融合と抵抗、日本のロック史(8) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日4月8日は、2012年、「第2回アイドル横丁祭り」に出演した日DEATH。フェイクバックバンド、BABYBONE、通称骨バンドが、初めてライブに出演しました。

 

イギリスは、ロック発祥の地ではない。

ロックという音楽は、アメリカ黒人のブルースを8ビートにしたロックンロールや、それが白人音楽のヒルビリーと「融合」した1950年代のエルビス・プレスリーを代表とするロカビリーが源流である。Rock ’n Roll とRock-A-Billyを総称してRockといったのである。

1960年代前半のイギリスではナイトクラブなどでロカビリーを演奏するバンドが数多く生まれた。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、アニマルズなどである。ビートルズは天才ポール・マッカートニーによる独創的なセンスの楽曲に進化していくが、基本は、アメリカ黒人のブルースをお手本として、3コードのロックンロールを演奏するスタイルだった。

その中で、ザ・フーのギタリスト、ピート・タウンゼントは、特注の100Wマーシャルアンプを使い、大音量で過激なパフォーマンスをしていた。同時期、イギリスに在住していたアメリカの黒人ギタリスト、ジミ・ヘンドリックスも、マーシャルの100Wアンプで、フィードバック奏法、ファズ、ワウといったエフェクターを使った天才的な演奏をした。

ロンドンのナイトクラブ「クロウダディ」で、ローリング・ストーンズの後釜ハウスバンドとなったヤードバーズのギタリスト、エリック・クラプトンもマーシャルの店に出入りしており、ポップ路線に嫌気がさして、ジミヘンの影響を強く受けたクリームを結成。

後任のジェフ・ベックも、ヤードバーズ脱退後は、ジェフベック・グループやBBAなどいくつかのユニットでブルースロックを追求した。

ドイツのハンブルグで演奏活動をしていたリッチー・ブラックモアも、マーシャルの店に出入りして200Wアンプを特注、1968年3月、ジョン・ロード(K)、イアン・ペイス(D)らと、「ブルースとクラシックの融合」であるディープ・パープルを結成した。

ヤードバーズにベーシストとして加入し、ベックとのツインギターを務めたジミー・ペイジは、メンバーが次々と脱退し、最後のメンバーとなったとき、ジョン・ポール・ジョーンズ(B)、ロバート・プラント(V)、ジョン・ボーナム(D)を加入させ、1968年11月、ニューヤードバーズ改めレッド・ツェッペリンと名乗った。

こうした大音量のブルースロックは、当初「ニューロック」と名づけられたが、やがて「ハードロック」と呼ばれるようになり、アメリカを始め全世界に広まった。

レッド・ツェッペリンは1971年に来日し、9月27日に広島でチャリティ・コンサートを行った際、平和記念資料館を訪れ、公演の収益約700万円を被爆者支援のために寄贈し、広島市名誉市民章を授与された。(広島市のHPに記載がないのはどういうわけか)

1970年代後半になるとハードロックに代わるニューウェーヴ=パンク・ムーブメントが起こり、さらにそれへの対抗としてNWOBHM、ハードロックより重くて固い、へヴィメタルという音楽が誕生した。

つまりイギリスは、ハードロックとそれに続くパンク、へヴィメタル発祥の地なのだ。

その本場、Sonisphere 2014にJ-POPアイドルBABYMETALがメインステージに出演することになったとき、イギリスのへヴィメタルファン、メタルヘッドたちの間で、懐疑論が巻き起こった。2013年のサマソニ大阪で、METALLICAがBABYMETALを見て驚嘆し、メタル関係者にレコメンドしたのは間違いない。それを受けてメタル専門誌「Metal Hammer」の女性記者が記事にし、BABYMETALをプッシュした。現地プロモーターは、これほどの反響があるならと、BABYMETALをSonisphereのメインステージに昇格し、ロンドン市内の単独ライブ会場を変更した。それに対して、多くのメタルヘッドたちは、営業目的の日本人のごり押しではないかとかえって反発した。

メタルは体制への不満やうっぷんを晴らす荒くれ男たちの聖域だ。J-POPなどに汚されてなるものか。しかし、METALLICAが認めたからには、けっこうやるのかもしれない。せっかくのフェスだから、オープニングから見に行ってみよう。もし薄っぺらいJ-POPだったら、小便入りのペットボトルを投げつけてやればいい。

