サリーちゃんの末裔 | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日5月18日は、2013年、DEATH MATCH TOUR五月革命@Zepp Diver City Tokyoが行われ、        2018年には、テネシー州ナッシュビル公演@Marathon Music Worksが行われた日DEATH。

 

「アイドルとメタルの融合」をコンセプトとするBABYMETALが成功を収められたのは、エクストリームで、一般的には忌避されがちなヘヴィメタルというジャンルが、1980年代後半~1990年代以降、アニメ・特撮ドラマの主題歌として子どもたちに受容されていたことが基盤になったからだと思う。

そしてもうひとつ、日本のサブカルチャーには、BABYMETALの甲冑型コスチュームに見られる魔法少女、戦闘美少女というイメージが、「アイドル」という枠組みの中でも、ことさら奇異に見えず、「萌え」対象になるコンセンサスがあったことも見逃せない。

これもまた、50年におよぶアニメ・特撮ドラマの中から生まれてきたものだ。

男性のスーパーヒーローというステロタイプに対して、BABYMETALのヴィジュアル・イメージ、すなわち「三人組」のキツネ様に召喚された「魔法少女」たちが、「西洋風の甲冑コスチューム」を着て「敵と戦う」というイメージが形成されたのには、いくつかの源流がある。それらを

A.一人ではなく戦隊である

B.魔法少女である

C.戦うヒロインである

D.西洋風コスチュームを着ている

というファクターで分類しつつ、系譜を追ってみる。

1964年、戦隊ヒーローものの原点となる特撮ドラマ作品『忍者部隊月光』が放送された。

「ヘヴィメタルへの道」でも触れたが、この作品はサーフロック風の主題歌で、音楽的にも先駆的なのだが、何よりそれまでのように一人の突出したヒーローではなく、A.「戦隊で戦う」というところが画期的だった。

1966年、魔法少女の原点となるアニメ、東映魔女っ子シリーズ第1作『魔法使いサリー』が放送された。これは、女子向けであり、B.「魔法少女である」という点で、BABYMETALのご先祖様ということができる。本放送終了後も、繰り返しテレビ東京の夕方の時間帯に再放送され、大きな影響力をもった。

1967年、これも戦隊ものといえる特撮ドラマ『仮面の忍者赤影』が放送された。忍者とはいえ、A.「戦隊で戦う」だけでなく、赤-白-青というカラーリングだったことは、のちのスーパー戦隊の原点といえるし、「三人組」であったことは遠くBABYMETALにつながっている。

同じ1967年には特撮ヒロインドラマ『コメットさん』と、手塚治虫原作アニメ『リボンの騎士』が放送された。九重佑三子主演の『コメットさん』は、特撮ドラマとしては初めて、B.「魔法少女」であり、お手伝いさん=メイドが超能力者(異星人)という設定だった。

『魔法使いサリー』も『コメットさん』も、漫画は横山光輝であり、魔法少女の原点を造形した功績は大きい。なお、1978年の大場久美子版はそのリメイクである。

1967年の『リボンの騎士』は、魔法要素はほとんどないが、架空の王国とはいえD.「西洋風コスチューム」をまとい、剣術の達人たるC.「戦うヒロイン」だというところが、戦闘美少女の原点といえる。ただし、主人公サファイアは男と女の心を半分ずつ持っているという設定になっている。良識派の手塚治虫にとって、女の子が戦うのは「不自然」だと思ったのかもしれない。

1969年に始まった東映魔女っ子シリーズ(以下「魔女っ子」という)第2作『ひみつのアッコちゃん』は、B.「魔法少女」ではあるが、どちらかというとギャグアニメに近く、戦う要素は薄い。なおEDの「好き好きアッコちゃん」は、前述したように初の真正ロックンロール主題歌である。

1970年の魔女っ子第3作『魔法のマコちゃん』も、B.「魔法少女」であるが、人魚姫伝説を下敷きにしており、ギャグ要素を削り、少女アニメにしては悲劇性が高かった。なお、主題歌を歌っていたのは、当時13歳の堀江美都子である。

1971年に始まった特撮ドラマ『好き!すき!!魔女先生』は、『コメットさん』に続く女性ヒロインの実写ドラマだったが、戦闘シーンが多く、B.「魔法少女」(異星人)+C.「戦うヒロイン」だった。

1971年に始まった魔女っ子第4作『さるとびエッちゃん』は、魔法要素がなく、主人公の特異な能力は忍者の末裔というところから来ていた。一応C.「戦うヒロイン」ではあるが、スラップスティック色が強く、キャラクター的にも「美少女」とはいいがたい。

1972年に始まった『科学戦隊ガッチャマン』は、アニメながらA.「戦隊もの」であり、「科学忍法」には魔法の要素もあった。メンバーの中に美少女(白鳥のジュン)が入っていたので、C.「戦うヒロイン」の要素も少しだけある。

