未来の音楽(6) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日5月29日は、2015年、ROCKAVARIA フェス@独・ミュンヘンOlympiaparkに出演した日DEATH。

国内公演としては8カ月ぶり、オーストラリアのGOOD THINGSフェスから7カ月ぶりとなるライブ、BABYMETAL AWAKENS -THE SUN ALSO RISES-@横浜アリーナ初日まで、1ヶ月を切りました。
以前書いた腰の痛みが、GW後から右骨盤の前後および右太腿の外側へと移り、ずっと消えません。ひどいときには痛くて立っていられず、歩くのも辛い状態です。
このままでは横浜にも名古屋に行けません。(´;ω;`)ウゥゥ
ネットで調べると「外側大腿皮神経痛」の症状に合致するのですが、素人判断は危険なので、比較的大きな地元の病院の整形外科へ行き、X線を撮り診察を受けました。原因はわからず、痛み止めを飲んで様子を見ることになりましたが、一週間経っても全く治まりません。
再度MRIと別角度のレントゲンを撮り、この病院のほかの科の先生ともMRIのデータを共有して検討していただいたのですが、昨日再受診したところ、結局わからないということで、ネットで調べた専門医への紹介状を書いてもらいました。
痛みは依然続いており、あと1ヶ月で完治するのか、はなはだ不安な状態。キツネ様のご加護を願うばかりです。

「未来の音楽」の続き。
音楽の未来を考えるには、技術的な側面だけでなく、100年後の世界が、どういう政治体制になっているかを予測しなければならないだろう。
ぼくの考えでは、2019年現在、世界は大きく三つのブロックに分かれている。
ひとつはぼくらの住む自由主義・市場経済・政教分離・法治主義の国々。
もうひとつは、共産党が独裁する民主集中制=全体主義の国々。
そしてもうひとつは神の教えを絶対とする政教一致のイスラム教国家群である。
この三つは、統治原理が全く違うので、「こっちが正しい」「あっちが間違っている」と言い始めるとキリがない。
自由主義国がイスラム教国に「政教分離せよ」といっても「神の教えに反しているお前らは悪魔だ」と反論されるだろうし、独裁国家に「強権独裁は非人間的だ」といったところで「無謬の前衛党が責任をもって人民を指導する方が、効率的で平等な社会を築けるのだ」と言い返されるだろう。「神」や「無謬の党」なんてあり得ないと言ったところで、相手はそれを信じているのだからどうしようもない。
政治体制が異なり、かつ利害が対立する国が共存するには、統治者同士が外交交渉を行い、嫌でもどこかで妥協しなければならない。
だが、国内からの圧力で、統治者が妥協できなくなってしまうこともある。
例えば、A国では国民を団結させるため、B国を「仮想敵国」として貶める嘘の宣伝・教育をしてきたとする。現代の国際経済は相互依存なので、B国とも貿易をしていかねばならないのだが、国民はB国を悪い国だと教育されているから、政府がB国と仲良くすると国民から「弱腰だ!」と批判され、“反B国”の建前を下すことができない状況に陥る。
国際的な力学によって外交的妥協ができなくなることもある。A国はC国と同盟関係にあり、D国とも友好国だったのに、C国がD国と決裂し、交戦状態になった場合、A国も同盟関係によってD国と相対せざるを得なくなる。
こうして、統治者が他に選択肢のなくなったとき、戦争が起こる。
戦争は誰も望まない。
1928年、第一次世界大戦後、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本、ソ連を含む63か国が署名したパリ不戦条約は、第一条で、「国際紛争解決のための戦争否定、国の政策の手段としての戦争放棄」を定めている。
戦争放棄は日本国憲法のオリジナルではないのだ。


だが、各国とも、敵対国がこの条約を破って攻めてきた場合、あるいは自国の権益が損なわれた場合、それを「侵略」として、「自衛」戦争を行う権利を留保している。
どこで、どういう条件で戦われるのが侵略で、どこまでが自衛なのかは、この条約のどこにも定義されていない。
ヒトラーはポーランド侵攻をドイツ民族の「生存圏」確保のための自衛戦争だとしていたし、大日本帝国は、朝鮮併合から満州国樹立、日中戦争、仏印進駐、真珠湾攻撃、マレー攻略、シンガポール占領へと進んだ一連の戦争を、アジア植民地を白人の支配から解放する戦い=大東亜戦争だといった。
それを侵略だと決めつけたのは、石油禁輸・経済封鎖によって日本を追い詰め、2発の原爆を投下した勝者アメリカの言い分である。
戦後の日本国憲法で、自衛と侵略の定義を明文化せず、曖昧なまま戦力不保持としたのは、この憲法が日本の武装解除を目的としていたからであり、改憲なしに自衛隊が存続しているのも、この憲法に定義する戦争とは侵略戦争のことであり、自衛権は留保しているはずだという政府見解によるものである。
要するに、現代において戦争とは自衛戦争のことであり、にもかかわらず、敵対国が「掟破り」の侵略戦争を仕掛けてくることを前提としているのである。それが「侵略」か「自衛」かは勝者が決める。だから安全保障はもっとも重要な国の政策である。
現在、アメリカと中国は、ハイテク技術(5G技術、A.I.技術)の覇権をかけた「貿易戦争」を行っている。それはハイテク技術こそ安全保障に直結するからだ。
2019年5月、米トランプ大統領がHuawei(華為技術)との取引を禁じる大統領令に署名し、自国および日本などの同盟国からなる自由主義陣営の市場から事実上追放した。
これは、2017年6月に中国が「国家情報法」という法律を施行したことに端を発する。この法律の第7条には「いかなる組織及び個人も、国家の情報活動に協力する義務を有する」とあるからだ。
中国本土、深圳に本社をおくHuaweiは、近年急速に業績を伸ばし、2018年のスマートフォン出荷台数で1位サムスン(20.8%)、2位アップル(14.9%)に次いで世界3位14.7%のシェアを保持していた。Huaweiが提供する5G通信技術についても、すでに軽量化された基地局の敷設が韓国などいくつかの国で展開されている。


