大音量で聴け | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

報告が遅れてしまったが、6月20日YUIMETAL聖誕祭、じゃなかった「ことよさしの会」(www.educoto.com)発足式は、無事終了いたしました。お越しくださった学校関係者、塾関係者、企業、マスコミの方々、ありがとうございました。ぼくが作った30年間の教育界の変遷「Introduction」、新しい教育の在り方を希求する「ことよさし宣言」の採択、塾講師と大学教授お二人の講師による、思考力を育てる基礎教科としての算数・数学の教え方への提言(脳と算数=塾のニューロマーケティング)など、充実した内容だったと思う。ただ、会場が狭く、上階マンションへの配慮から大音量禁止なので、音楽のボリュームを抑え、マイクも使えず、聞き取りづらかったかもしれない。次回は7月11日(月)10:30からで、会場も同じ千鳥ヶ淵カフェギャラリー「冊」。

テーマは、「母親×社会」。MamaBAというお母さんたちの起業ネットワークを立ち上げた理事の一人である吉田紀子さん、学校と受験生が直接交流できる学校選びサイト「デビューストーリー」(www.deviewstory.com)を経営している李恵玉さんという二人の女性に講演していただき、女性=母親が社会で活躍し自己実現していく困難な戦いに、民間教育機関や学校がどうコミットしていけるか、という話をします。

従来の進学塾/中学受験塾は「パパ、ママ、子ども二人、持ち家、犬がいる、近くに子どもを預けられる祖父祖母もいる」といったステレオタイプな中流~富裕家庭を想定していた。

だが、「一億総中流」といわれた80年代とは違って、そんな家庭はもう限られている。経済的な格差が広がって、資産を持たない普通の家庭は、生計を立てるのに精いっぱいだ。おじいちゃんやおばあちゃんがいることは、「子どもを預けられる」どころか、その介護に追われて、家計や子育てにとって大きな重荷になっているという家庭も多い。「市場が機能すれば、みな豊かになり経済格差は縮まる」という新古典主義経済学の常識に反して、「資本主義は不平等を拡大する」という過去200年間の各国統計を示したトマ・ピケティの『21世紀の資本』が、日本でもベストセラーになったのは、こうした困難な状況があるという現実を反映している。

ところが、学習塾講師や経営者も含めて、ほとんどの業界人が、なぜピケティが読まれているかを知らない。というかピケティそのものを知らない。日本の社会構造がどう変化したのか、今、家庭がどうなっているのかにも関心がない。入試制度や小中学校のカリキュラムの変化には敏感だが、目の前の顧客=家庭については、30年前のイメージに依存して、「子どもが減って塾生が集まらない。個別指導も限界だ。タブレットやスマホやPCを使って、自立学習、反転学習をしよう。これで人件費を減らし、生徒単価を上げよう」とか、「富裕層を狙ってもっと高額・高学歴講師の家庭教師派遣システムを創ろう」くらいしか考えていない。

そんなところに解決策はない。問題はもっとラジカル(根深い)だ。

日本は、明治時代に学制を制定して、全国各地から、出身、門閥、身分に関わりなく、優秀な人材を集めるために、国立公立の大学・中学校・小学校を設置した。急速に近代化する中、「四民平等」の社会で出世するなら、必死で勉強してこうした学校を出ればいい。だから明治時代から受験案内本(『東京遊学案内』)や受験参考書、予備校はあったし、戦前のナンバースクール、士官学校の倍率は、東大、開成の比ではなかった。

全国から優秀な人材を集めるという国の政策と、出世したいという庶民の夢との共犯関係こそ、日本の教育産業の基盤なのだ。

塾や私学にお金を払い、高学歴を買おうとするのは、何も1970年代の「受験戦争」からではない。

問題は、工業製品の大量生産にあたる、勤勉で何も考えない労働者を育成するという教育政策が、経済学上の「収穫逓減」に達した資本主義先進国では、もう無効になっているということなのだ。

