音楽の呪術性(4) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日6月19日は、2013年、2ndシングル「メギツネ」が発売され、TV埼玉「Hot Wave」に出演した日DEATH。

ずいぶん間が空いてしまって申し訳ありません。
前にも書きましたが、連休明けから右大腿部から骨盤にかけての痛みがあり、5分以上立ったり歩いたりするだけでキツイ状態が続いていました。
1ヶ月以上かけてさまざまな検査をやった結果、専門医の所見で病名が確定しました。
「外側大腿皮神経痛」ではなく「脊柱管狭窄症」だそうです。
先週受けた二度目のMRI検査で、第一・第二腰椎の間、第二・第三腰椎の間、第三・第四腰椎の間の3か所で、本来楕円形の神経束がつぶれたように扁平になっていることがわかったのです。
原因は加齢による脊柱の湾曲とか、背筋の衰えらしいです。
今後の治療としては、神経の血流をよくする薬を3週間飲み続け、改善されなければ手術だそうです。以前は、大腿骨頭壊死や筋肉痛の可能性もあったので、病名が決まるまでの間、鎮静剤を飲んで経緯を見るというものだったのですが、それとは意味が違うようです。
ネットで見ると「脊柱管狭窄症」の手術には1週間~3週間の入院が必要だそうですが、脊椎の手術なので、色々コワい記事もあります。
とりあえず服薬で痛みが改善し、運動療法で治ればベストなのですが。
しかし、ブログで病気の話を書くようになるとは。トホホ。

音楽の呪術性の続き。
「失音楽症」別名アムシア(Amusia)の研究によって、人間の脳が音楽を認識し、心を動かされるのは、言語中枢とは異なる部位の働きであることがわかった。
ここから、これまでモヤモヤしていたいろいろな疑問の答えが導き出される。
まず、ぼくらがBABYMETALに心動かされたのがリクツじゃなかったこと。
確かに「アイドルとメタルの融合」というコンセプトは画期的だったし、三人はめちゃめちゃKawaiかったけど、それだけじゃ説明できない。ぼくら中高年も含めて、多くのメイトさんは「なんだかわからないけど感動してしまった」のだ。それはBABYMETALが音楽だったからだ。音楽だから、言語による説得とかロジックじゃないチャンネルで、ぼくらの心に直接入ってきたのだ。


次に、BABYMETALが日本語で歌っているのに欧米人メタルファンの心をがっちりつかんだこと。
これも同じことだ。Kawaii Metalとか、Fusion of Metal and J-POPとか、キャッチコピー的な説明はあったけど、「ギミチョコ!!」を見て、ライブに行ったら、日本語なんて全然気にならない。
ジャスティン・ビーバーやエド・シーランや人気ラッパーたち、あるいは全米3位のJojiの曲は、歌詞が命だ。もちろん曲調や声の質もあるだろうが、欧米人がこぞってダウンロード/ストリーミングして聴きたがるのは、歌詞の内容が日常的で、身につまされるからだろう。
だがBABYMETALは全然違う。歌詞の内容に共感なんてできない。日本語だから意味が分からない、「♪いとしくて せつなくて こころ強くて…」(イジメ、ダメ、ゼッタイ)が、小室哲哉作詞作曲「恋しさと切なさと心強さと」(篠原涼子)のパロディであるとかのニュアンスはもっとわからない。
それでもBABYMETALに惹かれてしまうのは、SU-METALの歌や、YUIMETAL、MOAMETALのScreamの声質も含めたBABYMETALの音楽が、言語とは別のチャンネルで心に響いたからだろう。
最後に、このブログも含めてBABYMETALを語りたがるサイトやブログが多いこと。
言語中枢じゃないチャンネルで、BABYMETALのとりこになってしまったので、なんとかそれを言語化し、論理的に説明してみたいという思いに駆られる人が多いのだ。
これは、宗教的体験をした人に似ている。
旧約聖書の預言者。新約聖書の福音書記者。
日本特有の私小説家もそうかもしれない。
「奇跡」のような体験や言葉にできないほど悲惨で過酷な経験をすると、どうしてもそれを自分の心のうちに留めておけなくなり、なんとか言語化して誰かに伝えたいと思う。
それは、自分の得た体験を客観視したいという願望に始まるが、究極的には「救い」を求める行為に転化する。書くことによって体験や経験が「聖化」され、より多くの仲間に「布教」することが新たな生きる目的になるといったらいいか。
だから宗教の儀式では音楽が使われる。イスラム教の正統教義で楽器を使った音楽を禁じているのも、逆説的だが、言語中枢すなわち論理を超えて人間の心に入ってくる音楽の特殊性を認めているからだろう。
だが、一般的に人は論理的に納得したからといって特定の宗教に入信するものではない。論理的には破綻していても、否、だからこそ、それを聖なる「奇跡」として信じたくなってしまうのが宗教である。
キリスト=イエスは復活後、使徒トマスに十字架の傷跡に指を入れさせ、「見たから信じたのか。見ないで信じる者になりなさい」と諭した。


信じることとは、要するに論理じゃないということだ。
日本は古来、論理と人倫を尊ぶ国であり、それは神道や大乗仏教の影響だと思われるが、戦後「科学立国」となってから、とりわけ1995年のオウム真理教事件以降、一般的に宗教=非合理=危険というイメージを持っている人が多い。
もし、ある宗教が危険であり、そのツールとして、論理ではない仕方で人の心を動かす音楽が使われているとすれば、実に危険だ。
では、BABYMETALの音楽は呪術の一種であり、かつ危険な宗教なのか。
結論を出す前に、音楽というものが、言語や論理じゃないチャンネルで人の心を動かす不思議な力をもっているとすれば、あらゆる音楽がそうであるはずであるのに、メイトと呼ばれるぼくらが好きになったのはBABYMETALである。それはなぜなのか。
(つづく)