ロッククイーンの系譜(3) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日5月6日は、2012年、さくら学院2012年度転入式が行われ、中元すず香が二代目生徒会長に就任した日DEATH。ここからチームを引っ張るリーダーとしての自覚、またお客さんに歌と踊りを見せ切るアーティストとしての天性が開花していきました。

 

ロッククイーンの系譜の続き。

以前も書いたが、BABYMETALのファンになるまで、夢中になってHR/HMを聴いていたわけではなく、フュージョンやジャズやワールドミュージックをBGMとして聴くだけの日和呆けた音楽ファンであった。メタル、ラウド系はヴァン・ヘイレン、メタリカ、レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンなどをたまにつまみ食いする程度のお付き合いだった。

もともと、ハードロックと共にプログレが好きで、日本なら四人囃子、新月、イギリスならピンクフロイド、キングクリムゾン、イエス、EL&P、キャメル、ブライアン・イーノ、フランスならパルサー、イタリアのBANCO、フォルムラ・トレ、MAURO PAGANI、ギリシャのヴァンゲリスとか、キングレコードのプログレ・ロック・シリーズを好んで聴いていた時期があり、HR/プログレの延長でハロウィンまではフォローしていたのだが、イングウェイ・マルムスティーンには「すげー。もうついていけねえ」と思い、その後のネオクラシカル、メロディックスピードメタルは聴かなくなってしまい、女性ボーカルをフィーチャーしたシンフォニックメタルというジャンルについては、ほとんど知識がなかった。

1990年代、アメリカではグランジブームのあと、ラウドな音楽はオルタナティブ、ポストグランジ、グルーヴメタル、ファンク/エモ、スクリーモ、Electronicore(日本名:ピコリーモ)へと細分化していった。

ヨーロッパでは、デスメタルの発展形というべきブラックメタルや、バッハ音階をもとにしたネオクラシカルメタル、ゴシックメタル、メロディックデスメタル、スピードメタル/パワーメタルの変形のフォークメタル/バイキングメタルなどが盛んになっていくが、SU-が生まれた1997年前後にシンフォニックメタルへと発展した。

1996年、フィンランドで、オペラ唱法のターヤ・トゥルネンをフィーチャーしたナイトウィッシュが結成される。1998年のセカンドアルバム「オーシャンボーン」は世界各国で発売され、欧州および南米でヒットした。オーケストラとのコラボレーションなどで定評を得て、2004年の「ワンス」は世界各国でゴールドディスクを獲得した。ボーカリストやメンバーは変わっていくが現在も活躍中である。

1997年、オランダで、女性ボーカリスト、シャロン・デン・アデルをフロントマンとするウィズイン・テンプテーションが、アルバム「Enter」でデビュー。2000年から2004年にかけて、セカンドアルバム、サードアルバムが欧州で大ヒットする。

同じく1997年のオランダで、マーク・ヤンセンを中心に結成されたデスメタルバンド、アフター・フォーエヴァーに、長身の女性ボーカリスト、フロール・ヤンセンが加入し、ゴシックメタルに移行、2000年に「プリズン・オヴ・デザイアー」でデビュー。マーク・ヤンセンは2002年に脱退し、バンド自体も2009年に解散するが、フロール・ヤンセンは、ナイトウィシュの3代目ボーカリストとなる。

そして2003年には、アメリカ、アーカンソー州リトルロックで、女性ボーカリスト、エイミー・リーをフィーチャーしたエヴァネッセンスの「Fallen」が全世界1500万枚の大ヒットとなった。「Fallen」には、オルタナティブ、ポストグランジ、メロスピ、プログレメタル、エレクトロニカなど様々な要素がミックスされ、グラミー賞では最優秀新人賞、最優秀ハードロックパフォーマンス賞を受賞した。

エヴァネッセンス以降、2003年から2006年にかけて、アイアン・メイデン、ジューダス・プリースト、モトリー・クルー、ホワイト・スネーク、日本でもBOWWOW、LOUDNESS、アースシェイカーなど大物バンドのオリジナルメンバーの復帰や再結成が相次いだ。つかのまのメタル復興期が出現したのだ。

こうした経緯を知ったとき、ぼくはBABYMETALが日本のバンドながら、メタルで「ふたたび世界をひとつにする」ヒントになると思った。つまり、バンドの「主義主張」にこだわらず、女性ボーカルをフィーチャーしたメロスピ的な楽曲からJ-POP、デスメタル、フォークメタル、ピコリーモ、NUメタルまで内包するという多様性こそ、“世界征服の方程式”に思えたのだ。

しかし、ほぼ毎日BABYMETALの音源を聴き、YouTubeを見まくり、ライブにも何度か足を運び、今年に入ってからはソウルのMETALLICA、大阪のガンズアンドローゼズ、シャーロットのレッドホットチリペッパーズのサポートアクトを見た結果、話はそう簡単ではないことに思い至った。

結局、BABYMETALの魅力のコアは、ロック・パフォーマーとしての身体性であり、ライブで問われるのはコンセプトではなく表現力、存在そのものの迫力なのだ。

ソウルで見たMETALLICAの音楽性は、極めてシンプルであり、ケレン味のないスラッシュメタルだった。メンバーはみなオジサンであり、派手な演出があるわけでもない。演奏力そのものは、神バンドの方が上だ。しかし、ラーズ・ウルリッヒの重いドラミングと、のしのし動き回るロブ・トゥルージロのベースのうねり、熟練の手癖で弾き切るカーク・ハメットのギター、そしてジェームズ・ヘットフィールドの存在感に満ちたボーカル。そのコンビネーションが一体となって観客をノセていく。

