ご長寿バンドへの道(9) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日4月7日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

1991年の5thアルバム『Metallica』は、黒いジャケットからブラック・アルバムと呼ばれ、全米、全英ともに1位を獲得したが、音楽性は前作までと大きく変わった。
収録曲の歌詞の内容は内省的なものが多い。「Enter Sandman」は、子どもの目に砂を注ぎ込む砂男をモチーフにしているし、「Nothing Else Matters」は、ジェイムズの元恋人への思いを歌ったラヴ・バラード。「Sad But True」は、映画『マジック』(1978年)を題材にした「もう一人の自分」との対話だし、「The Unforgiven」や「Through the Never」は、宗教と人生についてのジェイムズの私小説的な歌詞である。
サウンド的にも、疾走感のあるスラッシュメタルではなく、ミドルテンポでグルーヴ感を重視した曲調になっている。
アルバムの大ヒットを受けて、メタリカは3年間の長期ツアーを行う。ツアー中には、パイロの爆発でジェイムズが大やけどを負う事故が発生したが、17日で復帰。ツアー終了後、メタリカは休養期間に入った。
1980年代はメタルの時代だった。だが、80年代後半から90年代初頭、米西海岸では、ニルヴァーナ、パール・ジャム、サウンドガーデンなど、ポストパンク/ハードコアの流れをくむグランジ・ロックと総称されたバンドが若者に支持されていた。
グランジとは「Grungy=薄汚い」という意味だが、派手なイメージのLAメタルに反発して、ダメージジーンズとチェックのネルシャツという日常的な服装が、内省的な歌詞をパンク的なシンプルなリフで表現するグランジバンドのコスチュームだったことに由来する。
メタリカのメンバーは、サウンドガーデンと仲が良く、パール・ジャムの音楽も好きだと公言していた。もともとメタリカはLAメタルに反発する「メタルとハードコアの融合」という立ち位置だったのだから、ハードコア・パンクの西海岸的帰結としてのグランジとは親和性がある。
ただ、Metalという名詞をバンド名にしているMetallicaは「メタル代表」であり、ハードロック~ヘヴィメタルの「宿敵」であるパンク流とは相いれないはずだという思い込みが、一部のメタルファンや評論家にはあった。
1994年にニルヴァーナのカート・コバーンが自殺すると、グランジブームは下火になるが、メタリカは、1996年の6th アルバム『Load(ロード)』と1997年の7th『Reload(リロード)』で、オルタナティブ傾向を強める。これに対して、「メタリカは攻撃性を失い、流行のグランジに魂を売った」といった批判も起こった。Slayerのトム・アラヤ(B、V)は「メタリカは死んだ」とまで言った。
だが、メタリカの音楽性は、グルーヴ・メタルという新しいジャンルを生み、それが様々な音楽との融合、「なんでもあり」のモダン・ヘヴィネス、ニューメタルの源流となり、はるか遠く「メタルとアイドルの融合」であるBABYMETALを生んだともいえる。
1998年、メタリカは、シン・リジィ、ブラック・サバスなど、メンバーの好みのバンドのカバー曲だけのアルバム『Garage Inc. (邦題:ガレージ・インク) 』を発表。『Hardwired…to Self-Destruct』のボーナストラックに、レインボーの「Kill the King」が収録されていたように、メタリカはトップバンドなのに、まるでアマチュアバンドのごとく、客前で他のバンドの楽曲を演奏する。
さらに、1999年には、サンフランシスコ交響楽団と共演した『S&M (邦題:シンフォニー&メタリカ)』をリリースする。
『Load』も『Reload』も全米1位を獲得した。
だが、現在の視点からみると、この時期は、反発するにせよ、取り入れるにせよ、LAメタル、ハードコア・パンク、グランジ、グルーヴ・メタルといったジャンルにとらわれず、自分たちにできる音楽の可能性を模索していたように見える。
長寿バンドになれば、必ずこういった時期を迎える。バンド/アーティストが生真面目であればあるほど、「マンネリ」を恐れ、新しい表現を求めるからだ。
ロブ・ハルフォードがジューダス・プリーストを離れたのも、ジョン・フルシアンテが二度目にレッチリを離れたのも同じ理由だ。
メタリカの場合、ジェイムズ、ラーズ、カークの三人はほぼ創立メンバーで、かつトップバンドの位置にあったから、バンドを続けていかねばならない責任感から、グルーヴ・メタルの「次」にどうするか、音楽的な袋小路を感じていたのかもしれない。
一方、トップバンド=業界リーダーのもう一つの責任として、ネット上のmp3ファイルコピー問題にも対応した。
2000年4月、メタリカは、インターネット音楽ファイルアーカイブサイト、ナップスターを相手取り、著作権侵害の訴えを起こした。ナップスターのユーザーからは、「メタリカは金の亡者」と非難されたが、ミュージシャン側からは「メタリカに賛同する」という意見も相次いだ。最終的にメタリカはナップスターと和解し、以後、違法コピーサイトは取り締まりの対象となった。
2001年1月、ジェイソン・ニューステッド(B)が脱退する。
『…and Justice for All』での「イジメ」に端を発し、全米1位のアルバムを連発したが、なにかにつけ、クリフ・バートンと比較されるのに耐えられなかったという。
ここからが大変だった。バンドの方向性をめぐって、アルコール中毒寸前のジェイムズと、ラーズが鋭く対立し、お互いの性格、生活態度に至るまで、「分裂」といえるほどの悪い状況に陥ってしまったのだ。


