ご長寿バンドへの道(10) | 私、BABYMETALの味方です。

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★今日のベビメタ
本日4月8日は、2012年、「第2回アイドル横丁祭り」に出演した日DEATH。

日本で最もご長寿のロックバンドは?
それは、1956年に結成されたザ・ドリフターズである。
とはいえ結成当時のメンバーは、ぼくらのよく知るドリフとは全くメンバーが違い、純然たるロカビリーバンドだった。
当時のメンバーは、リーダー岸部清以下9人で、1957年には日劇ウエスタンカーニバルで大人気となった山下敬二郎が加入する。山下敬二郎がウエスタンキャラバンに引き抜かれた後は、水原弘、守屋浩と並んで「三人ひろし」と呼ばれたロカビリー歌手井上ひろしがメインボーカルとなり、1958年にはあの坂本九もギター&ボーカルとして加入するが、井上とバッティングしたため6か月で脱退。「SUKIYAKI」が大ヒットして米ビルボードに名を遺す5年前、坂本九はドリフにいたのである。
1959年に小野ヤスシが加入するが、入れ替わるように井上ひろしが脱退。これを機にリーダーだった桜井輝夫以外のメンバーが全員脱退してしまう。
桜井輝夫と小野ヤスシは、音楽喫茶で客受けする(=需要のある)コミックバンド路線に転換し、1962年ごろ、ジミー時田とマウンテンプレイボーイズのベーシスト、碇矢長一が加入する。これがのちのいかりや長介である。桜井は「オーナー」としてマネージメントに徹し、碇矢長一がリーダーとなり、ジャイアント吉田、加藤茶も加入して9人編成となるが、1964年、小野ヤスシ、ジャイアント吉田らがドンキーカルテットを結成。ドリフはリーダーの碇矢と最年少の加藤だけになってしまう。
そこで、オーディションを行って集まったのが、シャドウズやジェリー藤尾のバックバンドのギタリスト高木友之助(のちの高木ブー)、クレイジー・ウエストのピアニストだった荒井安雄(のちの荒井注)で、桜井が完全に身を引いた際に、高木の同僚だった仲本こうじ(仲本工事)が加入して、ぼくらのよく知るドリフが誕生した。


だから、ドリフターズは、根っからのコメディアン/芸人ではなく、元々人気ロカビリーバンドだったのであり、楽器が弾け、かつギャグセンスのあるメンバーが集まったれっきとしたバンドなのである。
先輩格のクレイジーキャッツは管楽器が入るジャズバンドだが、ザ・ドリフターズは、もともとロカビリーを得意とした楽器編成だから、広義のロックバンドといってよい。
担当楽器は、いかりや長介(B)、加藤茶(D)、荒井注(Key)、高木ブー(リードG)、仲本工事(リズムG&ボーカル)。
1966年にビートルズの日本武道館公演の前座を務めたのも、ザ・ドリフターズが「音楽喫茶の帝王」と呼ばれたほどの演奏力を持つロックバンドだったからである。その際、1曲だけ演奏した「のっぽのサリー」(リトル・リチャード)で、仲本工事がシャウトする姿や高木ブーのペンタ弾きまくりを、現在YouTubeで見ることができる。


ボーカルはナカモトというところがBABYMETALと唯一の共通点(^^♪
1974年に荒井注の脱退を受けて「見習い」から正規メンバーに昇格した志村けんが弾ける楽器はギターだけだったので、高木ブーが一時期キーボードを担当したこともあった。
コミックバンドとはいえ、シングル15枚、アルバム4枚、ベストアルバム7枚をリリースし、うち「ドリフのズンドコ節」(1969年)はオリコン2位、「誰かさんと誰かさん」(1970年)は3位、「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん」(1970年)は4位を記録し、2001年にはNHK紅白歌合戦にも出演した。
脱退した荒井注が2000年に、リーダーだったいかりや長介が2004年に亡くなっても、ザ・ドリフターズは解散していない。クレイジーキャッツ同様、最後のメンバーが亡くなるまで解散しない方針なのだろう。2017年、存命中の加藤茶、高木ブー、中本工事、志村けんの4人がリユニオンしてコントをやっているから、現役であることは間違いない。
ザ・ドリフターズというバンド名は、もともと、「ラストダンスは私に」などのヒットで知られるアメリカ出身/イギリス在住のボーカルグループThe Driftersに由来し、1956年の結成当時は「サンズ オブ ドリフターズ」(ドリフターズの息子たち)という名前だった。
本家The Driftersは、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第81位の偉大なグループだが、実は、現在に至るまで続いているご長寿バンドでもある。
本稿(1)で挙げなかったのは、The Driftersが演奏しないコーラスグループなので、ロックバンドという範疇にはないと判断したからである。
The Driftersはたびたび来日公演をやっている。ぼくも一度大宮のライブハウスで観た。
ベン・E・キングはとうにグループから離れ、現在のメンバーはオリジナルではなく、もうほとんどがおじいちゃんだったが、黒人R&Bの色気あふれるカッコいい人たちだった。
日本のザ・ドリフターズは、ちゃんと楽器演奏する。
高木ブーは日本屈指のウクレレ奏者として、定期的にライブを行っているし、いかりや長介のストレイキャッツばりのウッドベースはCMに使われたこともあり、加藤茶はドラマーとして、実はかなりのテクニシャンである。
だから、ザ・ベンチャーズよりも古い日本のご長寿バンドと言えば、ザ・ドリフターズで間違いないのである。
さて、ザ・ドリフターズからぼくらが学ぶべきことは何か。
サントリー伊右衛門のCMで、加藤茶、高木ブー、仲本工事の三人が伊右衛門本店の縁側に座り、宮沢りえとの掛け合いで、しみじみと語り合っていた。BGMは久石譲。
仲本「8時か」
加藤「いつまでバカやれんのかなあ」
宮沢「あと百年はやってもらわんと」
仲本「おれたち誰かを笑わせてきたのかなあ」
高木「笑われてきたのかもな」
加藤「いいんだよそれで、よ」
宮沢「ええと思います、それで」
三人がお茶を飲むと、見上げる空には満月。
茶職人役の本木雅弘が扉を開けて顔を出した瞬間、頭上からタライが落ちてくる。
目を回す三人。本木が真面目な顔で「失礼」というのがオチである。
クサい芝居だとわかっていても、このシーンに心動かされない中高年はいないのではないか。さすがサントリー。


低俗番組とPTAや地婦連に非難されても、ワンパターンとあざ笑われても、三人は半世紀にわたって「ドリフ」を演じてきた。
結成から数えれば63年。加藤茶入団からなら56年。高木ブー、仲本工事加入からは53年。
「ドリフ」は彼らの人生そのものなのである。
ご長寿バンドとは、つまりこういうことだと思う。
メンバーが変わっても、内紛や音楽性の違いによる迷いや、不慮の事故など、色々なことがあっても、飽きず、腐らずバンド活動を続けていくこと。
ファンは、このバンド/アーティストに出会えてよかった、同じ時代に生まれ合わせて幸せだったという思いをもって生き続けるものである。
小学生のころ、ドリフは神様だった。その思いが、あのCMを見ることで蘇ってくる。
BABYMETALが結成50年を迎えるのは、2060年。
今、ライブ会場にお父さんやお母さんと一緒に来ている小学生コスプレイヤーたちが、月面から地球を見ながらお茶を飲むBABYMETALのCMを見る日は来るだろうか。
(この項終わり)