ロッククイーンの系譜(1) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日5月3日は、過去BABYMETAL関連では、大きなイベントのなかった日DEATH。

 

BABYMETALは、女性三人組のJ-POPグループであり、かつ、女性がフロントマンのメタルバンドである。

2010年にデビューした「アイドル」であり、「成長を見守る」ファン心理を利用しつつ人気を高めると、握手会やSNSでの関係性を売ることを拒否し、楽曲、歌唱、ダンスを商品として人の心を動かす「手の届かない芸能人」=スター。

海外でも通用する用語でいえば、ロッククイーンである。

レッチリUSツアーの「KARATE」で、アメリカ人観客を魅了したフォーンライト煽りは、まさに日本のスター=ロッククイーンの風格十分だった。

もっとも、SU-の場合、世を忍ぶ仮の姿のときは、極端にオーラが消えてしまう。YUIやMOAも、日常生活はふつうの女子高校生である。それがまたいいのだが。

さて、ウィキペディアの分類では、ガールズグループとガールズバンドは厳密に違うらしい。

ガールズグループは女性だけのボーカルグループを意味し、シュープリームスやスリーディグリーズが含まれるのに対して、ガールズバンドは女性だけの楽器演奏バンドを意味し、女の子(たち)が楽器を持って歌うアコースティックデュオや、それがエレクトリック化したポップバンドから、並みの男性以上の演奏力を持つメタルバンドまでが含まれる。

そうなると、女性だけが楽器を弾くバンドイコールロックバンドということにはならず、男女混成または男性がバックバンドを務め、女性がフロントマンとなるメタルバンドの方が、その音楽性においてBABYMETALに近い。

業界人でも評論家でもなく、只のファンブロガーに過ぎないぼくにとっては、BABYMETALというアーティストをいろいろな事象にコジツケて、より深い味わいと感動を引き出したいというゲスな思いで書いているだけだから、あまり厳密に分類にこだわらず、世間に与えた“衝撃”という観点から、BABYMEALがどういう系譜に乗って登場してきたかを考察してみたいと思う。といっても、ぼくの狭い了見の範囲内だから、またいろいろとご批判を浴びるかもしれない。あらかじめ、ゴメンナサイ。

女性ロッカー、ロッククイーンというと、まずぼくが生涯はじめて「可愛カッコええ!」と思ってしまったのが、1970年代初頭のSuzi Quatroであった。

もともと米国デトロイトで、お姉さんたちと一緒にガールズバンドをやっていたが売れず、一人だけ渡英して1973年にリリースした「キャン・ザ・キャン」(UKチャート1位)がヒット。続く「48クラッシュ」(UKチャート3位)、「デイトナ・デモン」(UKチャート14位)もヒット。その年のイギリスの売り上げNo.1女性アーティストとなった。

さらに1974年の「悪魔とドライブ」(UKチャート1位)、「トゥ・ビッグ」(UKチャート14位)、「ワイルド・ワン」(UKチャート7位)も大ヒット。イギリス、ヨーロッパ、オーストラリア、日本では、文字通りNo.1ロッククイーンであり、74年から78年まで5年連続で来日してツアーをやっている。

胸元の開いた黒い革ジャンを素肌にまとい、可愛い顔してベースを弾きながら、グラムロック風にオフマイクで中音域が強調されたボーカルは、新三人娘や花の中三トリオを見慣れたガキにとっては“衝撃”であった。最初のアルバムは友達を拝み倒して譲ってもらった。

当時は動画などないし、ライブにも行けず、ラジオやレコードで聴く曲と、荒くれ男に囲まれたグラビアやレコードジャケットしか情報がなかったが、ぼくの頭の中で「スージーQ=ロッククイーン」の原像がしっかりと刷り込まれたのであった。

しかし母国のアメリカでは、なかなか人気が出ず、1978年の結婚を機に、活動はペースダウン。それでも1987年には氷室京介とデュエットで「ワイルド・ワン」をリリース。サケロックのCMにも起用された。2009年にはBBCの「Queens of British Pop」12人の一人に選ばれた。

1975年、アメリカで平均年齢16歳のザ・ランナウェイズが結成される。

彼女たちがガールズバンドの草分けとされるのは、1977年に大ヒットした「チェリーボム」(Bombが、当時の邦題ではボンブとなっていたw)のおかげである。メインボーカルのシェリー・カーリーは、ガーターにコルセットという“ほぼ下着”のコスチュームで、歌い方も舌足らずに「チチチ…チェリーボム!」という悩殺路線。メンバーが各々、デヴィッド・ボウイ、スージーQ、リッチー・ブラックモア、ロジャー・テイラー、ジーン・シモンズを“お手本”にしているという公式PRは、「男社会」たるロック界で“大物ロッカーの妹分キャラ”を箔づけに使った嚆矢であろう。

しかしこれがまんまと奏功して、日本でも大人気となる。

セカンドアルバム「クィーン・オブ・ノイズ」を引っ提げてワールドツアーを実施し、初来日を果たす。羽田空港では数千人のファンが出迎えたという。日本滞在中には、数多くのテレビ番組に出演し、大ブームとなる。

しかし、もう高校生でHRバンドをやっていたぼくには、あまりに“悩殺キャラ”が立ち過ぎていて、親にも見せられないし、友達にも恥ずかしくて「好きだ」とは言えなかったな。

結局、ランナウェイズは「チェリーボム」一発で、入れ替わるように出てきたのが1976年デビューのブロンディだった。バンド自体はパンク色が強かったが、ブロンドのデボラ・ハリーは、NYのセックスシンボルという感じで、ビッチ感も強化され、1980年の大ヒット曲「コールミー」はずばりコールガールを演じている感じだった。

ビッチといえば、1977年にデビューしたプラズマティックスのウェンディ・O・ウィリアムズは、歴史に残るロッククイーンだろう。ティーンエイジャーの頃家出し、各地をヒッチハイクで転々としたあげくNYで本物のストリッパーをしていた経歴をもつウェンディは、プラズマティックスのステージでは、乳首に黒いテープを張っただけの姿で、チェーンソーでギターを斬るパフォーマンスで有名になった。ランナウェイズは気恥ずかしかったのに、ウェンディには、吹っ切れた潔さ、捨て鉢の気迫を感じて、ぼくは「Coup D‘ Etat」(1982年)のLPを新譜で買った。戦車にまたがったウェンディが「進め!」と男たちを指揮しているジャケットだった。

1991年に引退後、動物保護活動家・ナチュラリストになっていたウェンディは1998年、48歳でピストル自殺した。4月6日は彼女の命日である。

ここまで、ぼくが“衝撃”を受けた欧米の女性ロッククイーンを見てきたが、やっぱり「セクシー」さ、「ビッチ感」がウリになっている。ロック=下品な音楽、ロッククイーン=“危険”なビッチ、みたいな図式が明確に見て取れる。少なくとも欧米のプロデューサーには、女のロックバンドは、それを強調しなければ売れないという固定観念があったように思う。以前取り上げたジェンダー音楽論は、少なくともマドンナ登場まではやはり妥当なのかもしれない。マドンナはそれを逆手にとって“セックスシンボル”のパロディを演じ、ダンスでジェンダーの主体性を解放したことに歴史的な意味があるというわけだ。

では、日本ではどうか。

(つづく)