梁塵秘抄とBABYMETAL(3) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

―May the FOX GOD be with you―

★今日のベビメタ

本日5月8日は、2014年、World Tour 2014 のTrailerが公開され、初ワールドツアーの日程が発表されました。2016年には、米国ノースカロライナ州シャーロットのCarolina Rebellionに 出演した日DEATH。

なお現地時間5月8日20:00(日本時間5月9日10:00)には、米国ミズーリ州カンザスシティー@Uptown Theaterにて、BABYMETAL World Tour2018「Metal Resistance EpisodeⅦ」、本年一発目となる単独ライブが開催されます。ワクワク。

 

後白河法皇のようなオタクが、表舞台では天皇-上皇-法皇として平清盛、木曽義仲、源義経、源頼朝ら武骨な武士たちに「日本一の大天狗」と揶揄されながら歴史を動かし、時代の橋渡しをし、ぼくらの国を作ってきたことは、日本人として誇らしい。

なぜ、後白河はそこまで今様に惚れ込んだのか。

後白河より160年ほど前の時代を生きた清少納言は次のように述べている。

「歌は、風俗。中にも、杉立てる門(かど)。神楽歌(かぐらうた)もをかし。今様歌(いまよううた)は長うてくせづいたり」(枕草子二百八十段)

(jaytc意訳:歌は俗謡がベストだ。中でも門付の歌や神楽歌も趣深い。今様は(節回しが)長くて一風変わっている)

清少納言と同世代の紫式部は次のように述べる。

「琴笛の音などにはたどたどしき若人たちの、とねあらそひ、今様歌どもも、所につけてはをかしかりけり」(「紫式部日記」)

(jaytc意訳:(8月20日の朝廷での宿直期間には)未熟な若者たちが琴や笛を演奏し、僧たちは競い合って読経する。みんなで今様を合唱したのは、場所が場所だけにとても趣深かった)

時代が下って鎌倉期、後白河から150年後の時代を生きた吉田兼好は次のように述べる。

「梁塵秘抄の郢曲(えいきょく)の言葉こそ、また、あはれなる事は多かめれ。昔の人は、ただいかに言い捨てたることぐさも、みないみじく聞こゆるにや」(『徒然草』十四段)

(jaytc意訳:梁塵秘抄のような歌曲の歌詞こそ、感動することが多い。昔の人がその場で言い捨てた言葉も、みな素晴らしく聞こえるではないか)

後白河が生まれる前には、今様はみんなで歌える流行歌であって、面白い、一風変わっているというふうにとらえられていた。しかし、後白河が残した『梁塵秘抄』について、吉田兼好は人の声を通して歌われる言葉(郢曲とは、楚の首都郢で流行した大衆歌謡曲のこと)の生々しさや人の心を撃つ強さを高く評価している。

高校の文学史で、ぼくらは『万葉集』→『古今和歌集』→『千載和歌集』→『新古今和歌集』と時代が下るにつれ、和歌の言葉は原始的で荒々しい「ますらおぶり」から、洗練された「たおやめぶり」へと進化し、鎌倉時代には“大和言葉”のみを使って美しい絵のような世界を表現する「幽玄」へと発展したと教わった。だが、果たしてそれは本当に進化発展だったのか。

『万葉集』と『千載和歌集』の歌を比べてみよう。

「夏の野の茂みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ」(『万葉集』大伴坂上郎女)

(夏、多くの草のなかでひっそり咲いている姫百合のように、あなたに知られない恋はとても苦しい。)

「夕されば野べの秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」(『千載和歌集』藤原俊成)

(秋の夕暮れの野に風が吹き、寒さが身にしみる。遠くでうずらが鳴く深草の里だ。)

同じ「野」の風景だが、前者は、「茂み」とか「恋」とか「苦しきものぞ」といった、生々しい言葉が使われ、草いきれの強い匂いが感じられるほど、狂おしい恋情が吐露されている。これに対して、後者は美しい単語のみが重ねられ、文字通り絵のような情景が描写されていて、作者の物寂しい心情は風景に溶け込み、抑制されている。

確かに、洗練といえばいえるが、人の心の表現という意味では平板、薄味、もっと悪く言えばお土産の絵葉書のようであり、前者ほどストレートに感情が伝わってこない。

絵のように美しく単純化された言葉の連なりではあるが、それは、衰退する貴族社会同様、形式にとらわれ、シュリンクしていくかのようだ。

時代が進めば、芸術も「進化」していくなどということはない。それは「歴史は進歩する」という思い込みを文学史に投影したに過ぎない。

その証拠に、大正時代の歌人斉藤茂吉は『万葉集』の原始的で情熱的な歌の素晴らしさを再発見して、洗練された『古今和歌集』や『新古今和歌集』より人の心を素直に表現していると喝破した。

『千載和歌集』は、後白河法皇が当代きっての歌人である藤原俊成に命じて編纂させた勅撰和歌集だが、後白河自身はこの貴族的洗練に満足していたわけではなかった。むしろ、『梁塵秘抄』を自ら集成したように、彼が惹かれたのは遊女たちが歌う、生々しく、率直な民の言葉だった。その価値を見出したことが、後白河法皇の最大の文学的貢献だといえる。

