融合と抵抗、日本のロック史(6) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日、4月6日は、2012年、BABYMETALの初単独ライブ、タワレコ渋谷店15分一本勝負に出演した日DEATH。

 

公式サイトに、東京ドーム公演のVR無料体験会(新宿ピカデリー)と衣装&ライブフォト展のお知らせが出ています。

●VR無料体験会

日時:2017年4月11日(火) 12:00-18:00 / 22:15-23:30

場所:新宿ピカデリー3F ロビー

所要時間:お一人様およそ7分(VR視聴時間は2分半ほど)

整理券配布:当日11:00より。枚数に達し次第終了とのこと。

●“LIVE AT TOKYO DOME”衣装展 &ライブフォトパネル展】

日時:2017年4月11日(火)~24日(月)

会場:タワーレコード新宿店

内容:東京ドームでメンバーが着用した衣装及びライブフォト展示。

●“LIVE AT TOKYO DOME”ライブフォトパネル展

日時:2017年4月11日(火)~終了は店舗によって異なる

会場:<札幌> タワーレコード札幌ピヴォ店、<東京> タワーレコード渋谷店、<名古屋> タワーレコード名古屋パルコ店、<大阪> タワーレコード梅田大阪マルビル店、<福岡> タワーレコード福岡パルコ店

内容:東京ドームのライブフォトパネル展示

また、6月16日のロサンゼルスPalladiumのBABYMETAL単独ライブはSOLDOUTとなりました。めでたい。

 

2014年7月5日。

イギリスはロンドン郊外のKnebworth Park。Sonisphere 2014のメインステージ。

会場には、6万人を超える観客が、まだ見ぬ日本のKawaii Metalアイドル、BABYMETALの登場を待ち構えていた。

三人は舞台袖で緊張していた。YUIはテントの隙間からそっと客席の方を見てみた。見えたのは野原の地面で、人はまばらにしか見えなかった。「やっぱりお客さん、あんまりいないのかな…。」と思ったという。

MOAは振り付けの確認をしながら、さくら学院のことを考えていた。月末から重なるレディガガのサポートアクトが、さくら学院の最重要イベント、TIFの日程と重なっていたのだ。4代目の生徒会長としては、辛い立場だった。

ストレッチをしていたSU-が、二人に声をかけた。「いつもと同じ。見せ切ろう!」

KOBAMETALが言った。「時間だ。行くぞ」

音声だけの「紙芝居」が流れる。

「A Long time ago…In a Heavy Metal Galaxy far, far away…」

これは、「スターウォーズ」の冒頭シーンのパクリである。

「昔々のへヴィメタルギャラクシー」とはどこか。

それは1980年代の日本のメタル界である。

「スターウォーズ」が日本で封切となったのは1977年。以降、オリジナル・トリロジーと呼ばれる三部作は、1980年、1983年に封切された。

1977年はピンク・レディの全盛期。そして1980年代に入ると、松田聖子、小泉今日子らアイドルの時代となる。「スターウォーズ」トリロジーの最終年1983年、TVに聖飢魔Ⅱが初登場する。それを見た小学生の小林啓少年、のちのKOBAMETALは初めて「メタル」という音楽を知り、大好きになる。インターネットなどない時代。友達の話題は漫才、プロレス、アイドル、1984年にはアニメ「北斗の拳」が始まった。

「へヴィメタル宣言」をしたLOUDNESS、BOWWOW、E.Z.O(FLAT BACKER)、X-Japanらのメタルバンドが、日本でも海外でも活躍していた80年代。

だが、その時代はすぐに終わってしまった。

サザン・オールスターズや世良公則を嚆矢として、日本語でロックを歌うバンドは次々に現れ、テレビやヒットチャートに上っていったが、90年代の終わり、本当の世紀末にはへヴィメタルらしいへヴィメタルは日本のメジャー・シーンから消えた。

1997年のX-Japanの解散、1999年の聖飢魔Ⅱの解散はその象徴だった。

へヴィメタルのミュージシャンたちは、「ジェダイの騎士」として、アニメやゲームの劇伴やJ-POPのサポートや専門学校の講師として頑張っていたが、あの輝かしい80年代のメタル王国が滅亡したことは明らかだった。

日本のロックシーンは、1945年の進駐軍クラブに始まり、日劇ウェスタン・カーニバルからGSブームを経て、70年代のハードロックバンドの台頭と日本語ロックの誕生、80年代へヴィメタルブームへとつながっていった。

90年代になり、音楽番組が減り「アイドル氷河期」と呼ばれたが、音楽性の高いアーティストが続々と登場し、J-POPと名前が変わった。大音量のロックを求めればヴィジュアル系か洋楽しかなかった。その洋楽でも新しいバンドは「モダンへヴィネス」とか「ラウドロック」と呼ばれた。90年代は「メタル氷河期」でもあった。

大学で、へヴィメタルバンドをやっていたKOBAMETALは、卒業後プロを目指すことはせず、一部上場企業であるアミューズに入社する。

アミューズの大里会長は、キャンディーズのマネージャーを経て独立し、サザン・オールスターズ、原田真二、E.Z.O(FLATBACKER)、ポルノグラフィティ、Purfume、One OK Rockなどを手掛けた。アミューズの社是は、「海外で通用するアーティストの育成」だった。

