日本の味方(2) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
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★今日のベビメタ
本日7月10日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

軍事転用可能な民生品の輸出について、日本政府が韓国への優遇措置を取りやめる措置をしたことについて、ここでこれ以上書くつもりはない。日本政府が決断した理由、韓国内での反応などは、オールドメディアからネットのSNSまで、さまざまな情報が出ているので、各自が判断すればいいと思う。
ただ、日本や日本文化を愛するということには、「反日感情」との戦いという側面があるので、おさえるべき事実はちゃんと知っておかねばならないと思う。
ぼくが高校生だった1970年代後半、歴史の先生によく言われたのが、戦後生まれだから戦争には関係ないと思ってはいけないということだ。日本人なら、先祖の罪を背負い、迷惑をかけた近隣諸国に、永遠に謝罪し続ける義務を負っていると自覚しろというわけだ。
戦後復興した日本はまたぞろ「エコノミックアニマル」になり、「ウサギ小屋」に住みつつ、「経済侵略」で東南アジア諸国を搾取し、現地の女を買い漁っている。
自衛隊は「憲法違反」であり、かつて「侵略」されたアジア各国は日本の「右傾化」「軍国主義の復活」を不安に思っている。

実際、1970年代には、タイやインドネシアで反日暴動が起こっていた。


(1974年、田中角栄首相訪問時のインドネシアで起きたマラリ暴動)

とりわけ「20万人」の「南京大虐殺」があった中国と、「20万人」の女性が強制連行されて「従軍慰安婦」にされた韓国は、これを「歴史問題」として日本に謝罪要求する権利があり、逆に日本は絶対に中国や韓国の悪口を言ってはいけない。
これがつい最近までの「進歩的知識人」の公式見解であり、“お勉強”のできるいい子ちゃんの常識だった。
修学旅行で韓国に行き、ソウルの独立記念館で日本軍憲兵が韓国人女性を股裂きにしているジオラマを見学し、従軍慰安婦について調べさせ、韓国人女子高生とディスカッションさせるのが定番の有名女子進学校もあった。
そういう極悪非道な日本人の精神性を生んだ「後進的」な日本文化は一刻も早く葬り去るべきものであり、天皇を敬愛し、伝統を守り、神社へお参りに行くなど、“右翼反動”の所業であった。
実際には皇室報道や歌舞伎や日本舞踊などの伝統芸能はどこかハイソな雰囲気を持っていたし、浴衣を着て花火を見に行くのも、初詣に行くのも格好のデートチャンスだった。
だが、ほとんどの新聞、テレビ番組、学校教育、書籍に「日本は悪」と書いてあるのだから、まじめに勉強する人ほどそう思い込み、国際社会の中で日本人であることは肩身の狭いことだと感じていた。
だから、1970年代~80年代、日本人が世界で活躍することは、一種の「奇跡」であり、「後進的」な日本文化が認められた!と大興奮したものだった。
1989年6月、中国で天安門事件が起こり、ポーランド、ハンガリー、ルーマニアが次々に民主化され、11月には東ドイツのベルリンの壁が崩壊した。


(1989年ベルリンの壁崩壊)

1992年にはソ連が解体されて、「進歩的知識人」が理想としてきた共産主義・社会主義が、思想統制・独裁・圧政そのものであったことがわかってしまった。
同じころ、石垣島の新空港建設を「環境破壊」であるとして、キャンペーンを行っていた朝日新聞のカメラマンが、西表島のサンゴに自分で傷をつけて捏造記事を書いていた事件もあり、1990年代に入ると大新聞や「進歩的知識人」への信頼は失われていく。
インターネットによって、個人が様々な一次資料にアクセスできるようになると、さまざまな「常識」が再検証されるようになった。
1997年、かつて「理想の国」と言われていた北朝鮮が多くの日本人を拉致していたことがわかり、拉致被害者家族会が結成された。それまで日本社会党(現社民党)は、北朝鮮による拉致は捏造だと主張していたのだ。一体どっちが捏造だったのか。
「日本=悪者」論の根拠となっていた第二次世界大戦中の日本の「悪事」の信ぴょう性も疑わしいことが明らかになっていく。
例えば、「南京事件」。
極東裁判では、占領後最初の1カ月間に2万の強姦事件が市内で発生、商業施設、一般人の住宅への放火は6週間も続き、全市の約3分の1が破壊され、殺害された一般人と捕虜の総数は20万人以上とされた。
朝日新聞の本多勝一記者は、1971年の『中国の旅』で、日本軍は「百人斬り」など残虐に中国の民間人を殺したと記述していた。しかし、本多勝一が中国共産党の招へいによって取材したことや、この本に添えられた写真が偽物だったことがのちに明らかになる。
2007年、自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は、占領前と占領後で南京市の人口が増えていること、「虐殺」の数日後、食べ物や日用品の市が立ち、日本軍人と子どもたちが笑い合う光景があったことなど、到底大虐殺があったとは考えられないとし、2010年に行われた「日中共同歴史研究」では、「軍事行動として殺害がなかったとはいえないが、残虐性・規模については諸説ある」と少なくとも両論併記されるのが公式見解になった。


