BABYMETALはスターである | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日4月12日は、2016年、米Billboard 200で「Metal Resistance」が39位となり、日本人として坂本九以来53年ぶりにTOP40に入った日DEATH!

 

さんざんロック史における位置づけとか書いておいてナンですが、やっぱりBABYMETALはアイドルでもあるんですよね(^^♪

先日、ムスメ(次女)と秋葉原のメイドカフェに行ってきた。前から秋葉原に行ってみたいと言っていたので、春休みの平日、アニメ関係やボカロ関係のお店を巡るついでに、彼女の好きなアニメによく出てくるメイドカフェでオムライスを食べてみようということになったのです。

ぼくも初めてで、ムスメとでもなければとても入れるものではナイ。

聞いていた通り「夢の国へようこそ、ご主人様、お嬢様」というアニメ声のメイドさんに出迎えられ、入店。

時間は午後2時くらい。店内は、奥にステージがあって、テーブル席には家族連れの外人さんのグループが3組、一人で来ている背広を着たロマンスグレー氏や、20代~30代の若者数名、左右の壁際には若いんだかオジサンだかわからない方々が数組。

うさぎの耳をつけられ、担当のメイドさんにシステムを聞きながら、オジサンたちの姿にみるみるムスメが固まっていくのがわかる。

「夢の国の入国税」が1時間ごとに課せられ、延長すればその分加算される。メイドさんへのタッチ、写真撮影はご法度、チェキとお土産付きのセット料金をお勧めされる。ステージにはそのチェーン店のメイドさんの選抜チーム?入りした子への贈花が飾ってある。人気投票によって順位が決まるのだろう。メイドさんが横にハベっておしゃべりするわけではないし、メニューは喫茶店なのでキ○バ○ラとはちがうが、なんか雰囲気が似ている。

オムライスが運ばれてきた。アニメでおなじみのケチャップのお絵かきと、「おいしくなーれおいしくなーれ、萌え萌えキュン♡」をやってくれた。

そのとき、ステージでミニライブが始まった。メイドさんたちが「AKBさん」の曲を4曲、口パクのダンスで代わる代わる披露してくれる。壁際の方々は、タンバリンを鳴らし、大声で合いの手を叫ぶ。ぼくは慣れているが、ムスメは固まっている。だが、それでだいぶ見方が変わった。

メイドさんという形態をとっているが、ここで働いている女の子たちは、キ○バ嬢と同じく、お客さんの指名(人気投票)によって、順位やポジションが変わる仕事をしている。だが、単に接客するのではなく、パフォーマンスに「人気」の比重がかかっているというところは「アイドル」に近い。

そして、これはぼくのよく知っていた世界にも似ている。

フィリピンクラブである。

小泉-アロヨ時代にEPAが結ばれるまで、日本で働いていたフィリピン人は、「タレントビザ」で入国していた。日本の外国人滞在ビザは、「観光」「学生」「研修生」などいろいろな種類があるが、就労ビザは、「一般労働」ではダメで、固有の「特殊技能」を持った者にしか発行されない。スポーツ選手はもちろん、エスニック料理店の料理人も「その国の料理を作れる」ということで「特殊技能」として就労ビザが出る。

フィリピン人女性の出稼ぎ労働は、シンガポールや香港や台湾やUEAなどでは「メイド」(本当の家事労働)だが、日本では「一般労働」に当たりビザが出ない。

その代り、戦後フィリピン人ハワイアンバンドが活躍したこともあって、歌手、ダンサー、ミュージシャンはフィリピン人固有の「特殊技能」として認められていた。それを利用して、フィリピンサイドの出稼ぎ労働あっせん組織が、希望者に簡単なレッスンと試験で「タレント」として採用し、それをもって、日本国の就労ビザ申請をする。こうしてバブル期から2000年代前半までのフィリピンクラブには、「シンガー」または「ダンサー」として入国し、本来は禁じられている接客に従事していたフィリピン人女性が大量にいた。だから、フィリピンクラブでは、必ずショータイムがあって、女の子たちは歌、ダンスを披露した。ずっと席に座って接客していてはいけないのだ。

しかし、本質的には明らかに接客業であり、指名数は、歌やダンスによって決まるのではなく、容姿や会話の面白さ、あるいは疑似恋愛的な関係性、つまり入れ込む客の数によって決まるのがふつうで、そこはキ○バ○ラと同じである。

つまり、歌やダンスの技術を表向きのセールスポイントとしつつ、実態は日本特有の水商売のシステムである疑似恋愛的な客の指名数=人気でポジション(=給与)が決まる。

ハッキリ言って、秋元康の「会いに行けるアイドル」「ファン投票によるポジション決定」のコンセプトとは、この水商売のシステムを「アイドル」に導入したものである。

もちろん常設小屋があっても、AKBグループのメンバーが接客をするわけではない。ファンと相対するのはライブと、スタッフに管理された握手会だけである。

しかし、そのシステムのルーツを探っていくと、ホステスたちが「指名数」を競い合い、「No.1」を巡る争いを繰り広げる女性接客業へたどり着くのではないか。

 

アイドルについて考えるうち、いくつかのブログで印象深い記述に出会った。

ひとつは、なーママさんという方のブログ。

http://na-mother.hatenablog.com/entry/2016/11/22/235918

この方は、関ジャニ∞のファンなのだが、娘さんの本『しゃかいのふしぎなぜ?どうして?1年生』(村山哲哉(監修)、高橋書店)に、アイドルとは何かという問いへのヒントを見つけたという。