その過程は、ドキュメンタリー映画『メタリカ-真実の瞬間』に余すところなく描かれている。詳しくは本編を見ていただきたいが、間に入って仲直りさせようとする人の好いカークや、プロデューサーでベーシストでもあるボブ・ロックの努力によって、バンドが再び結束していく様子がつぶさにわかる。
2003年2月、新ベーシストとして元スイサイダル・テンデンシーズ〜オジー・オズボーンバンドのロベルト・トゥルージロが加入し、6月には、8thアルバム『St. Anger (邦題:セイント・アンガー)』がリリースされた。なお、このアルバムのベースは、トゥルージロではなく、ボブ・ロックが2音下げチューニングで弾いている。
表題曲の「St. Anger」は、BABYMETALの『Metal Resistance』収録の「Sis. Anger」の元ネタ(タイトルだけだけど)であり、怒りの感情が持つ創造性を歌っている。また「The Unnamed Feeling」は、パニック状態の「名づけようのない感覚」について歌っている。「ome Kind of Monter」は、巨大化し、名声と実体が乖離したメタリカをフランケンシュタインの怪物として描いている。『メタリカ-真実の瞬間』に描かれた内紛の3年間、自分たちの感情のもつれをモロに描いているのだ。不思議なことに、その私小説的な歌詞は、日常生活でぼくらが陥る感情と共通していて、その意味では普遍性を持っている。
その一方、サウンド的には、ギターソロを廃し、徹底的にリフだけで組み立てられている。要するにパンク的なのだ。
音楽性と人間関係を模索した結果、メタリカは原点回帰したといえる。このあたりも、他のご長寿バンドと共通する。だが、1999年から4年間、音楽性の彷徨やナップスター論争、ベーシストの交代、内紛があっても、ファンが離れることはなかった。ランキング成績は、全米1位、UK3位。これがメタリカの強みである。
BABYMETALの3rdアルバムも、そうなってほしいものである。
2008年、ロベルト・トゥルージロが初めて参加した9thアルバム『Death Magnetic』がリリースされる。全米1位、UK1位。
ソウルで見たロベルト・トゥルージロは、ゴリラのような風貌で、5弦ベースを低く構え、大股でノッシノッシと歩きながらプレイする、いかにも頼りがいのあるベーシストである。
彼の存在感は、音楽的にももちろんだが、分裂寸前だったメタリカの人間関係にとっても「要石」の役割を果たしているように見える。
スタジオアルバムとしては、8年ぶりとなる2016年の10thアルバム『Hardwired...To Self Destruct』は2枚組だが、前作よりもさらに原点回帰し、デビュー作『Kill ‘em All』を思わせるシンプルかつ豪快なリフを骨組みとし、カーク・ハメットのソロも随所に聴ける。


歌詞の内容は、クトゥルー神話から、内省的なもの、バンド人生の罠、戦争や孤独や死後の地獄、AIに支配された世界に至るまで多彩であり、『Master of Puppets』のような豊饒さを持っている。
アルバムは世界140カ国の音楽チャートで1位を記録し、メタリカは発売から3年経った現在も、「Worldwired Tour」として、世界中をライブ活動してまわっている。
BABYMETALがメタリカから学ぶべきことはまだまだ多い。


(つづく)