日本文化は滅んだか(3) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日5月20日は、過去BABYMETAL関連では大きなイベントのなかった日DEATH。

 

いよいよ本題『日本文化が滅んでBABYMETALが生まれた』(長澤寛行著、ブイツーソリューション、2017年4月30日発行、初版第1刷)である。

ハッキリ言っておくが、ぼくは長澤寛行氏の本を買うなとか読むなと言っているのではない。ぼくが言っていることが正しいかどうか、検証のためにも読みたい人は買って読んでみるといい。

前回取り上げた『鎖国の精神-現代日本を支配するもの-』は、2006年6月30日第1版第1刷だが、長澤氏は、2009年に次著『漂える想念-日本の真髄-』(ブイツーソリューション、2009年12月15日)を刊行している。

例によって紹介文だけ記す。

-引用-

地球上に浮かんだエアポケット、それが日本である。プロローグ「一つの想念が日本列島を覆っている」から始まる本書は、日本の歴史と精神をたどってその原像を解明している。さらに見えない日本文明の意味と未来像に言及する。

 鬱懐の巣窟、それが日本人である。敗戦後64年を経過して日本は行き詰まり、現代の日本人の胸にはいつも何か得体の知れないもやもやとした苛立ちと閉塞感がわだかまっている。本書ではその原因を黒船渡来後150年の近代に起因するものではなく、有史以来の無意識の精神構造によるものと述べる。そして現状を二千年の歴史における行き詰まりの時と位置付ける。

 鎖国の精神、それがこの想念の実態である。この想念は、古代に発生して現代に至るまで一貫して日本人が抱き続けて、訓練された無意識として定着している。鎖国の精神は日本人そのものと化している。そして日本社会の基本構造を作り上げ、世界で日本を日本たらしめているのである。この無意識の想念が紡ぎ出す歴史と社会の諸々の現象を跡付けて、現代の日本を呪縛する実態を明らかにする。

-引用終わり-

ほとんど前著と変わらない。書き出しは全く同じである。なので、これに対しては論評しないことにする。

さて、本題の『日本文化が滅んでBABYMETALが生まれた』は、いわば放言集だった前著と違って、海外進出したBABYMETALにぞっこん惚れ込み、絶賛しているわけだから、長澤氏もネットにアクセスして、情報をアップデートしたのだろう。

奥書のところには、参考HPとして、

「BABYMETAL BIOGRAPHY」

「終末を疾うに過ぎて☆NEWYORK」

「BABYMETAL」(OFFICIAL)

「フリー百科事典ウィキペディア日本語版(BABYMETAL)」

参考YouTubeとして、

「BABYMETAL【ソニスフィア読本】」その他

が挙がっている。

しかし、「はじめに」で、いきなりのけ反るようなことが書いてある。

-引用-

物事の因果関係というものは「風が吹けば桶屋が儲かる」のように、多くは判じ物のようである。この文章の題名は「日本文化が滅んで」と冠してある。だが回り回っての因果関係という伝で言えば、「BABYMETAL現象が生じたのは、日本が大東亜戦争に敗れたからである」ということが出来るのである。(P.10)

-引用終わり-

戦前にもジャズはあったのだから、仮に敗戦せず、進駐軍相手のロカビリーという文化が入ってこなくても、早晩イギリスからロックやメタルが入ってきただろうと思うが、どうも長澤氏の言いたいことはそういうことではないようだ。

長澤氏によると、「BABYMETAL現象」とは、「日本の女性アイドルグループによる歴史上初めての本格的な海外進出」のことで、「現代の日本においては決して起こるはずのない、有り得ないはずの事」(P.10)だったのであり、それは「日本と日本民族の盛衰に深くかかわる状況から発している現象」(P.11)なのだという。

ぼくなりにこの本を要約すれば、大東亜戦争の敗戦後72年を経て、日本文化(大人文化)が滅び、子供文化が蔓延してしまった。アイドル文化はその最たるものである。ところが、BABYMETALはアイドルなのに、前著でいう日本の国是である鎖国精神すらも飛び越えて、世界進出に成功してしまった。これはあり得ない奇跡だ、ということらしい。

