ご長寿バンドへの道(4) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日4月1日は、2016年、FOX DAYに 2nd アルバム「Metal Resistance」が発売され、2017年には、「Live at Tokyo Dome」DVD/BD(The One限定盤)が発送され、フィルムフェスツアー東京@新宿ピカデリーがスタートし、2018年には、「Legend-S-洗礼の儀」プレミア上映会が午前0時より東京・大阪・名古屋で、午後5時から全国13か所の映画館で行われた日DEATH。

みなさま、FOXDAYおめでとうございます。

ですが、日本時間ではもう2日になってしまう時間になっても、運営から何の発表もありません。新元号「令和」の発表と被ることを避けたのかもしれません。いや、避けたところでという話ではありますが、まあ、気長に待ちましょう。


ヘヴィメタル史の発火点となる「Heavy Metal Night」が行われた1979年。
ジューダス・プリーストは2月に二度目の来日を果たし、5月までアメリカツアー、その後UKツアーも行い、9月には日本で録音されたライヴアルバム『In the East』がリリースされた。
レス・ビンクス(D)の代わりに、元トラピーズのデイヴ・ホーランド(D)が加入し、KISSの前座としてアメリカツアーを行い、11月にはAC/DCの前座としてヨーロッパツアーを行った。
1978-79年のジューダス・プリーストは、ビルボード200にランクインし、単独ツアーが成立するのに、大物バンドの前座としてツアーに帯同するというあたり、2016-17年のBABYMETALと同じである。
1980年3月から全英ツアーがスタート。前座はこの頃デビューして間もないアイアン・メイデンだった。4月には6thアルバム『ブリティッシュ・スティール』がリリースされる。
実は、このアルバムは全英ツアー前にリリース予定だった。マスターテープがニューヨークで盗まれるという事件が起こっていたため、リリースが遅れたのだ。
だが、NWOBHMブームに乗って、UKチャートでバンド史上最高位の4位、米ビルボード200(以下US)で34位にランクインする。
このアルバムからは、ご存知2016年のAPMAsでSU-と共演した「Breaking the Law」、ダウンロードジャパン2019でもアンコールで演奏された「Living After Midnight」がそれぞれシングルカットされ、チャート上位にランクインした。
8月には、現在のダウンロードフェスティバルの前身である「第1回モンスターズ・オブ・ロック」@ドニントンパークに出演。この時のヘッドライナーはレインボー。リッチー・ブラックモアが奏でる「All Night Long」のリフが、はるか遠くドニントン城が見下ろす丘陵地帯に響き渡った瞬間は、80年代メタルシーンの幕開けを告げるものだった。