大阪で見たガンズもそうだった。アクセルは肥満していたし、スラッシュも「切れ」よりも「泣き」で魅せるギタリストになっていた。ダフのベースワークも、シンプルそのものだ。それでも30年のバンドの歴史が、楽曲に深みや厚みを加えていた。

SSAで同じくガンズのサポートを行ったMan with a Missionは長い歴史を持つライブバンドである。ぺリスコでしか見られなかったが、やはりその経験が大舞台で生きていたと思う。観客は、狼のマスクというギミックよりも、ライブバンドとしてのパフォーマンスの熱気を評価したと思う。

BABYMETALも同じである。アイドルがフロントマンであるとか、多様な楽曲を持っているとかいうことではなくて、そのひとつひとつが完成され、ライブで観客に訴求力を持つからこそ、日本でも欧米でも「凄い」と思われるのである。

ギタリストとしてみると、2ndアルバム「Metal Resistance」の楽曲は、「BABYMETAL」よりも難易度が高い。「Road of Resistance」「Amore-蒼星-」「シンコペーション」「Tales of the Destinies」「The One」のソロパートは、1stアルバム「BABYMETAL」収録の「BMD」「ヘドバンギャー!!!」「紅月-アカツキ-」「イジメ、ダメ、ゼッタイ」よりも難しい。

だからといって、ライブで観客に“より”アピールするわけではない。むしろ、シンプルな曲の方がウケることもある。

つまり、BABYMETALのロッククイーン性は、KOBAMETALがいうように「バンド形式ではないからさまざまなアプローチができる」(2012年日経トレンディ)というコンセプトによって保証されるのではなく、幅広い客層のファンを獲得し、曲ごとの完成度をより高め、ライブで観客を熱狂させることによって現出するのだろう。「KARATE」のフォーンライト煽りが、レッチリUSツアーで全米を感動させたように。

ヨーロッパで、美声で妖艶な女性フロントマンがフィーチャーされたシンフォニックメタルというジャンルが発展していったのに対して、日本では女性が主役のロックバンドは、まったく違った形で現れた。

2005年、徳島出身のチャットモンチーがメジャーデビューし、アニメや映画の主題歌となるなどして人気を高め、2008年には日本武道館2日間公演を成功させた。

同年、中ノ森バンドが「Oh My Darling」で第47回レコード大賞新人賞を受賞する。福岡出身の中ノ森文子の楽曲は、女性らしい歌詞だが、曲調はエモ、ないしハードロックだ。中ノ森バンドは2006年「Fly High」で第48回レコード大賞金賞を受賞したが、2008年に中ノ森文子が喉を傷め解散した。

2006年、同じくヘヴィメタルといっていいSCANDALがデビューし、2008年には第51回レコード大賞新人賞を受賞、日本武道館公演を実施し、積極的に海外ライブに挑戦している。BABYMETALの海外進出以前、あるいは現在もなお、海外では日本を代表するガールズメタルバンドとして認知されている。

2006年は、赤い公園、沖縄出身のFLiP(2016年活動休止)、ねごと、サイレントサイレン、Tricotといったエモ、オルタナティブ、テクノポップなど多様な音楽性を持ったガールズバンドが続々と登場する。中でもCyntiaはシンプルだが、重い音作りのへヴィメタルを志向していた。

2007年にはミリタリールックをコスチュームにし、60年代風のメイクと髪型で“パンク歌謡”といった趣のキノコホテルがデビュー。

2008年にはAldiusがデビューする。Aldiusは各々露出度の高いドレスとキャバ嬢のような髪型、メイクで、へヴィメタル楽曲をガンガン演奏する“アゲ系へヴィメタ”。

2009年には、同じく極めて演奏力の高いMary’s Bloodがデビュー。こちらも、セクシーでゴシックな衣装、髪型、メイクでグラビアを飾る。

ガールズメタルバンドのファンは男性客が多く、「Burrn!」増刊の「Metallion」でも何度か特集されている。

90年代~2000年代に、北欧の女性ロックシンガーが、「セクシーさ」から脱却し、美声やゴシック的な美しさをフロントに押し出していったのに対して、2000年代に日本の女性ロックバンドは、女性性を売りにしつつ、へヴィな楽曲で「男性並みの演奏力」を訴求するという方向へ進んだのである。

これは日本のラウド系シーンがヴィジュアル系の影響のもとにあったことや、1990年代~2000年代に、両手タッピングで「熊蜂の飛行」を弾きこなすジェニファー・バトゥンやオーストラリア出身でカルロス・サンタナ、スティーヴ・ヴァイに師事したオリアンティ、単身アメリカのMIに留学してスタジオミュージシャンとなった安達久美、ジェフ・ベックのベーシスト、タル・ウィッケンファルドといった卓越した演奏技術を持つ女性プレイヤーの登場と無縁ではないだろう。アマチュアロック大国たる日本の少女たちは「演奏」を目指したのだ。

(つづく)