そして、その民=遊女の言葉には、天皇・貴族・武士階級の政争のただなかにあった後白河自身の実存にさえ斬りつけるほどの「人間の真実」が含まれていた。

 

遊びをせんとや生まれけむ

戯れせんとや生まれけん

遊ぶ子供の声聞けば

わが身さへこそゆるがるれ(『梁塵秘抄』359)

 

この『梁塵秘抄』で最もよく知られた歌は、今様の7音・5音×4行という形式や起承転結という構成が忠実に守られている。

この歌の解釈には「遊女」の悔恨だとか、無邪気な子供の心を持っていれば救われるという仏教観だとか、いろいろあるらしい。だがぼくは西郷信綱が『梁塵秘抄』(講談社学術文庫P.21)で述べているように、「わが身」とは、遊女自身でもあり後白河自身でもあり、つまり「人間」そのものであり、「遊び」「戯れ」をしている子どもの声を聞いていると、「わたし」が何のために生きているのか、心が揺さぶられるようだという表明だと思う。

この歌は、現代に通じる深さを持っているのだ。

後白河法皇は、平安末期の政争に明け暮れた。争乱の中で、近親者が亡くなり、実子とも対立し、盟友を失った。人間関係はころころ変わり、味方と敵とが入れ替わった。

平治の乱で権力を握った平家から実権を奪い返そうとした鹿ヶ谷事件で失敗し、幽閉されたこともあった。源頼朝が蜂起すると、いち早く入京した木曽義仲に平家追討の院宣を発したが、田舎将兵の乱暴狼藉に困惑し、源頼朝に東国沙汰権を付与して上京を促すと、今度は木曽義仲に幽閉されてしまう。

木曽義仲を討って入京した源義経に平家追討の院宣を発し、源義経が壇ノ浦で首尾よく平家を滅ぼしたので官職を与えて厚遇すると、今度は頼朝ににらまれ、天命が尽きる。

後白河は、この今様を聴いたとき、自分が渦中にある争乱が、子どものような「遊び」「戯れ」であったら人が大勢死ぬこともなかったと思ったかもしれない。図らずも即位し、院となっても、台頭する荒々しい武士たちの反目に翻弄され、思うに任せない。自分は何のために生まれてきたのかと思い悩むこともあったかもしれない。子どものように生きられたら、どんなに幸せだったことか。

激動の時代を生きた最高権力者としての仕事と、今様への耽溺。

鎌倉時代の僧侶慈円は『愚管抄』で、後白河法皇を今様狂いの無能政治家だったと決めつけている。確かに後白河は、院政を敷いたその年に高齢の歌姫に師事し、40日間、50日間、昼夜ぶっ続けで今様を歌い明かし、3度喉をつぶしたこともあった。

残念ながら、録音技術や記譜法がなかった平安時代だから、今様のメロディや楽曲は伝わっていない。それにしても夜を明かして歌い踊った後白河の姿は、まるでメタル狂ではないか。

しかしそれは、そうせざるを得ない何かが、彼の中に燃えたぎっていたからではなかったか。

望まない即位によって定められた宿命の人生を、後白河が強靭な精神力でまっとうできたのは、人間の本質をえぐるような歌=今様を知っていたからだとぼくは思う。

洗練された言葉使いで、感情を表に出さず、家族を養い、品行方正なマナーで、国や会社や社会のために役立つ仕事をする。

それはもちろん素晴らしい大人の生き方だ。

だが、それは楽しいのか?

仕事をする上でも、人間とは何かという視点を持っている人と持っていない人では、発想の幅が違う。後白河はそれを洗練された『千載和歌集』の中ではなく、「遊女」が歌う今様という荒々しく生々しい流行歌の中に見つけたのだ。

鎌倉時代以降、天皇は政治的・経済的実権を失い、時の権力者に官位=正統性を与え、宗教的な権威とともに、和歌や有職故実を伝える芸術的・文化的な権威となった。

この二重構造が、現在に至るまで続く日本という国の政治的な特徴であり、天皇家を存続させた原動力ともなった。

歌を解する天皇が頂点に存在するということは、日本という国に計り知れない深みを与え、日本人の帰属感の基盤となっている。

なぜなら、日本語で表現された歌とは日本人の心の機微であり、それを理解し評価する力とは、民の声に共感する能力に他ならないからだ。

圧倒的な武力や経済力を持った政治的権力者も、民の声=人の心に共感する力を持った天皇の承認がなければ、権威を得ることはできない。権力者が自分の欲望や王家の存続のためだけに人の心を無視して暴政に走ることは許されない。

民の声を聞けることが権威の源泉となる。それが、神代の昔から天皇が歌を詠んできた日本という国の最大の特徴だといえよう。

後白河法皇は、遊女=底辺に生きる民の声を聞くことで、その源流を作ったのだ。

後白河法皇が激動の時代を生きながら、いや、重圧の中で生きるためにこそ、遊女の歌う今様にハマったように、人生にはアイドルが必要だ。

一見若者向けの低俗なサブカルチャーであるアイドルソングの中に、人間の真実や、生きる喜びが隠されている。

後白河法皇が熱狂的に昼夜歌い踊った今様という形式には、荒々しく感情を爆発させ、浄化するメタルの要素もあるような気もする。

そして、今。

ぼくらにはどちらの要素も持った「アイドルとメタルの融合」であるBABYMETALがいる。