タンパの思い出 | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日4月29日は、過去BABYMETAL関連では大きなイベントのなかった日DEATH。

 

明日はレッチリUSツアー10日目、マイアミ最終戦。

今日はBABYMETALとは関係ない個人的な思い出を書く。

1991年、ぼくはフロリダ州タンパに行った。カール・ゴッチに会うためである。

まだ独立する前、務めていた学習塾は景気が良かったので、どこでも自分の好きなところへ行ってレポートを書くという「研修旅行」の制度があった。家族を連れてアメリカに行くことにしたのだが、ロス、NY、ディズニーランドじゃありきたりなので、何か他の人がやらないようなことをやってみようと考えた。そういえばフロリダのタンパは、プロレスの聖地だったなー。カール・ゴッチはタンパ在住だったよなーという記憶があったので、訪ねてみようと思ったのである。

レスラーでも、プロレス関係者でもなく、単なるファンなのに馬鹿でしょ。

当時のぼくの配偶者様もUWFの旗揚げ興業に一人で行くくらいプロレス好きだったし、ありきたりの観光地に行かないというのを面白がってくれたので、「よっしゃあ!」となって、プロレス雑誌に書いてあった番号を頼りに、埼玉県草加市にあった藤原組に電話を入れて趣旨を話し、ゴッチの住所を聞いたらちゃんと教えてくれた。ゴッチの娘婿である空中正三氏が師範代を務めている道場があり、近くにゴッチの家もあるというのである。

たちまちぼくの頭の中には、「プロレスの神様」カール・ゴッチの自宅で、1歳になった長女の頭を撫でてもらっている写真を撮るという、プロレスファンの友達に永遠に自慢できる妄想が広がってしまった。かえすがえすも阿呆である。

ゴッチさんのお土産にする陶器を買い、旅行計画を立てた。

ダラスかどこかで乗り継いで、タンパ空港に着いたのはもう夜だった。宿のホリデイ・インに空港からタクシーで到着。女性のドライバーだったので、交渉して明日の朝も迎えに来てくれるように頼んだ。

翌日。藤原組で聞いた住所をドライバーに渡すと、シボレーのキャブはそこへ向かって走り出した。ワクワク、ドキドキ。

しかし、着いたのは住宅街の中にある郵便局であった。藤原組で教えてくれた住所は、最後にP.O.BOX○○○とあって、つまりは郵便局の私書箱だったのである。

郵便局で、「おいらは日本から来たプロレスラーのミスターカール・ゴッチのファンですだが、教えてもらった住所はこの郵便局でした。お代官様、本当の家の場所を教えてくださいまし」と聞いてみたが、さすがに教えてくれない。「本名はKarl Istazというんですけんど」と言っても、郵便局の職員は、このアドレス宛に手紙を書き、本人が承認すれば教えてくれるはずだ、との一点張りである。

確かにそうだよなあ。なんで日本にいるときに手紙を書かなかったんだろう。常識以前の問題であり、おっちょこちょい大爆発である。

ゴッチ道場の住所も聞いてない。とりあえず、「お代官様、タンパ市内にあるというゴッチさんのプロレストレーニングセンターはご存知ですだか?」とか聞いてみたが、もちろん局員は首を横に振るばかり。「プロレスなら、週末、市街地のバーでやっているよ」という情報を得ただけであった。

しかたなく、ゴッチが住んでいるであろう住宅街をぶらぶら歩いた。通りかかった人にゴッチの家を聞いてみようと思ったのだ。しかし、平日の昼間、住宅街には人っ子一人通らなかった。ただ、プロレス雑誌で見たことのある、前田日明や高田延彦がトレーニングした電信柱の坂の光景が、確かにそこにあった。写真を撮りまくった。スナグリに入れて抱っこしていた長女がむずかり始めた。

とりあえず、市街地へ行ってみることにした。このあたりはカリブ海の海賊、ラム酒の匂いがする。古い建物は何となくピンク色がかっていたように思う。タクシーにピックアップしてもらう時間を言って、おなかが減ったのでハンバーガーショップに入った。注文した品が来たので食べようとすると、大柄なウェイトレスが「猫上げる?」「追いつくか?」とか言ってくる。

「は?」何度聞き返しても、ゆっくりと「猫、上げる?」「追い、つく?」と言う。

ぼくが油汗を流しているのを見て、彼女は赤い調味料を持ってきた。「Ketchup」と言っていたのだが、ぼくには「Cats up」「Catch up」と聞こえてしまったのである。

市街地で、プロレスをやっていそうなバーのある繁華街あたりをぶらついていると、古いレンガ倉庫のような建物の陰から、紙袋をもった黒人の男たちが、なんとなくぼくたち家族を遠巻きにして見ている。やがてその数がどんどん増えてくる。これはヤバい。冷汗が流れる。

しかたなく、たまたま通りかかった別のタクシーに乗って帰ることにした。

ホテルに着いて思いつき、Istazまたはゴッチ道場の電話番号が書いてあるかもしれないと思ってイエローページを探してみたがやっぱり見つからない。

滞在期間はあと2日。奥様や長女をもうコワい目に合わせるわけにはいかない。

そこで、翌日は気分を変えて、タンパ市内にあるブッシュガーデン(バドワイザーのアンホイザー&ブッシュ社のテーマパーク)へ行き、最終日はタンパ湾対岸のセント・ピーターズバーグにあるサルバドール・ダリ美術館に行った。ゴッチさん用に買った陶器は、ずっとつき合ってくれたタクシーの女性ドライバーに差し上げた。

ただそれだけのことなのだが、BABYMETALがタンパで公演をやると知って、今から26年前の記憶がありありと蘇った。

ぼくが訪問したのが、1991年5月の連休だったので、今思えば、同時期にカンニバル・コープスがここタンパのモリサウンドレコーディングスタジオで「斬鬼〜ブッチャード・アット・バース」(1991年7月リリース)を録音していたのだ。

そして昨日、BABYMETALは、「BABYMETAL DEATH」を演奏した。

やっぱりどこかつながっている気がする。そう思いたいダケですけどね。(^^♪