(1937年12月20日南京占領から7日目、子どもたちと遊ぶ日本兵)

2013年には『フーバー大統領回顧録』が出版され、中国に利権を持つF.ルーズベルト大統領が、意図的に日本を開戦に導いた経緯が明らかになった。
2014年、朝日新聞は、「従軍慰安婦」報道に関する検証を行い、記事の元になった「私も慰安婦狩りをした」と「告白」した吉田清治の証言が虚偽であったことを認め、16本の記事を取り消した。
とりわけ1992年1月の宮澤喜一首相訪韓前に掲載された「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」という記事は、当時、名乗り出た元慰安婦の話とは異なり、記者が捏造したことがわかった。
https://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122337.html
2015年、関野通夫は、1989年に作家・江藤淳が主張していた戦後GHQによる「War Guilt Information Program」のコピーを、国会図書館で発見して雑誌『正論』で公表した。
WGIPとプレスコードは、日本の武装解除と国民性の破壊を意図的に行うもので、プレスコードの「削除と発行禁止対象のカテゴリー30項目」の中には「8.朝鮮人への批判」「9.中国への批判」もあった。これが、「進歩的知識人」による「中国と韓国への悪口は言ってはならない」の根拠だったのだ。
そして、長崎県軍艦島のいわゆる「朝鮮人徴用工」についても、つい先日7月2日、ジュネーブの国連欧州本部人権委員会でシンポジウムが行われ、ソウル落星台経済研究所の李宇衍研究員が、第二次世界大戦中の日本各地での炭鉱の賃金調査をもとに「朝鮮人炭鉱夫の月収は他職種の朝鮮人や日本人に比べて高かった」ことを論証し、朝鮮人を連行して強制労働させたなどというのは歪んだ歴史観であると訴えた。
韓国の「反日教育」の根拠となっている日韓併合時代の実相については、『日本の朝鮮統治を検証する1910-1945』(ジョージ・アキタ/ブランドン・パーマー共著、草思社文庫ア31)に詳しい。帯だけ紹介すると「それは穏健かつ公平、現実的にして、日朝の相互発展をめざすものだった」。
「南京大虐殺」「従軍慰安婦」「徴用工の強制連行」「汚いジャップの真珠湾奇襲攻撃」「暗黒の日帝時代」…。これらは今なお「反日感情」の根拠となっている。
歴史は勝者によって書かれるとよくいわれるが、戦後の日本もまた、戦勝国の都合によって作られた歪んだストーリーを、“お勉強”のできる知識人やマスコミ、先生たちがその代弁者として、国民に教えて込んできたのだ。
それがハッキリとわかってきたのは、実にSU-やMOAが生まれてから、もっと言えば、BABYMETALのデビュー以降の話なのだ。
歴史の真実がわかってきた以上、誤りを正し、捏造された思い込みを捨て去るのが当たり前だろう。
にもかかわらず、史実から目を背け、従来の「日本=悪者」論にしがみつく者たち―マスコミや大学、教育現場に多く、高い地位にいて、自分たちこそ正しいと主張するから、“偽善者”と呼ぼう―は、それを「歴史修正主義者」と呼んで非難する。
だから、「日本が好き」「日本文化が好き」というのは、そうした“偽善者”たちとの戦いになることを知っておかねばならないのだ。
今、韓国と日本の間に起こっていることは、国と国との戦いではない。
インターネットが発達し、英語のリテラシーも日本より数段上の韓国で、国民が再検証された歴史の真実にアクセスできないのは、現在の韓国ではハングルが主流のため、漢字を含む日本語文献やサイトが読めず、かつ、日本側の資料が英語に翻訳されていないためだと思う。
「日本=戦犯国」が常識で、同調圧力の強い韓国では、日本を肯定する書籍が発禁処分になってしまうこともある。自由主義陣営なのに、言語的に閉鎖されているのではないか。
それでも、今回の騒動で日本政府の措置を正しく理解し、文在寅政権の危うさを指摘する書き込みもあるし、日本製品不買運動が全然広がっていない街レポ動画をアップしている韓国人の方もいる。
どちらの国にも、歪んだストーリーにしがみつく古き偽善者たちがいる。
と同時に、真実を知り、彼らと戦うべく、長い眠りから目覚めて立ち上がった新しき者たち―AWAKEN & ARISES-がいる。
今は少数派でも、真実を共有する新しき者たちがいつか大きな波となり、今は対立していても、友好国として新しい関係を築く時が来る。そう思いたい。
(つづく)