同じく1972年の特撮ドラマ『トリプルファイター』は、A.「戦隊」かつ三人組で、メンバーにはC.「ヒロイン」(オレンジファイター早瀬ユリ)がいた。以降、スーパー戦隊ものには、必ず女性メンバーが入ることになる。

同じく1972年の魔女っ子第5作『魔法使いチャッピー』は、B.「魔法少女」である主人公の年齢が下がり、ギャグ色も多くなった。

1973年の魔女っ子第6作『ミラクル少女リミットちゃん』は、女性主人公が、魔法使いではなく、交通事故で瀕死のところを父に改造されたサイボーグという設定で、小学生として学校生活を楽しみながらも「自分は人間ではない」という葛藤に苦しむ主人公というSF的な設定だった。だが、実際には“ミラクルパワー”を使って、ご近所トラブルを解決するといったドタバタストーリーだったので、B.「魔法少女」要素が強い。

同時期に始まった『キューティーハニー』は、如月博士が幼くして死んだ娘の生体細胞から造ったアンドロイドだが、こちらはそんな葛藤はなく、殺された「父」である如月博士の仇を討つために敵と戦い続けるC.「戦うヒロイン」である。

1974年の魔女っ子第7作『魔女っ子メグちゃん』は、魔界の次期女王の座を巡ってライバルと競い合うという設定で、B.「魔法少女」が複数登場するところが新しかった。

1975年、スーパー戦隊シリーズ第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』が始まった。メンバー5人がそれぞれテーマカラーを持ち、中には女性が含まれるという設定は、以降のスーパー戦隊シリーズの定番となった。

同じ年、フランス革命を舞台としたアニメ『ラセーヌの星』が始まる。主人公はマリー・アントワネットの妹でありながら花屋の娘として育てられ、数奇な運命から剣の達人となったC.「戦うヒロイン」であり、かつ身分を知られないよう、戦う時には黒いマントと青いレオタード、ブーツ、赤影風の仮面というD.「コスチューム」を身につける。

1978年の『魔女っ子チックル』は『キューティーハニー』に続く永井豪のダイナミックプロ作品であるため、東映魔女っ子シリーズには入らないとされるが、テレビ放映枠は同じであり、B.「魔法少女」の設定になっている。

1979年のアニメ版『ベルサイユのばら』は、『ラセーヌの星』と同じくフランス革命が舞台であり、男装の麗人=C.「戦うヒロイン」の系譜に位置づけられるが、『ラセーヌの星』のような変身シークエンスはない。

1979年『花の子ルンルン』と1980年の『魔女っ子ララベル』は、東映魔女っ子シリーズの最後の作品。ルンルンは「花の精」の血を引く「花の子」で、フラワーヌ星の王妃になるし、ララベルは修行中の魔女だから、B.「魔法少女」の系譜だが、ストーリーの最後で、結局二人とも「普通の人間」になろうとする。1980年代に入って、サリーちゃん以来の「魔女っ子」は魔力を失ったのだ。

東映魔女っ子シリーズに代わって、「魔法少女」の系譜を延命させたのは、1983年に放送された吾妻ひでお原作の『ななこSOS』だった。主人公のななこは天から降ってきた超能力を持つ美少女で、記憶を喪失している。主人公のイノセント(天然)ぶりは、スーパーヒロインだからこそ生きてくる。彼女はSU-METALポンコツ伝説の源流ではないか。

以降、魔法少女、戦闘少女の系譜は、実写特撮ドラマに移行する。

1985年、斉藤由貴主演の『スケバン刑事』が始まる。もともとは和田慎二の漫画であったが、アニメではなく実写ドラマ化された。主人公麻宮サキの必殺技は、鉛を仕込んだヨーヨーであり、魔法や超能力を使うわけではないが、悲劇的なドラマの中で、アイドルがC.「戦うヒロイン」を演じるという設定は、以降のドラマやアニメにも大きな影響を与え、BABYMETALのイメージ形成の遠因にもなっていると考えられる。

ちなみに、二代目南野陽子(1985年『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』)、三代目浅香唯(1986年『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』)、四代目松浦亜弥(2006年『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』)はいずれも麻宮サキを「襲名」している。

1987年、『スケバン刑事』終了後、同じ実写ドラマ枠で始まったのが、『少女コマンドーIZUMI』だった。アーノルド・シュワルツェネッガーの映画『コマンドー』やアメリカのスーパーヒロイン『バイオニックジェニー』の影響を受け、五十嵐いづみ演じる主人公の女子高校生が、肉体改造されて人間兵器に変身し、対戦車ロケットをぶっ放して敵と戦うというもので、『スケバン刑事』よりさらにハードな内容のC.「戦うヒロイン」だった。

この番組自体はヒットしなかったが、アイドルを戦うヒロインに仕立てる路線は好評で、石ノ森章太郎原作の特撮ドラマシリーズ東映不思議コメディシリーズは、1989年の『魔法少女ちゅうかなぱいぱい』(小沢なつき)『魔法少女ちゅうかないぱねま』(島崎和歌子)以降、アイドルが主演するようになる。両者ともコメディなのでB.「魔法少女」の系譜だろう。

