新章に向けて(2) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日4月12日は、2016年、米Billboard 200で「Metal Resistance」が39位となり、日本人として坂本九以来53年ぶりにTOP40に入った日で、2017年には、「Live at Tokyo Dome」DVD/BD(通常盤)が発売され、フィルムフェスツアー大阪@なんばパークスシネマがスタートし、Red Hot Chili PeppersのUSAツアーSpecial Guestとして、ワシントン D.C. / Verizon Centerに出演した日DEATH。

アマゾンで注文した『PMC Vol.13』がまだ届かないという人も多いと思うので、SU-METAL、MOAMETALのインタビューの内容に触れるのは、もうちょっと先にするが、二人とも2018年の経験で、より絆を強くし、一回り大きくなったことがわかるし、「前へ進むしかない」という決意が言葉の端々から伝わってくる。


ちょうど3年前の2016年4月12日、日本全国に衝撃が走った。
米Billboard 200で、BABYMETALの2ndアルバム『Metal Resistance』が39位となり、日本人として坂本九以来53年ぶりにTOP40に入ったのである。
前作『BABYMETAL』が、2014年12月ごろ、Billboardのワールドアルバム部門で1位となり、ワールドアーティストとして年間5位にランクされたとき、一部マスコミが大騒ぎした。しかし、すぐにワールド部門は、ケルト音楽やインド、K-POPといったアメリカ人にとってのエスニック音楽、輸入盤扱いのマイナー部門であることがネットで拡散され、鎮静化した。
その際、本当に評価が決まるのはアルバム総合部門であるBillboard 200であり、『BABYMETAL』は187位であることも周知されていた。
当時、日本人でBillboard 200に入ったアーティストは2014年のBABYMETALを含めて13組いた。
最高位は坂本九の『Sukiyaki and Other Japanese Hits』の14位だったが、ロックバンドとしては1986年のLOUDNESS『Lightning Strikes』の64位(前年の『Thunder in the East』は74位)が最高位で、1980年のYMO『Yellow Magic Orchestra』は81位、2008年のDIR EN GREY『Uroboros』の114位がこれに次いでいた。
オノ・ヨーコを除く女性アーティストだと、2009年の宇多田ヒカル『This is the One』が69位、2014年のチボマット『Hotel Valentine』が168位といった状況だった。
BABYMETALの新作は、少なくとも前作の187位を上回るだろうが、ファンとしては100位以内、できればLOUDNESSの記録を超えたらいいなという程度に思っていた。
それが、前日深夜の第一報では38位という情報が流れ、翌日正式に発表されたのは39位だった。
坂本九以来、53年ぶりのトップ40入り。
この「トップ40」という言い方はBABYMETALの39位に合わせたものではなく、200位以内が「ランクイン圏内」であるのと同じように、40位以内は「上位圏内」という意味合いだった。
ビルボード始まって以来、日本人でその範疇に入れたのは、1963年の坂本九ただ一人だけだったのであり、その意味で2016年のBABYMETALが39位に入ったのは、メイトも予想しなかった、日本の大衆音楽市場、歴史的なできごとだったのである。
これでBABYMETALとは何かを、「坂本九以来53年ぶり」という枕詞とともに、家族、クラスメート、同僚などに胸を張って伝えられるようになった。
その上、2016年は、4月2日のウェンブリー公演を皮切りに、アメリカ東部、ヨーロッパ、アメリカ西海岸というワールドツアー、夏休み期間のフジロック、RIJ、サマソニ(大阪のみ)、RSRという四大ロックフェス出演を経て、9月に東京ドーム公演へと昇りつめるツアースケジュールが発表されていた。
BABYMETALには文字通り“天駆ける狐”のごとき勢いがあった。
3rdアルバムの発売を控える今年、もう一度その勢いを取り戻したいという願望が、ぼくらメイトにはある。
あのとき、レッチリに始まり、メタリカ、ガンズ、KORNといった大物バンドの「前座修行」へと「後戻り」せず、東京ドームから一気にアメリカの大会場でのライブを行い、ノミネートでもいいからグラミー賞、あるいは紅白歌合戦出場へと突き進んでいたら、もっと大きな存在になれたのではないか。ひいてはYUIMETALの脱退もなかったのではないかと思っているメイトさんもいるかもしれない。
だが、当時は気づかなかったことがたくさんあることも事実だ。
『PMC Vol.13』でのインタビューにもあるのだが、2018年に回ったアメリカ中西部の都市では、まだまだBABYMETALをよく知らず、縦ノリでも、横ノリでもない、斜めノリ(Copyright ©SU-METAL)という独特のノリの観客がいたらしい。
レッチリの全英、全米ツアーの会場はすべて2万人クラスのスタジアムだった。だがこれも一朝一夕にそうなったのではない。「ご長寿バンド」でも触れたように、創設メンバーの死を経て、「第二の創設メンバー」が加わることによって、全米1位、UK1位を連発するバンドになり得たのである。さらにその「第二の創設メンバー」が病気で休養していた数年間、メンバー間の絆はより強まり、その復帰後、さらにバンドは飛躍した。
つまり、初期設定のままで最高位に上り詰めることはあり得ないということである。
メンバー交代、音楽性の模索などもバンドの歴史の一部である。その歴史を共有するファンの底辺が広がることによって、バンドは大きくなるのである。
確かにBABYMETALは2016年にCBSにも出演したし、「ギミチョコ!!」の知名度はあった。だが、あの勢いのまま、全米1位、UK1位を連発するまでになったかというと、それほど甘くなかったはずだ。仮に2016年の年末か、2017年の初めに、アメリカやイギリスの大会場で単独ライブをやったとしても、Sold Outはしなかったのではないか。
「やった」という実績は残っただろうが、いったん傷がついたアーティストの再挑戦は厳しい。
要するに、レッチリ、メタリカ、ガンズといったグラミー賞級のバンドの前座を務めたことは、やはりキャリアの一部として必要なことだったのだ。
そして、藤岡幹大神の逝去やYUIMETALの脱退というリアルな悲劇性を帯びたことが、2019年の3rdアルバムのリリース、「再始動」のエネルギーとなっているのだと思う。
未確認情報だが、ウェンブリーを上回るキャパシティのイギリスO2アリーナの今年後半のチケット販促メールに、BABYMETALの名前があるという。

BABYMETALにとって、O2アリーナはレッチリのサポートでステージに立ったことがある。実現可能性は十分だ。

国内2会場のライブ、サマソニを経て、今年後半のどこかで、3rdアルバムのリリースがあり、それに合わせて、少なくともイギリスの大会場でライブが行われる。
そして、「Distortion」でも「Starlight」でもないシングルカット曲が、ビルボードHOT100の上位に食い込み、アルバムも前作を上回り、坂本九も超えるTOP10入りを果たす。
そうした実績を持って初めて、2020年東京オリンピックの開会式でのBABYMETALの登場とか、3rdアルバムをセトリにした全欧、全米ツアーという夢が描ける。
おそらく3rdアルバムは、音楽性において、これまでのBABYMETALとは一線を画するものになると思う。そこには、2018年にぐっと大人になった、アーティストとしてのSU-METALとMOAMETALの意思がかなり反映されるはずだからだ。
それが、ウケるかどうか。
ナッシュビルのカントリーおじさんにも、インスブルックのフランス青年たちにも、BABYMETALの音楽が届くかどうか。
焦らずに、しかし絶対の愛情をもって2019年のBABYMETALを支えていきたい。
(つづく)