BABYMEATLがアイドル出身の奇跡的なロック・スターだというのは大賛成だが、日本文化は滅びてはいない。どう批判したらいいのか、これにはぼくも参った。

しかも、同じ「はじめに」には、

-引用-

ベビーメタルの音楽性についての詳細な分析は、造詣の深い他の人に期待している。またグループの細部にわたる来歴およびベビーメタルの神話物語等、音楽誌的には書いておいた方が良い詳細な事実を敢えて書かないままに済ませている。またベビーメタル現象についての思い入れ、メンバー個人それぞれについての心情的な記述等も、最小限の吐露のまま終わった(P.12)

-引用終わり-

と書いてあるのに、

-引用-

欧米の音楽愛好家からしてみれば、ベビーメタルの出現はまさに異星人の出現のようなものであったろう。突然に何処からかやって来て、瞬く間に人気を博し、メタルシーンを席巻し始めたグループである。何処から来た、何者で、どういう物語と背景を持ったグループなのか疑心暗鬼にかられ、また興味津々となるもの無理はなかったであろう。

またその疑心と暗鬼の中心は、ベビーメタルというグループがヘビーメタル・バンドなるや否やという議論である。しかしその侃々諤々(かんかんがくがく)の論議も瞬く間に鎮まりかえり、あとは骨抜きとなったヘイター・アンチの累々たる抜け殻が残った。

そしてベビーメタルが通るところ、すべて歓迎・仰望の嵐と化し、過ぎた跡にはただ熱狂の記憶のみが刻印された。またライブ・フェス等、出るステージはみな狂喜乱舞して手の舞足の踏むところを知らずという状態である。

すなわち、行くところすべて成功せざるなき、無敵の様相である。さらにライブでの熱狂と歓喜の後には、その残響が消えかかった頃に、ベビメタ・ロスの苦悶が始まった。」(P.19)

―引用終わり-

というような記述が延々と続く。

ソニスフィアの公式MVか、NHK「BABYMETAL現象」を見て、ぼくと同様、感動してしまったのでしょうな。

BABYMETALを紹介する第一章「BABYMETALの評価」では、「メタルミュージックの神とされるキツネ神(フォックス・ゴッド)」のこと、世界中に広がるネットで結ばれたファンが「メイト」と称していること、そしてファンは自らをキツネ神に仕える三姫の下僕として「キツネ」と呼び合い「我らキツネの使命は」と、それぞれが奉仕できる三姫支援の点検と戒めに励んでいること、“最後の吾が世の春”を見つけた中高年層の熱烈なファンの話題が哀愁を伴ってネットを賑わせていること、などなど、「BABYMETAL現象」のありようが熱をもって記述される。

その思い入れの強さ・熱さに、電車の中でつい爆笑してしまった。嬉しくてたまらなかったのである。きっと、東京ドームにも来ていらっしゃったんでしょうね。あるいは大阪か、名古屋の白ミサかな。

これだけBABYMETALを愛してくれてはるメイトさんだから、正面切って批判することには気が引けてしまう。

とりあえず、誤字、誤認だけ指摘しておきます。

-引用-

「二〇十四年七月、満を持してヨーロッパの地へ飛び立った。メタル・レジスタンスのための武者修行と称する、「BABYMETAL 世界征服」への旅である。

三人の少女達。「スーメタル」こと「中本すず香」16歳、「ユイメタル」こと「水野由結(ゆい)」・「モアメタル」こと「菊地最愛」15歳の春のことである。(p.17-18)

-引用終わり-

「中本」はいけませんな。「中元」です。

あと、正確にいえば2014年7月1日にはパリ公演だから、日本を飛び立ったのは6月だし。水野由結は6月20日に15歳になったが、菊地最愛は7月4日が誕生日なので、まだ14歳。季節は春でもないし。

出版という事業は、筆者と出版社の共同作業である。筆者は原稿を書くが、ミスもする。だから、いい本を作るために、出版社は、担当をつけて、少なくとも人名・日時・年齢など事実関係については、編集・校正をちゃんとやる義務がある。前著ではこういうミスはなかったが、今回は酷い。ぼくもやらかすけどね(^^♪