「BABYMETAL DEATH」が始まると、6万人のメタルヘッドたちは驚愕した。

「ギミチョコ!」のMVは多くの観客が見ていたと思うが、J-POPアイドルだと思っていたカワイイ少女たちが、フードを被った少女戦士のような格好で、METALLICAの「One」を思わせる銃声のような重いリフからなるデスメタルで、下手から登場してきたのだ。

「BABYMETAL DEATH」はその名のとおり、死から復活する曲だ。

「紙芝居」では、日の出づる国でMetal Resistanceが始まり、この三人の少女たちがメタルの神FOX GODに選ばれたと言っていた。

Sonisphere 2014はプロディジー、アイアン・メイデン、メタリカをヘッドライナーとするメタルフェスだが、へヴィメタルという音楽は、日本ほどでないにしろ、世界的に少数派に転じ、ファンは肩身の狭い思いをしていた。はるか遠く離れた東洋の国、日本で、この三人の少女たちがへヴィメタル復活のために立ち上がったというのか?

イギリスのメタルヘッドたちの思いは、80年代日本に束の間咲いたメタル王国復活を願うKOBAMETALの思いと重なっていた。

「SU-METAL DEATH!」「YUIMETAL DEATH!」「MOAMETAL DEATH!」「BABYMETAL DEATH!」。少女たちは、メタルにはそぐわないキレキレのダンスで、クールにポーズを決めていく。

実は、最初のシークエンスで、MOAMETALのイヤモニターが故障しており、右手を上げるタイミングがずれた。しかし、MOAは天性のショーマンの勘の良さでドラム音に耳を澄ませ、何事もなかったかのようにパフォーマンスしていたのだ。

ギターソロになると、このBABYMETALというユニットが、只者ではないことが明らかになる。調性を無視したかのような“アウト”な速弾きソロだが、正確無比なピッキングで見事にリズムが合い、舞台上をとり憑かれたかのように駆け回る三人の表現に、これしかないというフレージングになっている。

再度、「SU-METAL DEATH!」「YUIMETAL DEATH!」「MOAMETAL DEATH!」「BABYMETAL DEATH!」が繰り返され、そこから三人の少女たちは躊躇なく「DEATH!DEATH!」と観客を煽る。「BABY!METAL!DEATH!」と曲が終わると、東方から降臨したメタルの化身に、6万人の観客から大歓声が起こった。

間髪を入れず、「Give me Chocolate!」というSEが入り、観客にもおなじみの「ギミチョコ!」が始まる。MVで見たときは、屋内の会場で背後にマリア様が鎮座し、骨バンドがフェイクの演奏をしていた。確かに大勢の観客がいたライブだが、あれほどの魅力的なパフォーマンスが生演奏で出来るのか?これが大部分の観客の疑念だっただろう。

しかし、それはMV以上だった。お人形のように無垢に見える三人が、あのへんてこな頭指しダンスと「あたたたたーたたーたたたずっきゅん」「わたたたたーたたーたたたどっきゅん」という奇声を発する中、バックバンドは凶暴で無慈悲なハードコアのリフを奏で、ジャパン・ビューティなリードシンガーは、「♪チョコレート、チョコレート」という美しい上昇シークエンスを歌う。「あたたたたーた」が80年代のアニメ「北斗の拳」の、「ずきゅん、どきゅん」が小泉今日子のオマージュだなんてことは、観客の誰も知らない。「Give me Chocolate」が1945年に進駐米軍が日本の子どもたちに投げたセリフだということにも、おそらく大半の観客は思い至らなかっただろう。

だが、BABYMETALは、本人たちも意識しないうちに、戦後の日本の歌謡史、ロック史、サブカルチャー史のすべてを背負ってそこに立っていたのだ。その事実が、楽曲やパフォーマンスに計り知れない重みと厚みを持たせていた。

ブレイクになると、SU-は観客に向かって「Are You Ready? Come on Sonisphere! Make sound noise!」と煽る。MOAは「I Can’t hear you!」YUIは「Louder, Louder!」と続く。

SU-は「Let's sing together!」と叫び「チェケラチョコレート、チョコレート、チョチョチョ、sing!」とコール。観客は戸惑いながら、「Chocolate Chocolate」とレスポンスする。

MVにはなかったシーンだ。とても16歳のJ-POPアイドルとは思えない度胸。1975年のサディスティック・ミカ・バンドの加藤ミカ以来、30年の時を超えた新たなジャパニーズ・ロック・クイーンのデビューである。

