融合と抵抗、日本のロック史(5) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日4月5日は、2016年、BABYMETALが米CBS「The Late Show with Stephen Colbert」に出演。生演奏で「ギミチョコ!」を披露した日DEATH。

 

1989年当時「BURRN!」編集長であった酒井康氏(以下敬称略)は、マスコミや一般人のへヴィメタルのパブリックイメージが、「長髪、化粧、騒音、馬鹿」になっていると嘆いた。(BURRN!1989年10月号)酒井康は、聖飢魔Ⅱのファーストアルバム「悪魔が来たりてへヴィメタる」に、レコード評で0点をつけた御仁である。

「BURRN!」はヴィジュアル系もメタルとは認めず、顧問の伊藤政則は、2006年、LOUDPARKにDIR EN GREYが出演することについて「なぜヴィジュアル系が出るのか」と繰り返し批判した。

ももクロのLOUDPARK 11出演が決まったとき、「BURRN!」編集部は「取材しない」とコメントし、BABYMETALについても、今年1月、METALLICAのソウル公演とガンズ・アンド・ローゼスの4公演で前座を務めるまで、メタルバンドとして扱ってこなかった。

“素晴らしい音楽”であるへヴィメタルが、イロモノ、キワモノ扱いされることは我慢ならない、という気持ちは理解できなくもない。

しかし、ほかならぬX-Japanや聖飢魔Ⅱや筋肉少女帯は、「メタル氷河期」にも知名度を維持、のちに復活してバンド活動を再開し、現在まで生き残っている。

BABYMETALはメタル界の救世主となり、2016年Billboard 200の39位を記録、「Kerrang!」の「Best Live Band」に選出された。

もともと、へヴィメタルの創始者たるブラック・サバスのオジー・オズボーンは、ギミックに満ちた「ホラー映画」のようなステージを目指し、蝙蝠を食って救急車で運ばれた。

アイアン・メイデンは骸骨キャラクター、エディ・ザ・ヘッドをデビュー時からずっとシンボルとしている。

へヴィメタルは、プロレスと同様、子どもっぽくてお笑いになるようなギミックや茶番と表裏一体であり、それを入り口としてファンを惹きつけることは、一向にかまわないとぼくは思う。

そうしたギミックの日本での表現が、X-Japanの影響を受け、ハードコアパンクとLAメタル、グラムメタルのミックスとして「少女漫画」のようなカッコよさを追求したヴィジュアル系のバンドなのではないか。

90年代中盤以降に活躍したGLAY、L'Arc〜en〜Ciel、LUNA SEA、黒夢、SHAZNA、La'cryma Christi、SIAM SHADEらはひとくくりにヴィジュアル系と呼ばれ、X-Japanも「ヘビメタ」ではなく、ヴィジュアル系の始祖と再定義された。

昨年幕張で「Visual Japan」を主催したように、X-Japan自体もそう思っているのだろう。

ヴィジュアル系を扱うのはニューウェーヴ系の音楽雑誌「FOOL’SMATE」であり、へヴィメタル専門誌である「BURRN!」ではなかった。

イカ天出身(菊地英昭)、インディーズ時代のライブハウス活動といった1980年代後半のメタルブームの色を残したThe Yellow Monkeyも、当初はフロントマンの吉井和哉が化粧をしたり、オカマを演じたりしていたが、1992年にメジャーデビューするとオルタナティブロック色を強め、1995年にややポップ路線に移行して4thアルバム「smile」がオリコンアルバムチャート4位となり、初の日本武道館公演を開催。シングルを出すたびにヒットチャートの上位にランクされるようになり、イギリスでレコーディングされた5thアルバム「FOUR SEASONS」が念願のオリコン初登場1位を記録し、トップバンドになる。

1996年にはレコード会社を移籍し6thアルバム「SICKS」をリリース。これも初登場1位で、以降、「楽園」「LOVE LOVE SHOW」「BURN」「球根」などヒット曲を量産する。

1997年には、第1回フジロックフェスティバルに出演。豪雨の中、レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンとレッド・ホット・チリ・ペッパーズに挟まれ、イマイチ受けなかったという。

まあ、レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンは、反米帝国主義という「政治的意見を表現するためにバンドをやっている」と言い切るラウド系ファンクバンドで、「Evil Empire」などで聴けるトム・モレロ(G、ハーバード大学卒)のギターワークは、誰にも真似ができない。レイジを聴いた後には、どんなバンドでも絶対に生ぬるく感じてしまうのは仕方ない。

90年代後半から2000年代初頭にメジャーに登場した日本のバンドには、サンボマスター、Hi-STANDARD、BUMP OF CHICKEN、MONGOL 800、ロードオブメジャー、ORANGE RANGEなどがいるが、ヴィジュアル系、イエモン以降の日本のロックバンドは、ポストハードコア/オルタナティブ/メロコア/エモといったジャンルに分類される。マキシマムザホルモンはミクスチャーかニューメタルか。

評論家はバンドで分類したがるが、楽曲や時期によって曲調は変わるはずなので、どのバンドがどのジャンルなのか、実際にはその境界線はよくわからない。欧米で一般的な「ニューメタル」も、日本では「モダンへヴィネス」とか「へヴィロック」とか「ラウドロック」とか、カッコ悪い和製英語がつけられていた。ロックはへヴィでラウドに決まっているのにね。

