ご長寿バンドへの道(6) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日4月4日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

ところが、1992年のワールドツアーで、来日していたジョン・フルシアンテが、突如帰国し、脱退してしまう。
その原因は、薬物依存とうつ病だった。この二つのどちらが先だったかはわからない。
15歳の時にライブでレッチリの音楽に魅せられ、全曲暗記するほどのめりこみ、ギタリストのヒレル・スロヴァクを尊敬していたが、そのヒレルが薬物のオーバードーズで亡くなり、オーディションを受けると、そのレッチリ愛から後任ギタリストに選ばれて加入。
速弾きギタリストではないが、その楽曲やリフづくりのセンスやリズム感は、アンソニーとフリーによるレッチリの骨格にきらめきとスケール感を与えた。『母乳』と『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』はレッチリを全米トップバンドに押し上げた。


加入から3年間、ジョン・フルシアンテは過酷なツアーの日々を送った。若かったジョンには、憧れて加入したバンドに捧げる時間とエネルギーをセーブすることなどできなかったのだろう。一種の燃えつき症候群かもしれない。
ヘロインはアヘンから抽出されるモルヒネを合成した薬物であり、多幸感、リラックス効果があるが、依存性が高く、切れた時には、すぐ怒る、痛みに敏感、足腰が重くなる、不安・焦燥感がつのる、嘔吐・下痢などの症状が現れる。
うつ病は、精神的ショックや身体的疲労によって、感情をつかさどる脳内物質が正常に分泌されなくなり、心理的には外界のすべてが恐ろしくなってしまう状態で、本人が自覚したときには、自分で自分がコントロールできなくなっていることが多い。
来日中に突如帰国したのは、薬物を持ち込めない日本で、禁断症状を起こしたためかもしれないし、抑うつ状態で、矢も楯もたまらず、自分の家へ帰りたかったのかもしれない。
そこはわからないのだが、天才的な表現者が薬物依存や抑うつ状態に陥ってしまうことは、決して特殊な例ではない。
帰国後のジョンは、隠遁生活状態だったというが、要するに引きこもりだ。
レッチリを世界的バンドに押し上げ、プレッシャーに押しつぶされたジョンを、レッチリはどう扱ったか。
レッチリ加入当初、アンソニーはジョンとほぼ毎日一緒にいて、毎日電話を掛け合っていたという。弟のようにかわいくて仕方なかったのだろう。それが原因で、ジョンは当時の恋人と別れたという。
フリーはもっと親密で、引きこもり状態に陥ったジョンの自宅へ何度も訪問し、いわば「メンター」の役割を果たしたらしい。
レッチリに新ギタリスト、デイヴ・ナヴァロが加入し、6thアルバム『ワン・ホット・ミニット』をリリースしたのは1995年。
つまり1992年から3年間、レッチリはジョンの回復を待っていたのだ。
『ワン・ホット・ミニット』は、ビルボード200で4位と好調を維持したが、デイヴ・ナヴァロは、結局そのアルバムだけで脱退してしまう。
ジョンが、ヘロイン中毒を治療し、うつ病を克服したのは1999年。ジョンの回復をアンソニーに告げたのもフリーだった。
7年間にわたって、レッチリはジョンの復帰を待ち続けたのである。
うつ病、引きこもりは、先が見えない。本人が早く元に戻りたいと思っていても、どうしようもないから「病」なのだ。
向精神薬、行動療法などいろいろな治療法があるが、結局「心のドア」は内側についているから、本人がその気になるのを待つしかない。だが、早くて2年、遅ければ10年近い時間が経つと、必ず治癒というか、新しい段階が訪れる。
本当に大切な人なら、それを待てる。
ジョン復帰後の1999年にリリースされた『Californication(カリフォルニケイション)』は全米3位、UK5位。タイトル曲の「Californication」は、1994年に自殺したニルヴァーナのカート・コバーンについての歌詞がある。そのほかシングルカットされた「Other Side」はビルボードHOT100で14位。「Scar tissue」は9位で、二度目のグラミー賞を受賞した。
続く2002年の『By the Way(バイ・ザ・ウェイ)』は全米2位、UK1位。シングルカットの「By the Way」「Can’t Stop」は、現在までレッチリの代名詞となっている曲である。
そして2006年の2枚組『    Stadium Arcadium(ステイディアム・アーケイディアム)』は、初の全米1位、UK1位。日本でも洋楽2枚組として初の1位となり、収録曲の「Dani California」は映画「デスノート」、「Snow ((Hey Oh))」が「デスノート the Last name」の主題歌となった。
このように、1992年にバンドを脱退、引きこもり状態になってしまったジョン・フルシアンテに対して、メンバーが変わらぬ友情を注ぎ続け、待ち続けたことによって、ジョンは復帰し、加入当初以上の活躍を見せた。
レッチリがご長寿バンドになったのは、何よりメンバーとの友情、人生の絆を大切にするバンドだったからではないか。
2009年、ジョン・フルシアンテは再びバンドを脱退する。だがそれは、ジョンが、ソロギタリストとして表現の幅を広げるためというはっきりした理由によるもので、薬物依存やうつ病のためではない。そして、職人のように自らの音楽性を追求しながらも、ジョンのバンドへの愛情は続いている。
ジョンの後任として加入した、ジョシュ・クリングホッファーは、Bicycle Thiefというバンドでレッチリの前座を務めており、ジョンは、脱退前からアルバムやライブで共演していた。
その好印象が、ジョシュのレッチリ加入の要因だったのである。
ジョシュ加入後の2011年『I'm with You』は全米2位、UK1位。最新アルバムの『The Getaway』も全米2位、UK1位。
1980年代西海岸のハードコア、ラップロックのオルタナティブロックバンドとして出発したレッチリは、ジョン加入後にメロディアスなメインストリームのバンドとなり、とりわけビートルズが生まれたイギリスでは常に1位を確保する世界的バンドとなった。
ジョンの脱退・ジョシュ加入後も、そのポジションは変わらない。
BABYMETALが2016年にイギリス、2017年にアメリカ東海岸のスタジアムツアーに帯同したのは、メンバー同士が「友情」で結ばれたバンドがいかに強いかということを学ぶ機会だった。ジャック・アイアンズが「前座の前座」を務めたのが何よりの教材だ。
チャドの「Happy Birthday SU-METAL」や、アンソニー以外全員参加したマイアミの「ギミチョコ!!」は伊達じゃないのである。


今、YUIMETALは脱退し、消息は分からない。
だが、6月に横浜アリーナを確保していたことからわかるように、SU-もMOAも、絶対にYUIをほったらかしにしたりはしない。
どんな病気かはわからないが、きっとふたりはYUIと連絡を取り合い、病状の回復を励ましていると思う。そうあってほしい。
何年かかるかわからないし、その間誰かが「第二の創設メンバー」になるかもしれない。
だが、YUIはいつか再びBABYMETALのステージに立つ。そうなったとき、BABYMETALは間違いなく、ご長寿バンドになる。
(つづく)