「うたやおどりがうまければアイドルやミュージシャンになれる?」

というタイトルで、

「テレビの中でキラキラとうたうアイドルやミュージシャンたち。

アイドルはうたうことできいている人を元気にする。

ミュージシャンはうたうことできいている人をかんどうさせる。

どちらも人のこころをうごかすのがしごとです。

だから、うたをれんしゅうしながらまわりの人の気もちをいろいろとかんがえてじぶんのこころの中にたくさんの気もちをつくっておきましょう。」

と書いてあったという。

「人のこころをうごかすしごとです」

いい言葉である。

この文章では、アイドルとミュージシャンの区別がはっきりしないし、営業マンだって広告代理店だって教員だって経営者だって政治家だって、人の心を動かすという要素なしには成り立たない。

ただ、歌や踊りという手段で、お客さんを元気にし、感動させるという意味なら、究極の答えではないかという気がする。

もうひとつ気になったブログがあった。

熊代亨さんという精神科医のブログで、昨年起こったアイドル女子大生刺殺未遂事件を受けたもの。

http://www.huffingtonpost.jp/toru-kumashiro/idol-koganei_b_10100318.html

――引用――

かつてのアイドルは、ファンから遠い存在だった。商品としてのアイドルは、テレビや雑誌や音楽CDにパッケージされたかたちで売買されていた。もちろん過去のアイドルにも間近さを売る場面はあった――ラジオやファンとの交流会などがそうだ――が、アイドルとファンの関係性を近しいものとする機会とメディアは限られていた。

一方、現在のアイドルはテレビや雑誌や音楽CDをはみ出した存在でもある。握手会でファンの目を覗き込むこと、SNSでコミュニケーションすること、そういったものも含めてキャラクターを売り込んでいる。

日本で最も成功したアイドルグループからして、そのような間近さを含めたキャラクターを売っているのだから、この問題は根が深い。今日日、「私はファン獲得競争に勝つために関係性を売ったりしません」と言い切れるアイドルがどれぐらい存在するのだろうか?

-引用終わりー

この、「日本で最も成功したアイドルグループ」がAKBグループを指すことは間違いないだろう。

そして、本来、歌や踊りで人の心を動かす仕事だったはずのかつてのアイドルを、ファンとの疑似恋愛的な関係性を売る水商売システムに転じてしまったのが秋元康である。

ぼくは水商売を否定するものではない。女性にお酌をしてもらうのは、古今東西、人類発祥以来の慣習だし、仕事上、銀座、六本木から地方の場末のスナックまで、取引先とご一緒させていただく機会は多く、それはマニラ、ジャカルタ、ホーチミンなどアジア各国にも及ぶ。

そこは大人の女性が体を張って生きぬくプロの世界であり、家族のために働くホステスさんは尊敬に値する。

だが、ぼくらビジネス客は、取引先との親密な関係を築くために、ともにお酒を飲んで会話を楽しみ、リラックスする目的でお金を払うのであって、ホステスさんを応援するために入れ込んだらおしまいだ。昔からそうだが、彼女たちは経済的な理由から夜の街で働いているのであって、当然「初見で好意をもった」から「次はいつ来てくれる?」「イベントがあるから来て」といった甘い言葉の手練手管で営業を仕掛けられる。最近は、学生さんやアルバイトのOLさん、片親ママが増えていて、身の上話をされることもある。だからといって情にほだされるわけにはいかない。情に流され、金を使えば使うほど、「ここまでしてあげたのだから」「頼られたらやめるわけにはいかない」と自意識過剰な恋愛感情にどっぷりハマっていくのが男の心理だからだ。

秋元康という悪魔的な才能を持ったプロデューサーは、ホステスさん同士が競い合う心理と、金を使えば使うほどハマる客心理をアイドルグループに応用した。

それによって、ビジネスとしては大成功しただろうが、根本的に芸能人という仕事の本質を捻じ曲げてしまったと、ぼくは思う。

引用した熊代氏の言うとおり、かつてのアイドルの商品は、歌であり、踊りであり、演技力であり、音楽CDパッケージだった。そして、手の届かない存在でありながら、人の心を動かした。

「今日日、“ファン獲得のために関係性を売ったりしません”と言い切れるアイドルがいるだろうか」と熊代氏は言うが、ぼくは、まさにそれこそBABYMETALであると思う。

2000年代に秋元康が開拓した「会いに行けるアイドル」「関係性を売るアイドル」だけがアイドルだと思ったら大間違いである。むしろそれはかつてのアイドルから見ればとんでもない逸脱であり、前から言っているようにぼくは批判し続ける。

ウィキペディアには、

――引用――

日本の芸能界における「アイドル」とは、成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物を指す。(アイドル)

-引用終わり-

とあるが、ぼくはこれまでにAKB以降の「アイドル」を「半素人アイドル」とし、かつてのアイドルとは区別してきた。

70年代の「新三人娘」や「花の中三トリオ」は、当時、アイドルではなく「スター」と呼ばれた。80年代になって松田聖子や河合奈保子や小泉今日子や中森明菜をアイドルというようになったが、以前書いたようにニューミュージックやロックを融合し、音楽性は飛躍的に上がった。90年代の安室奈美恵やSpeedはアーティストと呼ばれた。

2000年代に入って、そうしたアーティストと区別して、「関係性を売る」半素人歌手、タレントを「アイドル」と呼ぶようになった。

音楽や演技で夢を売った70年代~90年代の「手の届かない憧れの芸能人」と、2000年代の「関係性を売るアイドル」とは決定的に違う。

今、原点に立ち返り、音楽や演技の質で勝負する「アイドル」が現れている。

その中で、キラキラと輝き、みんなの心を動かすようになった存在を、ぼくはこれから古風に「スター」と呼びたい。

BABYMETALはスターである。

今頃はもう、アメリカだろう。