超歌舞伎 | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日5月13日は、2016年、米国シカゴ公演(House of Blues)が行われた日DEATH。

デトロイトに続き、ここでも観客を「Sit Down!」と座らせ、「ギブミーギブミー」と言わせ、「ワンツースリー!」でジャンプさせる“進駐軍煽り”をやってのけました。

 

連休前の4月29日、二女を施設から連れ出し、幕張メッセのニコニコ超会議2017の中で行われた超歌舞伎、初音ミクと中村獅童主演による「花街詞合鏡(くるわことばあわせかがみ)」を観た。

前にも書いたが、小6となった二女はボーカロイド初音ミクにハマっており、また、昨年秋に小学校の校外学習で観て、歌舞伎も好きになっていた。特に連獅子が面白かったというので、YouTubeに上がっている「歌舞バンギャー!」を見せたら、ゲラゲラ笑ってウケた。

めったにつけない地上波を見ていたら、ニコニコ超会議2017で、その歌舞伎の中村獅童と初音ミクが「共演」する超歌舞伎のCMが出たので、さっそくチケットサイトで申し込んだら、指定席が取れたのである。

初音ミクはDTM音楽作成ソフトで使う人工音声=ボーカロイドであり、ヴィジュアルは販促用の二次元バーチャルキャラクター(以下VC)に過ぎない。しかし、BABYMETALが前座となった2014年7-8月の前、5月のレディガガのワールドツアー「ArtRave:The ARTPOP Ball」で、初音ミクはオープニングアクトを務めた。このときは、ステージ上に設置された透明なスクリーンにプロジェクターで画像を投影する、いわば疑似ライブアニメショーであった。エージェントの意向もあっただろうが、2014年レディガガは、まさにテクノオリエンタリズム的「関心」から初音ミク(5月)―BABYMETAL(7-8月)-MCZ(8月日本公演)を前座に選んだのだろう。

今回は、NTTが開発したイマーシブルプレゼンス技術(画像を立体的に投影する技術)により、等身大の肉眼3D「女優」として舞台上に現出した。

ニコニコ超会議の展示の中に、その技術だけを展示しているブースがあり、あとから見学したところ、1枚の透明スクリーンの前後から、26台のプロジェクターにより画像が投射されるようになっており、前から見れば体の前面が、後ろから見れば背面が見えるようになっていて、くるりと回転すると、本当に人間が踊っているように見える。

超歌舞伎では、透明なスクリーンは舞台上にあるのだが、照明の工夫によりほとんど見えない。そこに等身大に投影された3Dの初音ミクや重音テト(かさねテト)が歌い、踊り、セリフを言い、その隣や前で、中村獅童や敵役の澤村國矢が絡む。歌舞伎役者は、実は一人芝居しているわけだが、観ている観客からは「共演」しているように見える。さらに中村獅童や澤村國矢自身も映像化されており、ステージの上段にある大スクリーンの中に飛び込んだと思うと、そこから空中に飛び上がったり、龍と白狐に化身して戦ったりする。つまりアニメである初音ミクが、現実の舞台に登場すると同様に、生身の中村獅童や澤村國矢がアニメの世界に入っていく。生身とVRがミックスされて、奇妙な世界が現出するのである。

それが、映画やアニメではなく、歌舞伎という舞台で行われるところにこのイベントの価値がある。伝統的日本文化と最新のデジタル・テクノロジーの融合。これぞテクノオリエンタリズムの極致であり、外国人大喜びである。日本人もだけど。

上手・下手両サイドのスクリーンには、ニコニコ生放送が同時に流れる。最前列に座っていた小林幸子(本物)が映し出されると「888888」の嵐。生の舞台が全国に中継され、無数のコメントが画面を流れる。ふだんは見る側もしくはぺリスコを送る側だが、ニコ生中継の現場にいてそれを画面で見るのは変な感じであった。

2016年に行われた第1回超歌舞伎「饗宴(はなくらべ)千本桜」では、初音ミクの「千本桜」をフィーチャーして中村獅童の当たり役「義経千本桜」と絡め、獅童が「狐忠信」(源九郎狐)こと佐藤忠信に扮したため、最後は荒事となり、中村獅童は源氏の旗頭である白い狐の化身となり、悪い青龍を退治するというストーリーだったようだ。

今回もその設定を継承したので、廓物の装いを取りながら、最後は白狐と青龍の戦いとなる。

こういう設定を全然知らないまま、ベビメタネイティブアメリカンTを着ていったのだが、中村獅童が白狐の耳をつけて観客を煽るところでは、みんながグーで叫ぶところで、キツネサインをして「いえーい」とか叫んでしまった。ぼくだけかと思ったら、アリーナ席の前方でも、数名キツネサインを発見した。白狐だし、ニコニコだし、キツネサインはBABYMETALの専有物でもないので、問題ないはずである。!(^^)!