「ハードコア」のあとに「ポストハードコア」があり、サブジャンルとして、「メロコア」があり、「エモ」があり、その中に「スクリーモ」があり、「ピコリーモ」(ピコピコは日本語の擬声語だからこれも和製で、英語ではElectronicore)があるということらしいのだが、要するに「メタル」といいたくないだけのことではないか。

明らかなことは、70-80年代型の典型的なへヴィメタルがメジャー・シーンから遠ざかっていったことである。これは世界の趨勢であったのだから、電子楽器やラップを取り入れたニューメタルもメタルのサブジャンルとして最初から認知すればよかったのだ。

90年代後半~2000年代にそれらしいへヴィメタルが脚光を浴びたのは、元たのきんトリオの野村義男の「アニメソングをへヴィメタル様式で演奏したら面白い」というアイデアから始まったアニメタルであった。ボーカルには当時タクシーの運転手などで生計を立てていた元ANTHEMのさかもとえいぞうを迎え、1997年にリリースした「アニメタルマラソン」は約30万枚の売り上げを記録した。1999年に一時活動休止するが、2006年まで存続し、その後アニメタルUSA(Vマイク・ヴェセーラ、Gクリス・インぺリテリ)がLOUDPARK 11に出演し、QUEEN.M(V)とSAKI(G、Mary’s Blood)をフィーチャーした二代目アニメタルが現在まで存続している。

アニメタルの楽曲の特色は、アニメや戦隊ものの主題歌をへヴィメタルにアレンジし、しかもその中にHR/HMの名曲のフレーズを“オマージュ”していることだ。

例えば、「鋼鉄ジーグのうた」にはディープパープルの「Burn」、「タッチ」にはメタリカの「Battery」、「ガンダーラ」にはレインボウの「バビロンの城門」、「超獣戦隊ライブマン」にはジューダス・プリーストの「Breaking the Law」などなど。

アニメや戦隊ものとへヴィメタル楽曲は相性が良く、それ以降、アニメのOPやEDにはパワーメタル系の曲が使われることが多くなる。そして80年代ジャパメタ時代に活躍した技巧派ミュージシャンたちが、アニメの主題歌の作編曲・プロデュースに携わるようになった。

へヴィメタルは消え去ったのではない。バンドという形ではなく、どっこい、アニメやゲームの劇伴として日本に定着したのだ。

また、GSブームのあと、歌謡曲にロック系ミュージシャンが参入したように、売れないバンドの技巧派プレイヤーが、J-POPやヴィジュアル系バンドのレコーディングやライブのサポート、音楽専門学校の講師となることも多くなった。

企画ものであったアニメタルは、80年代のへヴィメタルのミュージシャンと、2000年代の技巧派ミュージシャンの交流の場でもあった。

初代アニメタルのギタリストは元ガーゴイルの屍忌蛇(1966年生まれ)だったが、2代目はSyu(1980年生まれ)である。Syuが在籍するGALNERYUSのベースはYU-TO、神バンド最年少のLEDA(1987年生まれ、元DELHI)の別名である。

神バンドのメンバー、大村孝佳、LEDA、藤岡幹大、BOH、青山英樹、前田遊野といった方々も、技巧派であるがゆえに、バンドに所属しつつも、J-POPのサポートや講師で生計を立てていた。BOH氏は最近のブログで、「自分で何かをやりたい人じゃなくて、サポートとして呼ばれ、演奏でアーティストが輝き、感動を与えることができれば、それが一番うれしい」という趣旨を述べている。

この「技巧派ミュージシャンによるJ-POPのサポート」として、神バンドはBABYMETALに呼ばれたのである。

このように、アニメタルというプロジェクトは、「メタル氷河期」にあって、80年代のへヴィメタルを、楽曲的にも経済的にも人的にも引き継ぎ、バトンを渡す役割を担ったといえる。

さて同じころ、アイドル界では1996年に奥田民生プロデュースによるPUFFYが結成されて大人気となり、2002年には全米デビューを果たす。

1999年にはつんく♂プロデュースによるモーニング娘。が大ヒットを飛ばし、2005年には秋元康によるAKB48が結成され、90年代の「アイドル氷河期」に終止符をうち、新ジャンルとしての「アイドル」が誕生した。

2000年代中盤のロックシーンには、前述したようにオルタナティブ/メロコア/エモといったジャンルに分類されるバンドが、引き続き数多く登場していたが、その中で、ヴィジュアル系だったDir En Greyは2006年に海外進出し、2006年に結成されたOne Ok Rockも、メンバーの不祥事を経て2010年から海外でのライブを行うようになる。

そしてこの2010年11月28日。

「アイドルとメタルの融合」をテーマとした女性三人組が、学校を模した成長期限定ユニットの「部活」として結成された。さくら学院重音部、のちのBABYMETALである。

メンバーは小学校5年生2人と中学校1年生。ロック界、メタル界、アイドル界の誰もがたんなる冗談だと思っていた。

(つづく)