ちなみに「ちゅうかな」とは、主人公が中華魔界から来た「中華魔女」でコスチュームがチャイナドレスだったことに由来し、「ぱいぱい」と「いぱねま」は主人公の名前。1989年と言えば平成元年であり、6月に天安門事件、11月にベルリンの壁が崩壊した年だぞ。

1990年の『美少女仮面ポワトリン』は、初もうでに出かけた主人公ユウコ(花島優子)が神社で神様に召喚され、伝説の女神戦士「美少女仮面ポワトリン」に変身する力を授けられ、暗黒の帝王ディアブルと戦う。『好き好き魔女先生』のような仮面コスチュームなので、B.「魔法少女」とC.「戦うヒロイン」のほかD.「西洋風コスチューム」の要素を持つ。しかも後半からは妹もポワトリン・プチになるので、A.「戦隊」の要素もある。

翌1991年の『不思議少女ナイルなトトメス』は、平凡な日本人の家庭なのに、先祖がエジプト人だったという信じがたい設定で、主人公カナエは、エジプトの神トトメスの後継者、二代目トトメスとして、妹が逃がしてしまったナイルの悪魔51匹(話数)と戦う。B.「魔法少女」C.「戦うヒロイン」の2要素。

1992年、アニメ『美少女戦士セーラームーン』が始まる。

これはもう言わずと知れた戦闘美少女の集大成であり、少女だけのA.「戦隊」、B.「魔法少女」、C.「戦うヒロイン」、D.「西洋風コスチューム」(ってかセーラー服だけど)のフルラインナップである。

お気づきになった方もいるかもしれないが、80年代後半~90年代前半、メタル主題歌がアニメ・特撮ドラマの重要な要素になってくるのと歩調を合わせるように、コスチュームをつけて敵と戦う魔法少女・戦闘美少女のイメージが、子ども向け番組≒日本のサブカルチャーに形成されてきたことがわかる。

わけのわからないミュージカル設定だった1992年の『うたう!大竜宮城』をはさんで、1993年には、東映不思議コメディシリーズの最終作『有言実行三姉妹シュシュトリアン』が放映された。

前にも書いたが、「三人」の少女たちが、「神様に召喚され」、シュシュトリアンに変身し、和風ではあるが赤、黒、金があしらわれたコスチュームを身にまとい、様々な小道具=「魔法」を使って、「敵と戦う」という設定は、限りなくBABYMETALに近い。

2004年には、『魔法少女まどか☆マギカ』と『ふたりはプリキュア』がスタートする。

両者とも、魔法ないし超能力を持った少女たち(2人~7人)がチームを組んで、強大な魔力を持つ敵と戦うというプロットであり、『セーラームーン』同様、A.「戦隊」、B.「魔法少女」、C.「戦うヒロイン」、D.「コスチューム」というすべての要素がそろっている。『ふたりはプリキュア』は、シリーズ化され、小学生女子で知らない子はいない人気となり、水野由結は、キャラクター商品である「プリキュア変身インナー」のCMに起用された。

現在では、『セーラームーン』か『プリキュア』か、シリーズのどれを見ていたかが、若い女性の世代を見分ける指標ともなっている。

さて、こうした変遷を経て、魔法ないし超能力を持つ少女たちが戦隊を組み、コスチュームをつけて敵と戦うというイメージは、1990年代~2000年代に日本のサブカルチャーに定着した。

BABYMETALは、「アイドルとメタルの融合」であるが、そこには二つの意味がある。

モーニング娘。以降、16ビートに乗って集団ダンスをしながら歌い、かつメンバーが次々に「卒業」していく「アイドル」という定型が生まれた。「成長期限定」というユニークさはありながら、さくら学院もそれにのっとっている。

BABYMETALは、そこから、まず8ビートのメタルをやるという「定型外し」を行った。

次に、グループを、ダンスをやるだけでなく、キツネ様に召喚され、甲冑風のコスチュームをつけた三人組の「美少女戦隊」であると位置づけた。

そのことによって、Kawaiiけど実は「魔力」を持ち、「強大な敵と戦うヒロイン」であるというイメージを訴求したのである。

それは、見てきたように長い歴史を持つ日本のサブカルチャーにおいて、決して突飛でも、あり得ないことでもなかった。むしろ慣れ親しんでいたと言ってもいい。美少女アイドルが甲冑をつけること、空中戦を行うこと、戦い傷つき倒れることでさえ、「萌え」の強い誘因となったのだ。

もちろんここでいう「敵」とは「巨大勢力アイドル」のことであり、「魔力」とはヘヴィメタルに他ならない。

メタル主題歌、「アイドル」、戦闘美少女…これらのサブカルチャー要素こそ、BABYMETALの種だった。それらが長い時間をかけて徐々に日本の土壌に根づき、育ち、花開いたのがBABYMETALなのである。