しかしまあ、こういう細かいことは、本題とあまり関係ない。

タイトルからネット上のメイトさんたちが危惧した通り、本書はBABYMETALそのものを論じるのではなく、日本人と日本文化を論じるのが本旨とのこと。

なので、この部分で違和感を覚えるところにのみ、批判を加えることにする。

本書では、日本文化について「日本人は鎖国精神だからダメ」という前著から続く自説に、新たな見解が加わった。

それは、「大人文化」と「子供文化」という概念である。戦後72年間で日本の「大人文化」は「完全に消滅」し、「子供文化」になってしまったというのである。

-引用-

日本は、太古の昔から、世界に冠たる大人文化生成の地であった。だが、一九四五年(昭和二十年)の大東亜戦争の敗戦を境に、日本人は自らの意思で「盲目となり」、「卑怯者となり」、「未成年と化した」。

これは個人的な見解として日本を悪し様に言っているわけではない。上記の事項はすべて「日本国憲法」に事細かに明記されて宣言されている。日本人自ら明記しておいて、中身を点検することもなく、論議をタブー視して、今も素知らぬ体で奉戴している。

男は戦うことを放棄して腑抜けとなり、抑制のきかない弱者となり、丈夫たらんとすることを止めてただのオスと化した。これも単なる個人的否定的見解などではない。上記の事項はすべて「日米安全保障条約」として明記され宣言されている。男が弱くなるに応じて、当然のことに女は愚かになり、忍耐を忘れた強者となり、大和撫子であることを止めて恥知らずのメスと化した。日本の女から恥じらいの風が消えてすでに久しい。(P.94-95)

(中略)また、日本人は従来の地域社会の枠組みを解体し、家族制度を廃止解消して、血縁関係を希薄化してきた。こうして日本の津々浦々に至るまで、古来の伝統は放棄され、連綿として続いた社会の仕組みは徐々に解体されるに至った。(P.96)

(中略)ここに長い歴史に連綿として続いた社会の仕組みが解体されるに伴って、古来の伝統として継承されてきた大人文化の消滅の芽が撒かれた。また大人文化の粋としての伝統芸能は形骸と化した。将来におけるその状態の到来は、その始めの時にすでに決していたのだが、実際にこの現象が日本社会全体を覆い尽すには七十年を要した。(P.97)

-引用終わり-

おやおや。

前著では、「663年以来、日本は鎖国を国是とし、日本人は鎖国精神に支配されているからダメだ」と言っていた。それがいつのまにか日本文化=「世界に冠たる大人文化」にすり替わっている。これはどうしてなのだろうか?

まあ、何となく言いたいことはわからないでもないが、ここには、長澤氏の悪い癖が如実に表れている。批判する相手の境遇を思いやることをせず、一般化して高飛車に断罪する癖である。

「丈夫たらんとすることを止めてただのオスと化した」とあるが、戦後、日本人の男性は、“企業戦士”と揶揄されながらも必死で働き、優れた製品を作って外貨を稼ぎ、生活を豊かにし、父として家族を守り、税金を払って国を支えてきたのである。自衛隊員は、世間の冷たい目にさらされながらも、練度を高め、災害時には命を張って国土や国民を守ってきたではないか。

女性についても同じである。TVの中で面白おかしく報道される世相は、一般化できる真実ではない。日本の女性たちは、その都度の思潮や流行に惑わされながらも、美しくあろうとし、職場では貴重な戦力として働き、また母として、必死で子どもたちを育ててきたに違いないのだ。

「伝統芸能は形骸と化した」というが、日本社会の伝統セクションに属する神社仏閣の宮司・神職、僧侶、伝統的な技法を受け継ぐ工芸や農漁業・食品工業の職人や匠たち、武道、そして伝統芸能に従事する人々は、戦後、アメリカナイズされていく社会、ある時期には、伝統的なものごとや考え方を貶める風潮に抗い、代々伝わる貴重な伝統を守り、かつ新しい技術も取り入れ、次代に継承していく仕事を営々と続けてきたのだ。それがようやく今、「クールジャパン」として脚光を浴び、TV番組などでも世界に紹介されている。しかしこれらの人々は、それが一過性のものだということも、身をもって知っているだろう。

こういう戦後を生きた無数の人々の生身の喜怒哀楽の上に、今の日本という国がある。

「サンフランシスコ講和条約」と「日本国憲法」と「日米安全保障条約」は、敗戦という局面にあった当時の政治家たちが、日本国を安定・発展させるため、最善の現実的な選択をしたに過ぎない。そしてこの「セット」は、少なくとも最近まで有効に機能した。それをこれからどうするかは、ぼくらの世代の課題だ。

(つづく)