そして、『ブリティッシュ・スティール』の収録曲のタイトルである「メタル・ゴッド」は、新進のメタルバンド、ジューダス・プリーストの代名詞となった。
1980年代のジューダス・プリーストのスタジオアルバムとUK、USランキングは以下の通り。
1981年、7thアルバム『Point of Entry(邦題:黄金のスペクトル)』(UK14位、US39位)
1982年、8thアルバム『Screaming for Vengeance(邦題:復讐の叫び)』(UK11位、US17位)
1984年、9thアルバム『Defenders of the Faith(邦題:背徳の掟)』(UK19位、US18位)
1986年、10thアルバム『Turbo(邦題:ターボ)』(UK33位、US17位)
1988年 11thアルバム『Ram It Down(邦題:ラム・イット・ダウン)』(UK24位、US31位)
1990年 12thアルバム「Painkiller(邦題:ペインキラー)」(UK24位、US26位)
BABYMETALの2ndアルバム『Metal Resistance』がUK15位、US39位だから、ジューダス・プリーストの7thアルバムくらい。そこからほぼ2年置きに10年にわたって「それより上」のアルバムをコンスタントに出し続けてきたのがジューダス・プリーストなのである。
来日公演も1978年に始まり、1979年、1984年、1986年と4度行った。
イギリス、アメリカ、日本は、世界の三大音楽市場である。これにヨーロッパ各国を加え、単独ライブ、フェス、前座を組み合わせて巡業することが、ヘヴィメタルバンドのWorld Tourである。ジューダス・プリーストは、レッドツェッペリンやディープ・パープルが作ったハードロックバンドのルーチンを正統的に継承しており、それをまた日本のBABYMETALが継承しているのである。
1990年、自殺したアメリカの少年の遺族が、自殺の原因はジューダス・プリーストの曲の「サブリミナル・メッセージ」が原因だとして、バンドを訴える事件が起こる。
SLAYERやSLIPKNOTの楽曲、アルバムでも同じような訴えがなされたことがあったが、「サブリミナル・メッセージ」という手法自体が、実は科学的に全く根拠のない都市伝説に過ぎず、仮に楽曲の曲調や歌詞に影響されたとしても、自殺や殺人を起こしたのは当然、本人の責任であるとして、いずれも却下された。
本当の危機は、その後に訪れた。
ロブ・ハルフォード(V)は、ソロ・プロジェクトを発足させたが、CBSと契約問題でもめ、1992年(一説には1993年)にバンドを脱退してしまう。1990年にジューダス・プリーストに加入していた元RACERXのスコット・トラヴィスも一緒だった。
ロブはブラック・サバスやパンテラと共演したり、FIGHT、TWO、HALFORDといった新バンドを作り、グランジやインダストリアル、モダンヘヴィネス的な音楽性に挑戦した。
一方、圧倒的なフロントマンとドラマーを失ったジューダス・プリーストは、1973年のような状態に戻ってしまう。
ようやく、1996年にティム・オーウェンズ(V)が加入し、1997年にはスコット・トラヴィスも復帰して13thアルバム『Jugulator(邦題:ジャギュレイター)』をリリースしたが、ランキングはUK47位、US82位だった。
2001年には、14thアルバム『Demolition(邦題:デモリッション)』をリリースするが、UKでは圏外、USでは165位にとどまった。
1980年代に一世を風靡したジューダス・プリーストの新スタジオアルバムが、母国でランキングに入らないなら、もはやファンから愛想尽かしされているということではないか。必死で頑張っているティム・オーウェンスには気の毒だが、やはりロブ・ハルフォードあってのジューダス・プリーストだったのだ。
しかし、新しい音楽性に挑戦しているロブ・ハルフォード自体もパッとしなかった。
少なくとも米ビルボード200にはランキングされているジューダス・プリーストに対して、ロブが結成した新バンドは、いずれも低迷していた。やはり、ヘヴィメタルあってのロブ・ハルフォードだったのだ。
しかし、こんなことはファンの目から見れば自明である。正調ヘヴィメタル~ツインギターがうなり、ヴォーカリストがハイトーンでシャウトする戦慄の音楽~を聴きたいからジューダス・プリーストのCDを買い、ライブに足を運ぶのであって、ロブのいないジューダス、ヘヴィメタルを歌わないロブには食指が動かない。
これがバンドの「危機」の正体である。ファンが求めるものと、メンバーの「もっと別のことがしたい」という欲求とは、時に大きく乖離してしまう。メンバーが「もう飽きた」「マンネリ」と思っていても、それこそ、ファンの望むものであることが多い。
ロブは2000年のHALFORDでは、ジューダス・プリーストを思わせる音楽性に復帰し、ファンを喜ばせた。その際、『Player』誌のインタビューで、いみじくも「"TWO"での活動は私のヘヴィメタルに対する愛を取り戻す為に必要なプロセスだったんだ」と発言している。
2003年、ロブは、ジューダス・プリーストのメンバーと和解し、バンドに復帰。7年間、ジューダス・プリーストの「危機」の時代を支えたティム・オーウェンズ(V)は脱退した。
こうしてジューダス・プリーストの「危機」は回避され、王道のヘヴィメタルバンド、ジューダス・プリーストは再進撃を開始する。時にロブ・ハルフォードとK.K.ダウニングは51歳。2000年代のスタジオアルバムとランキングは以下の通り。
2005年『Angel of Retribution(邦題:エンジェル・オブ・レトリビューション)』(UK39位、US13位)
2008年『Nostradamus(邦題:ノストラダムス)』(UK30位、US11位)
だが、2010年。バンド結成40周年を機に、バンドは解散を決意する。翌年2011年のワールドツアーを最後とすることが公式HPで発表された。
その2011年。今度はK.K.ダウニング(G)がツアーに参加しないことを表明。ダウニングはのちに出版された本で、相棒のグレン・ティプトンを「音楽的に独裁者」と呼び、長年盟友だったロブ・ハルフォードへの復帰後の扱いについても不満をもらしていた。
後任にはリッチー・フォークナー(G)が加わり、いつの間にか解散話は霧消していた。
2014年の『Redeemer of Soul(邦題:贖罪の化身)』はUK12位、アメリカでは初のビルボード200のトップテン(6位)にランキングされた。
2015年には、正式に「最後のツアー」が撤回され、復帰後の「メタル愛」に満ちたロブ・ハルフォードを擁するジューダス・プリーストは積極的にワールドツアーをこなしていく。
来日公演も、2005年以降は、2008年、2009年、2012年、2015年とコンスタントに行っている。
2016年に、APMAsでBABYMETALと共演してくれたのも、「メタル・ゴッド」の矜持と後進を育てようとするロブ・ハルフォードの使命感からだと思う。


そして、昨年2018年にリリースされた『Fire Power(邦題:ファイアーパワー)は、バンド史上最高位となるUK5位、US5位を獲得した。
グレン・ティプトン(G)は、10年前からパーキンソン病を患っていることから、Fire Powerツアーには不参加となり、代役としてアンディ・スニープが参加しているが、勢いは止まらない。
ぼくらが、昨年と今年見たジューダス・プリーストは、結成期の経済的困窮の「危機」と、ロブ・ハルフォードの音楽的冒険の「危機」を乗り越え、人生を賭けて、最強となった真のヘヴィメタルバンドの姿である。
長くバンドをやっていれば、いろんなことがある。


だが結局、ファンが急拡大した時期=ファンがそのバンドを認知した音楽性に常に立ち戻り、ひたすらその道一筋に追求していくという意思があれば、バンドは必然的に長寿になっていくのだと思う。だって、ファンはそのバンドにほれ込み、バンドとともに人生を送っていく気でいるのだから。それさえ忘れなければ、「危機」はバンドを強くする。
(つづく)