2000年代、TVの世界はモーニング娘。やAKB48グループが一大勢力となり、J-POPからは切り離された「アイドル」というジャンルが成立し、アイドル氷河期とは打って変わって「アイドル戦国時代」となった。

時代遅れのへヴィメタルでは売れないので、ラウド系と呼ばれていたいくつかのバンドをKOBAMETALはプロモーションしてみた。結果は惨敗だった。

入社10年目、KOBAMETALはバラエティ班に異動となる。そこで見たのは、可憐Girlsにいた広島出身の中元すず香という小学校6年生になったばかりの少女だった。奇しくも、彼女が生まれたのはX-Japanが解散した1997年12月31日の10日前だった。

その瞬間、彼の脳裏に、時を超えて「メタル少女歌劇団」というアイデアが浮かんだ。

2010年、アミューズ・キッズ所属の少女たちを集めた「成長期限定ユニット」さくら学院が発足した。そしていくつかの派生ユニット「部活」が構想されたとき、KOBAMETALは、「アイドルとメタルの融合」というアイデアを提案し、中元すず香を中心とした「重音部」が結成された。「部員」は、さくら学院最年少の水野由結と菊池最愛。二人の生まれは、奇しくも聖飢魔Ⅱが解散した1999年だった。

三人は、メタルはもちろん、ロックとアイドルソングの違いもわからない。へヴィメタルのお約束であるメロイック・サインを教えてみると、「わーキツネさんだー」といって遊び始めた。アイドル志望の小中学生の少女にメタルをやらせるなんて、狂気の沙汰だった。

だが、「イチかバチか」と心を定めたKOBAMETALは、「重音部」のデビュー曲の「ド・キ・ド・キ☆モーニング」の原曲に無理やりパンテラ風のメタルリフをつけた。曲には、「今何時?」という日本語ロックの創始者SASへのオマージュや、「リンリンリンッ」という沖縄出身のフィンガー5を思わせるフレーズがあった。MIKIKOは「チョ待ってチョ待って」というフレーズに、GSから歌謡曲に移行した井上順之(元スパイダース)へのオマージュをつけた。

初めてBABYMETALと名乗った2011年2月12日のさくら学院バレンタイン・イベントの1か月後、2011年3月11日、東日本大震災が起こる。メンバーはみな無事だったが、幼いながらも「歌で笑顔を届けたい」というアイドル根性が芽生えた。

2011年7月23日のさくら学院2011年度転入式で、BABYMETALの2曲目となる「イジメ、ダメ、ゼッタイ」が初披露された。タイトルやモチーフは、Perfumeがブレイクした公共広告機構のCM、前園真聖(1996年度の「いじめ、カッコ悪い」)やX-JapanのTOSHI(1997年度の「いじめバイバイ」)のパロディだったが、Sonata Arctica風のパワーメタルに編曲され、サビの振り付けにはXジャンプがオマージュされていた。

2012年、SU-が生徒会長になり、単独インディーズデビューとなる「ヘドバンギャー!!!」をリリースすると、SU-の歌唱、YUI、MOAのダンスは、メタルファンをも熱狂させるパフォーマンスとなり、神バンドが登場したLegend“I,D,Z”で、KOBAMETALが夢見た「メタル少女歌劇団」のレベルをも超えて、本格的なメタルライブの水準に達した。

BABYMETALはさくら学院と切り離されて活動することが決まり、2013年1月に「イジメ、ダメ、ゼッタイ」でメジャーデビュー。三人は今後の抱負として「世界征服」を掲げた。

この段階でも、まだBABYMETALが本気で海外進出をはかると考えた人は少なかったはずである。だが、BABYMETALは、2013年5月、サマソニ2013への出演に向けた「修行」として、神バンドを帯同した「五月革命」を実施。これに感銘を受けたバーン・コーポレーションの「音楽生活」元編集長の梅沢直幸は、2013年7月に「ヘドバン」を創刊する。

さらに、Legend“1999”を皮切りに、BABYMETALと神バンドは全国のロックフェスティバルを席捲。サマソニ 2013、LOUDPARK 13では、「アイドルなんて…」と毛嫌いしていたメタルファンの度肝を抜き、熱狂の渦に巻き込んだ。

そして、2014年2月、Legend“1997”で撮影された「ギミチョコ!」のライブMVがYouTubeに公開されると、あっという間に1000万PVに達した。ファーストアルバム「BABYMETAL」がリリースされると、へヴィメタルバンドとしては1980年代のLOUDNESSとE.Z.O以外には到達できなかったBillboard 200にあっさりランクインした。2014年3月1日-2日の両日、BABYMETALは女性アーティスト史上最年少で、日本武道館の単独ライブを成功させる。その最終日のライブ中、三人も事前には知らなかったという欧米進出が発表される。そして、フランス・パリでのYUIMETAL聖誕祭、ドイツ・ケルンでのMOAMETAL聖誕祭を経て、7月5日、三人はイギリス最大のへヴィメタルフェス、Sonisphere 2014に臨んだのだった。

「紙芝居」のナレーションが流れる間に、神バンドのメンバーが、楽器を持ってステージに登場。6万人を超える大観衆から、冷やかしのような歓声が上がる。

(つづく)