらしさと色あせた栄華、あてのない群衆、野蛮な華麗さという点では、ほかに比類のない中世風の行列、人で混んだ路地の不潔さ、崩壊させる力をはらんで押し寄せる外国からの影響に対し、古い王国の首都としてその流儀としきたりとアイデンティティを保とうとする痛ましい試みを知っている。
が、人は始めからそのように「呑みこめる」ものではない。
一年かけてつきあったのち、わたしはこの都を評価するにいたった。すなわち、推定人口25万のこの都市が世界有数の首都に値すること、これほど周囲の美しさに恵まれた首都はまれなことを充分に悟ったのである。(P.55)
<ソウル城内について>
北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのだから!
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は立てられず、したがって推定25万人の住民はおもに迷路のような横道の「地べた」で暮らしている。
路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た固体および液体の汚物を受ける穴かみぞで挟められている。(P.58-59)


<漢江流域の人々の生活>
借金という重荷を背負っていない朝鮮人はまったくまれで、つまり彼らは絶対的に必要なもの以外の金銭や物資に貧窮している。彼らは怠惰に見える。わたしも当時はそう思っていた。
しかし彼らは働いても報酬が得られる保証のない制度のもとで暮らしているのであり、「稼いでいる」とうわさされた者、たとえそれが真鍮の食器で食事をとれる程度であっても、ゆとりを得たという評判が流れた者は、強欲な官吏とその配下に目をつけられたり、近くの両班から借金を申し込まれたりするのがおちなのである。(P.110)
<両班について>
朝鮮の災いのもとのひとつにこの両班つまり貴族という特権階級の存在があるからである。
(中略)両班は自分ではなにも持たない。自分のキセルですらである。(中略)慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、おおぜいのお供をかき集めれるだけかき集めて引き連れて行くことになっている。本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民を脅して買っている鶏や卵を奪い、金を払わない。(P.137)
<閔妃に面会した印象>
どのときもわたしは王妃の優雅さと魅力的なものごしや配慮のこもったやさしさ、卓越した知性と気迫、そして通訳を介していても充分に伝わってくる話術の非凡な才能に感服した。その政治的な影響力がなみはずれてつよいことや、国王に対してもつよい影響力を行使していること、などなどは驚くまでもなかった。王妃は敵に囲まれていた。国王の父大院君を主とする敵対者たちはみな、政府要職のほぼすべてに自分の一族を就けてしまった王妃の才覚と権勢に苦々しい思いをつのらせている。(P.333)

<朝鮮のポテンシャルについて>
気候はすばらしく、雨量は適度に多く、土壌は肥え、内乱と盗賊団は少ないとくれば、朝鮮人はかなり裕福でしあわせな国民であっておかしくない。もしも「搾取」が、役所の雑卒による強制取り立てと官僚の悪癖が強力な手で阻止されたなら、おしてもしも地租が公正に課されて徴収され、法が不正の道具ではなく民衆を保護するものとなったなら、朝鮮の農民は日本の農民に負けず劣らず勤勉でしあわせになれるはずなのである。
しかしこの「もしも」はあまりに大きい!(P.432)
―引用終わり―
このくらいにしよう。
李氏朝鮮は1392年に明の皇帝に承認されて建国し、王朝が変わった清に対しても1637年以来、貢献・貢女・臣下の礼をとる冊封体制下の属国だった。
古代から中世まで、東アジアでは、中華皇帝を「天子」とし、「華夷秩序」を守ることが国家安泰の基盤だった。一度も他国に占領されず、自立していた日本は例外なのだ。
だが18世紀後半には産業革命によって近代化した欧米列強国が、蒸気船や近代火器をもってアジア各国を次々と植民地化していた。
李氏朝鮮の宗主国である清もまた、1843年のアヘン戦争に敗れ、イギリスに香港を割譲させられていただけでなく、シベリアに進出した帝政ロシアには1858年にアイグン条約でアムール川(黒龍江)北岸を、1860年の北京条約で沿海州を奪われていた。
こうした欧米列強のアジア侵略という世界情勢に危機感を抱いたのが明治維新の志士たちだったのであり、新政府成立後は、国民一丸となって近代化を進めた。
しかし、李氏朝鮮の王族は、相変わらず清を宗主国と仰ぐ者(事大党)と、西洋化・近代化を進めようとする者(開化派)とが対立し、後者も一足先に近代化した日本に学ぼうとする勢力と、帝政ロシアにすがろうとする勢力に分かれ、血で血を洗う殺し合い、裏切りが相次いだ。
イザベラ・バードが朝鮮を初めて訪れたのは、『日本紀行』の16年後、日本が日清戦争に勝利した1894年で、それから1897年まで四度訪れている。

『朝鮮紀行』の描写は非常に細かく、読んでいると、まるでタイムトリップしたかのように、当時の朝鮮、満州、沿海州などの様子がわかる。謁見したとき、高宗は1時間以上にわたって彼女に、英国の政治体制について質問したという。その後の高宗の選択は、イザベラ・バードに影響されたかのようにさえ思える。

その激動の中で、彼女がどういう結論に達したかは、最終章に書いてあるが、それは彼女の意見なのでここでは書かない。
ただひとつだけ。
李氏朝鮮をむしばんでいた両班に対する彼女の批判は、今も生きているように思う。
日本は、朝鮮の近代化に誠実に取り組んだ。
1910年から1945年までの35年間に、猛烈に反対する両班を抑えて、奴婢・白丁などの賤民を身分解放し、5000校もの学校を作って義務教育を施し、ハングルを普及させて識字率を10倍にし、土地を小作に解放して人口を1300万人から2600万人に倍増させ、一人当たりGDPを5倍にした。
朝鮮人を、日本人に隷属すべき植民地人ではなく、等しく国民として扱い、朝鮮だけでなく、日本国内に住めば選挙権、被選挙権が与えられたから、日本の国会議員や閣僚にも朝鮮人がいたし、日本軍には50倍の倍率で合格した25万人(1943年)もの朝鮮人志願兵がいた。ベルリン・オリンピックのマラソン日本代表として金メダルと銅メダルを取ったのは朝鮮人だった。


イザベラ・バードが、その体格の良さや語学力など、日本人以上のポテンシャルを認めていた大多数の一般朝鮮人にとって「日帝時代」は、少なくとも内紛が絶えない王族や無能で横暴な両班から解放され、近代化の恩恵を受けた時代だったはずなのである。
逆に言えば、「日本に何もかも奪われ、悪夢の時代だった」とまで思うのは、イザベラ・バードが厳しく批判していた支配階級=両班の人たちなのではないか。
額に汗して働くことを「下賤」だと思い、プライドばかり高く、抽象的な言い回しで、事実とかけ離れた「(~である)はず・(~である)べき」論をこねくり回す人々。
前回書いた、現場に出て、民の暮らしを少しでも良くするのが、統治者の義務であると考える日本の藩主、武士階級とは正反対ではないか。
悲しいかな、日本の敗戦とともに、韓国の政治家や知識人やマスコミなどの「指導者層」についたのは、その多くが、本当かウソかわからないが「両班出身」の人々だった。
だから韓国の国是が「反日」になってしまった。そう考えると筋が通る。
(つづく)