音楽と民主主義(5) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日3月18日は、2012年、スポニチに“なでしこメタル特集”が掲載され、2016年、「KARATE」のフルMVが公開され、THE ONE 限定イベント「Apocrypha Only The Fox God Knows」2DAYS開催が発表された日DEATH。

世界の音楽市場で活躍する日本人アーティストは、わがBABYMETALをはじめとして何組もあるが、音楽関連で、最も日本が世界に影響を与え、歴史を変えてしまったものといえば、カラオケではないか。
1967年ごろ、根岸重一という人が、ヒット曲のオーケストラ演奏を録音した8トラックテープに、マイクをつけた小型ジュークボックス装置「ミュージックボックス」を開発し、海外に輸出していたらしい。また1968年には浜崎巌という人が「ミニジューク」というものを開発していたという。
1971年、元バンドマンの井上大祐はそれらを改良して、あらかじめ録音されたトラックからキーやテンポを選択して再生できるテープを添付し、「8 Juke(エイトジューク)」と名づけた。これをリース販売方式にしたことで、カラオケが全国に広まった。


1980年代には、カラオケ専用の店舗(カラオケボックス)が全国に普及し、友人や同僚と飲んだ後はカラオケという光景が当たり前のものになった。
カラオケ装置やカラオケ店という業態は、海外にも輸出され、「カラオケ」は、英語でも中国語でも通用する国際語になった。
その後、録音-再生媒体は、カセット、レーザーディスク、VHD、ビデオCD、DVDなど変遷を経て、現在日本では、デジタルデータをネットで配信し、演奏中も、キー、テンポを変化させることのできる通信カラオケが主流となっている。
また、最近では、スマホとBluetooth接続して楽しめるカラオケマイクも発売され、自宅や車の中でカラオケを楽しむ人もいる。


考えてみれば、オーケストラやバンドの演奏をバックに人前で歌を歌うなどということは、プロの歌手か、幼少期から歌が上手いと評判をとった人しかできないものだった。
日本人は、人前にしゃしゃり出ることを恥ずかしく思うシャイな国民性だったはずだ。なぜ、その日本でカラオケが開発され、これほどまでに定着したのか。
それは、明治時代以来、学校教育で歌うことを「強制」されてきた成果ではないか。
職場の上司や取引先と一緒でも、カラオケとなれば、みんなとりあえず自分の知っている曲を歌う。
誰もが学校で歌わされた経験があるので、ちょっとお酒が入れば、心理的には小中学生だった頃=童心に帰れる。「子ども」に戻っているので、恥ずかしいとか、下手くそだとかいう感覚はどっかへ行ってしまう。
それでも「歌えない」ということは、仕事仲間や友だちの前でも「子ども」に戻れない=ヨロイをかぶっているということになってしまうのだ。「飲みニュケーション」という言葉があるが、カラオケもまた、職場や親しい友人グループのコミュニケーションツールである。
それは一種の同調圧力であり、「日本的」と言ってもいい。
つまり、カラオケが日本で定着したのは、きわめて「日本的」な現象だったのである。
ところが、それが海外に輸出されると、そこでも面白がられ、「カラオケ」は世界的な文化となった。
子どもの頃、学校で歌わされた経験もなく、仕事の後、上司や友人と「飲みニュケーション」をする習慣もない人たちが、カラオケを受容したのはなぜか。
仮説は2つ。
ひとつは、欧米流の「社交」のツールとして使われているのではないかということ。
カラオケで何を歌うかは、その人の個性を示す。
もうすぐその季節だが、職場に新人が入ってきた時、上司や同僚が飲み会に誘い、二次会でカラオケへ行くことがあるだろう。その際、カラオケで何を歌うかは注目の的である。
世代の違いは自明だが、選ぶアーティストや歌詞の内容で、人となりがわかる。
もちろん、カラオケで歌えるレパートリーと、プライベートで聴く音楽とが必ずしも一致するわけではない。米津玄師、あいみょん、DAPUMP、星野源といったヒットメーカー、ジャニーズ系、AKB、乃木坂、欅坂、ももクロなどのアイドル系、安室奈美恵、Exileトライブ、サザン、中島みゆき、B’z、歌い上げ系などなど、ポピュラーなアーティスト/楽曲なら無難であるが、中には「ウケ」をねらって、わざと昭和歌謡や演歌を歌ってみせる新人もいるだろう。自分の個性を主張するために、上司の前でも王様やアニメタル、80年代HR/HMを歌ってしまうというツワモノもいるだろう。以外にも上司や取引先の担当者が同好の士だったりすることもある。
ぼくは、私学関係者とカラオケでリアル映像版の「紅月-アカツキ-」、「KARATE」、「Road of Resistance」を歌ったことがあるが、反応は背筋が凍るほど冷たいものだった。
それはともかく、カラオケの選曲にはその人の個性が現れる。何しろ「童心」に帰っているので、本音が出やすい。その人のバックグラウンドや人となりをお互いに知り合うのが、カラオケという場なのである。
実は、海外の「パーティ」も、そういう機能を持っている。
ぼく自身そんなに多くの経験があるわけではないが、海外でお酒の入った席で隣り合った人と話す内容は、仕事の話から始まって、どんな食べ物が好きか、どこに住んでいるんだ、家族はどんな構成か、スポーツは何が好きか、車は何に乗っている、趣味は何か、料理はするのか、〇〇は知っているか、××についてどう思うかと、要するに相手がどういうバックグラウンドを持っているのか、共通の話題を探る質問と受け答えが延々と続く。
そこで、共通の好みが見つかればいいし、相手の話したいジャンルやアーティストを知らず会話が続かなければ、それだけの奴だと思われてしまう。
文法的に怪しくても、博学であること、あるいは世界共通の趣味を持っていることは、海外でのビジネスや「社交」上、それを持っていない人より、間違いなく有利に働く。野球でもサッカーでも釣りでも映画でもなんでもいいのだ。
音楽もそのひとつだ。
(つづく)