日本文化とBABYMETAL | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日5月12日は、2015年、カナダ・トロント公演(Danforth Music Hall)が行われた日DEATH。YUI、MOAの体が急に成長したことや、高地メキシコシティでの公演の後遺症もあって、この頃三人はバランスを崩し、厳しいコンディションで臨んでいたと、ウェンブリー直前の雑誌インタビューでMIKIKO師が述懐していました。

決して平坦な道を歩んできたんじゃない。乗り越えてきてるんですよ。

 

2016年4月26日(火)~6月12日(日)にかけて、東京・渋谷の國學院大學博物館で、企画展「偶像(アイドル)の系譜~神々と藝能の1万年」が開催された。

すでに1年前に終わった展覧会であるが、なぜBABYMETALが現代日本に生まれ、世界を震撼させているかを考える原点のようなものがあると思うので、少し考察してみたい。

展示の構成は、第Ⅰ章「現代的アイドルの原型」から始まる。

「お仙と菊之丞とお藤」(鈴木春信)、「難波屋おきた」(喜多川歌麿)、「古今貞女美人鑑」、「美艶仙女香」(渓斎英泉)など、主に江戸時代の浮世絵、美人画が展示される。

 

そしてその中には、「荼枳尼天図」一幅もある。稲荷信仰は江戸時代に大流行し、美しい荼枳尼天は庶民のアイドルだったのだ。

ここでの趣旨は、「会いに行けるアイドル」の原型は、早くも江戸時代に現れたこと、茶屋の娘や花魁が描かれているが、男たちに人気があっただけでなく、現実の少女たちもまた、浮世絵という複製画=マスメディアを介して、美の「理想像」を再生産してきたことが明かされる。

第Ⅱ章は「はじまりの藝能」で、天岩戸の前で歌い踊った天鈿女を起源とする日本の芸能は祭りとともにあり、芸能者は神々に奉仕する神職だったことが示される。そして、現在でも巫女神楽が奉納されるように、聖と俗が交錯する神社の境内にしつらえられた舞台で、芸能者は歌い、踊り、変性意識の状態に入って神の顕現を表現した。そもそも芸能とは、たんなる娯楽ではなく、異界への扉を切り開くメディアだったというのだ。ここでの展示の中には「年中行事絵巻稲荷祭(伏見稲荷神社蔵)もある。

さらにさかのぼると、第Ⅲ章「見えざる神々の身体」にたどりつく。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では共通して偶像崇拝を否定する。しかし日本古来の宗教観では、神像や仏像は、目に見えない神々や精霊や仏が、人の形をして現れたものと考える。ここで展示されているのは素朴な田の神、道祖神から、埴輪、遮光器土偶など。

神道の八百万の神々とは、祖先や自然、人がそこから生まれ出た命の源の謂いである。土や石や木という自然物を使って人の姿に表現された造形物こそ、本来の偶像=アイドル=神そのものなのである。

つまり、この展示の意図は、日常的な娯楽としての「会いに行けるアイドル」の本来の形は、祭祀のときに生身の人の姿を借りて歌い踊る芸能者であり、さらにそれは偶像と同じく、神が人に降臨して顕現し、見る者に異界への扉を開く存在だということになる。

ここまで読まれていかがですか?

ほとんどBABYMETALを念頭に置いているとしか思えなくないですか?

展示の中に「美人画」としての荼枳尼天=ダーキニー=キツネ様があったり、伏見稲荷の祭礼が描かれたり。

AKB48が少女たちの理想形としての江戸~現代に連なる「会いに行けるアイドル」とすると、桃神祭という“お祭り”を毎年夏に開催し、太宰府天満宮でライブを行ったMCZは、「アイドル=祭りの芸能者」を再現しているのだといえる。

そしてBABYMETALは、「BMD」でトランス状態に入り「神降臨!」となってキツネ様の化身=神の依代として、見る者に異界への扉を開く「アイドル=神」の再現ということになる。

この展示会のタイトルは、「偶像の系譜~神々と藝能の一万年」である。

遮光器土偶の時代、すなわち縄文時代から偶像はあった。してみると戦後の日米太平洋文化交流史や焼け跡進駐軍どころか、一万年の日本の宗教や文化を集約したのがBABYMETALであるといえるわけだ。

BABYMETALが神の依代であるとすると、たまにしかライブをせず、再びぼくらの前に現れると、その霊威が強くなっていることもうなずける。

マレビトなのだ。

これは民俗学者折口信夫が提唱した概念で、村落共同体の外部から来訪した客人(稀人、まれびと)を、異界から人間界を訪問した神とみなすという信仰を指す。

万葉集、常陸国風土記や、沖縄の風習にも見られ、やがて遠方から来た旅人、遊行芸人、ほかい(乞食)人もその対象とされるに至る。マレビトの短い滞在期間、人々は彼を神として歓待しなければならない。なぜならマレビトとなって顕現している神とは祖先の霊であり、その村の繁栄を司っているからである。大盤振る舞いをして、神と供食し、感謝を表すことで、その村にご利益=豊作がもたらされる。粗相があってはならない。

こうした風習は日本だけでなく東南アジアや、遠くゲルマン民族やケルト民族にもあるという。秋田の「なまはげ」や見えない神と相撲を取る「独り相撲」もマレビト信仰と関連があるのだろう。

にしても三人は、デビュー時小中学生だったし、現在でもまた10代である。

「♪あげぱーん、あげぱーん、冷凍ミカン」と踊っていた天真爛漫な女の子たちが、ホントに神なのか?

いや、今考えれば畏れ多いことだが、そのとおりなのである。

なぜなら、神の依代となる神社の巫女さんには、未婚であることが絶対条件で、年齢制限がある。お正月のアルバイトは、ほとんどが氏子の関係者の高校生の女の子である。正規雇用の場合は、高校の新卒で採用され、多くが5年で退職。つまり23歳で定年となるのだという。もっとも神社によっては27-8歳くらいまで「延長」することがあるという。

つまり、BABYMETALは、純真無垢、天真爛漫の「子ども」だったからこそ、神の依代となれたのである。

「ライブの時は神が降臨しているので、記憶がないんです」というギャグは、ギャグではなかった。たとえYUIちゃんが「あります!」と言い間違えたのをタカトシに「カミングアウト」だと突っ込まれたとしても。(^^♪

BABYMETALというアイドルのコンセプトは、「アイドルとメタルの融合」だけでなく、縄文時代から続く日本人の宗教観=神道という日本文化をも継承しているのである。

だからこそ、ただのFusion of J-POP and Heavy Metalではなく、戦慄とともに圧倒的なライブで欧米の観客を震撼させているのである。

奥が深いぞ。