しかし、二女は声を出さずに見ている。父親がキツネサインして「いえーい」と叫ぶのを見るのは、やっぱり恥ずかしいかな。いやいやそんなことでは、いつになってもBABYMETALのライブには連れて行けないぞ。銀キツネ祭りは落選したからいいようなものの。くくく。

音響は、NTTの「波面合成技術」により、役者のセリフも音楽もはっきり聞こえる。女声シンガーとして作られたため、本来話すのは苦手な初音ミクの声も、アニメ声ではあるが、中村獅童の声とそん色ないリアリティだった。まあ、これはアニメの元となった声優が吹き込んでいるのかもしれないが。

今回の主題歌は「吉原ラメント」という曲だったが、華やかさを演出するためか、ジャズのアレンジが施されていた。エンドロールでも「残酷な天使のテーゼ」がビッグバンドのアレンジで流れていた。

歌舞伎とハイテク・ボーカロイドとジャズ。

前にも書いたが、こんなふうにすべてを「融合」して新しいものを生み出してしまうのが、日本文化の一つの特徴だと思う。欧米人には考えられないことだろう。移民国家であるアメリカは人種の「るつぼ」だというが、交じり合うのは混血化が進むだけで、料理や習慣や音楽などの文化はルーツの伝統を保持したまま、交じり合わない。これを称して「サラダボール」型といい、ジャンルが無数に増えていくだけのことだ。

つまり、違うジャンルのものを「融合」することこそ「和を以て貴しとなす」という日本文化の特質なのだ。

今回「出演」したボーカロイド=バーチャルアイドルは初音ミクと重音テトであったが、重音テトは、2008年のFOXDAYに、YAMAHAのVOCALOIDエンジンに対応したクリプトンの正規音声キャラクターである初音ミク、鏡音リン・レンに続く自主制作キャラクターとして2ちゃんねるのユーザーが勝手に作り出したものである。重音部とは全然関係ない。

バーチャルアイドルとしてのキャラクターが先行し、のちにフリーウェアUTAUエンジンに対応した音声ソフトとなった。ボーカロイド=バーチャルキャラクター界のいわば「鬼っ子」であるが、それが、VCの代表、初音ミクと「共演」し、かつ超歌舞伎に出演した。

31歳という設定から「廓のやり手のおかみさん」役ではあったが、こういう懐の深いプロデュースもまた、ニコニコ超会議の面白さだと思う。

ネット社会は、ぼくが生まれ育った新聞、テレビのマスコミ時代とは全く違う。

情報が専門的な「知っている者」から一般の「知らない者」へと上意下達されるのではなく、発信された情報は検証され、受け手が参加し、より正確に、巧緻なものへと組み上げられていく。最初から受け手=消費者が参加しているから、ビジネスが短期間で大きなうねりとなっていく。VCのプロジェクトやマーケティングはその典型である。

そこでは巷に隠れているへヴィユーザー(オタク)とプロの技術者の境目は曖昧である。なんとなれば、ある会社に勤めているプロの技術者が、利害のないオープン・プロジェクトに1ファンとしてボランタリーに参加したりするからである。だからこういうマーケットでは「権威」やら「立場」やらは意味を持たず、実力が人望となる。

それはそれでいいことだけれど、問題は出来上がった作品なり、ライブなりに人の心を動かすものがあるかどうか、だろう。

超歌舞伎は見世物として面白かった。

けれど、もっと初音ミクや重音テトの「感情」が見たかった。二女の持っているボーカロイドのCDをいくつか聴いたが、中には本当に人間のような「感情」を感じてしまう曲もあった。それはおそらく人間である制作者の「感情」なのだ。

BABYMETALというプロダクトも、様々な要素からなる「融合」の産物であるが、その底には三人の少女たち、神バンド、KOBAMETALをはじめとするスタッフの生身の肉体と「感情」がある。それがライブでぼくらファンの心を動かすのではないか。

連休明け最初の週末。もうベビメタロスの「感情」が押し寄せているよー。