融合と抵抗、日本のロック史(3) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日4月3日は、2014年、「YouTubers React to BABYMETAL」が公開された日DEATH。これで世界的知名度アップしました。

 

1978年に「勝手にシンドバッド」でコミックバンド的にデビューし、1979年に切ないバラードの名曲「愛しのエリー」で人気を不動のものにしたサザン・オールスターズは、日本語ロックのパイオニアである。70年代、フォークは日本語の歌詞がなじみやすいが、より洋楽の色が強いロックは日本語では通用しないという説が根強くあった。しかし「勝手にシンドバッド」は、サザンロックのリフやリズムに“英語のように聴こえる”日本語の歌詞が乗り、まったく違和感がなかった。

BABYMETALのデビュー曲、「ド・キ・ド・キ☆モーニング」の「今何時?」は、事務所の先輩でもあり、日本語ロックのパイオニアたるSASの「勝手にシンドバッド」へのオマージュである。

1977年11月にデビューし、78年の歌謡界に旋風を巻き起こした世良公則&ツイストも、日本語ロックの成立に大きな役割を果たした。

“J-ROCKの元祖”といわれるゆえんは、世良の歌唱法や派手なアクションだけでなく、歌謡曲的な歌詞やメロディでありながら、ギターリフを基調として、ソロありブレイクありといったロックの文法で書かれた楽曲や、音楽番組で生演奏を貫き通し、番組専属のオーケストラとしょっちゅう揉めていたということにある。70年代の本格的ロックバンドが、高い水準の演奏能力を持ちながら一部のファンにしか広がらなかったのに対して、英語にこだわらず、ロックの流儀でヒット曲を作るとこうなるという一つのモデルを示したのがSASや世良公則だったといえる。

ロック少年だったぼくには、同じく1976年に「NAVY BLUE」でプロデビューしたCharは、ちょっと異次元の存在だった。アルバム「Char」には、「Smoky」のような超絶テクのギターが炸裂するナンバーもあったが、「Shining」のような、ムスタングのポコポコしたフェイズサウンドのお洒落なカッティングのファンクがあり、ハード・ロックの文法ではなかった。さらに1978年には、テレビに出たCharはギターこそ持っていたが、「気絶するほど悩ましい」「闘牛士」「逆光線」のような“歌謡曲”を歌っていた。当時はインターネットもなく、「ロッキンf」のChar特集がせいぜいの情報で、デビュー前の“凄さ”は随分後になってから知った。

広島出身で当時アミューズ所属だった原田真二も謎だった。吉田拓郎に見いだされ、1977年、大里社長のアイデアで、3か月連続シングルリリース、すべてオリコン20位以内という快挙を成し遂げる。カワイイ顔とアフロヘアなのに、楽曲はすべてオリジナル、楽器もすべて自分で弾くという天才マルチプレイヤーだった。1978年のファーストアルバム「Feel Happy」は、オリコン史上初の初登場第1位。10代の男性シンガーソングライターとしては、この記録はいまだに破られていない。

当時、歌番組に出て生演奏する世良公則&ツイスト、Char、原田真二は、歌謡曲の「御三家」にちなんで「ロック御三家」と呼ばれた。サザン・オールスターズ、RCサクセションも「ザ・ベストテン」や「夜のヒットスタジオ」などに出演した。こうして70年代後半には、頑なにTVに出ないニューミュージックのアーティストとは別に、日本語ロックの楽曲を引っ提げてテレビに出て全国区になるロックミュージシャンの系譜が生まれた。

だが、1980年代は「アイドルの時代」でもあった。

「歌謡曲の正常進化」で書いたように、松田聖子の声質はロックシンガーっぽく、ピッチは正確で、楽曲には今剛、松原正樹ら凄腕のフュージョン系ギタリストが参加していたが、なんといっても「聖子ちゃんカット」「ブリッ子」のアイドルであった。

3rdシングル「愛してます」(1980年)以降、バッキングは、SHOGUNが担当していた河合奈保子も、松田井聖子以上にアイドルらしかった。

中森明菜はもっとロックっぽい。歌唱法もそうだし、楽曲も不良っぽいロック娘を演じている感がある。「少女A」(1982年)のギターは矢島賢が弾いているし、「飾りじゃないのよ涙は」は井上陽水の楽曲提供である。

小泉今日子は逆に、アイドル性を強調した。「なんてったってアイドル」(1985年、オリコン1位)とアイドルであることの自己規定を高らかに歌った。「渚のはいから人魚」(1984年)の歌詞(康珍化作詞)「キュートなヒップにズキンドキン」が、BABYMETALの「ギミチョコ!」の「あたたたたーたたーたたたずっきゅん」「わたたたたーたたーたたたどっきゅん」のオリジナルであることは明らかである。

その他、堀ちえみ、三田寛子、石川秀美、松本伊代、早見優ら錚々たる「アイドル歌手」がテレビの音楽番組に登場。さらに1985年から秋元康の構成による「夕やけニャンニャン」がスタートし、おニャン子クラブから、新田恵利や国生さゆり、城之内早苗、渡辺美奈代、渡辺満里奈、工藤静香、生稲晃子らがデビューしている。

しかし、同じ時期に、聖飢魔Ⅱはタモリの「今夜は最高」に出演、1985年の「聖飢魔II〜悪魔が来たりてヘヴィメタる」でデビュー、翌年の「蝋人形の館」はオリコン17位ながら35万枚を売る大ヒットとなった。

目黒鹿鳴館などのライブハウスや周辺酒場で暴れるため、「関東三大粗大ゴミバンド」と称されていたX-Japan(当時はX)は、1987年ごろから、「天才たけしの元気が出るテレビ」に出演して「早朝ヘビメタ」「ヘビメタ運動会」「やしろ食堂ライブ」などで笑いを取って知名度を上げた。1988年4月にインディーズアルバム「Vanishing Vision」をリリース、翌年にはCBSソニーからメジャーデビューし、LAメタル、ハードコアパンクの影響を受けたジャパニーズヴィジュアル系メタルバンドとして、他のバンドに多大な影響を与えることになる。この2つのメタルバンドが、METALLICAと並んで、BABYMETALが最大のオマージュを捧げるバンドであることは、ご承知のとおりである。

そして、80年代後半から90年代前半にかけて、THE BLUE HEARTS、ユニコーン、JUN SKY WALKERS、THE BOOM、BOØWY、HOUND DOG、レベッカ、BARBEE BOYS、TM NETWORK、SHOW-YA、米米CLUB、プリンセス・プリンセス、LINDBERGらのロック系アーティストが、次々にテレビやヒットチャートに登場してくる。

さらに、1989年には、土曜深夜のTBSで、バンドオーディション番組「三宅裕司のいかすバンド天国」(通称イカ天)が始まり、FLYING KIDS、BEGIN、たま、マルコシアス・バンプ、カブキロックス、たま、人間椅子、JITTERIN'JINN、BLANKEY JET CITYといったバンドが出演した。

時代はバブル期。「バンドブーム」もまた史上空前で、1991年には、歴代最高の510組のバンドがメジャーデビューしたという。

(つづく)