6万人の大観衆は、2曲目にしてBABYMETALに魅了されてしまった。

ここで三人は、舞台袖に引っ込む。

青山神の軽快なドラミングに合わせて、コープスペイントをしたバンドのメンバーがステージ前面にせり出してくる。まずはLEDA神のアドリブソロ。神バンド最年少だが、最初期からのメンバーであり、その端正なアドリブには、ベースも弾ける万能プレイヤーとして、アルバム制作にも携わった才気が迸る。続いて藤岡神の“アウト”なギターソロ。縦横無尽に指板上を動き回るアドリブのフレージングは、兵庫県の高校生だったころからの数万時間に上る練習と研鑽の賜物である。ベースのBOH神もまた高校時代から日夜ハゲんできたスリーフィンガー、ライトハンド奏法を入れ込んだソロを聴かせる。スラップベースは封印。

そして青山神のソロ。ドラムほどバンドの“味”を決めるパートはない。同じ譜面・BPMでも、DAWの打ち込みではバンドのノリは出ない。2016年7月に青山神が叩いた「Pain Killer」と、12月にレッチリのチャドが叩いた「Pain Killer」を比べてみればわかる。後ろに重心が乗ったチャドの重いリズム感がレッチリの肝であり、正確で、手数が多く、わずかに食い気味の切れのある青山神のドラミングこそ、BABYMETALサウンドの基盤である。

そこへ「ハイ!ハイ!」と三人が入ってくる。その瞬間「アイドルとメタルの融合」の意味が分かる。アイドルとは、ただカワイコちゃんであればいいというものではない。バラエティ番組で「返し」が上手いのがアイドルではない。

アイドルとは、「お客さんを笑顔にするために」全身を使って訴求する表現者なのだ。

三人は、アイドルになるためにさくら学院に入った。そこで学んだのは、「ステージで泣かない」「後悔しない」「そのために時間を惜しんで練習する」というアイドル根性だった。

キツネ様に召喚されたアイドル界のダークヒロインを演じさせられても、そこに「お客さんを笑顔にする」意味を見出し、どんなに過酷な練習やツアーにも逃げずに取り組んできた。

SU-は普段どこか抜けている“天然”キャラだが、ステージに立つと豹変し、クイーンの風格をもつ掛け値なしの天才歌手である。YUIは類まれな美貌でおっとりして見えるが、ダンスの天才で几帳面なしっかり者、子役時代は演技派の女優だった。MOAは頭の回転が速く、お茶目な天性のアイドルだが、実は気配り上手で涙もろい親分肌で、シグネチャーボイスを持つシンガーでもある。三人は、70~80年代であれば一人ひとりがピンでトップをとれるほどのアイドル性と才能を持っている。それがひとつのユニットとして、メタルという世界的な市場性をもつジャンルの楽曲に取り組んでいるのがBABYMETALなのだ。

そしてバックの超絶技巧の神バンドの前に出たとき、「アイドルとメタルの融合」という卓越したコンセプトが、純粋な形で観客の前に提示される。

もし、神バンドが普通の演奏力で、楽曲に主義主張を込めるバンドなら、他の日本のバンドのように、海外フェスのメインステージに上がることは難しかっただろう。もしフロントのアイドルが、お人形=偶像(アイドル)のようにカワイクなく、歌もダンスもヘタクソだったら、コンセプトや衣装は茶番に見えてしまうだろう。

ギミックに満ちたコープスペイントを施された神バンドが、書き譜以上に超絶的な演奏をし、そのフロントで、アニメのようにKawaii少女たちが、戦闘少女のコスチュームを着て、機械のように正確でユニークなダンスをし、メタルクイーンの風格を持つシンガーが気迫に満ちて歌うからこそ「アイドルとメタルの融合」が成立するのだ。

だが、ステージを離れた生身の三人は、礼儀正しく、イノセントで、「キツネ様のお告げ」に従い、Only OneのBABYMETAL道を究めたいという以外には、何か声高に主義主張を述べるわけでもない。

キツネ様のお告げとは、「もう一度」世界をメタルでひとつにすること。

そして「もう一度」とは、KOBAMETALが見た80年代のあのメタル全盛期に他ならない。

BABYMETALはその「思い」の化身なのである。

観客は「♪ウォーウォー」に合わせて手拍子をしている。クラウドサーフィンも出ている。

もう、Sonisphereの大観衆はBABYMETALの虜だ。

(つづく)