音楽と民主主義(7) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
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★今日のベビメタ
本日3月20日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

文部省著作の教科書『民主主義』は、敗戦後の日本あるいは、近代社会の基本原則となる民主主義の考え方を、情熱を込めて子どもたちに伝えようとした力作だった。
その内容は、戦前を否定し、GHQにおもねるものではなく、筆者尾高朝雄の世界史や思想史の知見をもとにしたものであり、現代にまで通じる射程の長さを持っていた。
特に、一人ひとりの有権者が、自分の頭で考え、政治的な判断を行うことが民主主義の「キモ」であることを説き、全体主義の扇動的政治家が、巧みな宣伝で国民をコントロールしようとする具体的まで示していたことは、今でも学校で実践すべきことのように思える。
『民主主義』のもうひとつのポイントは、わが国の戦前、明治憲法下でも、民主主義的要素はあったということだった。
そのひとつの現れとして、明治以来の学校教育における音楽教育をあげ、その成果として、日本が世界第二位の音楽消費大国になったことや、「シャイ」なはずの日本人によってカラオケが発明され、世界的に普及した経緯を語ってみた。
音楽市場の規模は、表現の自由が保障され、社会インフラとしての音楽商品の流通システムが確立されているかどうかに左右される。つまり、音楽は「民主主義度」のバロメーターなのだ。
その意味で、日本はまぎれもない民主主義国だといえるが、音楽市場の規模がこれだけ広がった背景にはもう一つの要因があると思う。
それは、多様な表現を受容する文化的な熟度=フトコロの広さである。
以前も書いたが、日本という国、日本人という「民族」は、北方、南方、大陸、半島から様々な文化をもった人々が流入して出来上がった。
日本最古の憲法は「和を以て貴しとなす」であり、バックグラウンドの異なる氏族が「共存」するために宗教的な権威ないし統合の象徴としての天皇を戴くという体制をコンセンサスとしてきたのが日本という国である。
放伐、革命、王朝交代が当たり前の世界の国々には、理解されにくいことではあるが、文化にせよ、習俗にせよ、宗教でさえ「新しい何か」が日本にもたらされたとき、それによって「古いもの」が放逐されることはなく、「加わる」のが日本文化の大きな特徴である。
半分冗談であるが、それは、日本が縄文時代から「鍋文化」だからではないか。
日本で出土した最古の土器は1万6500年以上前のものであり、これは世界最古でもある。
土器の出現によって、日本人は山海の食物を煮炊きして食べることができるようになった。
火を焚き、魚介や獣肉を焼くと、脂肪分やミネラル分は滴り落ちてしまい、タンパク質しか摂取できない。
だが、土器の鍋で煮炊きすれば、栄養分をスープとして残さず摂取することができる。
硬い殻を持つ木の実や穀物も、長時間炊けばアクが抜けて柔らかくなるし、日に当ててカチカチに乾燥させた干物も戻せば食べられる。野菜でもキノコでも肉でも魚でも貝でも、どんな食物でも入れれば入れるほど出汁が出て、おいしい鍋になる。


縄文時代が1万年以上も続いたのは、日本列島が豊かな土地であったことに加え、鍋文化だったからではないか。
定住し、飛躍的な食糧生産が可能になった水田稲作の弥生文化が入ってきて、米が主食ということになったが、鍋で煮炊きした汁物は、一汁〇〇菜という形式で残った。
中世に発達した発酵食品や、近世の中華料理、近代に西洋料理が入って来て、料理のバリエーションが広がっても、お米が主食で汁物がつくという構造は、現代にいたるまで変わっていない。
料理ひとつとってみても、日本人は一つの形式だけが正しいというジャッジをせず、古い形を残しつつ、「加える」「組み合わせる」ことによって発展させるのだ。
日本文化のバリエーションの豊富さ、多様性は、こういう長い伝統というか、先祖から受け継いだDNAレベルの価値観によるものではないか。
アメリカは、1776年に独立した若い国であるが、多様な文化を持っている。それはアメリカが移民の国だからである。
もともと、独立戦争を担い、国の主導権を握ったエスタブリッシュメントは、共和制-白人-キリスト教プロテスタントという明確な国家観を持っており、文化的には一元化されていた。だが、歴史を経る中で、奴隷として連れてこられたアフリカ人、イタリア人、アイルランド人、ドイツ人、南米系、アジア系をはじめ、さまざまなバックグラウンドを持った移民が流入することによって文化的多様性が生まれ、共存するための社会制度が確立していった。
1950年代、エルビス・プレスリーを「卑猥だ」として非難したのは、このエスタブリッシュメント層であり、支持したのはそこに別の価値観を見出し、受容した若い世代だった。


新しい表現に「別の価値」を見出し、受容できる国民。
あるいは、古いものを温存しつつ、新しいものも受容し、「加え」「組み合わせる」国民性。
それこそ、「指導者」が「正しさ」を決める独裁主義/全体主義とは真逆の、民主主義ということではないか。
敗戦後間もない1948-49年に発行された文部省教科書『民主主義』に書いてある通り、地位や権威やお金を持っている人だから「正しい」と思い込まずに、自分の頭で考え、自分の価値観で判断することは、民主主義の基本だからだ。
世界第二位の音楽大国であり、民主主義が浸透した日本にBABYMETALが生まれたのは、ある意味必然だったのだと思う。
さて、明日はダウンロードフェスティバル2019 inジャパン@ 幕張メッセである。
BABYMETALは結局出演しなかったが、Judas Priest、Anthrax、Slayerが文字通り一堂に会する。Arch Enemy、Amaranthe、Halestormという女性ボーカリストを擁する3組のメタルバンドも出演する。
BABYMETALは不在だが、日本における「メタルの復権」は成し遂げられたのか。そこに注目しつつ、行ってまいります。
(この項終わり)