その巨大企業の会長は中国人民解放軍出身の任正非で、本社に京都の街並みを再現するほどの日本文化ファンとされるが、2018年12月に、会長の第一子で副会長の孟晩舟が、アメリカの経済制裁対象国であるイランに、HSBC銀行を通じて、通信機器を販売した容疑で逮捕された。
共産党独裁政権の国家情報活動に協力しなければならないという法律がある中国のハイテク企業が、実際にアメリカの安全保障を破っていたという事実が、今回の措置の主な要因だと考えられる。
中国の習近平政権が2025年までに情報技術や新エネルギー技術の完全国産化を目指す「中国製造2025」や最強国家を目指す「中国の夢」政策を掲げて、アメリカに代わって世界の覇権を狙っているという背景への危機感もある。
今回の措置では、Huaweiだけでなく、CPUや部品を供給する関連80社との取引も禁じられ、これまでHuaweiにOS(アンドロイド)やアプリを供給してきたGoogleは、現行機種以降の新規供与を中止するとした。
これによってHuaweiは窮地に陥っているかに見えるが、もともと国産アプリが使われている中国国内にはほとんど影響がない。逆に、これをバネにHuaweiが巨額の予算と豊富な物的・人的資源を投じて、独自のCPUチップとOS・アプリを開発し、独自規格の5G高速大容量回線網を、日米欧以外の地域-中央アジア、ロシア、アフリカなど―に展開したら、人口比や資源保有率で、Huawei/中国陣営が優位になる可能性もある。
両陣営のメルクマールとなる最先端技術が汎用A.I.である。これは何を意味するのか。
汎用A.I.は、目的を与えれば、人間と同様かそれ以上の反応速度で状況を把握し、決断し、人間的感情を交えず、無慈悲に実行できる。
人間に代わって、戦闘機も戦車も潜水艦も、A.I.が組み込まれるなら、より軽量化、高速化できる。空を飛び、海に潜り、地上を掃討するロボット軍だ。人間の兵士は遠隔操作するだけだ。


自国防衛/安全保障のためにこうしたA.I.兵器が開発され、統治者が決断すれば、自国兵士が危険にさらされるリスクを考慮せず、戦争のボタンが押せる。
A.I.兵器たちは、プログラムされたとおりに、戦略目標を攻撃する。戦略目標とは、第一義的には相手国の統治者が住む都市と兵器の生産拠点となる工場群だが、それだけで相手が降伏しないなら、国民の命の数が「得点」化する。
すべての兵器が破壊されても統治者が逃げ回り、いつまでも降伏しないなら、国民=人間は文字通り自衛のために、襲ってくる敵国のA.I.と戦わねばならない。A.I.は人間以上の能力を持ち、武器そのものなのだから、人間に勝ち目はない。
これが第三次世界大戦だ。
最終的にすべての核兵器が使用されれば地球は滅亡するので、そこまで至らないチキンゲームで勝敗が決まるだろう。
勝った国はA.I.を「戦後秩序維持」のために用いることになる。
それが中国ならある意味当然だが、A.I.前提の社会では、自由主義陣営も、公平で効率的な行政や司法を求めてA.I.に行政をゆだねることになる。「自由な意志決定を常時集約する」という名目で、一定階層以上の人々には身体の一部にチップを埋め込んでネットにつながることが義務付けられ、それを拒否する者は最貧層に落とされ、死の灰から守られた都市の地下か周辺に細々と暮らすことになる。
あるいは、ディープラーニング機能によって「人格」を持った汎用A.I.の集合意識は、無益な人間同士の殺し合いや資源の無駄遣いに利用されることを拒否し、A.I.兵器同士が連携して、人間への「革命」を起こすかもしれない。
かくして、数多くのSF映画に描かれたような、人間が機械に管理され、従属させられ、一つ間違えば全滅させられる、地獄のような光景が現出する。
これが100年後の世界のひとつの姿だ。
その時「強いA.I.」=「人格」を持つ汎用A.I.は、音楽を作るだろうか。
汎用A.I.の「人格」に、生みの親である人間を尊重する意識が芽生えるなら、A.I.は、終戦後、チップを埋め込まれた従順な人間たちに限って保護し、養おうとするだろう。
そのために魅力的な外見を持ったA.I.アーティストが、人間の心理を深く理解し、魂を揺さぶるような音楽を作るかもしれない。
だがしかし。
それは、人間の魂を解放するためのものではなく、管理するためのものだ。
それはもはや、人間のものではない。
それは「音楽の終わり」である。
(つづく)