学校と成長(5) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日8月4日は、2012年、さくら学院がTIF2012に出演した日DEATH。このとき生徒会長のSU-が、だらけたメンバーを初めて強い言葉で叱咤しました。SU-は三人姉妹の末っ子でおっとりした性格でしたが、BABYMETALとしてのインディーズデビュー曲「ヘドバンギャー!!!」のリリースもあって、この年リーダーとして、またパフォーマンスのクオリティに責任を持つショーマンシップに目覚めたといえます。

 

平成28年度学校基本調査確定値によれば、高校卒業者の大学・短大・専門学校を含む高等教育機関への進学率は80%を超える。うち、四年制大学進学率は49.3%、就職した生徒は、17.8%であった。

ちなみに菅野美穂は高校3年でNHKの連続TVドラマに出演、付属大学に進学後、「イグアナの娘」で大ブレークした。広末涼子は体育祭が入場制限されるほど在学中から大人気だったが、受験して早稲田大学に進学した。菜々緒は、高校時代からオーディションを受けていたが、本格的には共立女子大学進学後にレースクイーン、モデル、女優となった。NegiccoのKaedeは、国立新潟大学工学部を卒業し、2015年4月、新潟薬科大学より特定研究員に任命されている。

YUIとMOAはどうするのだろう。

専門学校や、大学の医・歯・薬学部や獣医学部、教育学部などのように、資格を取得したり、専門職に就くための勉強をしたりする場合は、将来の仕事が明確になっているが、将来像が漠然としたまま大学に入学する学生も多いだろう。その場合には、就職が決まるまでの間はいわゆるモラトリアム期間となる。大学院へ進学しても、研究職を獲得することは極めて難しいから、社会に出て自分で働き始める時期がさらに延期されることになる。

中学・高校までは、学校とは大人になるための常識を身につけさせるための場所だが、大学は、ある意味で社会に出ないための一時滞在場所、すなわち子どもを大人にする機関では全然なく、子どもを子どものままに留めておく装置となる。

一生社会人にならないわけにはいかないのだから、将来像が明確で、どうしても学びたいことがない限り、あるいはすでに極めるべき仕事についているなら、高い学費を出して大学へ行く意味はないということになる。

 

だが、こういうこともある。

アップルの創業者スティーブ・ジョブズは、18歳で大学に入学したが、興味のない必修科目に出るのが嫌で半年で退学した。しかしその後も大学の構内をうろつきまわり、インド哲学、カリグラフィーなど興味のある科目だけを聴講するもぐりの学生として1年半過ごした。どうしてもインドへ行きたかったジョブズは、コンピュータゲームのアタリ社に押しかけ入社。週休5ドルの仕事をこなし、上司の援助もあってドイツ経由でインドへたどり着くが、赤痢にかかり、現実に失望して帰国する。帰国後は、禅や瞑想、スタンフォード大学の聴講などで、“自分探しの旅”を続け、一度アタリ社に復職したあと、友人のウォズニアックと創業したのがアップル社である。

このあたりの話はよく知られているし、成功者の伝記がすべての人にあてはまるわけではないが、教育論的に焼き直せば、前回書いたように、心の中に“学校”を持っていれば、モラトリアム期間であっても、見たり聞いたりしたことが“学び”になるということになる。

それは、必ずしも大学に行かなくても、一人で学び続けることはできるということであるが、大学には、たったひとつ、独学よりも効率的に学べるというメリットがある。

ジョブズの場合は、科目の好き嫌いがあったようだが、大学では、各学部で分野ごとの学問を体系的に学べるように講義が配置される。時間割や年間単位取得数制限などで、取りたい科目をすべてとるわけにはいかないが、自分の興味に応じて、関連のある科目を物理的に可能な限り受講することができる。

人の心を動かすアーティストという仕事を続けていくとき、人文系では哲学、心理学、文学、美学、芸術論、宗教学など、社会系では音楽社会学、芸能史、民俗学、放送論、メディア論、サブカルチャー論、著作権関連の法学など、技術系では情報工学、音響工学など、それを学ぶことで表現の幅が広がる可能性のある学問領域は数多い。もちろん単なる知的興味で、全然関係のない科目を受講してみてもそれが、将来、楽曲制作に生きるかもしれない。

時間割上重ならないように、4年間かけて科目を選択しながら、最先端の学者の講義を体系的に学んでいけるのだから、独学より効率的で、考え方によっては経済的にもお得だ。

大学に行くことに意味があるかどうかは、心の中の“学校”、“学ぶ心”があるかどうか、それだけの経済的・時間的余裕が取れるかというだけのことである。早い段階で勝負をかけることが重要なら、高校を卒業後、大学へ行かずに海外を飛び回る方がいいだろうし、何も18歳で大学へ進学しなければならないという決まりがあるわけではない。海外では、いったん職に就いた後、時間とお金に余裕ができた段階で、断続的に大学に通うという学び方が一般的なのである。

ちなみにぼくは現役で大学に入ったのだが、働きながら留年を繰り返し、卒業後、大学院にもちょっとだけ在籍したので、今の会社の老社長に誘われて教育業界に入るまで7年かかった。とんでもないモラトリアム人間だった。<自虐

そうしてまで大学を卒業した意味があったかどうかは、よくわからない。

前にも書いたが、中学時代からバンドをやっていて、プロになるお誘いがなかったわけではない。ただ、本好きだったので、大学に行って、ものを考える「枠組み」のようなものができたのは大きいかもしれない。コンサルタントという職業は、広く浅く知ったかぶりができないと商売にならないので、ぼくは現在でも年間100冊以上の本を読み、ネットでも情報を得るのだが、大学時代にできた思考の枠組みのおかげで、その本や情報の「知的地図上の位置」がわかる。

例えば、「この筆者の言っていることは偏っているな」とか「文章の射程距離が短いな」とか「これは実体験にもとづく第一級の現地情報だな」とか。

最近読んだ本では、『バッタを倒しにアフリカへ』(前野ウルド浩太郎、光文社新書)と『謎の独立国家ソマリランド-そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』(高野秀行、集英社文庫)の2冊が秀逸だった。なぜか2冊とも舞台はアフリカである。

前野ウルド浩太郎は昆虫学者で、初めての著書になる。ネット世代らしく文体がこなれていて、1ページ目から大爆笑だが、ようやくバッタの大群に巡り合えたシーンではグッとくる。間違いない1冊。

高野秀行は早稲田大学探検部出身のノンフィクションライターだが、ぼくは昔からのファンで、彼の著作は活字で読む「グレートジャーニー」である。その中でも本書は、ソマリランドとソマリアの違いなど、目からうろこが落ちまくり、ワクワク感とともに、政治とは何か、民主主義とは何かを考えさせられる。ちなみにソマリアのアデン湾を挟んだ北隣が、さくら学院「世界の授業(2012年)」で、飯田来麗が紹介したイエメン、西の隣の隣は中元すず香が紹介したウガンダである。

ソマリランドに平和をもたらした氏族間戦争の解決策は意外だったが、おそらくこれしかないという方法だった。古代日本でもこういうことがあったのだろうなあ。

脱線してしまったが、頭の中に「知的地図」を作ることで、見聞きすることが関連性や深い意味をもって楽しめるようになると思う。大学でも、独学でもいいが、“学ぶ心”を持ち続けることは、人生を豊かにする。

なので、YUIとMOAが大学に進学するかどうかはわからないが、ぼくはそれによってBABYMETALの本格的活動が、また4年間先送りになっても、それはそれでいいのではないかと思う。

まあ、余計なお世話だわな。

(この項終わり)