日本ではまだ、東大京大早慶の高学歴は、官公庁や大企業への就職に有効だ。だが、そこでももう、終身雇用は崩れているし、中小企業に「安定」の二文字はない。なぜか。学歴だけの従順な労働者は、高度に発達してしまったサービス業中心の先進国の市場経済では、生産性が低いからだ。

新古典主義の経済学では、「技術革新」と「人的資本」が成長の原動力=生産性を高める要素とされていた。ぼくは、ピケティとは違って社会政策主義者(ピケティはフランス社会党のブレーン)ではないから、どちらかといえばこの論点を支持する。「人的資本」への投資とは、教育に他ならないからだ。

ただ、新古典主義経済学では、「人的資本」を高める教育は、「物的資本」(資金、土地、設備)への投資とは違って不確定性が高い。つまり、同じことを教えても、身につく人とそうでない人の、事前の見極めができない。市場のプレイヤーである企業が負担するにはリスクがあるから、教育は政治的な政策、公教育制度とした方がいい。だから「結果」として、高学歴の卒業証書が、その人の「能力」を示すものとして就職時に利用される。

学校歴を取得する、ということの意味は、経済学的にも、歴史的にも、非常に根深いものなのだ。単に感情論で、学歴社会は画一的な教育で、個性を殺すからダメだ!!!と否定してみても、どうにもならない。

問題は、(これで3回目だ)その公教育の内容が、もはや役に立たないというところにある。

能力保証として雇った高学歴の労働者にクリエイティビティがなく、使えないという話は多い。もちろん、企業によっては、現場の労働者がものすごい創意工夫をしていて、いまだに世界を驚愕させ続けている分野も多いのが日本なのだが。

30年前、日本の電車に乗ったある欧米の学者が、乗客のほとんどが新聞や本を読んでいる光景を目にして「なんと知的な民族なんだ」と驚愕したという。しかし、今はどうだろう。ほとんどの乗客がスマホを見ている。ブログやニュースを読んでいるのかもしれないが、30年前には活字を読むしかなかったのが、スマホには音楽やゲームなど、コンテンツが多すぎる。不安で、疲れ切った労働者には、活字よりも魅力的だ。日本人労働者の多くが、「明日のために学ぶ」より「今、癒されたい」と願っているのだろう。

まあ、あまり検証できない一般論はやめよう。

だが、教育に携わるものとして、公教育が、もはや生産性向上、成長のカギとして「人的資本」の向上に役に立たないということは、公教育が「出世」のカギで、幸せに近づく道だと信じている家庭にとって、やはりなんとかしなければならない事態であることは間違いない。

つまり、教育の「技術革新」が必要なのだ。

 

最近、仕事で知り合う人にBABYMETALの話をすると、ほとんどの人が「あ、知ってる知ってる」と言ってくれるようになった。「子守歌協会」を19年やっている西舘好子さんと話をする機会があったのだが、彼女も知っていた。同じ日にお会いした大手塾の経営者も知っていたし、流れでたどり着いた銀座のクラブの女の子たちも知っていた。

覚えているだろうか。このブログが始まって1か月くらいの3月、仕事上でBABYMETALの話をして初めて「知っている」といってくれたのが、ロッキングオン創業者のひとりであった橘川さんだった。あれからわずか3か月。世界は変わりつつある。

星火燎原。ぼくの最も好きな中国語だ。BABYMETALは、枯草の草原を焼き尽くす野火事のように世界中に広がっている。

ぼくという人間をわかってもらうために、このブログも紹介しているのだが、最近、BABYMETALを知ったという方に、少しだけ先輩面して助言したい。

大音量で聴け。

普段聴いている音楽のボリュームの目盛りを5つから10上げて聴く。それが、へヴィメタルという音楽の流儀だ。それだけで、世界が変わる。生まれ変わる。

そして、「Road of Resistance」と「メタ太郎」を身体に染み渡らせる。

「命の続く限り、決して背を向けたりはしない」と歌いきるSU-METALの気概が、萎え切った気持ちに空気を入れてくれる。

BABYMTETALが、なぜ、今世界中で人気なのか、必ずわかる。共に戦おう。